第二十一話
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ハルは、掌の上のすっかり色褪せ翼の刺繍も失われたてしまったツギハギだらけの御守りを見つめ、それからゆっくりと顔を上げた。
立体機動装置の交換部品が収納されている棚のガラス戸に映った自分の顔は、酷く情けない顔をしていた。
「…約束、守れなくて…ごめん」
守ることが、出来なかった。何一つーー、
弟のことも、父や母のことも、訓練兵になって出来た沢山の仲間のことも、大切な友達だった、ミーナや…トーマス達のことも…
それどころか、生きている仲間のことさえも、自分の所為で酷く心配をかけて、傷つけてしまった。
『お前の言動でっ、行動で…!俺たちがどれだけ傷つけられたってお前は構わないんだ…!お前が死んじまった時、俺たちがどれだけ苦しむかってことも、どうでもいいんだろ!?』
自分が命を張ることで誰かを守れるなら、それで良いなんて思うようになったのは、何時からだったんだろう。
ジャンが言ってくれたように、それで傷つく人もいるのだということは、理解していた筈なのに。長距離行軍で怪我をして、病院で目覚めた時、自分の身を案じて傍に居てくれたミーナ達の姿を見て、痛いほどそれを思い知った筈だったのに…。
そもそも自分は、そんな大層なことを考えるような人間ではなかった。
本当に、自分にとって大切な誰かを守れるのなら、それで良かった。その他の人間のことなんて、どうだって良かったんだ。だから、本部から戦場に出る時だって、ジャン達に命を最優先して行動してくれと、懇願した。誰を見捨てたっていいから、自分が生き残る道を選んでくれと…。
それなのに、自分の意とは反して、体が、助けを求める人の元へと向いてしまう。見捨てることを、許してもらえない。手放すことを、看過してもらえない。
それを選んでいるのが自分ではないのなら、一体何が、誰が私にそうさせるのだろうか。
「私は…一体、『何者』なんだ…」
ハルは、ガラスに映った自身の顔をなぞる様に指先で触れ、そう問いかけた。
ーーーその時だった、
『貴方が、選んだんですよ』
「え…?」
声が、した。
それは鼓膜に触れるものではなく、頭に直接響くような、幼い少女の声だった。
ハルは反射的に後ろを振り返ると、そこには三人の少女が立っていた。
綺麗な金髪を携えた、三人の幼い少女は皆俯きがちで表情を見ることは出来なかった。それに、身に纏っている服はどこか異国の物のようで、見たことのない服装をしていたが、着ているものの布地はとても上質そうなものであるということは何となく理解出来た。
しかし、何故、こんなところに子供が居るのだろうか。避難に遅れ、仕方なく本部で身を隠していたのだろうか。
ハルは俯いている少女達の元に歩み寄ろうとした時、ふと、三人の少女の中で一番背の高い、おそらく長女であろう子が、すっとハルの胸元に向かって指を差した。
それに、思わず歩み寄ろうとした足が、止まる。
「…え?」
何故なら自分は無意識のうちに、胸の前に両手で椀を作っており、その上に温かな『何か』を乗せていることに、気がついたからだ。
ハルはそれが、とても恐ろしいモノのように思えて、額に冷や汗が滲むのを感じながら、ゆっくりと視線を、自身の手元へと落とした。
「っ!?」
そして驚愕する。
自分の掌に乗っていたのは、真っ赤な血が滴る、人間の『心臓』だったからだ。
「うわぁぁああああ!!!?」
ハルは思わず悲鳴を上げて後方へ飛び退くと、足が絡れて背後に倒れ込んでしまう。
ドン!!と激しい音を立てて、先程鏡変わりにしていたガラス戸の付いた棚に思いきり背中を打ちつけてしまうと、衝撃で立体機動装置の部品が頭上から落ちてきて、部品の鋭利な部分が頬を切った痛みが走り、地面で跳ねた部品が甲高い音を響かせた。
「っなんだ!?ハルっ!一体何があ……っ」
その音を聞きつけ、技巧室へと飛び込んできたのはライナーだったが、其処に居たはずの三人の少女も、手にしていた心臓も、いつの間にか跡形もなく消えていた。
酷く青褪めた顔をして、地面に腰を抜かして座り込み、棚に背中を押し付けているハルの姿を見下ろして、ライナーは心配げに技巧室へと一歩踏み入ると、その瞬間に息を呑み、精悍な瞳を大きく見開いて固まってしまった。
「ラ、ライナー……っ?」
そんなライナーを怪訝に思い、心臓がバクバクと激しく脈打つ中、ハルはライナーを見上げる。
ライナーは唖然とした表情のまま、ゆっくりと片腕を上げて、震える指先でハルの顔を指差した。
「お前…それは…っ…」
「?」
ハルはライナーが何に驚いているのか分らず、首を傾げる。その時、技巧室の近くでもう一人、こちらへと向かってくる足音が聞こえてきた。
「なんだ?何かあったのかー?」
それはコニーの声だった。
するとライナーははっと我に返ったように体を震わせると、座り込んでいるハルの元へ駆け寄り、軽々とその体を持ち上げて、技巧室の奥に置かれている大きな機材棚の裏側へ、コニーから隠れるように身を潜めた。
「っ、ラ…ライっ!?」
「(静かにしろ…っ)」
それに困惑したハルは驚いてライナーを見上げたが、ライナーはハルの体を後ろから抱き竦めると、口に大きく骨張った掌をぐっと押し付け、喋らないよう耳打ちをする。
