第十六話
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「何だっ、今の!?雷でも落ちたのか!?」
フロックが爆音に塞いだ両耳から掌を僅かに離し、困惑した様子で言うのに、マルコは空を見上げて首を左右に振った。
「いやっ、そんな筈はない。雨だって降ってないし、こんな青空なのに…」
「おいっ!あっちを見てみろ!煙りが上がってるぞ!?」
ダズは腰が抜けたのか、地面に尻餅をついた状態でトロスト区の外門の方を指差す。
其処からは灰色の煙が立ち上っており、その煙は先の景色を覆い隠してしまうほどの分厚さがあった。
「火事、か?…いや、そんなもんじゃねぇ…っ」
雷が落ちた直後の火事にしては尋常じゃない煙の量で、ジャンはおかしいと顔を顰めたが、その際に自分の腕の中に居るハルの顔が酷く青褪めていることに気づく。
「ハル…?大丈夫か?」
ジャンがそう問いかけると、ハルは震える唇から「まさか…」と酷く掠れた声を溢した。それからヨロヨロとその場に立ち上がると、煙が立ち上っている方を振り返った。ーーーすると、その煙の中から、ぼんやりと黒く、大きな影が浮かび上がった。
「な…っ、なんだよっあれ!?」
間もなくその影が正体を現して、ダズは体を震え上がらせながら悲鳴を上げた。
人の顔があった。
とてつもなく大きく、皮膚がなく筋肉が顕になった真っ赤な顔だ。
その顔はハルの眼球に、『あの日』に焼き付けられたものと重なり、足元から脳天に向かって絶望が這い上がってくるのを、ハルは両拳を固く握り締め、その感情を懸命に押し留めようと努めたが、殆ど無意識に喉から溢れ出した声は、酷く震えていた。
「超大型巨人…っ…!」
ハルが口にした存在に、ジャン達は息を呑み、金縛りにでもあったかのようにその場から動けなくなってしまった。
ただ只管に、巨大で、圧倒的な存在に、現実味がなく立ち尽くす。
そして、超大型巨人が壁を蹴破った衝撃波で体がトロスト区の上空に投げ出された事にも気づくのに一息遅れてしまう程、皆酷く動揺し、現実を受け入れられずにいた。
第十六話 悪夢は再び蘇る
ジャンは自分が壁上から地面へと背中から落ちていくのを、他人事のように感じていた。外門の奥の煙の中に浮かんでいる、ただでさえデカい超大型巨人の顔が、甲高く耳鳴りが響く中でやけにゆっくりと高くなって行く。
しかし、その耳鳴りを掻き消すような切羽詰まった叫び声が、ジャンを我に返した。
「立体機動ーっ!!」
その声はハルのもので、ジャンは反射的にホルダーから操作装置を取り出して引き金を引いた。幸いフックは壁に上手く突き刺さり、地面に体が打ち付けられる前に宙吊りなる。その際体に凄まじい重圧が掛かって息を呑んだが、ジャンはすぐに辺りを見回して、他の仲間達の安否を確認する。
先程の衝撃波で全員壁上から投げ出されたのは見えていたが、フロックとマルコが、ジャンと同様に何とかフックを壁に射出して落下を免れていた。
しかし、ハルとダズの姿がない。
ジャンは嫌な予感がして、空を仰ぐようにして宙吊りになった体を無理矢理捻って、地面へと向けた。
「ぁぁあああああああ!!」
「ッダズ!!」
ジャンは悲鳴を上げて背中から地面に落ちていくダズの名前を叫んだ。パニックを起こしてフックを射出することが出来なくなっているのか、それとも先程の衝撃で立体機動装置が故障してしまったのかは分からないが、このままではダズは地面に落下してしまう。万が一にもこの高さから地面に叩きつけられれば、命は無い。
しかし、そのダズの姿を視線に捉えた時、落下していくダズを疾風の如く追いかけるハルの姿も見えた。
ハルはダズに向かってガスを思い切り吹かし、ダズの腕を掴む直前に腰を捻ってフックを壁面に射出した。フックはジャンが宙吊りになっている近くの壁に突き刺さり、二人分の体重が掛かって苦しげに軋み上がった。
ダズは地面に叩きつけられる既の所で、ハルに腕を捕まれ助かった。それにジャン達はホッと胸を撫で下ろす。
「ダズっ…!大丈夫?怪我を、していない?」
ハルはダズの体重を、ダズの腕を掴んでいないもう片方の手でフックに繋がっているワイヤーを握り、両足を壁面にベッタリと付けて支えながら、顳顬に冷や汗を浮かべていた。
ダズは急死に一生を得て、バクバクと忙しく心臓が暴れる中、半泣きになってコクコクと頷くと、ハルはそこでやっとホッとしたように息を吐き、「良かった」と焦りで眉間に寄せていた皺を綻ばせた。
しかし、その安堵も束の間だった。
