第十二話
名前変換設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「…ん…」
ふと、目が覚めると、一番最初に視界に入ってきたのは、カーテンの隙間から溢れる柔らかな夕陽の光を帯びた、真っ白な天井だった。
目覚めては居るものの、頭の中は霧がかったようにぼんやりとしていて、身体も鉛のように重い。息をすっと吸い込めば、少し開けられた窓から入り込んでくるひんやりとした空気が肺に触れるのと、消毒液の匂いが鼻腔を擽った。
自分はどうやらベットに寝ているようだったが、片足に違和感があり視線を下げると、右足の骨に銅線が通され、牽引器具で吊り上げられた光景の手前に、見知った同期達の姿があって、思わず驚いて目を丸くする。
「…あ、れ…?」
アニとミーナ、サシャとクリスタの四人が、背もたれのないスツールに腰かけ、ハルのベットに上半身を乗せて眠っており、部屋の壁際に置かれている長椅子には、ライナーとベルトルト、コニーやアルミン、エレンとミカサが、それぞれ腕を組んでうとうと舟を漕いでいたり、互いに寄りかかったり、壁に背を預けたりして眠りについていた。
第十二話 自覚
此処は恐らく個室の病室のようで、トロスト区で一番大きな総合病院なのだということは、ベットサイドに置かれている手拭いに院名が刺繍されているのが目に入り気づいた。が、それよりも、ハルは自身の目の前に広がっている光景で呆気に取られたまま、「…すごいな…」と改めて言葉を漏らしてしまう。
皆私服ではなく兵服のままなところを見ると、恐らく訓練終わりで病院に足を運んでくれたのだろう。
しかし、どうやって自分は谷底から病院に運ばれてきたのか、まだ頭がぼんやりとしていて当時のことをよく思い出せない。
自力で崖を登ろうとして必死だったことは覚えているが、途中から記憶が曖昧だった。
「(…一体、誰が私を見つけて、助けてくれたんだろう)」
枕に頭の後ろを沈め、再び病室の天井をぼんやりと眺めながら記憶を掘り起こして行くと、ふと…必死な形相をしたジャンの顔が頭に浮かんできた。
そうすれば、後のことは沸き立つ泉のように次々と思い出すことが出来た。
幼い子供みたいな姿を彼に晒してしまったこと、気が動転してパニックを起こしてしまったことも、そんな自分を落ち着かせようと、抱きしめてくれたこともだ…。
ハルはそこまで思い出し、急に羞恥心が込み上げてきて、頬が熱くなる。それを落ち着かせようと、ほんの少しだが冷たい枕に左頬を押し付ける。…と、不意に病室の引き戸が、控えめな音を立てて静かに開いた。
そうして中に入ってきたのは、腕に水差しを抱えたフロックだった。
彼は眠っている皆を起こさないよう気を遣って、開けた引き戸を後ろ手に音を立てないよう閉めると、忍び足で数歩病室に踏み込んだ辺りで、ふと私と目が合った。
すると、フロックは目を大きく見開いて、水差しを近くにあった粗末な木造の円卓にどかりと置いた。水差しの中の水が大きく波打って円卓の上にばしゃりと溢れたのは気にも留めずに、フロックはハルの傍へと転びそうになりながら駆け寄る。
「っハル…!目が覚めたんだな!?」
フロックが両膝を床について、枕の上のハルの顔を見ると、心底ほっとした様子で問いかけてきたのに、ハルも同じくフロックに怪我がないところ見て、ほっとしながら微笑みを返した。そうすると、周りに居たみんなも次々と目を覚まして、伏せられていた顔が上がる。
「ハル…?目がっ…!」
「良かった…!本当に良かった!」
「ったく、マジで心配してたんだぜっ…」
サシャがベットの縁に手を付いて、体を乗り出すようにしてハルの顔を覗き込むのに、クリスタは両目に涙を滲ませ、ホッと胸を撫で下ろす。
長椅子に座っていたコニーはハルの傍に駆け寄ると、顔色を確認しふうと長い息を吐いて、腰に両手を当てて安堵した。
「ハル、病院に運ばれてからも全然目が覚めなくて…。今まで三日も眠っていたんだよ…?」
アルミンがベットサイドに置かれている卓上カレンダーを指差して言うのに、ハルは「三日も…?」と目を丸くして、アルミンが指差すカレンダーを見た。
そんなに長い間眠っていた気はしなかったが、体の筋肉が強張ったような気怠さは、怪我だけが原因ではなくずっとベットに横になっていた所為もあるのかもしれない。
