第六十七話 『アスター』
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「いいねハル!似合ってる似合ってる!」
「…ふぅん。これはまさに、孫にも衣裳ってヤツだな」
「なんだかお前がそういう格好してると、見慣れてない所為で新鮮に感じるよ」
ナナバと部屋に集まっていたゲルガー、トーマの三人は兵務を終えた後、兵服を着替えて自信なさげに小部屋から出て来たハルの姿に、稀に街へやってくる大道芸人達のショーでも見たように感嘆した。
ハルは珍しく、女性らしいAラインで水浅葱色のワンピースを着ていた。これはナナバが今日の為に街で見繕って来たものだが、ミモレ丈の裾が落ち着かないのか、ハルはぎゅうっと両手で裾を伸ばすようにして握りながら、着替える前までは此処に居なかった筈のゲルガーとトーマに酷く動揺していた。
「どどっ、どうしてゲルガーさんとトーマさんまで、こっ、此処に居るんですかっ!?」
「なんでってそりゃあ…」
「面白そうだったから?」
「…だよな」
顔を見合わせ悪びれなく答えた二人に、「お、面白そうって……」と、ハルは羞恥心から壁に両手をつき、床に沈み込みそうな勢いで項垂れる。その背中で、ナナバが「ハルは見せものじゃないんだけど?」と二人を蹴り飛ばしていた。
今日はクリスマス・イブ。
ハルはこれから、ジャンと一緒に人生初のトロスト区で開催されているクリスマス市へ行く。所謂、デートというやつだ。おしゃれに殆ど興味が無いハルも、流石にそれなりの格好をしなくてはという考えには至り、ナナバに相談したところ(サシャ達に相談するといろいろと面倒な事態が勃発しそうだったので今回はやめておいた)、ナナバのやる気スイッチが入ってしまったのである。ハルのために街へ出て洋服を選んで来ると、ナナバは当日の兵務終わりで、部屋にハルを呼んだ。しかし、ナナバがハルを着飾ろうと誘っていた所を、地獄耳のゲルガーが聞きつけ、トーマも連れてハルが別室で着替えている最中に面白いもの見たさで酒瓶を持ち込みナナバの部屋へ押し入って来て今に至る。
「ほら、ハル。壁に張り付いてないでこっちにおいで。口紅を塗るから」
ゲルガーとトーマを床に踏んづけているナナバに手招きされ、ハルは覇気のない返事をしてナナバの元へトボトボと歩み寄る。
ナナバは手にした口紅を指先で掬うと、少し前屈みになってハルの唇に塗った。その際、ナナバの端正な顔が間近になって、ハルは同性ながら少々ドキドキしてしまい、視線を泳がせる。
「よし…出来た。うん、私の見立て通り、ハルによく似合う色だ」
ナナバは口紅を塗り終えると、満足そうに微笑み、ハルへ手鏡を渡す。ハルは、ただ紅を差してもらっただけなのに、随分普段の印象と変わって見えることに驚いて、思わず呼気を落とした。
「な、何だか、自分じゃないみたいです…」
驚くハルの顔を、ナナバに踏みつけられ床に倒れていた二人も、亀のように首を伸ばし、呻きながら見上げて言った。
「おおっ、今度は随分綺麗になったじゃないか!」
「紅塗っただけでこんなに印象が変わるんだな…女って怖ぇ」
「一言多いよ」
今回トーマはナナバの鉄槌を免れたが、ゲルガーは褒め言葉の選択を間違い、ぎゅむっと片耳を抓られ悲鳴を上げる。その隣でトーマがホッと胸を撫で下ろしている中、ハルは迷子の子供のような顔で、不安げな声を溢した。
「…あの、ナナバさん、ゲルガーさんトーマさん。今の私、おっ、おかしくないでしょうか…?」
「どこもおかしくなんかない。最高に綺麗で可愛いよ、ハル」
「ああ。ったく、ジャンが羨ましくなっちまうぜ。あの野郎、後輩の癖に…っ!」
「クリスマス市に女と二人で出かけるなんてな…。ぶっ飛ばしてやりたいくらいには、妬ましいよな」
そう言って世の中のカップル達に理不尽な僻みを向けるゲルガーとトーマに、ナナバはやれやれと腰に手を当て、溜め息を吐いた。それから部屋の壁時計に視線を向けると、手鏡を見てソワソワしているハルに声を掛ける。
「この二人は放っておいて、そろそろ行かないと待ち合わせに遅刻するんじゃない?」
ハルはハッとして時計を見やると、慌ててナナバに手鏡を返し、頭を下げた。
「そ、そうですね!ナナバさん、ありがとうございます!今度お礼、させてください!!」
「別に気にしないで」と軽く手を振るナナバに、ハルは「ダメですよ!」と釘を刺してから、ハンガーに掛けてあったコートを腕に抱え、部屋の扉を開けて廊下に飛び出して行く…が、またすぐにドアを開け戻ってくると、顔だけひょっこりと出し三人に向かって微笑んだ。
