第二十話
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ハルは少しでも身軽になるために、玄関の扉の内側で身につけていた立体機動装置をベルトから取り外すと、ライフルに装填された散弾の確認をする。
「(チャンスは一度切りだ。それ以上も以下もない。…失敗すれば、二人共死ぬ)」
ハルは額に汗が滲むのを感じながらも、悪いことを考えてしまわないよう早々に覚悟を決め、ライフルを抱えて玄関の扉に背中を押し当てた。
ドシン、ドシンと、少し遠くで巨人の足音が扉越しに聞こえてくる。先程のように再び待ち伏せをされてしまっては厄介になると懸念していたが、幸いにもまだ近くを歩き回っているようだ。
屋上ではフロックがブレードを装備して、何時でも攻撃を仕掛けられるように待機してくれている。
「・・・絶対に、できるっ・・・」
ハルはそう口にして自分に言い聞かせると、ライフルのボルトハンドルを操作し、意を決して玄関から飛び出した。
外を出てすぐには、足音の遠さからも予想していた通り巨人の姿を確認することはできなかった。それでも、機動力がない状態で地上を歩くのはかなり危険行為であるため、油断は禁物だと、ライフルを構えながら360度周囲を警戒しておく。
巨人の足音は連なった建物の彼方此方に反響して、なかなか場所を特定し難かったが、本部がある方向とは逆側の街道の方から吹いてくる風に、僅かに腐敗臭が紛れている。
ハルは風上に向かって、一度指笛を吹いた。
そうすると、聞こえていた足音がぴたりと止み、やや不気味な静寂が辺りを包み込んだ。それから遠くで聞こえていた足音が、ゆっくりとこちらに向かって近づいてくる。
「(よしっ、掛かった…!)」
ハルは顔を上げて屋上に待機しているフロックを見上げると、フロックが親指を立てているのが見えて、ハルも親指を立てて見せた。ややあって自分たちを追いかけていた巨人が、建物の陰から顔を突き出し、ハルの姿を視界に捉える。
巨人は先程とは打って変わって、地面を這いながらゆっくりとこちらに近づいてくる。
ハルは巨人と目を合わせたまま、花屋の壁に背中を押し付けて、ずるずると座り込んだ。
自分を食おうとする巨人が、なるべくフロックの方へと頸を向けるように誘導する為だ。
ハルはちらりと、再び向かいの豪邸の屋上へと視線を向ける。其処には先程よりも体制を低くして、ブレードを構えているフロックが、心配そうにこちらを見下ろしているのが見えた。
ハルは巨人に気取られないよう、再び近づいてくる巨人へと視線を戻すと、精神が乱れないよう意識的にゆっくりと呼吸を繰り返す。
ドシン、ドシン、ドシン・・・・・・
巨人は警戒しているのか、それともただの気紛れなのかは分からないが、ノロノロと四肢を動かして、ハルの元へと這い寄ってくる。
「いいよ・・・そのまま、おいで・・・っ」
ハルはそう呟きながら、ライフルを構えた。やがて巨人はハルのすぐ傍までやってくると、相変わらず異様に大きな瞳を鏡のようにして、ハルの姿を鮮明に映していた。
この距離なら確実に巨人の瞳を狙えるが、命中させられてももっと近づかなければ視力を奪うまでの威力が望めない。しかし、焦って自分から距離を詰めれば巨人を刺激してしまう可能性もあるため、ハルは早鐘を打ち鳴らす心臓の音を聞きながら、急く気持ちを押さえ込もうと奥歯を噛み締めた。
短い金髪の巨人の顔が、ゆっくりと眼前に近づいてくる。
巨人の息が、顔に掛かる。それは熱風でじっとりとした湿気も帯びており、吐き気すら覚える腐敗臭で鼻が捻じ曲がりそうだった。巨人の歯には、真新しい鮮やかな血がこびり付いており、あちこちに肉片や布切れが挟まっていた。最早それはただの無機質なものでしかなく、誰の一部だったのかも分からない。
