第二十四話
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自分を動かすために、生きるために必要なもの全てが無くなってしまったかのような喪失感と悲しみに覆われて、ジャンはハルの傍に両膝をついて座り込んだまま、動けなかった。
ただ、青白くなったハルの死顔を見下ろすばかりで、音もなく流れ落ちる涙を堰き止める気にも、なれなかった。
そんなジャンの傍に、イアンは片膝をつくと、深く頭を下げて、噛み締めるように言った。
「すまない…私の所為でグランバルドは、命を落とすことになった。…本当に、すまない…っ!」
「…イアンさんが謝ることじゃないですよ」
ジャンの声は、酷く小さく、まるで独り言のようだった。其処には責めるような響きも、怒りや憎しみも無い。ただ只管打ち拉がれた、悲痛な響きだけがあった。
フロックはジャンの傍に膝を折ると、ハルの死顔を見て、悲しげに目を細めた。
「ジャン…気持ちは良く分かる。早く、みんなの所に…連れってってやろう。辛くても…受け入れなきゃならねぇんだ…」
ジャンは、ふとしたように視線を、フロックへと向けた。
「受け…入れる…」
ジャンの目には、光が失われていた。それはまるでエレンの死を知らされたミカサと、同じような生気のない目をしていて、フロックは息を呑んだ。
「そんなこと、どうしたら出来るってんだよ…」
ジャンは震えた唇で、フロックを問い詰めるような口調で言った。ヤケクソに、振り絞った笑みを貼り付けて。
「ハルの死を受け入れることなんて、俺には…どうやったってできやしねぇんだよ…っ!!」
荒々しい自棄に溺れもがき苦しむように、フロックの胸倉に掴みかかり声を上げたジャンに、フロックも同じように掴み掛かって声を上げた。
「だったらハルを此処に置いたままにしてくってのかよ!?これからすぐにでも巨人の掃討作戦が始まる!早く壁上に連れて行ってやらねぇと、いつまた此処に戻って来れるかも分からねぇんだぞっ!?」
「だったら俺は此処に残る…!俺も、ここでっ…!!」
「ジャン!!いい加減にしろよ!!」
「お前に俺のっ、何が分かるってんだよ!?」
「っ俺だから分かるんだろうが!!」
「!?」
フロックの言葉に、ジャンは頬を平手で叩かれたようにはっと息を呑んで、目を見開いた。間近にあったフロックの目は、必死に自分自身を保とうと揺れていた。
「お前だけが悲しいだなんてっ、思ってんじゃねぇよ!!」
フロックはジャンの喉元に噛み付くような勢いで言い放つ。ジャンはそんなフロックの悲痛に歪んだ表情と、ジャンに頭を下げたまま、両手の拳を固く握りしめ、自身を戒めているイアンの姿を見て、唇を噛みしめた。
口の中に、鉄の味が広がっていくのを感じながら、動かなくなったハルへ再び視線を向ける。そして、ハルの両頬を包み込むように触れれば、その頬は酷く冷たくて…ジャンは自分の熱が少しでも彼女を温めるようにと願いながら、自身の額を… ハルの額に押し付けた。
『じゃあ…約束しよう』
ハルがそう言って微笑み、差し出した小指にあった優しい温もりは、もうすっかり失われ、氷のように冷たくなっていた。それが悲しくて、痛くて、その熱を失って自分は、この世界をどうやって生きていけばいいのか、何も分からなくなった。
「…頼む… ハル…目を覚ましてくれ。…お願いだ、俺を…俺を置いていくな…っ」
神様、誰か、誰だっていい。自分の何を捧げたっていいから。なんだってするから、どうかハルを、連れて行かないでくれっ…!
「死ぬなっ…!ハルっ!!」
ジャンは慟哭を上げて、ハルの心臓を拳で強く叩いた。
その時だった。
ハルが大きく胸を仰け反らして息を吸い込んだのが見えた瞬間、横たわっていた体が黄金色に発光した。
「「!?」」
余りの眩しさに、ジャン達は目に腕を翳す。その激しい光は、まるでエレンが巨人化した時や、超大型巨人が現れた時のものと似ているようで、どこか違っていた。それは、雷が落ちたような衝撃波がないことだった。
次第にその発光は弱まり、光に当てられ真っ白になっていた視界が世界を取り戻していくと、その世界には、純白の羽と漆黒の羽が舞い上がっていた。
教会に差し込む、ステンドガラスの神秘的な虹色の光が、その羽一つ一つを、それは美しく輝かせている。
「何だ…これは…」
イアンが呆然として呟くと、フロックも舞い散る無数の羽に魅入られたように宙を仰いでいた。
そして、ジャンはふと、視線を落とし、ハルの姿を見て、息を呑み両目を見開いた。
「!?」
ハルの折れ曲がっていた四肢がいつの間にかあるべき形に戻り、傷口が全て塞がって、こびり付いてた真っ赤な血でさえも、跡形もなく消えていたのだ。
そして、驚くべきことはそれだけではなかった。
「つ、翼がっ……生えて、る…?」
フロックが、ジャンの傍でまるで夢心地のように呟く。
すると、空を覆っていた薄い雲が晴れたのだろうか、教会に差し込む光が、じんわりと明るさを増し、僅かに熱を帯びた。
その光は、ハルの背中から生えた、大きな翼を照らす。
右翼と左翼で色の違った、『黒白の翼』を––––
ジャンはハルの背中に腕を回し、上半身を抱え起こす。触れたその翼は柔らかく、人肌の温もりがあって、呼吸も戻り胸が上下を繰り返すそこに片耳を押し当てる。
