第十八話
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先遣隊が全滅したことにより、トロスト区内には巨人が雪崩れ込み、ハル達が本部を出た頃には既に状況は逼迫していた。
彼方此方に巨人の姿が蔓延り、奇行種らしき個体も多く見られ、中衛部の防衛線を摺り抜けた巨人が内門へと迫っているという報告を、イアンが情報伝達を担っている兵士から耳にして表情を曇らせた。
五年前の『あの日』、ウォール・マリアが巨人達に奪われた日から、壁上砲台や立体機動装置の性能も見直され、改良も施されてはいるものの、この状況が巨人の侵入を喰い止められるまでには至っていないことを証明していた。
そしてこの最悪な状況に拍車を掛けたのは、調査兵団の不在だ。
よりにもよって月に一度の壁外調査が行われている日に、壁が破られてしまうとは…。まるで巨人達が、その期を狙っていたかのようにさえ思えてしまう。
ハルはイアンが内門へと向かう左後方で飛びながら、眉間に皺を寄せた。
「(五年前もそうだった…『あの日』も、調査兵団が不在の日に、超大型巨人が出現した。同じことが二度も起こるなんて、そんな偶然…あり得るのかな…)」
しかし、それが偶然の出来事ではなく、計画的に行われていることだとしたら…それこそ地獄だ。
壁内の人間が巨人に情報を流しているとしたら…いや、そもそも何故人間が、何を目的としてそんなことをする必要があるのだろうか?巨人に知性はない。何かを考え、計画するという行為は不可能なのだ。ましてや人から情報を得るなんてことも……。でも、超大型巨人は、壁上の砲台を脅威と認識して破壊行動を起こしていた。
それだけじゃない、五年前と同じく…外門の傍に現れて、外門に穴を開けた。まるで其処が、壁の中で一番脆い場所なのだと、予め知っていたかのように…。
「(っ、駄目だ…今はこんなこと考えてる場合じゃないっ)」
ハルはそこまで考えて、自分の中の疑問点に繋がっていく予測が恐ろしい答えを導いてしまう予感がして、考えるのを止めた。今は先のことを考えるよりも、この窮地を脱すること、そして仲間を守り抜くためにも、自分が出来る最善を尽くすことに集中しなければいけない。
「イアン班長!巨人が前方左右から、こちらに向かってきます!!」
その最中で、イアン班唯一の女性兵士が声を上げた。
進行先の左右から、まるで蛙の様に脚を折り曲げて、家々の屋根に飛び移りながら移動し、こちらへと向かってくる巨人二体を確認したイアンは、普通の巨人とは挙動が違うことに奇行種だと素早く判断した。
「一旦止まれ!おそらく奇行種だろう。お前たちは右だ!俺たちは左の巨人をっ…!?」
イアンは進行を止め適当な家の屋根の上に降りると、班員達も同じように進行を止めた。そうして班員を左右に分散させようと指示を出そうとしたイアンだったが、その指示を聞く前に、ミカサが右方からやってくる巨人に向かってブレードを引き抜き飛び出していた。
「アッカーマン!?お前に指示は出していないぞっ!?」
それにイアンはミカサを制そうと声を上げたが、ミカサが振り返ったのはイアンの方ではなく、イアンの後ろに立っていたハルの方だった。
「!」
ミカサは目を丸くしているハルを促すように、双眼をすっと細める。その視線にハルは鼻から班長命令に背くことになるのかと内心で肩を落としたが、体を左方からやってくる巨人に向け、トリガーを握って走り出し、立体機動に入った。
ミカサは外には表さないように努めているようだったが、エレン達のことが心配で仕方がないと、少し急いているようにハルには感じられた。いち早く内門付近の巨人を蹴散らして、中衛部へと向かいたいのだろう。
しかしそれは、ハルも同じ気持ちだった。
「グランバルド!?っ二人とも一体何を勝手な……っ!」
イアンは人手不足のためとはいえ、補完することとなった未だ訓練兵のミカサとハルを巨人と接触させる気は無かった。いくら訓練兵団を昨日卒業しているとはいえ、正式に兵士として認められているわけではない。何よりも、将来有望と期待されている二人の若い芽を摘ませるわけにはいかないとも思っていたし、巨人を初めて間近にして、パニックを起こすことを懸念していた。