ハルは、その光景を眺めながら、ふと『あの日』のことを思い出した。
弟の二人が、巨人の噛み殺された瞬間の光景だった。
弟を食い殺した巨人の口にも、同じように・・・弟の血が、肉片がこびり付いていた。もしかしたら、それは弟のものでは無く、他の誰かのものだったのかもしれないけれどーー
この巨人も、これまで多勢の人を食ったのだろう。口周りだけではなく、手や歪に膨らんだ腹にも、赤黒い血がこびり付いている。
罪もない人達を・・・あまりに残酷に…、
兵士や大人だけじゃない、幼い子供だって犠牲になっているかもしれない。
自分にとって巨人とは、エレンのように憎しみを抱き、アルミンが言うように、恐怖する存在であるべき筈なのに、どうしてかハルは、巨人に対してそれらの感情が欠落していた。
まるでそう思うことを、知らない誰かに、抑制されているかのように…
その所為なのか、憎い、怖い…それらの感情の矛先は、巨人ではなく、自分自身に向けられていた。
憎しみは大切なものを奪った巨人ではなく、大切なものを守れなかった自分へ。
恐怖は人を食い殺し、踏み躙る巨人ではなく、巨人から全てを奪われる弱者と成り果てる自分へ。
その感情は、何時だって自分の魂の奥底から湧き上がってくるようだった。心や思考ではない、もっと…自分という存在を確立している根本的な場所、果て無く深い…深淵から…。
そしてその感情から…人間性から、自分は逃れられないのだと、本能的に理解していた。それはまるで、二度と解けない呪いのように…ーーー
「・・・まるで覚めない夢でも、見てるみたいだ…」
ハルは自分自身が無性に空虚な存在で在るように思えて、巨人の瞳に映った自分に呟いた時だった…
巨人の動きが突然、まるで石にでもなったかのようにピタリと止まったのだ。
「え・・・?」
ハルは時が止まってしまったのかと困惑しながら、巨人の様子を窺った。
「(一体、なにがっ…)」
巨人は大きく口を開けた状態のまま、だらだらと涎を垂らしながら、大きな瞳でじっとハルを見つめていた。
そして、何やら苦しげに喉を唸らせ始める。
「ぉ・・・オァ・・エ」
「!?」
喉の奥を必死に震わせて、巨人は踠いている。・・・否、話をして・・・いる?
「オウ・・・ヲ、オ・・・ア・・・エ・・・エ」
その唸り声に、ハルは懸命に耳を欹てた。
言葉をはっきりと話せていないが、響きに聞き覚えがあるような気がした。
ハルはじっと、巨人の瞳を見つめた。
感情を持たない筈の巨人の虚な目が、今は違って見えた。その目を、ハルは知っていた。何度も何度も、見たことがあった。
「君…は…っ」
ハルは、唖然とする。
そんなことは有り得ないと思いながらも、その目から視線を逸らすことが出来ない。
・・・それは、幼い子供が、助けを求めて縋る時の目。
弟達がよく、自分に向けていたものと同じ目だ。
「・・・オグゥヲ・・・、オ・・・ゴイエ」
「・・・僕を・・・、起こして・・・?」
ハルが巨人の唸り声を、言葉に変えて呟いた時、巨人の瞳が大きく漣だったように震え出す。
「君・・・言葉が・・・っ」
話せるの…?
ハルが花屋の壁に押し付けていた背中を離し、身を乗り出して巨人にそう問いかけようとした刹那のことだった。
「ウァァァアアアアェェエエエ!!!」
「っ!?」
巨人は途端に苦しげに発狂し始めると、唾液を撒き散らしながら頭を掻き毟り、ハルを食おうと襲い掛かってきた。
ハルは構えていた銃口を半ば反射的に右目に向け、引き金を引いた。
ドオンッ!!