「皆さん、いい夜をっ!」
不思議と嫌味ったらしくないとびきりの笑顔を残し、パタンと部屋の扉が閉まるのと同時に、トーマはがっくりと肩から項垂れた。
「…くそっ、嫁にやりたくねぇなっ!」
まるで父親のような発言をするトーマの肩をぐっと組んだゲルガーは、持ってきた酒瓶を高々と持ち上げて言った。
「だよなぁ〜……こういう日は、一杯やっちまおうぜっ!!」
そもそも、そのつもりでナナバの部屋にトーマと共にやって来たであろうゲルガーに、「一杯だけじゃ済まないだろう」と、ナナバは額を抑えてやれやれと深い溜息を吐いた。
一方のハルは、ナナバの部屋を出ると、待ち合わせ場所に向かうために出来る限りの早足で、コートを羽織りながら廊下を進んでいた。正直走り出したいところではあったが、兵舎内は非常時以外安易に走り回ることは原則として禁止されているので我慢する。
と、廊下の曲がり角に出たところで、耳馴染んだ声に呼び止められた。
「…ハル?」
なるべく兵舎内ではこの格好を見られたくなかったハルは、ビクッと肩を跳ね上げ、恐る恐る振り返る。そこには、一ヶ月前に病院を退院し、班長として調査兵団に戻ってきた、松葉杖をつくミケの姿があった。
「ミッ、ミケさん…!」
「なんだ、随分と綺麗な格好しているな。どこかのご令嬢が兵舎に迷い込んだのかと思ったぞ?」
ミケはハルの傍まで歩み寄り、大人の余裕ある笑みを浮かべて褒めてくれる。が、ハルにはまだ大人の余裕というものが無く、恥ずかしさに赤面しながら、生真面目に姿勢を正した。
「い、いえっ!あ、ありがとうさございます。ミケ班長!こ、これから外に用事がありまして…」
「用事…?」
ハルの言葉に、ミケはすっと目を細めて、ハルの顔を覗き込む。ハルはミケにどう説明したものかと困った末、巧い誤魔化し一つも思いつけず、苦し紛れに駆け出した。
「す、すみませんミケ班長!あのっ、しっ、失礼しますぅっ!!」
ビシッと敬礼をして脱兎の如く兵舎の外へ駆けて行ったハルに、ミケが首を傾げていると、「駄目だよミケ」と、窘めるようなナナバの声が聞こえてきた廊下へ視線を向けた。そこには、開かれた部屋の扉に、ナナバとゲルガーとトーマの顔がひょっこりと出て、縦に積み重なっていた。
「…態々聞くのは野暮っすよ、ミケさん」
「察してあげないとね」
「なんたって今日は、クリスマス・イヴなんですから」
ニヤニヤと笑いながら言う三人に、ミケは「ああ、なるほどな」と口元に手を添え、全てを察したように眦を下げた。
「そういうことか…」
しかし、次には顔を出したゲルガーの手にある栓が抜かれた酒瓶に顔を顰め、声をぐっと低くする。
「ところで、お前達。兵舎で酒を飲むなと何度言わせるつもりだ?俺はハルのように看過してやったりしないぞ」
「「「あ」」」
ミケの言葉に、ナナバ達の表情は同時に「しまった」という顔に変わる。慌ててゲルガーは背中に酒瓶を隠すが、既に手遅れだった。
「えっ、ええっとミケさん!これは違うんですっ!いや、そうなんですけど、まだ違うんです!」
松葉杖をついて近づいてくるミケに、ゲルガーはしどろもどろになって弁解しようとする。が、三人の前で足を止めたミケは、俯きがちに、喉を唸らせるようにして言った。
「…俺も混ぜろ」
「ひっ、すみません!…って、え?」
ゲルガーはとっさに身構えるが、ミケから放たれた言葉に目を丸くする。ナナバも驚いたように瞬きをしているのに、トーマは引き攣った顔で問い返した。
「ミケさん、今なんて言いました?」
すると、ミケは緩慢に顔を上げ、勃然と怒りを剥き出しにして叫んだ。
「娘が何処ぞの馬に連れ出されたんだぞ!!飲まずにやっていられるかぁあ!!」
「うわぁ!?ちょっ、何で俺に怒鳴るんですかミケさぁん!?」
怒号と共に何故かトーマの胸倉を掴んで揺さぶり始めたミケに、ナナバは頭痛を覚え目頭を摘んだ。
「やれやれ、ウチの班の男達は、全員ハルの父親気取りをしてるのか」
ハルに同情するナナバに、ゲルガーはくくっと喉を鳴らすように笑うと、軽く肩を竦める。
「ま、仕方ねぇよ。皆あいつが大事なんだ」
「他人事みたいに言ってるけど、ゲルガーも含めての話だからね」
ナナバの一瞥に、ゲルガーは「そりゃ、違うぜ」と首を振り、手にした酒瓶のラベルに書かれた、『シュヴァルツビア』の文字を、親指の腹で撫でながら、鼻の先で一笑した。
「俺にそんな親心はねぇよ」
完
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