「見ろ!壁に穴が…っ穴が空いちまった!!」
宙吊りの状態から何とか両足を壁面に付けたフロックだったが、外門の方を見てこれ以上ない程に目を見開き、震える腕を上げて指差す。
フロックが指し示した先を追って、ジャン達はその光景に体が震え上がった。
レンガで組まれた、ウォール・マリアへと繋がる大きな外門が、跡形もなく吹き飛び、大きな穴が空いている。『あの日』と同様に、超大型巨人が門を蹴破ったのだ。そしてその周辺には門の残骸が吹き飛び、地面を抉り建物や木々を薙ぎ飛ばしていた。
「これじゃあ…っ、また…また巨人が中に入ってきてしまう!そんなっ、一体どうすれば…!」
マルコはパニックになってしまわないよう懸命に冷静を保とうとしていたが、声は酷く震えていた。
ジャンは早鐘を打ち鳴らす心臓で息が上がっていたが、そんな中でも今何をすべきなのか見出すために、目を凝らして超大型巨人の動向を確認する。すると、超大型巨人がゆっくりと大きな腕を振り上げるのが見えて、ジャンはマルコ達に向かって地上に降りるように指示をした。壁に張り付いた状態でまたあの衝撃波を受ければ、次こそ地面に叩きつけられてしまうかもしれない。
「急げ!地面に降りたら状態を低くしろ!」
「クソッ!あいつ一体、今度は何をするつもりなんだ!」
フロックは舌を打ち、恐怖と怒りが入り混じった声を上げて、地上に降りると草の生えた地面を拳で殴りつけた。マルコも青褪めた顔で身を屈め、ダズは地面に顔を押し付けるようにして頭を抱え、丸めた背中をブルブルと震わせている。ジャンも地面に片膝をつき、ワイヤーを巻き取って超大型巨人を見上げようとしたが、傍でハルが地面に立ったまま、超大型巨人を見上げているのに気づいて、ジャンは目の前に投げ出されているハルの手を掴んだ。
「おいハル!危ねぇだろ!」
「 …だ」
しかし、ハルは何かを呟くように、唇の隙間から言葉を溢した。それが何と言ったのか、ジャンは上手く聞き取ることができず聞き返そうとしたが、次の瞬間激しい音と衝撃波に襲われて、ジャンはハルの手を掴んだまま襲って来る暴風に抗うように、顔を超大型巨人の方へと向けた。
そして唖然とする。
超大型巨人は、壁上の砲台を長い腕で払い落としたのだ。
驚いたのはジャンだけではなく、人類にとってその行動は俄かに信じがたいものだった。何故なら巨人には知性がない。恐らく壁上の砲台が自分達にとっての脅威だということも、把握できはしない。しかし、超大型巨人は砲台を、人間を喰うという行動よりも優先して、自分を狙い攻撃してくる物に破壊行動を起こしたのだ。
ジャンはその有り得ない行動を目の当たりにして呆然としていたが、ハルの手にぐっと力が籠ったのを感じて、視線をハルへと向けた。
ハルはその黒い双眼を、真っ直ぐに超大型巨人に向けていた。その瞳に、化け物を見るような恐怖はない。人を見る時と何ら変わらない目に、ただ悲しみと嘆くような色を称えて… ハルは『問いかけた』。
「君はまた…私から大切なものを、奪って行くの…?」
そして壁の向こうに居る超大型巨人もまた、ジャンにはハルを見下ろしているかのように見えた。
その目は、先ほど壁上から見下ろしていた巨人達の目と、同じようには見えなかった。
ハルが言っていたような、何の感情も、意志もない目ではない。
「!」
ジャンは、『同じ』だと感じた。
今ハルが超大型巨人に向けている目と、そしてあの巨人がハルに向けている目は…『同じ』だった。
しかし、それが見えたのも束の間の事で、超大型巨人が纏うようにして上がっていた煙が、突如より一層激しく空に舞い上がり始めて、その煙は巨人の顔を覆い隠した。そしてその煙が薄れて行くと、超大型巨人の姿は忽然と消えていた。
「は…?」
それに狼狽ていた時、街の方から駐屯兵団の兵士達がこちらへと向かってきた。
「お前達!!こんな所で何をやってる!?早く本部に戻れ!!既に超大型巨人出現時の作戦は開始してるんだぞ!!」
「はっ、はい!」
その言葉に、フロック達は慌てて地面から立ち上がった。
兵士たちは新兵に構っている余裕はないようで、壁を立体機動で登っていく。その様子を見て、マルコは落ち着こうと一度大きく深呼吸をすると、ハル達の顔を見回した。
「兎に角、本部に戻って皆と合流しよう…まずはそれからだよ」
「あ、ああ…っ、そうだな…うぇっ…!!」
それにダズは地面に両膝をついたまま頷いたが、胃から迫り上がって来たものを地面に嘔吐してしまう。
「おいダズ…!しっかりしろよ!」
