第十七話
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トロスト区の外門が破られ先遣隊が巨人の足止めをしている中、104期の訓練兵は皆演習通りに本部に集まり、立体機動装置の装備、ガスの補給等を行い、戦闘準備を整えていた。
「お前たち訓練兵も、卒業演習を合格した立派な兵士だ!本作戦での活躍を期待する!」
駐屯兵団の兵士が、訓練兵の補給を支援、指示している声が響く中、同期達はその声が全く頭に入らない程の恐怖でパニックを起こしていた。現役の兵士達も表面上では冷静を装ってはいるが、内心は訓練兵達とそう変わりはないだろう。現に彼らの顔には冷や汗が浮かび
、顔色は酷く青褪めている。
「…っ、何で…何でよりもよって今日なの…っ戦力になる調査兵団は、壁外調査に出ているっていうのにっ!」
「俺たち…これからどうなるんだ…。まだ訓練兵なのに、戦場に出ることになるのか…?」
ミーナとトーマスはボンベにガスを補給しようとしていたが、両手が震え何時も容易に出来ていた単純な作業すらできなくなってしまっていた。その事に更に焦りが増し、背後で同期達が駆け回る足音が遠のいて、自分の粗い息遣いと心臓の早る音だけがやけに大きくなってくる。
本来ならば、訓練兵は後衛部で避難の支援をするか、運が良ければウォール・ローゼの内門の中で待機命令が下る筈だった。
しかし、今日は巨人と戦う最大の戦力となる調査兵団が壁外調査で出払っているため人手が足りず、卒業試験を終えた訓練兵も中衛部まで駆り出されることになるだろうと、まだ正式に命令が下されたわけではないが、皆そう予想していた。
「おいお前ら早くそこ退けろよっ!俺たちが補給できないだろ!?」
「ごっ、ごめん!今やるからっ…」
ミーナとトーマスの後ろでは、同期達が補給待ちをして列を作っていた。普段は温厚な仲間達も、この状況下ではかなり苛立っており、中々補給を終えられない二人に痺れを切らした一人が、ミーナの震える肩を荒々しく掴んだ。
「早くしろって言ってるだろ!!」
「!?」
しかし、その手首を、二人の間に割り入るように伸びてきた腕が、制するように掴んだ。
「ハルっ…」
苛立つ同期の手を掴んだのは、息を切らし、額に薄らと汗を浮かべたハルだった。
超大型巨人出現時、ハルはトロスト区の南西側の壁上砲台を整備する班で、本部に戻る際もその道中で住民達に避難勧告をしてきたらしく、ハル達の班が本部に着いたのはつい先程のことだった。そのため、ハルはまだガスの補給を終えておらず、呼吸も未だ整っていない状態だった。
「まだ、時間はあるよ」
「っ!」
ハルは同期の彼を宥めるような口調でそう告げて、掴んだ手を離した。それに彼は小さく舌を打ったが、ハルの冷静さに頭から水を掛けられたかのように口を噤んで、それ以上は何も言わなかった。
それからハルはミーナとトーマスの間に片膝を付くと、二人の手からボンベと補給のノズルを受け取って、其々にガスを補給していく。その手つきは普段となんら変わらず、これから戦場に駆り出される訓練兵の姿とは到底思えないと、ハルの顳顬から静かに汗が流れ落ちる横顔を、トーマスとミーナはただ恍惚と見つめていた。
「…終わったよ」
ガスの補給をあっという間に終えてしまったハルはそう言って二人にボンベを返すと、ノズルを既存の場所に戻した。それからミーナとトーマスの肩に軽くトンと触れると、立ち上がって比較的短いガスを補給するための列へと並ぶため歩き出した。そのまま序でに自分のガスも補給してしまうことも出来ただろうに、それをしないのがハルの折り目正しい性格の現れだった。
そんなハルの背中を、ミーナとトーマスは立体機動装置にボンベを取り付けながら追い駆け呼び止める。
「待ってハル!」
それに後ろで並んでいた同期達が飛びつくようにガスの補給を始める中、ハルは足を止めて二人を振り返った。
「どうしたの?」
そう問われると、二人は何故ハルを呼び止めたのか分からないことに気がついて口籠った。ガスの補給を手伝ってくれた礼を言いたかっただけかもしれないが、ただそれだけではないような気もする。
「ハル、補給手伝ってくれてありがとう」
ミーナはハルに礼を言ったが、ハルは軽く首を左右に振って口元に笑みを浮かべた。
「お礼なんてしなくていいよ、助け合うのはお互い様なんだから」
そう言ったハルは何処までもハルのままだった。
そんな彼女に対して、ミーナとトーマスは困惑した。何故この状況で、そこまで自分自身を保っていられるのか、二人には少しも理解できなかったからだ。
「ハルは、怖くないの?…こんなことなってっ」
「俺…どうなっちまうのか、考えるだけで震えが止まらないだ…」
顔を俯けるミーナとトーマスに、ハルは「大丈夫だ」と声を掛けようと口を開いたが、言葉を発する前にその口を閉じた。そんな確実性のない言葉を今、二人はきっと求めてはいないと思ったからだ。だからと言って、他に何か言える言葉が自分にあるのかと考えたが、それも結局見つけることはできなくて、ハルは二人の前に歩み寄り、深く息を吐きながらミーナの肩に寄りかかるように額を押し当て、左手をトーマスの肩に乗せた。
「私も…怖いよ。…すごく怖い。ずっと、震えてるんだ」
「!」
ハルがそう小さく、震えた声で言った。その弱々しい声に、トーマスとミーナは頬を平手で叩かれたように、ハッとして喉を詰まらせた。
ハルも冷静を装っては居るが、これから迎えることになるであろう過去の恐怖に、怯えていないわけではなかった。頭の中では『あの日』に起きた出来事ばかりが、幾度も彷彿としてくる。その度に、ハルは考えるまいと必死に奥歯を噛み締め耐えていた。
ミーナは自身の肩に額を乗せるハルの体が、小さく震えていることに気づき、トーマスもまた、自分の肩に乗っている左手が酷く冷たくなっているのを感じた。
「ハル…」
「そうだよな…、お前も、怖いに決まってるよな…?」
ミーナとトーマスは、心の何処かでハルは自分たちとは違うのだと思っていた。
今までどんなに過酷な訓練でも、ハルは取り乱すことはなかったし、いつだって冷静で…こんな時だって彼女は変わらないのだと思い込んでいた。
でも、ハルは自分たちと同じ人間で、同じように恐怖だって感じるし、焦ったりもする。ただそれをハルは、表に出さないようにしているだけなのだ。
「ミーナ、トーマス…必ず生きて。生きていてっ…それだけを、考えていてっ…!」
その言葉は心の奥底から込み上げてくるような懇願で、ミーナとトーマスは胸が締め付けられるのを感じた。ハルはこんな状況でも、自分たちのことを思ってくれているということが嬉しいと感じたが、それと同じくらいに苦しくもあった。
「…分かったよ、ハル。それと、ありがとう…!」
「生きてまた皆で会おう。約束だぞ!ハル!」
「…っうん!」
ミーナは自分に寄りかかるハルの頭を撫で、トーマスはハルの背中を励ますように叩いた。
ハルは二人を励ますつもりが、結局は自分が励まされてしまったと情けなく思っていたが、ハルが懸命に恐怖と戦う姿にミーナとトーマスが励まされたのは、確かなことだった。
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