第十五話
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「私は『あの日』…家族を守れなかった罪悪感に耐えられなくて、毎日苦しくて仕方がなかった。…そんな私のことを、皆が変えてくれたんだ。生きていくことは辛いことだけじゃないんだって…、それはとても尊いことで…幸せなことなんだって…さ」
ハルはそう言うと、自分の右手首に着けている色とりどりの糸で紡がれたミサンガを見た。これはハルの誕生日にサシャ達やジャン達が少しずつ糸を紡いで編んでくれた、世界に一つだけのプレゼントだった。
こうやって皆が繋いでくれた想いが、いつまでも『あの日』の自分から前に進めずに、後ろばかり振り返っていた自分に、進むべき道を指し示してくれた。
「私に生きていく力をくれた皆の為にも、…そして自分自身のためにも、調査兵団に入りたいんだ。だからライラ、そんなに悲しい顔しないで…笑って送り出してほしい」
そう言って優しく頭を撫でてくれるハルに、ライラは堪らなくなって唇を噛み締めると、それからハルの腰元に抱きついた。
「…っ先輩!」
「…そんな大口叩いて置いて、すぐ死んだりなんてしたら、私殴りに行きますからねっ」
「それは怖いなぁ…」
そんなハルにアリシアはやれやれと首を振りながらそう言うと、ハルはライラの背中を子供をあやすように撫でながら、苦笑を返す。
「ハル先輩!…私、先輩のように優しく皆に寄り添えるような、寮長になりますから!」
「うん、ライラなら大丈夫だよ」
こくりと頷いたハルに続いて、傍に座っていたユミルが、揶揄うような顔をしてハルを見上げて言った。
「ああ、そーだよなぁ?お前みたいに夜の見回りで、幽霊が出るだとか、暗いのが怖いだとか騒ぎ出したりしないだろーしなぁ?」
ニヤニヤと笑いながらハルを指差すユミルに、ハルは慌てて弁解を入れる。
「ユミル!私は別に、幽霊が怖いわけじゃな、」
「あ、ハル…っ!ハルの肩に髪の長い女の顔がっ!?」
しかしハルが言い終わる前に、サシャがハルの肩口を指差して、ワザと怯えたようにして言うと…
ガタタタンッ!!
「…あの、先輩?どうしたんです、急にテーブルの下に潜り込んだりして…」
突然地面から飛び上がると、スライディングでテーブルの下に滑り込み頭を抱えて蹲ったハルに、ライラとアリシアは怪訝な顔になってテーブルの下に潜り込んだハルを覗き込む。
それに、ハルは少し間を開けてから、テーブルの下で抱えていた頭をきょろきょろと左右に動かして、わざとらしく何かを探し始めた。
「い、いや…ちょっと眼鏡を落としてしまってさ…」
「いや眼鏡掛けてねーだろっ!」
苦しい言い訳にユミルが間髪入れるずにツッコミを入れると、相変わらずしっかりしているようで抜けているハルに、サシャ達やライラ達が笑う。
そうしていると、食堂の奥の方から、ライナーとベルトルトとアニが、ハル達の方へとやって来た。
「盛りがってるとこすまんが、…ちょっといいか?」
ライナーは手に一つのコップを持ってそう言うのに、サシャは首を傾げる。
「ライナー?ベルトルトとアニも…一体どうしたんです?」
ライナーは何故かテーブルの下に居るハルを見下ろし、困惑した様子で眉間に皺を寄せて言う。
「いや、ハルに話があってな?…ちょっと借りてもいいか?…(なんでテーブルの下に居るんだ?)」
「はい!では先輩…私たちもそろそろ寮に戻りますね!」
ライナー達が来たところで良い時間にもなり、ライラはテーブルの下にいるハルを覗き込むようにして言うと、ハルはテーブルの下から這い出し、すっと何事もなかったようにして立ち上がって言った。
「うん。今日はわざわざありがとう。ライラ、アリシア。また明日、寮長の引き継ぎの話をする時にね?」
ライラとアリシアが食堂から出ていくのを見送ると、ハルはライナー達を見て首を傾げた。
