第十三話
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ひょんなことがあった翌日ーーー
ジャンは朝の面会開始時間を目指し、早めに駐屯所を出た。
その時の寮内はいつもより大幅に人気が少なく、皆帰省するのに朝から出払っていたようだった。マルコ達は実家に帰省すると話していたし、エレンやアルミンもミカサと一緒に市街地へ出かけると言っていた。ライナーやベルトルトも何処かへ出かけているのか、寮内では姿は見えなかった。
寮の外に出ると朝の空気が肌を刺すようで、いよいよ冬の到来を感じさせられる。念のため厚手のジャケットを羽織ってきて正解だった。
朝が早いというのもあってか、通り道の商店街はいつもより人が疎らで、まだ開店していない店もちらほらと見受けられる。
本格的にリハビリも始まるということもあり、身体のことを気に掛け始めたハルが、糖分の摂取は控えると言っていたので、今日は特に差し入れは買わず、手ぶらで病院へと向かうことにした。
ハルが入院してから三ヶ月半が経ち、足蹴く通っていたのもあって、院内に入るとすれ違う看護師さんや入院中の患者さんにも声を掛けられるようになったジャンは、軽く挨拶を交わしながらハルの病室へと足を進める。
そうしてハルの病室の引き戸の前で足を止めると、何やら楽しげな声が中から聞こえてきた。
ハルの声の他に聞こえてくる少年と少女の声に、やれやれとジャンは溜息を吐いて、軽く戸をノックしてから引き戸を開けた。
「…入るぞー」
ジャンの予想した通り、中には金髪と青い目を携えたまだ幼い兄妹が、ハルのベット横できゃっきゃと走り回っていた。
この二人はハルの病室の二つ隣に入院している兄妹で、二人とも生まれつき心臓が弱く、もう長いことこの病院での入院生活が続いているらしい。
ハルが風通りを良くするために病室の窓と引き戸を開け放ち、座学ノートで勉強をしていると、偶然前を通りかかった兄妹にちょっかいを掛けられ、それから頻繁に病室に来るようになったのだ。そのため、ジャンだけではなく他の同期達も、この二人とは顔見知りだった。
「うわ!?ジャンだー!!」
「ジャンが来たぁー!きゃー!!」
二人はジャンの姿を見ると、まるでかけっこ遊びの鬼でも見つけたように声を上げて飛び跳ねる。
その様子に、ジャンは溜息混じりに肩を竦めながら、病室へ足を踏み入れた。
「お前ら…朝から元気過ぎやしねぇか?」
「ジャン、おはよう。来てくれてありが…っいでででっ、ちょ、パルシェっ…!そ、そこに乗らないで…まだ肋がっ…!」
「にへー!!ハルのほっぺ、おもちみたぁーいっ!」
ハルがベット近くの壁に寄せていたスツールを掴んで、ジャンが座れるよう移動させると、妹の髪をおさげにしたパルシェがそのスツールを踏み台にしてピョンとベットに飛び乗り、ハルへ馬乗りになった。それから満面の笑みでハルの両頬を掴んでびよんと引き伸ばすのに、ジャンはパルシェの両脇を掴みひょいと持ち上げて、軽々とベットから下ろした。
「おいパルシェっ、足の牽引が外れたとはいえ肋の骨も繋がったばっかなんだから、あんまりちょっかい掛けんなよ?…フィン、お前もこいつの兄貴なんだからなんか言ってやれよ」
ジャンはパルシェの兄であるフィンを、腰に手を当てて見下ろして言うが、フィンはジャンの真似をするように腰に手を当て、ふんと鼻を鳴らす。
「別に…俺たちはちょっかい掛けてんじゃなくて、ハルと遊んでやってるだけだよ!」
「…すげぇ上から目線だな」
ジャンが顔を引き攣らせながらそう言うと、立つ瀬がなくなったハルが苦い顔をし、パルシェに抓られた頬を摩りながら言った。
「フィ、フィン…私は一応君よりも大分お姉さんなんだから、ちょっとは敬意を…」
