第六十七話 『アスター』
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今日、俺は訓練兵団を卒業する。
鬼教官と皆から恐れられてきたシャーディス教官の隈っ面も、今日に限っては心無しか穏やかに……見えなくも、ない。
教官の隣には、労いの言葉を掛けに態々南駐屯地まで駆けつけて来てくれた、シガンシナ区開拓支援班隊長、ハル・グランバルドの姿があった。
太陽が沈み始めた夕空の下、すっと伸びた背中と、風に靡く柔らかな黒髪は、初めてトロスト区の病院で出会った時よりもだいぶ長く伸びていた。
あの頃は、ハルの柔らかな部分しか、知らなかったんだと思う。俺たち兄妹を実の弟、妹のように可愛がってくれて、無条件に与えられるその優しさに、ただ甘えていた。
しかし、訓練兵団に入団してからというもの、南の地を守り、パラディ島の未来の為、兵士として尽力するハルの背中を見せつけられて、幼い頃から彼女へ向けていた親愛という感情が育ち、今や強い憧憬へと姿を変えていた。
「…皆、訓練兵団卒業おめでとう。これまで、本当によく頑張った。…でも、大変なのはこれからだ」
『ユミルの愛し子』と呼ばれ、今や民達の心の支えとなり、新兵達の憧れの的ともなっている彼女は、明日この南駐屯地を発っていく若鳥達に視線を向けながら、威厳と落ち着きを兼ね備えた声で告げる。
「大きな咎を背負わされたパラディ島で……この残酷な世界で、我々が生き続けて行くためには常に“変化”していかなければならない」
湛えられた透明な瞳に揺らぐのは、静かな炎。燃え盛ることはないが、決して消えない、希望の光。
ゆっくりと持ち上げられた右手が、翡翠の勲章を撫で、左胸に添えられる。
「変化することは成熟すること。成熟するということは、自らを創り出し続けること。この慣れ親しんだ地を飛び出していく君たちは、将来への期待の他に、不安も感じているかもしれない。でも、変化を恐れないで。今いる場所から抜け出さなくては、海の向こうを、知ることは出来ないのだから」
実際に安全な壁内から飛び出し、人類の脅威である巨人と戦い続けてきた彼女の口から告げられるからこそ、強い説得力を孕んだ言葉だった。
俺は暗黒の中に不滅の黎明が訪れるのを感じて、熱い呼気を吐き出す。
左胸に添えられたハルの白い手が、グッと握り締められる。
人類の明日を切り拓いてきたその拳が、自由の翼のエンブレムへ、ドンッと打ち付けられた。
「心臓を捧げよ!君達の、未来の為にっ…!」
背を押してくれるような力強い敬礼に触発され、自分も含め、皆が敬礼を返す。
「「心臓を捧げよ!!」」
だだっ広い訓練場に、仲間達の誓いが轟く。
ハルは威厳のある表情を、ほろりと緩める。…と、何やらゴソゴソとコートの内ポケットを探り始めた。
「ところで皆。勧誘というか、宣伝なんだけど……」
徐に取り出されたのは、四つ折りにされた一枚のポスターだった。それが開かれると、デカデカと書かれた『調査兵団・開拓支援班員熱血募集中!!』の文字が目に突き刺さる。遠巻きに見ただけでも相当な切実さが伝わってくるのだが、必死過ぎて最早滑稽にも見えるソレに、思わず同期の何人かが吹き出した。
「シガンシナ区の屯所、相変わらず人手不足なんだ。調査兵団へ入団を希望していて、開拓支援班のお手伝いをしてくれるよって子、絶賛募集中です。是非、こぞってご応募を……イデッ!!?」
済まなそうにへらりと笑いながら、ポスターを見せていない方の手で首の後ろを触るハルの頭部に、案の定シャーディス教官の怒りの鉄槌が下った。ゴスッ!と、鈍い音が鳴ると同時に、ハルは激痛に頭を抱えて疼くまる。
「おいグランバルド貴様ァっ!!お前が俺の教え子達を労いたいと言うからこの場を設けてやったというのに…っ、勧誘目的で態々シガンシナ区から来たのか!?随分と立派に成長したものだと感心していた私が馬鹿だった!!お前という奴はァ!!!!」
「いだだだっ!!す、すみません教官!!みっ、耳が!!取れますからぁっ!!」
「こっちに来い!!久々に説教してやるっ!!!」
憤怒の鬼と化したシャーディス教官は、教え子達に解散の指示を出すのも忘れ、ハルの片耳を容赦なく掴んで強引に立たせると、そのままズルズルと教官室へ引きずって行く。
そんなハルの手から虚しく風に攫われて、十字の折り目がついたポスターが、俺の元へと飛んでくる。それを掴んで広げてみれば、文字の大きさが更に痛々しく目に刺さって、思わず眉間に皺が寄った。時が経ち、それなりに偉くなっても、相変わらずあの人の中にプライドという文字は存在しないらしい。ま、そういうところが、ハルの良いところでもあるんだろうけれど。
まるで死地へ向かう兵士の健闘を祈るように、教官に引き摺られ泣き叫ぶハルを見送り終えると、口を噤んでいた同期達は次々に姿勢を崩し始めた。
「……ハル分隊長。今になっても教官に頭上がらないんだなぁ」
「そんな鬼教官のもとで三年、俺たち良く頑張ったよ」
「全くだ。…ああ、やっと俺たちも、明日から“兵士”になれるのか」
「––––で、お前は?これからどこに行くつもりなんだよ、フィン」
これまでの辛い日々を思い返し、皆が感慨深くなっている中、ふと隣に立っていた仲の良い同期が、俺の肩に片肘を乗せて問いかけてきた。
俺は「当然」と口端を上げ、これから迎えるであろう変化の数々に胸を躍らせながら、ポスターを空に向かって投げ上げる。それは、夕空にばさりと翼を開くようにして舞い上がると、風に乗り、南へ向かって飛んで行く–––––
「ハルの所に決まってんだろ!」
黒白の翼–season4–
第六十七話 『アスター』
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