第十四話
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「あいつ…何やってんだ?」
エレンがスタート直後に大きく飛び上がったハルの姿を見て、困惑した様子で首を傾げると、周りの同期達も皆一斉にざわついた。
最初は立体機動装置に不具合が出たのかと思ったが、ハルは至って冷静な様子なので、どうやら自分の意思で高々と宙に飛び上がったようだ。大きなロスタイムを生むハルに対して皆が困惑している中、アルミンとマルコは至って冷静だった。
「多分だけど、ハルは先にコース確認をしたんじゃないかな?」
「ハルって記憶力がいいからね?入り組んだ渓谷の曲がり角を、上手くインコースで曲がれるように事前に手を打ったみたいだ」
「でもよ…?いくらインコースを狙ったとしても、ミカサとの差を縮めて追いつけるとは思えねぇけどなぁ」
アルミンとマルコがハルの立体機動を分析している中、コニーはそう言って首を傾げるが、ベルトルトはそんなことはないと首を横に振った。
「渓谷は曲がりが本当に多くて、直線的なコースが殆ど無いから、スピードを思い切り上げたりはできない筈だ。だから、インコースでの曲がりの積み重ねが、タイムを縮める何よりも重大なポイントになると思うよ?」
「流石… ハルはそれを計算済みだってことだな」
ベルトルトの発言に何故かフロックが誇らしげに拳を掌の上にぽんと乗せて言うと、「なんでお前が得意げなんだよ」とジャンはフロックの脇腹を肘で小突く。するとフロックは、「ハルに賭けてるのはお前やライナーだけじゃねぇんだからな」と腰に手を当てて言うのに、ジャンはライナーと顔を見合わせ、此処にもハルの人誑しに嵌まった人間が居たかと項垂れた。
それからジャンは視線をハルとミカサの方へと向けると、切れ長の瞳を細め、二人の見事な立体機動をじっと見つめた。このように俯瞰で、技術の高い二人の立体機動を観られるのはある意味貴重な機会でもある。やはり二人の立体機動は、スピードや技術力、判断力や柔軟性も同期達とは比べものにならないほど、圧倒的に秀でている。
しかし、そんな二人の飛び方には、大きな違いがあるようにも見えた。
「ジャン?さっきから静かだけど、どうかしたのか?」
コニーはふとジャンの横顔を見ると、怪訝そうにして首を傾げた。
「この勝負、最後まで分からねぇかもしれねぇな…」
「?どういうことだよ」
「ミカサの立体機動は、持ち前の筋力と体力を使って、強力なガスの圧力を受けながらスピードを上げるパワータイプだ。最高速度は高いが、曲がり角で瞬間的にスピードを落とさなきゃいけねぇのが欠点になってる。…ハルの場合は、細かなガス噴射とアンカーの使い方で、ガスの消費を最小限に抑えて飛んでる。最高スピードこそミカサには劣るが、一定のスピードを維持したままで、曲がりも確実にインコースを捉えてる。あれも一度コースの全貌を、最初に確認した効果かもしれないな…」
ジャンの言葉に同調するように、ライナーも腕を組んで頷く。
「そうだな。それに、ミカサとは違ってガスを長く噴かしていない。瞬間的に噴射して、上手く勢いに身体を乗せているんだろう。…もう大分ミカサに追いついてるぞ」
「…あの飛び方、とても一ヶ月前に立体機動を始めた奴の動きとは思えねぇよ」
フロックは夢心地になってしまうほどに、二人の立体機動に魅入られながらそう呟く。
「本当にすごい」
「ああ。見惚れちまうよ」
アルミンとエレンも、フロックと同じように陶然とした様子で言葉を溢した。
ジャンも、ミカサの立体機動の力強さもそうだが、ハルの繊細かつ美しい無駄のない立体機動に、まるで立体機動装置が彼女を飛ばしているのではなく、彼女自身の背中に翼があるのではないかと錯覚してしまった。
