第六十七話 『アスター』
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ウォール・マリア奪還を果たし、勲章授与式が執り行われた後、日毎食糧飢饉に迫られる壁内人類のため、調査兵団は休む間もなくウォール・マリア内の巨人掃討作戦に総力を注いだ。
立秋だったということもあり、雪が降り積もれば馬の機動力が鈍ることや、ハンジ達が開発したトロスト区にある巨人討伐装置の効果が望めない奇行種達を捜索し、速やかに排除しておく必要性があることを加味して、調査兵団は速やかにウォール・マリア内での安全を確保し、春には避難住民達を故郷へ戻す為に迅速な対応を求められていた。よって調査兵団の兵力拡大が決議されると、ミケも立体機動はまだ出来ないが、討伐作戦の支援の為、病院を退院して兵舎に戻って来ることになり、エルヴィンは団長の座を下りても新兵達の教育に追われ、ハル達もこれまでと変わらずウォール・マリアの地を駆け回る日々を送っていた。
そうして忙しい秋が過ぎ、パラディ島に雪が降り始め、巨人討伐作戦も終息を見せて来た頃のこと––––
調査兵団本部での定例会議が終わり、最近モブリットと共にハンジの補佐を勤めるようになったジャンが、席を立ったハルを呼び止めた。
「ハル」
「ジャン?どうしたの?」
ハルは積み重なった会議資料を脇に抱え、最近ぐっと身長が伸び始めているジャンを見上げた。色素の薄い栗色の髪も最近は伸ばしているようで、少年特有の若々しさというものが先立っていた顔立ちも、随分大人びて来ていた。
ジャンは束ねた会議資料の背で肩をトントンと叩きながら、以前よりも目線が下になったハルの顔を見下ろす。
「最近急がしくて暇も無かったが、漸く仕事も落ち着いて来ただろ?今度二人で、街にでも出掛けたいと思って……お前に、話したいことがあるんだ」
「話があるなら今でも構わないよ?」なんて、悪気なく以前のハルであれば答えていたところだが、態々場所を変えて二人で話したいというジャンの意図を汲み取って頷く。
「うん。ちょうど良かった!私もジャンに話したいことがあったんだ」
「お前も…?」
ジャンが目を丸くすると、ハルは微笑み、視線を会議室の壁に掛けられているカレンダーへ向けた。
ハルは、先日ハンジからシガンシナ区への異動命令や班員の増員、そしてミケとの班長交代の件について、今後の話をされていた。異動命令はシガンシナ区への安全ルートが確保された春になってからの話だが、そう遠い話ではない。正式に皆に話が出来るのはまだ先になるが、ジャンには遠回しに、それとなく伝えておきたかったのだ。
「24日の夜はどうかな?クリスマス市、一緒に行く約束していたから」
今日の日付から4日先に書かれている祝日の文字。ハルはジャンの方へ視線を戻して、小首を傾げて微笑むのに、ジャンも嬉しげに「ああ」と目元を綻ばせた。
「実は、俺もそのつもりで声掛けたんだ。じゃあ、トロスト区の北公園で待ち合わせしようぜ」
「公園で?いいけど…兵舎から一緒に行かないの?」
きょとんとするハルに、ジャンは口端を上げると、顔を覗き込むように前屈みになる。ハルの伸びた前髪を、骨張った長い指で梳き、形の良い耳にそっとかけてやりながら言った。
「それでもいいけどよ。折角だ…普通の恋人同士みたいに、待ち合わせしてからデートに行くってのも、新鮮でいーだろ?」
「!」
双眸を細めるジャンに、思わずどきりとしてしまったハルは、緩々と脇に挟んでいた資料を顔の前まで持ち上げた。
「…な、なるほど。確かにそうだね…」
「…どした?」
不思議に思ったジャンは首を傾げたが、顔を隠す資料からはみ出している両耳が赤くなっているのにすぐ気がついて、無意識に頬を緩める。
「ごっ、ごめん…!今からわくわくして、顔がニヤけてきた…」
「っ(クッッッソ、可愛いんだがっ!!?)」
上擦った声と仕草に不意打ちを喰らい、盛大にきゅんとしてしまったジャンは、左胸を抑えて悶絶する。わくわくって、ニヤけるって、何。それはこっちの台詞だろ!なんて、心の中でハルの愛らしさを噛み締めていると、不意に背中に突き刺さるような視線を感じて、顔だけで振り返る。そこには、未だ席を立たず会議用の長テーブルに頬杖をついてこちらを恨めしそうに見上げている、サシャとフロックの姿があった。
「「いいなぁ」」
阿吽の呼吸で明け透けな嫉妬心をぶつけてくる二人に嫌な予感がしたジャンは、眉尻を吊り上げ、バンッ!と長テーブルに持っていた資料ごと激しく両手をついて、二人に釘を刺す。
「お前らっ、絶対に後つけてきたりすんなよ!?絶対に!」
「そこまで野暮なことはしませんよぉー、ねぇフロック?」
「ああ。ソンナコト、シナイシナイ」
サシャとフロックが顔を見合わせ気のない返事をしてきたのに、ジャンは更に顔を顰めると、手をついたテーブルが軋むほど前のめりになって語気を強めた。
「おい、フロック!?なんでカタコトなんだよ!?っつーか、お前ら俺の顔を見て言え!顔をっ!!」
そんな三人の争いをハルは微笑ましそうに見守りながら、ふと窓の外の晴れ渡った空を見上げる。寒い時期特有の澄み渡った青い空を、一羽の白い鴎が南に向かって飛んでいくのが見えた。
「今日は平和だなぁ」
唇から無意識に溢れた呟きを聞き、三人は言い争いをやめると、ハルを見た。日向ぼっこでもしているような、ほっこりと窓の外を眺めて微笑んでいるハルの横顔に、三人とも何処かホッとしたような笑みを浮かべる。
見ている方の気が抜けるような、柔らかで、穏やかなハルの表情を、随分久し振りに見る事が出来たような。そんな気がしたからだった。
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