第二話
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「おい貴様ッ!貴様は何者だ!!」
訓練兵の宿泊舎と食堂の前に広がっている訓練場に集められた104期の訓練兵達が整列している中を、此処南駐屯地の教官を務めているキース・シャーディス教官が高身長と元々の強面の顔を更に凶悪なものにして、声を張り上げながら闊歩している。
第二話 通過儀礼
今行われているのはただの朝礼では無く、兵士たちの中で『通過儀礼』と呼ばれる訓練兵が一番初めに受ける精神面での訓練…みたいなものである。
側から見れば見境なく教官が訓練兵に恫喝を与えているだけのようにも窺えるが、この『通過儀礼』にはそれまでの自分を否定して、真っ新な状態から兵士に適した人材を育てていくために必要な、謂わば大事な下準備…という意味が込められている。らしい。
だだっ広い訓練場の乾いた地面は、教官が歩く度に細かな砂埃を舞い上げて、大きな靴底に小石がザリザリと擦れる音を上げる。そしてその音が自身の前で鳴り止む時が来ないように、訓練兵たちは心の中で祈っていた。
「シガンシナ区出身、アルミン・アルレルトです!」
ぬっと眼前に強烈な教官の顔が下りてきて、訓練兵の中でも小柄で華奢な金髪の彼は、ひっと喉が引き攣りそうになるのをぐっと堪え、青い大きな瞳をぎゅっと閉じ、此処へ来て一番最初に教えられた心臓を捧げる意味を示す、右手の拳を左胸へ当てる敬礼をしながら、懸命に声を張って問いに答えた。
どうやら彼もまた、教官の標的となってしまったようだった。
ハルは彼が並んでいる列よりもニ列後ろに居たので、その顔を確認することは出来なかったが、「あの日」を自分と同じシガンシナ区で迎えることになってしまった彼に、少しだけ興味が湧いた。
「そうか!馬鹿みたいな名前だな!親がつけたのか!?」
「祖父がつけてくれました!」
「アルレルト!貴様は何をしに此処へ来た!?」
「人類の勝利の役に立つためです!」
「それは素晴らしいな!貴様は巨人の餌になってもらおう!三列目!後ろを向け!!」
教官の問いにアルミンは迷い無い真っ直ぐな返答をしたが、それは非情にも軽く足らわれ、挙句小さな頭を教官の大きな手で乱暴に鷲掴まれると、ぐいと無理やり後ろを向かされる。
そうすると、すっかり青ざめた顔をしているアルミンの大きな水色の瞳が、ハルの立つ場所からも窺えるようになった。彼は見たところ自分よりも幾ばくか年下のように見える。
そして、綺麗な金髪と愛嬌のある丸く青い瞳は、どこか母と弟達のことを思い起こさせるようで、胸の奥が爪で引っ掻かれたかのようにひりついた。年齢も、きっと長男のヒロが生きていれば、同じくらいだっただろうに。
そんなことを考えていると、無意識にアルミンのことを見つめてしまっていたようで、視線がバチリと合ってしまった。彼の瞳が少し怪訝そうな色を浮かべたのに、ハルは慌てて目を逸らして、視線を自分の足元に落とし、自己嫌悪に浸った。
一体何を勝手に、自分の弟と彼を重ねているのか…。
しかし、そうしている間にも教官の怒声と足音は自身の元へと近づいてきて、その迫力も段々と増してくる。
「貴様は何者だ!!」
「は!トロスト区出身!トーマス・ワーグナーです!」
「声が小さい!!!」
というよりも、教官の声が大きすぎるのではと思っているのは自分だけでは無いだろう。しかし、顔には絶対に出してしまわぬように、ハルはきゅっと表情を引き締め、足元に落としていた視線をもう一度上げる。
「トロスト区出身!!ミーナ・カロライナです!!」
「違うぞ!!貴様は豚小屋出身!家畜以下だ!!」
「は!は!自分は家畜以下でありますッ!!」
教官は女の訓練兵にも容赦なく言葉という鈍器を打ち付けてくる。
彼女、ミーナ・カロライナは最初と比べて勢いを増し凶悪になっている教官の顔面とオーラに耐えられず、半泣きになっていた。
しかし、そんな中でも、ライナーやベルトルト、その他の訓練兵も数名『通過儀礼』を受けていない者が居るようだった。ハルはそれが何故なのか疑問に思い理由を思案していたが、近づいてくる教官の怒号が鼓膜だけではなく脳内にも響いて、思考が上手く整わず早々に考えるのを諦めた。
「貴様は何者だっ!」
「トロスト区出身!ジャン・キルシュタインです!!」
「何しに此処へ来た!?」
「は…」
綺麗な色素の薄い茶髪の髪を刈り上げた、訓練兵の中では高身長の彼は、切れ長の鋭い瞳を、ほんの一瞬だけ何かに迷ったように揺らした。
しかし、その瞳はすぐに真っ直ぐな意思を称えて、教官を見つめる。
「…憲兵団に入って、内地で暮らすためです」