しかし、飛び出した二人を班員達がカバーに入ろうとした時には、ミカサとハルは訓練兵とは到底思えない見事な立体機動術で、屋根を飛び回る比較的小型に分類され急所を狙うのが難しい巨人の頸を、難なく削ぎ上げてしまった。
その二人の並外れた動きに、イアン達は唖然とする他無かった。
「なっ、何なのあの二人……。本当に訓練兵なの?」
「っ信じられない。実戦を経験していないのにどうしてあんな動きが出来るんだ…!」
なんて事もないといった様子で、熱した鉄板に水でもかけたかのような音を上げながら蒸気を上げる、ブレードに付着した巨人の血液を振り払いながら、イアン達の元へと戻って来たハルとミカサの顔を交互に見て、班員達は顔を引き攣らせた。
そんな彼らを気に留める様子もなく、ミカサは右手のブレードの刃先を内門の方へと向け、イアンに少し急かすような口調で言った。
「…早く内門へ向かいましょう。ここまで巨人が来ているということは、かなり内部まで巨人が接近している可能性があります」
「あ、ああ…そうだな。よし、急いで内門へ向かうぞ!」
イアンはミカサの言葉に頷き、再び班員達を促して立体機動に移ったが、そんなイアンの横に、徐にハルが並び声を掛けてきた。
「イアン班長」
「なんだ、グランバルド」
「私とミカサはのことは、訓練兵だと思わず存分に使ってください。それなりに、成果はお見せしますから」
ハルはそう言ってミカサの方へと視線を向けると、その視線に気づいたミカサがこちらを向いて、こくりと頷いた。
イアンは今期の訓練兵成績優秀者の首席が二人居るという話を聞いた時、訓練兵団の評価も甘くなったものだと正直なところ思っていたが、首席を二人選ばざる得なかったということを、イアンは今この瞬間に理解して、深く溜息を吐いた。
しかし、いくら訓練兵団の中で優秀だったとしても、訓練と実戦は全く別物だ。ましてや壁上から見下ろすのではなく、今日初めて巨人と対峙する訓練兵が、恐れることなく巨人に立ち向かえる姿勢には、違和感を抱かずには居られなかった。
「ああ。先程のお前達の動きを見てそうすることに決めたよ。…しかし、いくら訓練兵団を首席で卒業したとはいえ、実戦でその能力を発揮することは難しいものだ。巨人を目の前にして冷静で居ることは決して簡単なことではない。ましてや、今日が初めてなら尚更のことだ。…それなのに何故君たちは、毅然として巨人に立ち向かうことができる?アッカーマン、グランバルド。君達二人にはまるで巨人に対する恐怖というものが感じられない。…ありえない話だが、君たちは以前にも巨人と抗戦した経験でもあるのか…?」
イアンの問いに、ハルは首を左右に振り、それから南の…超大型巨人に破壊されてしまった壁の穴の方へと視線を向ける。
「いいえ、ありませんよ。…ただ、巨人を間近で見るのは今日が初めてではないというだけです。私も、ミカサも…」
ハルの言葉に、イアンは僅かに息を詰まらせると、「そうか」と静かに呟いた。
ハルはハッキリとは言わなかったが、自身とミカサがウォール・マリア内の出身であるということを示しているのだということは容易に理解できた。
五年前に巨人を目にし、多くのものを奪われたであろう二人には、巨人に対する恐怖よりも勝る感情があるのかもしれない。
「イアン班長!何だか周りの様子が変では…っ」
内門までもう僅かと近づいた頃、先導していた兵士が、辺りの様子の異変に気付いた。それにイアン達も周囲を見回し、足元に広がる光景を目にして背筋が凍りつく。
「酷いな…、皆蹴り飛ばされてるのか…?食われている様子がないな…」
地上には、大勢の駐屯兵の死体があった。しかし彼らに食われた形跡はなく、殆どが壁に打ち付けられ四肢が酷く捻じ曲がってしまっている。
「…また、奇行種の仕業か」
内門の近くまで迫る巨人は中衛部の兵士を気に留めず此処まで進んできているということになる為、奇行種に限定されてくるのは必然的ではあるが、ただ捕食しようと向かってくる巨人の行動とは違うためその分対処が格段に難しくなる。
イアンが厳しい表情になってそう呟いた時、角を曲がった先でぼーっと立ち尽くしている十五メートル級の巨人の姿があった。下っ腹がやけに膨らんでいていて、何もない場所を静かに見つめている。まるで目を開けたまま、眠っているかのようだった。
「イアン班長!前に動かない巨人が…今なら仕留められますよ!」
