第二十四話
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ジャン達は巨人に投げ飛ばされたハルを捜す為、教会の方へと向かいその近辺から捜し回っていた。幸いにも周辺には巨人の気配は無かったが、だからと言って油断は出来ない。しかし、今のジャンの頭の中には、巨人を警戒することなど頭には無く、ただハルの安否だけが気掛かりでならなかった。
「くそっ、見つからねぇ…!確かにこっちに飛ばされた筈なのに!」
崩れた建物の中から路地裏まで隈無く捜すが、見つかるのはハルではない兵士たちの亡骸や、逃げ遅れたのであろう市民の亡骸ばかり。
ジャン達はいよいよハルの姿を見つけられないまま、教会に辿り着いた。
トロスト区唯一のその教会は、あまり大きなものでは無く、十字架を象った間取りで、真っ白な壁面と赤茶色の屋根を携えた至ってシンプルな造りをしている。
徐々に日が傾き始め、薄雲っていた空の色がぼんやりとオレンジ掛かってきた夕陽の光を帯びて、教会の側廊の壁にあるステンドガラスが、神秘的に淡く輝いていた。
「ジャン!あそこに穴が空いてるぞ!!」
ハッと息を呑むようにしてフロックが指差した先には、教会の壁面を何かが突き破ったかのような穴が空いていた。
ジャンとイアン、そしてフロックの三人はそちらへと駆け寄ると、その穴の周りの白い壁に、真新しい鮮血が付着していることに気がついた。
この先に、居るーーー
ジャンはそう直感したが、壁が突き破られるほどの衝撃を受けたとなれば、やはりハルは立体機動装置で受け身を取れていなかったということになる。今、中に居るであろうハルの姿が、どうなっているのか…想像しただけで喉の奥が震え、酷い動悸がし始めた。
ジャンは中々教会へと足を踏み入れられずにいると、そんなジャンの肩を、イアンが掴んだ。
「早く、見つけてやろう。…諦めるのはまだ早いぞ」
「!」
諦める。
その言葉に、ジャンはハッとして、いつのまにか足元に落としていた視線を上げた。
自分はハルの姿も見ていないのに、勝手に命を落としたと思い込んで、諦めかけていたことに酷い自己嫌悪に見舞われた。
「(くそっ…!何最悪なこと考えてんだよっ!まだ、ハルが死んだと決まったわけじゃねぇってのによ…!!)」
ジャンは奥歯を噛み締め、震える手を爪が食い込む程に握り、穴を潜ったーーー。
「(そうだっ…アイツは、ハルは普通じゃ助からねぇ筈の崖から落ちた時だって、生きてたじゃねぇか…っ!だったら、今回だってきっと……っ)」
きっと、生きてる。
そう、願っていたのに。
「嘘…だろ…?」
奇妙な程に静寂に包まれた教会の中に、この世の終わりを見たような、フロックの声がやけに大きく鳴り響いた。
目の前に広がっている光景を、どうしても現実として受け入れることが出来なかった。まるで、額縁に入れられた風景画でも、見ているような気分だった。
赤いカーペットが身廊から祭壇まで敷かれ、その祭壇の前に置かれている跪き台に背中で寄りかかるようにして、ハルは項垂れ座り込んでいた。
教会の一番奥の、大きなバラ窓のステンドガラスの光が、光の道のように一つの束になって、その姿を照らしている。
ジャンは自分の心臓が両耳のすぐ傍で鳴り響いているような気がした。ガクガクと震える両脚を、項垂れているハルの元へと一歩踏み出す度、もう数えきれない程目にし感じてきた死の臭いが、次第に強くなってくるのを感じて、呼吸が乱れる。
やがて、踏み出した足の爪先が、小さく水音を立てて、ジャンは喉を引き攣らせて足元を見た。
それは血溜まりだった。
その血の目を焼くような赤さと、鉄の臭いで、ジャンの心の中にあった、張りつめた一本の糸が、ぶつりと切れた。
「ぁぁぁぁあああああああ!!!」」
ジャンは血溜まりに両膝を崩れるようについて、目の前で項垂れているハルの両腕に縋りつきながら、気が違ったように叫び声を上げた。
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!!
こんなことがある筈がない!!あっていい筈がない!!
