第十一話
名前変換設定
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「ハル…?」
ジャンはハルの様子がおかしいことに気が付き、彼女の顔を覗き込むようにして名前を呼んだ。
その時、ハルは先程まで開いていなかった右目も一緒に見開いて、カラスに向かって左手を伸ばしパニックを起こしたように声を上げる。
「ぁぁあぁあ!!嫌だっ!!やめてっ、やめてください!!お願いだからっ、食べないでっ!それだけはっ、弟たちだけはっ!!」
「ハル!?落ち着けっ、動くな!!」
その声にカラスは驚いてその場から飛び去っていったが、支離滅裂になりながらも、彼女にしか見えていない『何か』に懇願するハルを、ジャンは両腕で強く抱き寄せた。体は冷たくガタガタと震えていて、ジャンの腕に左手でしがみつき、胸元に額を押し当てるハルは、どこまでも悲しく、痛く、苦しげな声で嘆き、自責の念に駆られながら、もう会えない家族に向けて懺悔する。
「ぁあ…ごめん、なさぃ…私の、せいだっ、ごめんなさいっ、ごめん…なさい…かあさ…父さん…っユウキ、ヒロっ…助けられなくてっ…ごめんよ…っ」
「… ハル、お前…」
…ああ、やっぱり、そうだったんだな。
今まで聞いたことも、見たこともない、彼女の弱々しい姿を目の当たりにして、これが彼女の本来の姿なんだと、ジャンは驚くことなくただ納得していた。
彼女の過去の悲しい記憶と、深い傷は、生きることへの罪悪感と苦痛を生み出し、ずっと心を蝕み続けていた。
それを、ハルは決して、他人には見せず、必死になってその傷を隠し、大丈夫だと笑って誤魔化し続けてきたのだ。…そうやって、ハルは自分自身に、罰を与えて続けて来たのだ。
「私がもっと強ければ…皆死ぬことなんて無かったんだっ…!全部全部、私のせいだ…父さんと母さんを瓦礫の下から救えなかったのも…目の前で巨人に噛み殺された弟を助けられなかったのも全部っ…!!私のせいなんだっ…!!」
いくら大人びて居たとしても、『あの日』のハルはまだ十二歳だった。そう…今の、自分と同じ。
もしも自分がそんな惨劇を目の当たりにしたら、正気でなんて居られるわけがない。ただでさえ人思いなハルのことだ、家族のことを心の底から愛して居たんだろう。そんな最愛の家族が、故郷が、突然現れた巨人によって根こそぎ奪い取られる地獄を、たった二年という短い時間で乗り越えられるわけがないのだ。
ジャンは自身の胸に額を押し当て泣き噦るハルを、少しでも悲しみが和らぐよう祈るような気持ちで抱きしめる腕に力を込めた。
「…ずっと、そんな傷…一人で抱えて生きて来たんだな」
三人の弟を持つ長女として育った彼女は、きっといつも気丈で、礼儀正しく、直向きに育って来たんだろう。だからこそ人に頼るのではなく、頼られるように、そう在るべきだと懸命に生きて来た。そんな姿を、ジャンは容易に想像することができた。何故なら、104期の同期として出会ったハル・グランバルドという人間は、いつだって皆の心の支えであり、拠り所だったからだ。
「でもよ……いいんだぜ…?こうやって誰かにしがみついて泣いたって、叫んだって怒ったっていいんだ。…俺には、お前の苦しみを消してやることはできねぇ……だが、その痛みを少しでも分かち合うことはできる。俺だけじゃねぇ、ライナー達だって、マルコ達だってそうなんだよ…。俺たちは…お前の…友達、なんだからよ…?」
ハルが俺たちのことを支えてくれたように、俺たちだってお前を支えたい。
ジャンはハルの雨に濡れた頭を優しく撫で、年端もいかない小さな子供に、言い聞かせるように言った。
「一人で何もかも、全部背負って…生きようとしなくていいんだ。…お前がどんなに自分を責めて、生きることに対して家族に罪悪感を抱いてしまうんだとしても…。例えそれを、お前の言う神様が許してくれないんだとしても…そんなこと、俺たちには関係ねぇよ…。だから、ハル」
名前を呼べば、ハルがゆっくりと顎を上げ、涙の膜が張った瞳で、ジャンを見つめた。その瞳を、ジャンも真っ直ぐに見つめたまま、ゆっくりと自分の思いが伝わるように言葉を紡いでいく。
「…生きることを選んで、今まで足掻いてくれて…、ありがとうな…?」
「…っ」
その言葉に、ハルは目を見開き息を呑むと、長い間背負い続けて来た重荷をやっと下ろせたような、そんな顔をして笑った。ジャンにはその表情が、いつも大人びているハルの、年相応の少女のものに見えて、やっと彼女の本当の姿を見られたのだと、心底安堵し、自然と浮かんできた微笑みを返した。
すると、彼女の両目から、涙が静かにこぼれ落ちた。
そして、その涙が地に落ちると、ハルの体から力が抜けて行く。
「ハル…?おい、しっかりしろ…!ハルっ!!」
意識を手放し、力なく崩れ落ちそうなるハルの体を、ジャンは慌てて支え抱き止める。
月明かりの所為で尚更に血の気を失った唇と顔が蒼白に見えて、酷くジャンの焦りを煽る中、頭上から大勢の足音が聞こえてきた。
「…っジャン!!ハルが見つかったのか!!?」
先程ジャンがハルを見つけた崖上から、こちらを覗き込んで声を掛けてきたマルコの後ろには、サシャやフロック達の姿もあった。
「っああ!だが意識がないっ…!早く引き上げてくれっ!」
ジャンの急き込む様子と、ハルが意識を失っている状態を目の当たりにしたマルコ達は、早急に二人を崖下から引き上げた。
ハルは事の次第を聞きつけ最終チェックポイントから第一チェックポイントへと駆けつけていたキース教官によって、緊急で山の麓にある病院へ搬送された。
しかし、行軍訓練は続行されることとなり、その後は誰も怪我する事なく行軍を終えることが出来たのだが、皆がハルに面会することが出来たのは、ハルが病院に搬送されてから三日後の、訓練終わりの夕方だった。
完