「なんだよいいだろー?だってハル、いつもいつも本ばっか読んでてさっ、暇そうじゃねぇか!」
「いや、暇なんじゃなくて私は勉強を…」
ムッと頬を膨らませ、ベッドの淵に両手をついてハルの顔を睨むフィンに、年上のハルがしどろもどろになっていると、その様子を見てやれやれと肩を竦めていたジャンの背中に、パルシェが蛙の様にぴょんと背後から飛びついた。突然の奇襲に「うおっ!?」と驚くジャンによじ登ったパルシェは、ジャンの肩に顎を乗せ、ハルのことを潤んだ瞳でじっと見つめ、甘えるような声で言った。
「じゃあハルはいやなの?わたしとにいにと、あそぶの、きらい?」
「そ、そういうわけじゃないけれど…」
「じゃあすき?」
「…好きです」
「!?わたしもハルがすきー!!」
純粋な瞳と愛くるしい表情にやられ、ハルがなす術なしといった様子で答えると、パルシェは表情をパッと輝やかせ、ジャンの背中から地面に軽快に降りる。そして再びベットに飛び乗ると、ハルの首にぎゅっと抱きつき頬を擦り寄せた。
それにハルは満更でもなさそうにしているので、フィンは「ふっ、ちょろいな」と、してやったりな笑みを浮かべる。…この年齢で策士とは将来が恐ろしいなとジャンは思いながらも、肩に掛けていたショルダーバックと、羽織っていたコートを脱いで、円卓の上に置く。
「…はぁ、まあいいけどよ…、こいつはこれからリハビリなんだから、あんまり疲れさせんなよ?」
「「はーい」」
しかし、比較的ジャンの言葉には素直に反応するフィンとパルシェに、不服といった様子でハルの眉間に皺が寄る。
「何でジャンの言うことは聞いて、私の言うことは聞いてくれないんだ…」
「パルシェも俺も、人を選ぶからなぁー」
ハルに対して、フィンは齢十一歳とは思えない口ぶりでそう言い放つと、ハルは悔しげに項垂れる。
「くっ…完全に舐められているっ」
そんなハルを見てフィンとパルシェは楽しげに笑う。ジャンから見れば、ハルは舐められているのではなく甘えられているのだが、それは敢えて口にしないでおくことにした。
「じゃあなー!また夕方来るからなー!」
「ばいばい!ハル!ジャン!」
そうしてパルシェとフィンがようやっと部屋から出て行くのを、ジャンとハルは手を振って見送る。あの元気さは病人のそれではないなと思いながらも、ジャンはやれやれとハルが用意してくれたスツールに腰を落とした。
「––––で、足の調子はどうだ…?」
牽引を外した術後は、少し傷口が痛んだりしていたようだったので問いかけると、ハルはこくりと頷いて、顔色のいい顔で微笑みを見せる。
「うん、調子は凄くいいよ。万全の状態でリハビリに臨めそう」
「そりゃあ良かった」
その様子にジャンもほっとして、課題を手渡そうとスツールから立ち上がる。そうして鞄の中から、予想していたよりもかなり分厚めの課題を取り出しているジャンを見つめて、ハルは申し訳なさそうに問い掛けた。
「でも…ジャン、良かったの?」
「なにがだよ」
「今日から三連休なのに、家に帰らなくて…」
「いいんだよ」
「……そっか」
ジャンの返答に、ハルはそう短く答えただけで、それ以上は何も言わなかった。もっと問い詰められるだろうと思っていたので、意外な反応にジャンは課題をハルのベットに付属しているテーブルの上に置き、スツールに腰掛けながら言った。
「お前は…帰れって言わないんだな」
「そりゃ言いたいけど…、でも言って欲しくないって顔をしていたから」
「!」
「違う?」
「…違わねぇ」
相変わらず自分のことには鈍感だが、人のことには敏感なハルが、そう言って小首を傾げてきたのに、ジャンは苦笑を返した。そうすると、ハルは相変わらず澄んだ黒の双眼をやんわりと細めて、笑みを返してくる。