恐らく、ここに居る多くの兵士達は、教官への建前でここへ来た理由を答えていただろうが、彼の返答は嘘偽りのない本心そのものだった。しかしあまりにも明け透けな答えに、他の訓練兵がゴクリと息を呑む。
しかし、そんな彼への心配は他所に、ジャン・キルシュタインの返答に対して、意外にも教官は初めて訓練兵に迫る姿勢を引いたのだった。
「そうか…貴様は内地に行きたいのか」
「っはい!」
教官の口調がやや穏やかになったのに、ジャンはやはり正直に答えることが正解だったのだと少しほっとした様子で、快活に頷いたが、その安寧は刹那に失われることとなった。
「い“っ!!?」
一度身を引いた教官は、勢いをつけて容赦のない頭突きをジャンの額にぶつけたのである。
ゴツン、と鈍い音がして、ジャンは頭を抱え地面に蹲った。痛みに悶絶している彼を、教官は容赦なく上から押し潰さんとする勢いで怒鳴り散らす。
「誰が座っていいと言った?!こんなところでへこたれる者がっ憲兵団になどなれるものかぁ!!」
そしてその勢いのまま、隣に立っていた誠実そうな訓練兵へと標的を変える。
「貴様は何をしに来た!!!」
「ウォール・ローゼ南区ジナエ町出身、マルコ・ボットです!憲兵団に入り!王にこの身を捧げるために来ました!」
「そうか、…それは結構なことだ、目指すといい。…だが、王は貴様の体なんぞ欲しくない」
その吐き捨てるような教官の台詞に、ハルからは背中しか見えなかったが、マルコが言葉を失って固まっているのが感じ取れた。まさか、そのような返答がくるとは思ってもいなかったのだろう。
本当に教官の恫喝には容赦がないなと、ハルは心の中で肩を落としていると、…不意に、隣からがさごそと何やら訓練服の上着が擦れるような音が聞こえてきた。整列の命令を下されている中で落ち着きのない行動を取っている人物をおかしく思い、気をつけの姿勢を正したまま視線だけを左隣に立っている茶髪でポニーテールの、長身な女の訓練兵へと向けると…あまりにも信じられない光景を目にしてしまって、ハルは先程のマルコのように唖然として固まることになった。
「コニー・スプリンガー!!ウォールローゼ南区!ラガコ村出身です!」
「…逆だコニー・スプリンガー!最初に教えたはずだ、この敬礼は公に心臓を捧げる決意をしめすものだと…貴様の心臓は右にあるのかぁ?!」
小柄なコニーが敬礼の仕方を間違えて、教官の両手に小さな頭を挟まれるように捕まれ、そのまま体を持ち上げられているのを横目に、ハルは隣でとんでも無い奇行に走ろうとしている彼女を止めようとヒソヒソ声で口を開いた。
「(ちょっ、君…何してるの?!というか、その芋どこから持ってきたんだ…!?)」
何故か教官が近づいてきたこの最悪のタイミングで、彼女は上着から蒸した芋を取り出し、あろう事か口に運ぼうとしていたのである。
あまりにも奇怪な行動を取る彼女に、ハルは盛大に混乱していた。何故よりにもよって教官が近くに来たこのタイミングで芋を食べ始めたのか、そもそもどこからその芋を持ってきたのか。
見たところ彼女の持っている蒸した芋からはうっすらと湯気も出ている。ということは、調理されてさほど時間も経過していないということになる。とすると、朝食の時に出されたものではないということは確かである。
だとすれば、朝食時以降に厨房に入り込み、余った蒸した芋を盗んできたという線が濃厚だろう。
彼女は胸の内ポケットから取り出した芋に齧り付こうとしていたが、ハルに声を掛けられたことでピタリと動きを止め、視線だけを隣に立つハルへと送った。
そして、酷く困惑し焦っている様子のハルをじっと見つめると、一旦芋を食べるのはやめて、…少し面倒くさそうな顔をしながらハルと同様に声を潜めて答える。
「(今、食べなきゃいけないんですよ!お願いですから止めないでください…!芋は、これは温かいうちに食べなければいけないものなんです!)」
「(いや、確かに蒸した芋は温かいうちがいちばん美味しいだろうけど…。だ、だからって今食べていい理由にはならないよね?……え、そうだよね…?)」
どう考えてもおかしな行動を、彼女は全くおかしいことだと思っていないようで、自分が言っていることは本当に正しいことなのかと不安になってしまったハルは、思わず問いに尻込みをしてしまった。そんなハルに対して、彼女は物凄く呆れたような、馬鹿にしたような顔をして首を傾げる。
「(ちょっと何を言っているのか分かりませんね)」
「(え!?…あっ、いやっ、こらダメだって!)」