頭で、心で、自分の全てで、目に映る光景を否定し、拒絶した。
縋りついた両腕も、床に投げ出されている両脚も、有り得ない方向に曲がり、項垂れているハルの後頭部は、壁に打ちつけられた衝撃で、歪に窪んでいる。
震える両手でハルの両頬を掴んで顔を覗き込めば、半開きになった口端からダラダラと血が流れて、それは首を伝い流れ、黒く澄んだ双眼は、重く閉ざされた目蓋に覆い隠されていた。
「あ…ぁ… ハル…っ、ハル…っ…!!」
言葉にならない声と、ハルの名前を喘ぎながら、きっとこれは悪い夢でも見ているんだと手を伸ばして、細い首筋に手を当て、胸元に耳を押し当てる。
しかし、指先に触れる脈もなく、鼓膜を揺らす心音もない。何も、無い。何も、聞こえてこない。
「ジャン…おい、っハルは…?脈…無いのかよ…っ!」
背後から、フロックがよろめきながらジャンとハルの元へと歩み寄り、震えた声で問いかける。
イアンは厳しい表情で、唇を噛み締め立ち尽くしている。
ジャンはフロックの問いには答えなかった。その答えを口にしてしまえば、何もかもが全て、無くなってしまうような気がしたからだ。
「…っ!」
ジャンは徐にハルの体を赤いカーペットの上に横たえると、動かないその胸の上に手を重ねて、蘇生術を始めた。
それは言葉無くとも、ハルの心臓が止まっていることを表していて、フロックは「そんな…っ」と目尻に涙を浮かべ、頭を抱えて地面にがくりと両膝をついた。
ジャンは一心不乱に蘇生術を繰り返す。
懸命に心臓マッサージを繰り返して、半開きになった口から空気を送り込む。しかし、胸は膨らんでも、息を送ることを止めればその胸は落ち窪むだけだった。
「ハルっ…おいハル!しっかりしろ…っ目ぇ覚ませよ!!」
もうどれだけ、青白くなったハルに呼びかけて、蘇生術を続けていたのかも分からない。しかし口を閉じれば、静寂が辺りを包んで、蘇生術をやめる行為が、ハルの死を受け入れることに繋がるのだと思うと、どうしたって止められる筈が、なかった。
しかし、ジャンとハルを見守っていたイアンが、静かに足を踏み出して、何かに取り憑かれたように蘇生術を繰り返すジャンの肩を掴んだ。
「訓練兵。…もう、止めるんだ」
しかしその静止の声は、ジャンの耳には届かなかった。否…聞こえないフリをした。
「っ訓練兵!!」
「っハル!!」
イアンの声を遮るように、ジャンはハルの名前を叫んで、心臓マッサージを繰り返しながら語り掛ける。
「おいっ…お前、何寝てやがんだよ…?アイツは、エレンはやったぞ!?あの壁の穴を塞いだ!!あの馬鹿はやり遂げたんだ!!お前が…っ、お前が守りたかったトロスト区は…、お前が守ろうと命張ってくれた俺の故郷はっ、シガンシナ区の二の前なんかにならなかった!!それなのにっ、なんで…なんでお前はこんなことになってんだよ!?」
『私は此処を…シガンシナ区のようには、したくない。私と同じ思いを、して欲しくない』
そう言って巨人の脅威に見舞われたトロスト区を見下ろし、再び巨人という脅威の前に立たなければいけなくなった訓練兵達を鼓舞したハルに。多くの命の責任を背負い、任務を全うしたハルに…あの瞬間を、初めて人類が巨人に勝利した瞬間を、見ていて欲しかった。
しかし、それはもう、どうしたって叶うことはない。
何故なら、ハルは––––
「ジャン…もうやめてくれっ…! ハルはっ…」
フロックが、イアンが掴んでいないジャンの右肩を、弱々しく掴む。
「やめろ」
ジャンは冷たい声で拒絶する。
その先の言葉は聞きたくない。言わないでくれと…。
しかし、無情にもその現実は叩きつけられる。
「もう、死んでる」
「!?」
フロックの言葉が頭の中で弾けて、身体が大きく強張った。
喉が燃えるように熱くなって、呼吸の仕方を忘れてしまったかのように引き攣り、ジャンはようやく…ハルの姿を、額縁に入れられた絵画でもなく、悪夢を見せられている訳でもない、現実として受け入れた。
そうして引き攣った喉と、目の端から溢れ落ちたのは、この世で何よりも大切で、愛おしい人の、名前と、涙だった。
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