それに、ハル達の活躍に我もと勢い立った若い青年の兵士が、ブレードを引き抜いてその巨人へと向かって行った。
しかし、ハルはその巨人の足元が血で真っ赤に染まり上がっていることに気がつく。
恐らくこれまでに見た多くの兵士を蹴り殺していたのは、この巨人だ。彼らの亡骸の様子を見ても、かなりの勢いで蹴り飛ばされていることは確かだった。だとすれば、この巨人は決して動きが鈍重なわけではなく、むしろ機敏である可能性が高い。
「…駄目だっ!」
ハルは嫌な予感が背中を這い上がってきて、イアンの隣でトリガーを握り締めると、若い兵士を止める為に加速した。
「止まってください!あの巨人に近づくのは危険です!!」
ハルがそう叫ぶと、ただ立ち尽くしていた巨人の目が急にぎょろりと蠢いて、向かってくる若い兵士を睨みつけた。
「!?っシグルド止まれ!!」
それにイアンも必死になって声を上げるが、彼は状況が理解出来ていないまま、目を丸くしてイアンを振り返る。その時には巨人が大きく右足を引いて、彼を蹴り飛ばそうとしていた。
「!!」
ハルはガスを名一杯に吹かしたまま若い兵士に飛び掛かった。巨人の血に濡れた足の側面がハルの左腕を掠め、むせ返りそうな鉄の臭いが鼻腔を貫いたが、間一髪のところでハルとハルに抱えられた兵士は直撃を避け建物の屋根に背中から転がった。その衝撃で瓦がガラガラと音を立てて何枚か剥がれ落ち、地面で割れた音が響く。
「っ…大丈夫、ですかっ?」
「あ、あぁっ…助かった…っ」
ハルは兵士を抱えていた為上手く受身を取ることが出来ず、打ち付けた背中がズキズキと痛んだが、何とか上半身を起こし、傍で両膝を折って腰を抜かしている若い兵士に声を掛けた。
彼は酷く青褪めてはいたが、目立った外傷はないようで、浅く息を吐いて安堵していた。しかしそれも束の間のことで、先程の奇行種はハルやイアン達を無視して、突然内門の方へと身体をぐるりと捻り、大きく腕を横に振りながら走り出したのだ。
「急に走り出した…!不味いぞ、あっちは内門がある!」
イアンがそう声を上げた時、いち早く反応したミカサが疾風の如く奇行種の背中に向かって飛び出した。その後をイアン達も一足遅れて追い、若い兵士もそれに続こうと立ち上がろうとしたが、右の足首が痛み苦悶の声を上げ、そのまま倒れ込みそうになったところを、ハルが慌てて駆け寄り支える。
「っ足首、怪我してるんですね…?」
「あっ、あぁ…そうみたいだ。っだが、このままでは内門がっ!」
「大丈夫ですよ。ミカサが追っています。彼女なら必ずあの奇行種に追いつきますから」
焦燥を露わにする彼に対して、ハルは至って冷静だった。自分の体を支えてくれているハルを見れば、その表情は毅然としており、ミカサに対する信頼が深いものだということを、言葉無くしても感じられた。
「…君は、アッカーマンのことを信頼してるんだな」
「はい!私はミカサの、相棒ですから」
ハルがそう言ってこくりと頷き微笑むと、内門の方から大きな音が上がり、それから空に向かって蒸気が立ち昇り始めた。どうやらミカサが無事奇行種を仕留めたようだった。
それにハルが少し自慢げな顔になって彼に顔を向ける。自分の功績ではないだろうと突っ込みたくなったが、純粋に友人の活躍を誇らしく思っているだけなのだということは分かって、やれやれと彼は肩を竦めると、ハルに手を差し出した。
「…俺の名前はジグルド。シグルド・テーバーだ。さっきは助かった、ありがとう。グランバルド」
そうして差し出された手を、ハルはしっかりと掴み、握手を交わしながら、真っ直ぐな瞳をシグルドに向けた。
「私は訓練兵ですが…今は、イアン班の班員です。ですから、貴方を助けるのは当然のことですよ、ジグルド先輩」
「…そうか」
あまり見慣れない黒い瞳と黒い髪。アッカーマンと顔立ちもよく似ている少女は、兵士である自身よりも毅然としている。その姿勢に自分自身が情けなくも思えてしまうが、何よりもこの状況に立ち向かうおうという強い意思に、背中を押されるような気持ちになった。
シグルドはハルの豆が潰れ固くなった手を強く握り返すと、ハルは手早くイアンの右足首の応急処置を始め、その後はイアン達を追って内門へと向かった。
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