…そして、それと同時に悟ってしまう。
やはり彼女が背に背負うのは、紅色の薔薇でもなく、深緑の一角獣でもない……自由の翼なのだろうと。
そしてその翼を背負った彼女が飛び立つのを止めることは、誰にも出来ないのだということもーーー
:
「(っ、角を曲がる度に距離を詰められてる…っ、もうすぐ後ろまで…)」
ミカサは後ろを僅かに振り返り、舌を噛まないよう奥歯を噛み締めてハルの方を見た。
もしもコースがあと少しでも長ければ、ハルに追い抜かれてしまっていただろう。しかし、もうゴールは間近に迫っており、曲がりも後一つだ。
体に容赦なくのしかかる重力と、筋力を酷使しているせいで息が酷く上がる。しかし、ハルを相手に最後まで気を抜くわけにはいかないと、ミカサは再び前を向いて、最後の角を曲がるために速度を落とし、壁面に刺したアンカーを巻き取り、再び前方へと発射する。
と、その刹那に、後ろを飛んでいたハルの姿が横に並んだ。
「!?」
ミカサは思わずそれに息を呑み目を見開く。
やはりハルは曲がる時に一切スピードを落としていないのだ。それどころか身体を捻る遠心力で、飛び出すように曲がった瞬間に速度を一時的に上げているのだ。
しかし、ミカサは巧妙な立体機動術を見せるハルに対して、嫉妬や劣等感を抱くことはなかった。ただ只管に、心の底から憧れを抱き、常に共に競い合っていたいと願ってしまうほどに胸が躍る。こんな感覚は、初めてだった。
彼女と共になら、この世界で何でも出来ると、そんな気にさえなる程に…
ミカサは自然と浮かんできた笑みを口元にたたえて、曲がった先で見えたゴールに顔を向け、曲がり角で落ちたスピードを取り戻すのに、トリガーを引きガスを噴射させようとした時だった。
その時、噴射口からガスではなく空気だけがスっと抜ける音がミカサの鼓膜をやけに大きく揺らした。
「!?」
スピードを出すこととハルに追いつかれる焦りで、ガスの残量を気にしていなかった。
ガスが底をついて、浮遊力を失った体がぐらりと傾がる。
「っミカサ!!」
地面に向かって体が落下して行く中、ハルがぎょっとこちらを振り返って目を見開いたのが見えた。
ハルは少しも迷うことなくゴールへ向かう身体を捻りアンカーを回収すると、ミカサに向かってガスを名一杯に噴かし右手を伸ばして飛んでくる。
その様子がやけにスローモーションに見えて、「ああ、やっぱりハルの勝ちなんだ」と、妙に冷静な気持ちになりながら、そんなことを思った。
自分は地面に向かって真っ逆さまに落ちているのに、恐怖感も焦りもないのは、ハルが助けてくれるのだと、頭が理解してしまっているからだ。
ハルは必死な形相で地に落ちて行くミカサの右手を掴み、ぐっと自身に引き寄せる。それからアンカーを右方の壁へと飛ばし、壁に向かってガスを最大出力で噴射する。今回の試験ではブレードの使用は許可されていなかったが、ミカサを抱えていない左手でブレードを引き抜くと、壁にぶつかる直前にブレードを壁面に突き立て衝撃を緩和し、両脚の裏を同時に付き、膝を折り曲げて勢いを押し殺す。
バキリと甲高い音を立て壁にブレードが突き刺さる音と、ダンとハルが両足をついた音に紛れて、ハルが息を呑んだ音がして、ミカサははっとハルの顔を見た。
「いっ…!!」
「!?」
痛みに表情を曇らせているハルに、ミカサは瞬時に右脚が痛んだのだと理解し慌てた。
「ハルっ、右脚がっ…」
「だ、大丈夫っ、ちょっとだけ痛んだだけだよ。それよりもミカサ、怪我…ない?」
少し泣きそうな顔で心配するミカサに、ハルは安心させようと笑って見せる。が、額には脂汗が浮かんでいるので、我慢しているのは明らかだった。