「皆、何かあった?」
「いや、何かあったわけじゃないんだが。今日は解散式だし、久しぶりに四人でゆっくり、話でもしようかと思ってな?」
「うんっ、いいね!最近は四人だけで集まることもなかったし、外で話する?」
ライナーの提案にハルはこくりと頷くと、ライナー達も「そのつもりだった」と頷いた。
開拓地にいた頃はずっと四人一緒に過ごしていたが、このところは四人だけで話をすることも少なくなっていた。
もう訓練兵団を卒業してしまえば、ライナー達三人は憲兵団に入団することを決めているため、離れ離れになってしまう。
ハルはそれが寂しくて仕方がなかったが、三人が努力して掴んだ憲兵団への道を応援したかった。
四人は食堂の裏口を出て、階段を降りたすぐ傍にある長いベンチに腰掛けた。
解散式の時には見えていた雲の姿は、今はもうすっかり見えなくなってしまっていて、宵闇の中に金色に輝く満月がくっきりと浮かんでいる。
「今日は空気が澄んでるのかな…、月がいつもより綺麗に見えるね」
ハルは月を仰ぎながらそう言うと、ハルの隣に座ったライナーが、手に持っていたコップをハルに差し出した。
「ほら、これ飲めよ。ホットミルクだ。夜はまだ冷えるからな…」
「うわあ、ありがとう!…あったかい、なんだかホッとするよ。ライナー達は?寒くない?」
コップからゆらゆらと湯気を上げるホットミルクを口に運んで、ハルはほっと息を吐き出し、三人に問いかける。と、ハルの左隣に座っていたアニは首を振った。
「私達は平気だよ。…それよりも、さっきの話。聞こえてたけど…あんたは本当に、調査兵団に入団するつもりなんだね…」
「…そうだね。その気持ちは、変わってないよ」
アニは手元のコップの中に視線を落とし、ギュッとそれを握って答えたハルに、「そう…」と息を吐くように呟いた。
「… ハルの気持ちが変わるとは思っていなかったけど…。それでもやっぱり僕たちは、まだ…一緒に憲兵団に来て欲しいって、正直なところ、思っているよ」
ベルトルトがアニの隣で、自身の胸元にある御守りを見下ろしながらそう言うのに、ハルは三人の気持ちに答えられないことに胸を痛めながら、目蓋を閉じた。
そんなハルの横顔を見て、ライナーは肺の奥から重たい空気を吐き出すと、空に浮かんでいる満月を見上げて言った。
「お前は、変わらないな」
「え…?」
ハルはふと、隣に座るライナーへと視線を向ける。
淡い月の明かりが、空を見上げる精悍なライナーの横顔を照らし、琥珀色の瞳が、昔を思い出して懐かし気に細められたのを、ハルはじっと見つめた。
「出会った時から、そうだ。体も細くて気も弱そうなのに、これと決めたら絶対に揺るがない…頑固で、お人好しで、…いつも無理ばかりで…」
「…ライナー達には心配ばかり掛けてるって、自覚してる。…ごめん」
そう言って肩を落としたハルに、ふっとライナーは口元に笑みを溢すと、視線をハルへと向ける。
「…だが、そんなお前だからこそ…、俺たちは一緒に居たいって、思っちまうんだろうな」
「!」
「お前と一緒にいる時だけは、いろんなものから解放されたような…ありのままの、自分で居られるような気がする」
ライナーはそう言って、ハルの頭に手を置くと、形の良い頭をわしわしと撫で回す。
「ハルには…感謝してる。いつも僕たちのことを支えてくれて…、守ってくれて…。故郷に帰る夢も、一緒に追いかけてくれて」
「…アンタは私たちにとって…掛け替えのない存在だから。だから…手放せなかった」
「…?」
そう話すライナー達は、何時もと何処か様子が違う。月明かりではっきりと表情を窺うことはできなかったが、三人が纏う雰囲気が…とても辛そうに感じられた。
「みんな…どうか、した…?」
「…何がだ」
ハルは心配になってそう問いかけると、ライナーがすっと瞳を細めて問い返してくる。
「いや…何となくだけど…。いつもと、雰囲気が違うっていうか…」
