第二十三話
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その姿と言葉に、一同はまるで演奏会の音楽に聞き入っているかのように、只管耳と視線を奪われた。
「建物だらけで窮屈だって言う人も多いけど、トロスト区の街の人たちには、私達も沢山お世話になってきし、皆と過ごした思い出にも溢れてる。収穫祭やワイン祭りだったり、お祭りがある時なんかは、店や家も飾られてすごく華やかになったりしてさ。…そうやって、沢山の人が生きてるこの街が…生きてきた街が、私はすごく好きだ。そして何よりも、この街で生まれ育ってきた仲間が、居るから…っ」
「!」
ハルの言葉に、ジャンははっとして息を呑み、視線を足元に落とした。
巨人が入ってきてから、自分は本能的にそのことを考えないようにしていた。家のこと、家族のこと、無事かどうか考えてしまうと、体も頭もうまく動かなくなると気付いていたからだ。
幸い自分の家は内門に近い場所にあり、巨人と遭遇せずに避難はできているはずだが、実際に家族の無事を自身の目で確認しているわけではなく、家が無事なのかどうかも分からない。そんな奴は、今ここにいる同期達にも何人かいる。そして此処に居ない、トーマス達だって…、そうだったのだ。
ジャンは奥歯を噛み締めて、拳を握った。
トーマスは死んでしまったが、せめて故郷だけでも、守ってやりたい。そして、それは、自分自身の為にもだ。
ジャンはそう心に決めて顔を上げると、前に立っているハルと目が合う。
ハルはゆっくりと、瞬きをした。
それから、同期達の顔を見回して、噛み締めるように言う。
「私は此処を…シガンシナ区のようには、したくない」
その言葉は、意図して朗々と放たれたものではなかったが、鮮明に皆の耳に届き、
「私達と同じ思いを、してほしくない」
胸の奥底に、根を張るように響く。
「だからどうか、皆の力を貸して欲しい…!お願いします!」
ハルはそう言って、深々と同期達に向かって頭を下げた。
皆は僅かに沈黙していたが、それは自分自身と向き合うために誰もが必要な時間だった。
「…あったりめぇだろ!ハル!頭なんか下げなくたって、俺達は戦うぜ!此処にいる奴らは皆、自分の意思で此処に残ったんだからな!」
「そうだよ、だから、ハル一人で背負おうとする必要なんか、ないんだ。一緒に戦おう!」
同期達が口々に腕を掲げて応えてくれる中、ハルは泣きそうな顔を上げた。
「…皆っ」
そんなハルにジャンは歩み寄ると、ハルの左肩に手を乗せて言った。
「ハル」
「ジャン…?」
「俺たちはこの3年間、お前の背中を見るばかりだったが…何時だって俺たちは、その背中に救われて来た。導かれて来たんだ…今日…この日まで。それは今も、変わらねぇ」
そしてジャンは、ハルの背中をバシっと激励するように叩く。
「お前が背負う兵服に、まだそれは無くても…、俺たちにはずっと前から見えてる。この背中に、自由の翼があるのをな」
「!?」
ハルはその言葉に、思わぬ喜びを感じて目を見開く。そしてジャンの背に立つ仲間たちの顔を見ると、皆笑顔で頷きを向けてくれていた。
ハルはそれが堪らなく嬉しくて、思わず目頭が熱くなるが、涙が溢れそうになるのをぐっと堪えた。そんなハルの表情を見て、ジャンは優しく微笑むと、ハルに向かって敬礼を向けた。
「お前は俺たちの、翼だ。だから、お前が飛べば、俺たちも飛べる…!…この街を、人類を救うためにだ!」
「…うん。行こうっ…!」
それにハルも敬礼を返し、体をトロスト区の街の方へと向けようとした時だった。
「!」
「…ライナー…?」
ライナーが、踵を返そうとしたハルの腕を掴んだ。
固く手首を掴まれ、ハルは驚いた顔で振り返ると、ライナーは酷く急き込んだ様子で何かを言おうと身を乗り出した。
「いっ…!」
しかしその言葉を、ライナーは突然はっと我に返ったように呑み込んで、それから視線を足下に落とし、深く息を吐き出すようにして言った。
「…っ、悪ぃ…なんでも、ないんだ。…気をつけるんだぞ、ハル。俺たちは北東側だから、お前の傍に…居てやれないからな」
そんなライナーの手が震えていることに気がついたハルは、「心配性なんだから」と微笑んで、ライナーの肩口に自身の拳をトンと押し当てる。
「大丈夫だよ、ライナー。怪我したり、しないからね」
「!?っあ、…ああ…そうだな」
ハルはライナーが、自分がもしも怪我をして、補給棟で起こった出来事を周りに見られることを心配しているのだと思っていたが、ライナーの心中はそうではなかった。
ライナーはただ、ハルが心配だったのだ。何かがあってもすぐに駆けつけてはやれない場所で戦わなくてはいけないハルを。誰かのためになら自身の命が危険に晒されることも厭わない、ハルのことを。
兵士としてでも、戦士としてでもなく…ただの、ライナー・ブラウンとして、自分はハルのことを思っているのだと、今この瞬間に、痛いほど思い知らされてしまった。
ライナーはハルの手首を離し、その手を体の横で爪が食い込む程握り締めた。
こんな感情をハルに対して抱くことは、口にせずとも酷く罪深く傲慢な事だったからだ。
自分という存在が、彼女の傍に在り続けること自体が、最早罪なのだから。
「ライナー…?大丈夫?」
俯き立ち尽くしているライナーに、ハルは心配になってライナーの顔を覗き込もうとしたが、ライナーはその前に顔を上げ、「なんでもない」と笑って、ハルの背中をバシッと叩いた。
それにハルは心配を拭い切れていないようだったが、ライナーに前を向くよう背中を押されて、皆に背中を向け、トロスト区の街を見下ろす。
至る所から土埃が舞い、霞んで見える街並みを見つめながら、ハルは鞘からブレードを引き抜くと、仲間の無事と作戦の成功を祈るように、柄の部分に口元を押し当てた。
それからハルはゆっくりと、祈りを込めたブレードを天高々と振り上げ、大岩の方へと向かって腕を振り下ろした。
「陽動作戦っ、開始!!」
その声を合図に、先行班は壁を駆け降り、ハル自身も壁を駆け降りて、腰元からアンカーを放つ。
壁上に居た時とは全く違う世界に入り込んだかのように、トロスト区上空の空気は生温く、重々しかった。
しかしそれ以上に、仲間の命の重みの方がずっと重く、そして恐ろしかった。
「こんなに…怖いんだね…ジャン」
仲間の命を担って、命令を下すということが如何に恐ろしいことなのか、ハルは今肌身を持って感じていた。
そしてその責務を担うことを選んだ、ジャンの強さも優しさも、自分には到底及ばないものだと思った。
それでも、この作戦は絶対にやり遂げなければいけない。
兵士として、壁内に生きる人類のためにも。
そして何よりも、ハル・グランバルドとして、大切な仲間達の為にーーー
完