ミカサは自身のアンカーを壁面に突き立てると、自分を抱えてくれていたハルに変わって、ハルの身体を両腕で支える。
「私は平気。…ごめんなさいっ、それと…ありがとう」
眉をハの字にしてそう言うミカサに、ハルは苦笑を浮かべて首を横に振る。
「お礼もごめんなさいも言う必要ないよ。…ミカサのガスが減ってるのは、私も何となく分かっていたけど言わなかったんだ。どうしても、最後まで真剣勝負、したかったから」
ごめんと言って頭を下げるハルに、ミカサはいよいよ深いため息を吐いてしまう。相変わらずハルは優し過ぎる。
「ハルは馬鹿」
「えぇっ…ミカサまでそんな」
ミカサに呆れ顔で馬鹿のレッテルを貼られてしまい、ハルが悲しげに肩を落として項垂れると、ゴール地点から二人の方へと駆けてきた教官が、地面から手をメガホンのようにして声を掛ける。
「おーい!お前達!!降りてこられそうか?」
「はい!問題ありません!」
ミカサは返答し、ハルの身体を支えながらアンカーをゆっくりと伸ばし地上へと降下する。
そうすると、地面に両足をついたハルが右足を踏み出して、僅かに息を呑んだのをミカサは見逃さず、ハルの身体を軽々と持ち上げ、横抱きにする。
「うわ…初めての体験だ」
何やら感動しているハルだったが、ミカサは目を細くしてハルを見下ろし、口を引き結んで何も言わない。
「えーっと…、ミカサ…怒ってる?」
その視線と表情に、ハルはおずおずとミカサを見上げて問い掛けると、ミカサはその表情のままにこくりと頷く。
「… ハルはいつもそう。誰かを守るためなら、自分が傷付いたって構わないって思ってる。それが、…私は、理解できない」
黒曜石のような瞳を細め、眉間に皺を寄せながら、悲しげに言うミカサに、ハルは人差し指でミカサの眉間を押さえて、柔らかな微笑みを浮かべながら言う。
「でも、ミカサだっていつも、エレンやアルミンのことを守るために必死でしょう?…だからさ、そんなミカサのことを守る人が居てもいいかなって思うんだ」
ハルはミカサの眉間から指先を離すと、眉間に寄っていた皺が綻ぶ。
それを見たハルが、いつものように屈託のない笑みを浮かべた。
「その役目はさ、私がやってもいいかなって思うんだけど…。どうかな?」
結構オススメだよ。と戯けて肩を竦めるハルに、ミカサは不意に頭痛を覚えた。
「っ」
ズキン
と、頭が割れるように痛む。
この頭痛は時々起こるけれど、その時はいつだって、悲しくて辛い気持ちになる。
しかし、今回の頭痛はいつもと違う感じがした。
負の感情ではなく、その痛みは心を軽くしてくれるような、励まされているような、そんな背中を押してくれるような痛みだった。
「……ミカサ?どうしたの?」
「っ大丈夫」
ミカサの異変に気がついたハルが、心配げな表情になるけれど、ミカサは首を左右に振る。
「… ハルの「守る」は、自分の命まで掛けてしまいそうだから。…怖い。…だから、私の、相棒で居てほしい」
「!」
ミカサの言葉に、ハルは澄み切った黒の瞳を大きく見開き、一度ゆっくりと瞬きをする。
そして、心底嬉しそうな顔をして微笑んだ。
「それってすごくいい響きだ…。分かった!今日から私は、ミカサの相棒…だね?」
「…うん…!」
二人はそうして笑い合っていると、副教官に早くスタート地点に戻るように促される。
ミカサがハルをスタート地点まで持ち帰ると、そこにはミカサのみならず怒り顔のサシャ達が待ち受けており、ハルはキツく怒られ、その後皆に付き添われながら向かった病院でも、大事には至らなかったが、マールさんや担当の先生にこっぴどく怒られることになったのであった。
完