大きな手に口だけではなく鼻まで覆われ、ハルは声を出せずにライナーに言われるがまま、息を潜めることしかできない。しかし、棚の下段のガラス戸に自身の横顔が映っているのに気がついて、ハルは目だけを動かしその顔を見て、ライナーの掌の下で息を呑んだ。
「!?」
それは、ガラス戸に映った自身の頬と、フロックが巻いてくれた頭部の包帯から、蒸気が上がっていたからだった。
「なんだぁ、気のせいか?…可笑しいな、絶対ハルとライナーの声が聞こえた気がしたんだけどなぁ…」
俺、疲れてんのかな。
そう独り言を呟きながら、技巧室の中をひょっこりと顔を出して見回したコニーは、二人の姿が見えないことを確認すると、おかしいなと首を傾げながら部屋から離れて行く。
コニーの足音が遠のいて聞こえなくなると、ようやくライナーがハルの口から掌を離す。それにハルは大きく息を吸い込んで、蒸気の上がっている頬に指先で触れる。其処は酷く熱く、血は沸騰しているかのようだった。
「… ハル」
動揺し言葉を失っているハルの耳元で、ライナーがいつもよりもずっと低い声で、名前を呼ぶ。
「なんで、傷口から蒸気が出てるっ…!」
動揺しているのはハルだけではなく、ライナーも同じようで、声が僅かに震えている。
「わっ、分から…ないよっ、…急に…こんなことになってっ…!」
何故と聞かれても、何一つ分らないハルは、動揺を抑えることが出来ずに、震える体を自分の両腕で抱きしめながら答えると、ライナーの両腕がハルの左肩と右の腰に伸びてきて、ぐっと体を背後から抱き寄せられる。
そして、ライナーは額をハルの右肩に乗せると、低くくぐもった声で、独り言のように言葉を溢す。
「っ…そんなわけがないんだ。…そんなことが、あるわけ…ない…っ、それじゃあまるで、お前が…っ…」
様子のおかしいライナーに、ハルは不安になって視線を、棚のガラス戸に向けた。…そして、息を呑む。
「な、なんで…」
ガラス戸に映った、自身の肩に額を押し当てているライナーの口元には、僅かに円弧が描かれていたからだ。
「なんでライナー…笑ってるの…?」
「!?」
ハルの問いかけに、ライナーの体が強ばり、口元の笑みがスッと消え失せる。
ライナーはガラス戸越しに、不安げにライナーを見つめるハルへと、彼女の肩に額を擦りながら顔を向けた。
その表情は、高ぶる感情を必死に押し留めているかのように不自然なもので、ハルは何だか急に怖くなって、体を竦める。
「ら、らいな…」
震える声でライナーの名前を呼んで視線を上げると、ライナーは無表情を装いながらも、鋭い瞳を細めて、ハルを見下ろし釘を差すような口調で言った。
「ハル、よく聞け。…この事は、誰にも話すんじゃない」
「なっ、なんで…?!」
ハルが問い返すと、ライナーはがっとハルの両腕を掴み、覆い被さるようにして身を乗り出した。そして、朗々とした口調で言い連ねる。
「皆巨人と戦って、今は極限状態だ。そんな中でお前が、体から蒸気が出たなんて知ったら、どうなると思う…?みんな動揺して、お前を巨人と同じだと言い張る奴も出るかもしれないだろう。そうなったら、お前の身が危険に晒されるんだぞ」
「巨人と…同じ…?」
ハルは、怯えた目でライナーを見上げると、そんなハルの顔を見下ろしていたライナーが、腕を掴んでいた手を離しハルの右頬に手を添えて、親指の腹で傷口の下を撫でる。
「…見てみろ」
ライナーは静かに、ハルを促す。ハルは誘われるがままにゆっくりと、顔をガラス戸へと向け…そして、目を見張った。
頬から上がっていた蒸気はいつの間にかおさまり、部品で切った傷口が、跡形もなく消えてなくなっていたからだ。
「傷が、塞がってるだろ」
ライナーの声が、やけに鮮明に、鼓膜を震わせて、ハルは現実を受け入れられず、呼吸が乱れ、気が遠くなるのを感じた。
「な、ん…で…っ…」
「!?」
異変に気がついたライナーが焦った様子でハルの名前を呼んだが、ハルはそのまま意識を手放し、気を失ってしまう。
「ハル!おいしっかりしろ!!」
ライナーはがくりと弛緩したハルの体を横抱きに抱え上げて、取り敢えず広い場所へと移動すると、床にそっと体を横たえ、自身の兵服の上着を脱いで枕代わりにする。そうしていると、ライナーの緊迫した声を聞きつけたベルトルトとアニが技巧室へとやって来た。
「…っライナー?何があったんだ…!?」
「…ベルトルトっ、アニ…っ!」
ベルトルトとアニは、気を失って倒れているハルの姿を見て息を呑んだ。そしてアニはふと、傍で片膝をついていたライナーの顔を見て、眉間に皺を寄せた。
「…アンタ、なんて顔…してるの?」
アニがそう問いかけると、ベルトルトは「え?」と怪訝そうにアニの横顔を見て、それからその視線を追うようにライナーの顔を見た。その顔には笑みが浮かんでいて、ベルトルトはアニと同じ表情を浮かべることになる。
ライナーはハルの血の気の失った白い頬に、まるで壊物のように触れながら、歓喜を抑えられないといった様子で声を震わせて言った。
「ベルトルト、アニっ…ハルと一緒に、故郷に帰れるかもしれないぞっ…」
「…え?」
「どういう、こと?」
ベルトルトとアニは困惑しながらライナーに問い返すと、ライナーは二人の顔を見上げ、法悦的な笑みを浮かべて言った。
「ハルを此処から連れ出す…故郷へ連れて行く理由が見つかったんだよ…っ!」
第二十一話 迫り来る、目覚め
その時は必ず、やって来るーーー
完