そんなダズの背中を、フロックが気遣うようにして摩るが、フロックの顔も酷く青褪めていた。
ダズは胃にある物を全て吐き出した後、ゆっくりと顔を上げて、酷く震えた声で言った。
「お、俺たち…死んじまうのか…?」
「「!?」」
その言葉は皆口にはしていなかったが、確かに胸に過ったものであって、一瞬息を呑んだ。
「ばっ、馬鹿なこと言うなよダズ!?死ぬわけ…死ぬわけねーよ!!」
フロックはそれでも恐怖を振り払うかのように引き攣った笑みを浮かべながら、ダズの背中を叩いた。しかし、ダズの恐怖は消えることはなく膨らむばかりで、ダズはふとジャンに視線を向けた。その目は酷く怯え落ち窪んでいて、ジャンは体の芯が急に凍え上がるような気がして、思わず身を強張らせた。
「だってよぉ…っジャン。お、お前も言ってただろ!?人類は巨人にっ、勝てないんだってよぉ!?」
「…それは…っ」
確かに、そう言った。
何度も繰り返して、夢物語のようなことばかり話すエレンに現実を突きつけるために。エレンだけじゃない…多くの同期たちに、同じ話をしていた。…でも、それは虚言ではない。それは、事実だったからだ。
しかし、いざ巨人の脅威に曝される身になって、その言葉が自分だけではなく仲間のことまでも、絶望に突き落とす呪いの言葉となって胸にずっしりと落ちてきたのに、ジャンは唇を噛んだ。
そんなジャンの表情に、ダズは愈々恐怖を抑えられなくなってその場に立ち上がると、傍にいたハルの胸倉に掴み掛かった。
「なあっ…どうなんだよハル!?お前は知ってるんだろ!?巨人がっ、巨人がどれだけ危険なのかよぉっ!?お前はもう知ってるんだよなぁ!?巨人がどうやって人を食うのか…っ、どうやって殺されるのか教えてくれよぉ!!」
ダズは錯乱してグラグラとハルの身体を揺さぶるが、ハルは何も言わなかった。ただ顔を俯けて、体の横にある拳を、爪が食い込む程硬く握り締めていた。
「っやめろダズ!!とにかくっ…とにかく落ち着くんだ!」
マルコはそんなダズを後ろから羽交い締めにしてハルから離れさせるが、ダズはマルコを振り払って、再びハルの両腕に縋り付いた。
「そんなこと出来るわけねぇよ!?俺はっ…、俺はまだ死にたくねぇんだよぉお!…なあっ、ハル!!お前なら、お前なら助けてくれるよな!?お前はいつだって俺たちのこと、助けてくれたもんなっ?なあ、そうだよなぁ!?」
「っダズ!!」
ジャンはダズの言葉に、体を巡る血が頭に駆け上ってくるのを感じた。恐怖でパニックを起こしてしまっているのは仕方がない、傍に居る誰かに泣き付いてしまいたくなる気持ちも分かる。しかし、ハルの過去を知っているジャンには、それらは到底看過できるものではなかった。
「っ!!」
ジャンは拳を握り締めて地面を蹴り、ハルの両腕に縋り付くダズを殴り飛ばそうとしたが、その拳はダズに届くことはなかった。
その前にジャンの鼓膜を震わせた声が、ジャンの身体を引き留めた。
「…死なせない」
ハルはそう言って、静かに俯けていた顔を上げた。
「誰も、死なせたりなんてしない。もう二度と…大事なものを…手放したりなんて、しない…っ!」
そしてハルは、自身に縋り付いて震えているダズを、ぎゅっと両腕で抱きしめた。
「!?」
それにダズは目を見開いて身体を強張らせたが、耳元で響くハルの声と温もりが、恐怖に荒れ狂うダズの胸の中を、ゆっくりと鎮めて行く。
「ダズ…大丈夫。必ず守るよ。死なせたりなんてしない。絶対にっ…約束、するから…」
「…ぁ……っ、」
何処までも穏やかな声に、ダズは自分を取り戻したかのように小さく声を溢し、先程の自分がハルに浴びせてしまった言葉を思い返して、後悔で奥歯を噛みしめた。
「…すまねぇ……、ハル…。っ、俺…怖くて…っ」
喉が震えて上手く話せないダズに、ハルは身体を離すと、「いいんだよ」といつものように笑みを浮かべて首を横に振る。そんなハルの優しさに、ダズは先程とは違う涙が目尻に滲むのを感じた。
自分の行動を悔いているダズの様子を見て、ジャンは焼き石に水を掛けられたような気分になって、はあと長く息を吐き出し、握り締めていた拳を解いた。
お陰で頭の中もほんの少しだけ冷静さを取り戻して、本部の方へと視線を向けた。
「…行くぞ。此処はまだ外門から離れてるが、もたもたしてると巨人に鉢合わせちまう。とにかく本部に戻ることが、今俺たちのやるべきことだろ…!」
ジャンの言葉に、一同はコクリと頷き操作装置を手に握ると、立体機動に入り、本部の方へと向かって飛び立った。
完