そう思っていると、ふとフロックの隣に立っていたミーナが、平静を保とうとするような声音で口を開いた。
「ハル…、どうして私を一緒に連れて行ってくれなかったの…」
「…ミーナ?」
ハルは視線をミーナの方へと向けたが、寝ている状態のため彼女の顔が良く窺えず、上半身を起こそうと体に力を入れた。が、全身に電流が駆け巡るような痛みが走り、思わず呻き声を上げてしまう。
「っぅ…!」
「ハルっ、まだ起き上がるな」
傍に居たフロックが慌ててハルの腕を吊ってない左肩に手を添えてベットに戻るよう促す。
「…大丈夫っ、これぐらい…」
しかし、それをハルが平気だと言うと、怒りを押し止めていたミーナが堪らなくなって声を上げた。
「何が大丈夫なのよ!?肋が3本、頭は4針縫って、右腕は剥離骨折!全身打撲な挙げ句っ、右足は頸骨がパッキリ折れてこの通りじゃない!?これの何処がっ、何処が大丈夫なのよ!」
ミーナはハルの負った怪我を指差しながら、顔を真っ赤にして腕を組む。
「フロックを捜しに行くって言った時、私は一緒に行くって言ったじゃない…!それなのに、ハルは私を置いて一人で行ってしまって…その上、こんなことになってっ…!私がっ、私たちがどれだけハルのことを心配してたかっ、分かってるの…!?」
「!」
ミーナが至極懸命になって、瞳に涙を溜めて言うのに、ハルは頗る慌てふためいた。ハルは今までの経験で、年の近い女の子に泣かれるということが初めてのことであり、どう答えればいいものかと、頭の中で言葉を必死に考えながら口を開いた。
「…ごっ、ごめんよミーナ…!あの時は風が強かったから、ミーナにはテントの見張りをしていて欲しいというのもあったけど…、それよりも、少しでも休んで欲しかったんだ…。長い山道と嵐で…つ、疲れていたし…、」
「休んでなんかいられる訳ないじゃない?!ハルが嵐の中一人で行ってしまって、ずっと気が気じゃなかったんだよ…!?それに、疲れてるのはハルだって同じでしょっ…」
それは理由になっていないとミーナは身を乗り出し、ハルの顔の横に両手をダンッと付くと、嗚咽しながらついに泣き出してしまった。
ミーナの瞳から大粒の涙がハルの顔にポタリポタリと落ち、滴が頬を滑って枕を濡らす。
それにハルはどうすればいいのか愈々分からなくなってしまって、動かせる左手をミーナの涙が流れる頬に伸ばした。
「ミーナ……、本当にごめん。泣かないで…」
「ハルが私たちに言ったんじゃないっ…、皆で支え合って行こうねって!それなのにどうしてっ、一人で無茶しちゃうのよっ」
ミーナの言っている通りだ。自分は行軍訓練が始まってからずっと、皆で助け合いながら進んで行こうと何度も口にして居た。それにも関わらず、自分は協力すると言ってくれたミーナの気持ちを無下にして単独行動取り、結局は皆に多大な心配を掛けてしまうことになってしまったのだ。
ハルは自分の身勝手さを反省し、ミーナの目尻から滔々と溢れる涙を左手の親指で拭いながら言った。
「……正直、ミーナに一緒に来てもらわなかったこと…すごく…後悔してたんだ。ミーナが一緒に来てくれていたら、フロックのこともすぐに引き上げられただろうし…、谷底で…動けなかった時も…、酷く…心細くて…。ミーナの明るい声が聞けたら、どんなに心強かっただろう…って」
「ハル…」
ミーナはそう言うハルに、ぐっと唇を噛んで嗚咽を止める。そうすると、傍に寄ってきたクリスタが、ミーナの両肩を優しく掴んで、体をゆっくりとハルの上から引き戻した。
それに、ハルは痛みに耐えながらも、フロックの腕を借りて上半身を起こし、心配気な顔をしている皆の顔に視線を向けながら、言葉を繋ぐ。
「…ミーナ、だけじゃない。…谷底で孤独になった時、皆が傍にいてくれればって…何度も思った。…正直もう駄目かもって諦めかけたけど…皆のことを思い出したら…ただ会いたくて、会いたくて堪らなくなったんだ…」
言葉の終わりに近づくに連れ、声が震え出してしまうを、ハルは抑えることができなかった。皆の前で泣き顔を見せるのは情け無くて嫌だったが、今思っていることをちゃんと言葉にして伝えなければ、自分を心配してくれた仲間達に対して不誠実だと、懸命に口を動かす。
「皆にもう会えなくなるんだって思ったら、怖くなって…っ、体が…震えて……、死にたくない…って…、思って……本当にっ、ごめん…っ…心配かけて…っ、ごめんなさい」