咎める言葉は聞き流し、寸でで芋を食べるのを止めていた彼女は、ついに芋を大きく口を開けて食べようとしたので、ハルは慌てて彼女の腕を掴んで止めようとした。が、そうすると、急に彼女の目が猟奇的にギラついたのである。まるでその目は、飢えた獣の其れだった。
「なっ!?」
「邪魔しないでくださいッ!!」
突沸でも起こしたように突然声を上げたかと思えば、彼女の鋭い肘打ちが鳩尾に迫っており、慌てて身を引き避けようとしたが遅かった。
「ぐぇっ!?」
ハルは予想だにしなかった攻撃を避けることができず、真面にその肘打ちを鳩尾に食らってしまい、カエルが潰れたような声を上げて地面にバタリと鬱向けに倒れた。
地面から悲しくも砂埃を舞い上げ、意識を失い倒れたハルを勝ち誇ったように見下し、蒸した芋にガリッと齧り付いた彼女を、教官が見逃すはずもなく…。
「貴様…何をしている」
しかし、その咎める教官の言葉を彼女は自分に向けられたものだと思っていないのか、一度齧り付いた芋に、もう一度齧り付いた。それに火がついた教官は、足早に彼女の眼前に迫ると、今日で一番の大きな怒声を上げた。
「貴様だ貴様に言ってるんだ!!!何者なんだ貴様は!!!」
畳み掛けるような教官の勢いに、彼女は口に入れた芋を噛まずにごくりと飲み下し、食べかけの芋を持ったままの手で敬礼を作る。
「ウォールローゼ南区!ダウパー村出身、サシャ・ブラウスです!」
「サシャ・ブラウス…貴様はなぜ今芋を食べ出した…?」
「冷めてしまっては元も子もないので、今食べるべきだと判断しました」
「いや、分からんな。なぜ芋を食べた…」
「?…それは、何故人は芋を食べるのかという話でしょうか?」
教官問いに問いを返したサシャに、周りに居た訓練兵たちが一体何をどうしたらそのような思考になるのかと唖然とする。教官も言葉を失いサシャのことを見つめていると、彼女は更におかしな行動を取った。
「半分、どうぞ」
「半、分…?」
教官の視線が自身に向いている理由を、サシャはお腹が空いているのだと判断し、食べかけの芋を渋々半分に割ると…結果的に半分以下と半分以上になった芋の、よりにもよって小さい方を軽く舌打ちした後に差し出したのである。
それを受け取った教官は、手の中の一欠片の芋に視線を落とし、…少し間を開けて大きく息を吸いこんだ。教官のこめかみに、ビキリと音がしそうな勢いで、深い青筋が浮かび上がる。
「お前はこれから行う走り込みの訓練で、死ぬ寸前までこの訓練場を走り続けろッ!!」
「え」
「今晩の夕飯も抜きだ分かったかぁ!!!」
「ええ!?夕飯、抜きぃぃいい!!!?いやああああぁあああ!!!」
サシャは死ぬ寸前まで走り続けろと言われたことよりも、夕飯抜きと言われたことで発狂し、頭を掻き毟って地面に両膝をつく。彼女にとって食欲を満たせないということは何よりも地獄であるらしい。
絶望の淵に落とされたサシャを放置し、教官は怒りを孕んだまま地面で俯けに伸びているハルの胸倉を乱暴にぐいと掴みあげ、無理矢理両足で地面に起立をさせる。
「おい立て貴様ぁ!!!誰が寝ていいと言った!!?」
「はっ…!?」
凄まじい怒声を浴びて、ハルは失っていた意識を無理やり現実へと引き戻され目を覚ます。が、目覚め一番に広がる景色はドアップの凶悪な教官の顔であり、思わずひいと喉を引きつらせる。あまりの衝撃的な光景にもう一度意識を飛ばしそうになったが、掴まれた胸倉をグラグラと教官に激しく揺さぶられて、夢の中へ逃げる事は無慈悲にも失敗に終わった。
「貴様は何者だ!!」
「シッ、シガンシナ区出身、ハル・グランバルドで、すぅ!」
胸グラを締め上げられているので、ハルは苦し紛れに自分の名前を答える。
「そうかグランバルド!貴様は許可なく整列を乱した第一番目の命令違反者だ!!隣のサシャ・ブラウスと一緒に死ぬまで走り今日の夕飯は抜きだ!!四列目!!後ろを向け!!」
「ふぐ!!?」
ハルは未だ隣で絶望し頭を抱えているサシャのとばっちりをモロに受け、そして何故か教官に無理矢理口に蒸した芋を押し込まれ、頭を鷲掴みにされると先ほどのアルミンと同じように首を捻られ後ろを向かされた。
何故、訓練初日にこんな目に合わなければいけないのか。
口に押し込まれた蒸した芋が容赦なく口の中の水分を奪い取って行くのとは裏腹に、両目に涙を浮かべるハルは、振り返った事で向かい合うことになった後ろの列のアニへ悲壮に満ち溢れた視線を送った。そんな視線を受けて、アニは至極呆れた顔をして深いため息を吐いた。そして、声には出さずに口だけを動かし、短い言葉をハルへと送ったのだった。
「( バ カ )」
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