しかし、冷たくなった体温も戻ってきているのにも関わらず、心臓の鳴る音が…聞こえてこない。
ジャンはそんなはずは無いとハルの首に指を押し当てるが、脈が、触れない。
ジャンの表情が困惑したのを見て、フロックはハルの手首を掴んで脈を測ろうとしたが、全く触れないことに気づき、同じように表情を雲らせ困惑した。
「なんでだよ…?息もしてるのに、脈がどうして触れねぇんだっ…?」
「心音も、聞こえなかった…」
「「!?」」
ジャンの言葉に、イアンとフロックは息を大きく呑んだ。
しかし、ジャンにとってはそれは大した問題ではなかった。ハルが呼吸を取り戻し、体温を取り戻したという二つのことが、何よりもジャンを安堵させていたからだった。
だが、それも束の間のことだった。
突然、辺りに巨人の足音が響き始め、地面が大きく揺れ始めた。そして、その巨人が、教会の身廊の天井を突き破って、ジャン達の前に落ちてきたのだ。
「なっ!?」
「巨人だっ!!」
イアンとフロックは声を上げその場に立ち上がると、鞘からブレード抜き放って戦闘態勢を取った。
しかし、ジャンはその巨人の様子がおかしい事に気がつき、ハルを抱き起こしたままその巨人の様子を窺った。
現れた5メートル級の巨人は、ジャンの腕の中に居るハルを凝視し、落ちた場所からジャン達に飛びかかることもなく、あろうことかハルに向かって、額を床に押し付けるように平伏して、頭を垂れたのだ。
それに、三人は驚愕し言葉を失った。巨人が明らかに、人に向かって意思表示をしたからだ。
「一体何がどうなってんだよっ…!?」
「こいつ…ハルに頭を…下げてるってのか?」
「っ兎に角、今の内に此処を離れるぞ!!」
動揺するフロックとジャンだったが、イアンは座り込んでいるジャンの背中を叩いて、教会内から退避するよう指示する。
それにジャンはハルを横抱きにして立ち上がると、首を垂れている巨人に背を向け、イアンとフロックの背中を追うように壁穴に向かった。
すると、頭を垂れていた巨人が唸り声を上げながら、急に顔を上げた。
「!?」
ジャンが振り返った時には、巨人が地面を蹴って両腕を伸ばし、飛びかかって来ていた。
「ジャン!!」
フロックの焦った声が聞こえた刹那、先ほど巨人が落ちてきた際に空いた天井の穴から、一人の兵士が巨人に向かって燕の如く飛んできた。
その兵士は、巨人がジャンの体を掴む既のところで頸を削ぎ上げ、うつ伏せに倒れ絶命した巨人の後頭部に飛び降りると、ジャンの腕に抱えられているハルの姿を見下ろして、鋭い三白眼を細めた。
小柄だが引き締まった体と、刈り上げられた黒髪、そして深緑色の、調査兵団のエンブレムである翼を携えたローブが背に靡いているのを見て、ジャンは彼が何者であるのか、すぐに理解できた。
「おいガキ…そいつは一体何者だ」
「リヴァイ…兵長…っ!?」
驚き呆けていたジャンに、調査兵団所属人類最強と謳われているリヴァイ兵長が、蒸気を上げ始めた巨人の後頭部から飛び降り、刃にこびり付いた血を払いながら、ジャンの目の前で足を止めると、眉先を眉間に寄せ苛立った口調で言った。
「聞こえなかったのか?てめぇのその耳はお飾りか?俺はそいつが何者なんだと聞いたんだ」
目線は下からだというのに、とんでも無い威圧感を与えてくるリヴァイ兵長に、ジャンは固唾を呑みながら何と答えるべきかと頭の中で必死に考えを巡らせた。そして何よりも最初に浮かんだのは、ハルと交わした、一つの約束だった。
『…ジャンも約束して欲しいんだ。何があっても、例え私が…変わって…しまっても––––私はジャンが知ってる、ハル・グランバルドっていう人間なんだってこと…信じていて、ほしいんだ』
ジャンは自分の腕の中で意識を失っているハルの顔を見下ろし、息を大きく吸い込んで、間近に迫ったリヴァイ兵長に、はっきりと答えた。
「っハルは、人間です」
その答えに、リヴァイ兵長の眉間の皺がぐっと深まったのが見えたが、ジャンは怯むことなく言葉を続ける。
「自分と同じ、104期訓練兵団所属の、ハル・グランバルド。俺たちと同じっ、ただの人間です!」
断固たる響きを持って言い放ったジャンに、リヴァイ兵長は一度大きく瞬きをすると、深く溜息を吐きながら、詰め寄るようにしていた体を離し、黒白の翼を生やしたハルの姿を見て、呟いた。
「––––そうか。そりゃあ随分と面白ぇ冗談だな…」
第二十四話 黒白の翼
その後、急遽駆けつけた調査兵団と、駐屯兵団工兵部の活躍により、ウォール・ローゼは再び巨人の侵入を阻んだ。
トロスト区に閉じ込めた巨人の掃討戦には丸一日が費やされ、その間固定砲台は火を吹き続けた。
壁に群がっていた殆どの巨人は榴弾によって死滅し、僅かに残った巨人も主に調査兵団によって掃討された。
その際、4メートル級一体と、7メートル級一体の生捕に成功する。
しかし、死者・行方不明者201名、負傷者854名、人類が初めて巨人を排除した快挙であったが、それに歓喜するには、失った人々の数があまりに多過ぎた…。
– 黒白の翼 season1 完 –
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