最後は喉の奥がひくついてしまって上手く言葉に出来なかった。ハルは目から涙が流れるのを見られぬように隠そうとしたが、動く左手だけでは覆い隠せず指の間から涙が溢れ、静かに掛け布団の上に落ち、じんわりと染みを広げていく。
項垂れ、嗚咽を噛み殺すハルを、サシャがぎゅっと抱きしめて、その震える背中を撫でる。
「ハル…泣かないで下さい。一人で辛かったですよね…?こんな怪我をして、あんな暗闇の中で一人になるなんて、怖くないはずありませんよ…」
サシャは狩猟民族であるということもあって、山中で怪我をし、迷子になってしまったことが何度もあった。その度に父に助けてもらっていたが、その時の孤独感と恐怖感は、途方もないものだとよく知っている。
「謝るのはハルじゃない」
すると、傍にいたフロックが、眦に涙を溜め両手を握りしめて、呵責を滲ませた声音で言った。
「皆に謝らなきゃいけないのは、俺なんだよ。…俺が全部悪かったんだ…!疲労とストレスで、取り乱してトーマスや班員のみんなに迷惑をかけ続けた挙げ句、…っそんな俺を見捨てず追いかけてきてくれたハルに…こんな辛い思いをさせちまうなんて…っ!… ハルはっ、お前は死んでいてもっ、おかしくなかった!あんな高い場所から落ちて生きてたのは奇跡だ…!それが無かったら…俺はお前を、殺しちまってたんだよっ…!ごめん、皆っ…!すまないっ、ハル…!」
悲痛な声と面持ちでフロックはそう言うと、皆に頭を下げた後、最後にハルに向かって更に深く頭を下げた。
そんなフロックの震える旋毛を、ハルはじっと見つめ、フロックが体の横で握りしめた切り傷だらけの手を見てから、そっと目蓋を閉じて首を振った。
「フロック、顔を上げてよ」
「…っ」
しかし、フロックは頭を下げたまま動かない。
そんな彼にハルは微笑みながら、語り掛けるようにして言った。
「そんなに手がボロボロになるまで、私のことを捜してくれていたんだよね…。ありがとう、フロック」
「え?」
思わぬ感謝の言葉にフロックは顔を上げ、困惑した表情になる。ハルがフロックに対して抱く感情は、なんの偽りもなく、ただ一つの感情だけだった。
「…私、目が覚めて君の顔を見た時、心底ホッとしたんだ」
ハルは黒く澄んだ瞳をやんわりと細めて、少しだけ首を傾げて微笑む。
「君が無事で、本当に良かった…って」
「っ…!」
フロックは、目を見開き唇を噛み締めると、目から涙が溢れるのを止められず、顔を俯けた。
「なんで…っ、お前はそんなにっ…」
他人に対して、理性的で在れるのだろうか。
憎まれて、罵られてもおかしくないことをしたのに…どうして、その相手に微笑みを向けありがとうだなんて言えるんだ。
フロックはハルの気持ちを全く理解できなかったが、そのどこまでも深い優しさに、救われた自分が居るのも確かだった。
そんな自分の甘さを呪いたくなったが、そんなことをしても、自分の命を救ってくれたハルに恩返しすることができるわけでもない。
「(だったら…っ)」
フロックは意を決し目に残った涙を兵服の裾で拭うと、顔を上げて言った。
「今度は…俺がお前を助ける」
ハルはフロックから弱々しさが消え、強い意志の籠もった視線を受けて目を丸くするが、それはほんの僅かな時間で、すぐにフロックの気持ちを受け止めようと、穏やかに目元を緩める。
「お前が俺を救ってくれたように、今度は俺がお前を助けるから…っ!必ず、お前が困っている時、苦しんでいる時には…俺が力になる。守ってみせるからさっ…!何時になるかわ分からねぇけどっ、それが俺に出来る、お前への最大の恩返しだって思うから…!」
全てを投げ出そうと絶望していた自分を、ハルは必死になって引き留めてくれた。その上、自分の命を掛けてまで、谷底に落ちそうになった自分を救ってくれた。
今度は自分が、ハルのことを命を掛けて守らなければいけないんだ。
フロックに対して、ハルはそんなに気にしなくていいのだと言おうと口を開いたが、彼の眼差しがあまりに真摯なものだったので、ハルは一度開きかけた口を閉じ、その言葉を飲みんで、こくりと頷いた。
「…うん。…フロックのこと、頼りにしてる」
そう答えてくれたハルに、フロックは安堵したような、それでも気が引き締まるような思いでハルに頷き、笑みを返す。
「ああ…!約束だっ…!」
そしてこの約束だけは、何があろうと違えたりはしないと、自身の心に固く誓いを立てたのだった。
→