銃声と共に、巨人が呻き声をより一層大きくして、右目を抑えて踠き始める。
目から大量の血飛沫が降り注いできて、ハルの体を頭から濡らしていく。その血は沸騰した水のように熱く、服や肌に触れるとジュウと音を立てながら蒸発していく中で、ハルは目を守る為に顔を腕で覆いながら、フロックの名前を叫んだ。
「フロックーっ!!」
「っうぉぉぉおおお!!!」
フロックは屋上の縁を思い切り両足で蹴って、ブレードを構えながら巨人の頸目掛けて飛び降りた。
右目を抑えて立ち尽くしている巨人の無防備に曝け出された頸を、渾身に体を捻って削ぎ上げる。
「(硬いっ…!)」
ガスを使用していない為勢いが足りず、ブレードが肉を削ぎ上げる途中で押し止められる感触がしたが、フロックは奥歯を噛み締めながら全身に力を込めて、ブチブチと肉を引きちぎる様に削ぎ上げた。
フロックはそのまま地面に体を打ちつけそうになったが、ギリギリのところで僅かに残っていたガスを吹かし、半分失敗の受け身を取ることに成功する。
悲鳴を上げていた巨人は、急に静かになると、地面に力無く膝を折って倒れ・・・やがて身体中から蒸気を上げ始めた。
それは巨人の息の根を、確実に仕留めた証拠だった。
フロックは地面に両膝をついたまま、巨人の血が付着して蒸気を上げている自身のブレードを見下ろしながら、信じられないといった様子で呆然と呟いた。
「俺が・・・やった・・・のか・・・?本当に、俺が・・・?」
巨人を一体、討伐した。
フロックの手は酷く震えていた。それには恐怖と緊張から解放された安堵感もあったが、確かな歓喜も含まれていた。
蒸気が空へと立ち上る煙の中から、巨人の返り血を兵服の袖で拭いながらフロックの元へと駆け寄ってくるハルが現れる。
「フロック!大丈夫!?怪我はないっ?」
地面に座り込んでいるフロックの傍に慌てた様子で片膝を付くと、心配げに顔を覗き込んでくるハルに、フロックは「大丈夫だ」と頷きながら、込み上げてくる喜びを露わにする。
「お、俺・・・やったんだな・・・?俺たちっ、やったんだな!!」
フロックは両目を喜びが溢れ出しそうな程に輝かせて、声を震わせていた。それを見たハルも嬉しくなって、うんうんと何度も頷きを返した。そして、まだ先程の余韻が残り少し震えているフロックの手に、自身の手を重ねた。
「私達、やったんだよ・・・!!すごい!フロック・・・っ、すごいよ!!」
ハルはそう言って、フロックのことをぎゅっと両腕で抱き締めた。それにフロックはいいやと首を左右に振った。
「(違う、凄いのは俺じゃなくて、ハルだ…!)」
ハルが作戦を考えて、俺のことを信じてくれたから…、自分が囮になって、巨人の注意を引きつけてくれていたから。何よりもハルが一緒だったから、自分も恐怖に打ち勝とうと奮い立つことが出来て、戦うことが出来たのだ。
ハルの信頼に応えられたことが堪らなく嬉しいのと、それを手放しに喜んでくれるハルに、フロックは思わず目頭が熱くなった。
初めて自分は、誰かの役に立てたような気がした。
自分自身を信じて、誰かを信じることができた。それは、今までで初めてのことだった。
ハルが自分を救って、崖から落ちた『あの日』から、自分自身が嫌いで、仕方がなかったのに・・・。今この瞬間、少しだけ自分を、好きになれたような気がした。誇れるような気がした。
「・・・ありがと・・・な、ハル」
フロックがハルの肩口で呟くと、ハルはフロックから体を離し、首を横に振る。
「それは、こっちのセリフだよ。ありがとう、フロック・・・!」
その笑顔に、フロックは胸が締め付けられた。嬉しい。ハルの助けになれたことが、本当に嬉しかった。
フロックは目尻に浮かんできた涙を見られたくなくて慌てて上着の袖で目を拭う。
それにハルはフロックの腕を掴んで、その場に立ち上がった。
「・・・さあ、行こう!本部でみんなが待ってる!」
「ああっ・・・!そうだなっ!」
ハルは豪邸に戻り自身の立体機動装置を再びベルトに取り付けると、フロックと共に仲間達が居る本部の方へと走り出した。
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