「そんなことないよ。ただ、ちょっと騒ぎすぎて疲れただけだよ」
ベルトルトはそう笑い飛ばすようにして言うが、ハルは心配顔のまま、三人の顔を見て、双眼を細めた。
「そう…?…でも、明日はトロスト区の壁上砲台の整備だから、具合が良くないなら早めに休んだほうがいいと思うよ?足を滑らせたりしたら、危険だし…」
「あ、ああ。そうだな…そう、するか」
ライナーは足元に視線を落として呟くようにして言うと、ゆっくりとベンチから腰を上げて立ち、それからハルを見下ろした。
「…お前は、疲れてないか?」
そう問われて、ハルは首を振った。今日はいろいろと教官から話もあって、最後の夜はいつもより燥いでいたかもしれないが、まだ夜の7時を過ぎた頃なので、然程眠くもなく倦怠感もない。
「私はまだ大丈夫だよ」
「そうか…」
「私たちはもう寮に戻るよ。…あんたも、長居し過ぎて明日の朝、寝坊しないでよ」
「うん。わかってるよ、アニ。…おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ、ハル」
ライナーに続いてアニとベルトルトも立ち上がり、三人が寮の方へと歩いて行くのを、ハルは笑顔で手を振って見送ろうとしたが、何だか無性に三人の背中が寂し気に見えて、ハルはその背中に腕を引かれるようにベンチから立ち上がった。
「ライナーッ!ベルトルトッ!アニッ!」
名前を呼ばれて振り返った三人に、ハルは駆け寄った勢いで三人に飛びつく。
「な!?なんだよ急に!?」
「!?」
「ハル…どうかしたの?」
「ごめんっ、なんだか無償に…こうしたくなって…」
ハルのその言葉に、ライナー達は息を呑み、目を見張った。
三人の胸元に顔を埋めていたハルは、顔を上げると、ライナー達の顔をそれぞれに見つめて問いかける。
「私たちは何処にいても、繋がってるよね…?所属の兵科が違っても、どんなに…遠く離れることがあったとしてもっ…!ーーずっと、繋がっているよね…?」
「…っ」
何の曇りも汚れもない感情で、ただ自分たちを真っ直ぐに見つめて問いかけてくるハルに、アニは身を引き裂かれるような思いで、唇を噛みしめ、顔を俯ける。その先には胸元で揺れる御守りがあって、それが更にアニの胸を締め付けた。
「…繋がってるよ。どんなに遠く離れても、僕たちの絆は、切れたりなんて…しない。そう…信じてる」
ベルトルトはそう、静かに囁くようにして、胸元の御守りを固く握りしめた。
自分達にとって、ハルとの絆は、地獄に落とされた自分達を引き揚げてくれる…そんな絆だった。
しかし、ハルにとっては、きっとそうでは無い。
「お前は俺達のことを…信じてくれるか?」
それは痛いほど分かっているのに、それでも彼女を繋ぎ止めようとする自分に、ライナーは心の中で歯を食い縛る。
「…うんっ、…信じるよ。そんなの、当たり前だよ」
明日、自分達が何をしようとしているのか、ハルは知らない。
そして今まで自分達がしてきたことも、ハルは…知らない。
何にも知らずに、心を開け放って微笑むハルが、唯ひたすらに…欲しいと思う。
そんな浅ましい感情が胸に蔓延っていることに気付かないふりをして、ライナーはハルの華奢な体を抱き締めると、彼女の耳元で静かに囁いた。
「俺たちは絶対に…お前を手放したりしないからな」
この感情は、酷く猟奇的で…暴力的で、矛盾している。自分の中の戦士としての自分と、兵士としての自分、そして…ただの男としての自分、全てが、ハルのことを求めている。
もう誰も、この感情に歯止めを掛けることなどできない。
ライナーは目を閉じ、ハルを抱きしめる腕に力を込めると、「…ライナー…?」と、ハルが自分を気遣うように名前を呼んで、小さな手で頭の後ろを撫でる。
その温もりに泣きそうになりながら、ライナーは奥歯を噛み締めた。
明日、
俺たちはまた、
壁を破る。
完