その瞳に、入院生活で少し伸びた前髪が掛かって揺れているのを、ジャンは感慨深い思いで見つめた。長距離行軍訓練から三ヶ月半が経ち、最初の頃こそ兵服ではなく患者衣のハルに違和感を持っていたが、今はすっかり見慣れてしまった。日に当たることも少なくなり、元々色白の肌が殊更に白さを増していて、今の彼女からは訓練場を駆け回り重々しいライフルを撃ち放つ姿など、到底想像出来るものではないだろう。
「髪…少し伸びたな」
「うん。前髪が少し邪魔になってきたし、今度ミカサかクリスタにでも頼んで切ってもらおうかな…」
ハルは伸びた前髪の一束を指で掴み、少し持ち上げて言うのに、ジャンは組んだ足に片肘を立て頬杖をつきながら、ハルの髪をじっと見つめて言った。
そういえば似たような場面を見たことがあったなと、ジャンは急に懐かしい思いに駆られる。それは初めてミカサと会ったとき、彼女の長い黒髪が綺麗で、思わず見惚れてしまった日、エレンがミカサにその髪を、「訓練で事故になるかもしれない」と切ることを勧めていた時のことで…。あの時は正直腹が立ったというのは事実だが、今はエレンの気持ちが理解出来る気がした。
「…勿体ねぇけど…その方がお前も楽、なんだよな…」
きっとハルも入団したてのミカサと同様に、髪を伸ばせば女性らしさが増して綺麗だろう。いや、今でも十分綺麗なことに変わりないのだが……しかし、それよりも先に思うことは、彼女がそれで過ごし難くならないかということだ。
身体も以前よりは動かせるようにはなったとはいえ、万全ではない。そんな中で髪を伸ばすと、いろいろ手間も増えストレスになるだろう。
すると、ハルは指で掴んでいた前髪を耳の方へと流して、首を傾げた。
「…切らない方が、いいかな?」
そう問われて、ジャンは思わず目を丸くするが、次にふっと口元に笑みを浮かべ、瞳を細めて問い返す。
「なんでそんなこと聞くんだよ」
どちらが良いかと問い掛けるなんてこと、まるで自分の好みにでも合わせてくれようとしているかのようだった。しかしそれは無意識の問いかけだったようで、ハルはジャンに問い返されると、その意味を理解して、急に恥ずかしくなり視線を泳がせた。
「なっ…なんとなくだよ…」
「へぇ……なんとなく、か?」
「なんと、なく…」
そんなハルを少々困らせたくなってしまって念を押すと、ハルは顔を俯けてしまう。黒髪から覗く耳の先が照れると赤く染まるのが特徴的で愛らしいが、想像していたよりも動揺しているハルの感情が伝染したように、そうさせた自分も少し恥ずかしくなってしまう。
「…いや、そんなに赤くなんなよ」
「だ、だって…君の目を見てると…妙に耳がっ…熱くなるというか…っ、こ、困ってしまうよ…」
赤くなった両耳を手で覆って、ちらりとジャンの顔を見て言うハルの頬もほんのりと赤く染まっている。その顔にジャンは、アルミンが言っていた『人誑し』という言葉を思い出さずには居られなかった。
もともと顔立ちが良いというのもあるのだが、何よりもハルが人を惹きつけるのは、こういう純粋な仕草なのだ。かと言って人に媚びるような色がある訳でもなく、自然であるということに男心のみならず、女子の母性本能まで擽ってくる。
「…そういうとこだぞ」
「…?」
「お前、ちょっと無防備過ぎるんじゃねぇの」
「無防備って…一体何の話を…?」
ジャンは剣呑な視線をハルに向けたが、そんな彼の胸中を他所にして、きょとんとして首を傾げられてしまう。それに額に手を当て、脱力し溜息を吐くジャンに、ハルは一体如何したのかと次は違う方へ首を傾げる。
そうしていると、病室の引き戸が三度ノックされ、ゆっくりと扉が開いた。
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