第八話
名前変換設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「グランバルド、位置につけ」
「はい」
ハルはシャーディス教官から指示を受け射場に立つと、瞳を緩く閉じて大きく一度深呼吸をした後、ゆっくりと肩からスリングを下ろして、標的を見据えた。
前日の練習時に周りとは一人飛び抜けた射撃力を発揮していたことから、同期達もハルに注目しており、射場の周りには104期全員が集まって射撃テストが始まるのを心待ちにして居た。
まるで演劇が始まる前の観客達のように皆がざわついて居る中で、ハルはゆっくりとライフルを構える。
すると、演劇の始まりを知らせる直前のベル音を聞いた時のように、同期達は皆自然と口を閉じて静まり返った。
それはライフル銃を構えたハルの背中から、彼女を取り巻く空気が糸を張ったように張り詰める程の、強い集中力を感じたからだった。
「始め!!」
シャーディス教官の合図を皮切りに、ハルは構えたライフルのボルトハンドルを撥ね上げてすぐに引き金を引いた。
ドンッ!
広い訓練場に銃声が鳴り響き、木製の的が撃ち抜かれた乾いた音が遠くで鳴った。
初発はものの見事に標的の中心を撃ち抜いており、間髪入れずボルトハンドルを撥ね上げたハルは、立ち撃ち分の残り二発をあっという間に撃ち切ってしまうと、息を吐く暇も作らず流れるように膝撃ちの姿勢に入った。
ハルの放った銃弾は全て、最初に撃ち抜いた的の中心の穴に魔法のように吸い込まれていく光景を、同期達は呆気に取られて言葉を失い、ハルの射撃をまるで夢でも見ているような気持ちで眺めていた。
「……本当に、昨日初めて銃を握った奴とは思えねぇよ…」
「そうだね…。凄いや…、ハルって、かっこいいね」
それはジャン達も例外では無く、隣でハルの射撃を見守っていたエレンが目を皿のようにして溢すのに、マルコは恍惚とハルの見つめながら言った。
エレンとマルコの傍に居たジャンも、視線を鷲掴みにされてしまったかのように、目を細めてハルの横顔を見つめていた。
ハルが標的を見つめる瞳は、真剣そのもので、普段の柔らかな印象とは打って変わり、研ぎ澄まされた刃のような鋭さがあった。
ジャンもまだハルと知り合って然程間もないが、彼女が折り目正しい性格であり、対象となるのが人であれ物事であれ、誠実に向き合う姿勢を崩さないという印象は、既に定着しつつあった。
そうでなければ、訓練終わりに夕食も取らず自主練に励み、夜遅くまでコニーの射撃練習に付き合ったりなどしないだろう。
「……」
しかし、先程から感じている、酷くモヤついた不快感は何なのだろう…?
同期達が魅入られるようにしてハルに夢中になっている様子を見ていると、妙に落ち着かないというか、正直少し苛ついている自分が居る。
「…ジャン、どうかしたの?」
「すげぇ顔になってんぞ」
どうやら無意識に表情が険しくなって居たらしく、傍に居たマルコとエレンが怪訝な表情になって問いかけてくるのに、「なんでもねぇーよ」とジャンは雑念を払うように頭を振って胸の前で腕を組んだ。
その時だった。
ぴょん
「!?」
ハルの眼前に、一匹の大きめのバッタが飛んできた。
「「あ」」
それを見た、ライナーとベルトルトとアニが、拙いと言うかのように声を揃えて頓狂な声を出した。
すると、次の瞬間。
「ぎゃぁぁぁぁあああああ!?バッタ!!?バッタだぁッ!!ババババババババッ!!」
ハルは伏せ撃ちをしていた姿勢から蛙のように飛び上がり、駐屯地の隅々まで響き渡るほどの盛大な悲鳴を上げた。
それに、周りに居た一同は鳩が豆鉄砲を食ったようにポカンと口を開け、呆気に取られる。
何やら訳の分からないことを喚き取り乱しながら、射場から脱兎のごとくライフルを腕に抱えて走り出し、訓練場の奥へと走って行くハルに、シャーディス教官が雷のような怒声を上げた。
「おいグランバルド貴様ぁあ!!一体何をやってる!?まだ一発残っているだろう!?早く戻って撃ち直せ!!」
「ひぃぃぃぃいいい!!!」
ドォオンッ!!
しかしハルは錯乱している様子で、慄きの声を上げながら、百発百中間違い無しの銃撃を、全く別人のような破茶滅茶な狙いで、標的ではなくハルの方へ向かって地面を跳ねながら飛んでくるバッタに放った。
「こらぁぁあ!?バッタじゃなく的を撃たんかぁぁあっ!!」
バッタから大きく狙いが外れた地面に銃弾が抉り込んだのを見て、シャーディス教官は顳顬に青筋を浮かび上げると、バッタから逃げ惑うハルの後を追い駆け始める。
「えーっと…一体何が起こっているんでしょうか。ハルが、急に乱心したみたいですが…」
サシャがシャーディス教官に追いかけ回されているハルの方を指差して言うのに、コニーはまさかと顔を引き攣らせながら、ハルと付き合いの長いアニに向かって問い掛けた。
「まさか、アイツ…バッタが嫌いなのか?」
その問いにアニは腕を組んで深々と溜息吐くと、こくりと頷いて言った。
「ハルは、バッタが滅法駄目なんだよ。…昔、弟達の悪戯で、服の中にバッタを入れられて、取り出そうとして暴れたら、背中でバラバラになってて…それ以来、トラウマになったらしい」
その言葉に、クリスタは同情した様子で「うわぁ…それはトラウマにもなるね」と想像して鳥肌が立ち、腕を摩りながら身震いするが、隣に居たユミルはしたり顔で笑った。
「そりゃいいこと知ったぜ!これでアイツの弱みを握ったも同然だなぁ!?」
「ちょっと、ユミル!ハルを虐めちゃ駄目だよ!?」
腰に手を当てて盛大に笑うユミルを咎めるように、クリスタが眉尻を釣り上げる中、コニーは苦笑を浮かべながらも、ハルに弟が居るという情報を聞いて自分の境遇と近いものを感じていた。
「でも、アイツにも弟が居るんだな!俺にも兄妹が居るんだよ、マーティンとサニーっていうんだけどさっ」
そう言ったコニーに、ベルトルトは悲しげに目線を足元に落として言った。
「うん。…でも、ハルの家族は…、皆『あの日』に亡くなっているんだ」
「…え?」
ベルトルトの言葉に、周りに居たジャン達は息を呑んだ。
ハルから以前過去の話を聞いていたアルミンとエレンは、悲しげに視線を足元に落とし、ミカサもハルが以前悪夢に魘されていた理由を察して、心が痛んで唇を噛み締めた。
「…っ、そうだったんだな。…全然、知らなかったよ」
コニーは悲痛な声音で言葉を溢し、体の横の拳をギュッと握り締めた。
「アイツ…ずっと寂しい思いを、して来たんだろうな…」
コニーは訓練場を逃げ惑うハルの方へと視線を向け、目を細めて呟いたのに、ライナーも同じようにハルの方へ視線を向け、息を吐くように「そうだな…」と掠れた声で言った。
皆が憂いを滲ませる中で、エレンは前向きに響くよう努めた声音で、ライナーやベルトルト、そしてアニに向かって言った。
「でも、ハルには、お前らが傍に居たんだろ?ライナー、ベルトルト、アニ」
エレンの言葉に、ライナー達はエレンへと視線を向け、目を丸くする。
そんな三人に、エレンは少し照れ臭そうに首の後ろを触りながら、傍に居たアルミンやミカサに視線を向けながら言った。
「俺も『あの日』に家族を亡くしたけど…、傍にはアルミンとミカサが居てくれたからな。…だから…孤独じゃ、なかった」
「エレン…」
「…っ」
アルミンとミカサは、エレンの言葉に嬉しそうに表情を穏やかにして、ミカサは頬をほんのりと赤く染める。
「だからハルもきっと、孤独じゃ無かった筈だろ」
エレンが笑ってライナー達に言うと、三人は切なげに大きく瞬きをして、ハルの方を見た。
「…そうか…、そうだったら、いいんだがな…」
そう呟いたライナーの瞳は慈愛に満ち溢れ、そこには友情や親愛ではない、他の感情も確かに浮かんでいるように、ジャンの目にははっきりと映った。
ジャンはライナーの横顔に、複雑そうに眉間に皺を寄せて、波打つ胸の内に軽く下唇を噛んだ時だった。
「「あ」」
ハルの方を見ていたライナーとベルトルトとアニが、ハッとして息を呑んだ。
「うわぁぁぁぁあああッ!?」
バッシャーンッ!!
ハルの悲鳴と共に、大きな水音が聞こえてきて、一同はハルの方へと顔を向け、再びあんぐりと口を開けた。
「大変です教官っ!ハルが貯水池に落ちましたぁ!!」
「この大馬鹿者がぁ!誰か網持って来い!!」
バッタから逃げ惑っていたハルは、訓練場の隅にある雨水を溜めていた貯水池に足を滑らせ落下し、フロックが悲鳴を上げると、シャーディス教官が同期達に向かって備品倉庫から網を持ってくるように指示を出す。
いつも穏やかなハルがここまで取り乱した姿を始めて見た同期達は、顔を見合わせると、肩を竦め合って訓練場に笑い声を響かせたのだった。
完