第十話
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ハルは懸命に目を凝らしながら、雨風吹き荒れる闇夜の中、フロックのものと思われる足跡を辿っていた。
そうしてしばらく進んで行くと、崖の傍の岩場に座り込んで、雨具も纏わず項垂れているフロックを見つけて、ハルはほっと胸を撫で下ろし、傍に歩み寄る。
「っ良かった…、こんなところに居たんだね」
「なんで追ってきたんだよ…!」
フロックは悪態をついてハルを睨み上げるが、ハルは構わずフロックの背中に手を掛け語りかける。
「…もう戻ろう。こんなところに雨晒しじゃ風邪を引いてしまうし、危ないよ」
「もう嫌なんだよ…帰りたい。こんなの続けてられない」
フロックはすっかりと失念してしまっていて、嵐のけたたましい音と、ハルの言葉を遮るように両耳を塞いで顔を俯け、嗚咽を噛み殺した声で嘆く。
「もっと、もっと気楽に生きたかったっ…!なんで、こんな時代に生まれちまったんだよ……?!これも全部、巨人のせいだ…っ!!それなのにっ、なんで俺がこんな目に合わなきゃいけねぇんだよ!!俺がっ、俺が何したって言うんだよ!!」
「…フロック…」
フロックの魂から湧き出すような嘆きの声は、多くの同期達が抱いている本音だ。
突然現れた巨人に、理不尽に、無慈悲に、当たり前の生活を奪われてしまった。巨人さえ現れなければ、兵士になる必要もない。世間の風評など気にせず、壁の中の限られた世界の中でも、まだ自由に生きて行く事が出来ただろう。
布を素手で引き裂くようなフロックの痛烈な嘆きが、ハルの根底にある深い傷口を抉るように響く。
それでも、ハルは奥歯を噛み締め、その痛みに耐え、フロックのことをじっと見下ろす。
「もうっ…俺のことなんて放っておいてくれよ!!ここで死に損なっちまえばっ、俺も…家に帰れるだろっ…?!どんなに情けないって周りから罵られたっていい!!俺は、俺は家に帰りたいんだよっ…!!」
涙声で嘆くフロックの言葉に、ハルは噛み締めていた奥歯を浮かせて、フロックの側に両膝を付き、震える彼の両肩にしがみ付いた。
「そんなことっ…!!私だって何時も思ってるよ!!!」
「!?」
フロックは、嵐の音を掻き分けるように叫んだハルの言葉に顔を上げ、目を丸くして息を飲む。
「帰れるならっ、今すぐにでも帰りたいよ!!こんな山なんか、嵐でもなんでも駆け下りて、自分が生まれた故郷に戻りたいって…何時だってそう思ってる!!っ…だけど、それはもうできないんだ…っ!できない世界にっ、なってしまったんだ…っ!!」
ハルの纏う雨具のフードは、強風で役に立たず背中でバサバサと揺れていた。
雨でべしょ濡れになった顔で、必死になってフロックの肩を掴むその両手は、酷く震えている。…それでも、フロックに語りかけるハルの眼差しは、前に進む意欲を失ってしまったフロックを奮い立たせようと必死だった。
「…きっと、きっと明日には天気もマシになる!!そうすれば、後は山を下って平地を行くだけだから…っ、あと少し頑張って、今日を乗り越えようよ…っ!」
「…っ」
自分のことで精一杯で、周りに八つ当たりしてしまっていた自分のことを見放さず追いかけてきてくれたハルの説得に、フロックはぐっと奥歯を噛み締めた。
自分よりもずっと、住む場所も家族も失って、一人で生きてきたハルの方が辛い思いをして来たはずなのに、どうして彼女はこうも心強く居られるかフロックには理解できなかった。
しかし、懸命に生きる彼女の前で、もうこれ以上情けない姿を晒して居たくはない。
フロックはそう思い、弱り切って居た心を一度強く唇を噛んで奮い立たせ、自身の肩を掴んでいるハルの手に自分の手を重ねた。
「…分かった。…迷惑かけて、悪ぃ。戻ったら、トーマスにもちゃんと謝るよ」
そう言ったフロックに、ハルは安心したように表情を和らげ、うんと頷いた。
そんなハルの表情を見て、フロックも僅かに笑み返す事が出来て、岩場から立ち上がった時だった。
急に凄まじい突風が二人を襲い、フロックが泥濘んだ地面に足を取られ大きく体制を崩してしまう。
「!!」
「っ!?フロック!!」
大きくフラついてしまったフロックが、ずるりと崖の端に片足を引き込まれる。それを見たハルは咄嗟に側にあった低木に掴まり、谷底へと落ちて行くフロックに手を伸ばした。
「…あっ…」
フロックは自身が崖から落ちるのを、あまりに突然の出来事で夢のように感じていたが、自身の左手首にずんと自分の体重がかかった衝撃で、はっと我に返る。
「…フロック、はなさっ、ないでっ…!」
顔を上げれば、必死の形相で自分の手首を掴み、もう片方の手で低木に掴まっているハルが見える。
雨晒しになったハルの顔を伝い、フロックの顔にポタポタと雫が落ちてくる。その雫が自身の頬に触れ、顎から落ちて行く感触に視線を下げそうになると、「下を見みないで!!」とハルに釘を刺され、下ろしかけた顔を再び持ち上げる。
「今っ引き上げるからっ…!右手で、そこの出っ張り…掴んでっ」
ハルにそう言われて、フロックは視線を右上にある岩の出っ張りに向けるが、恐怖で体が震えて、腕を上げる事が出来ない。
「うっ…」
「フロックっ!!しっかりしろ死にたいのか!!!」
そんなフロックのことを、ハルは荒々しく叱責する。何時も穏やかなハルがこうまで声を荒らげるのは、優しく語りかけるよりも現状をフロックに良く理解させた。
フロックはハルに両頬を言葉で引っ叩かれたように正気に戻ると、再び体に力を込め、懸命に腕を伸ばす。
しかし、そうしている間に、ハルが掴んでいる低木がミシミシと嫌な音を立てているのが聞こえて、フロックは声を痙攣らせる。
「おいっハル!ダメだっ!間に合わないっ!」
「いいから早く掴んでっ!!」
あの低木が折れてしまえば、ハル共々フロックは谷底へと落ちていってしまう。しかし、それでもフロックの腕を離さず声を掛けてくれるハルに、フロックは体に残っている力全てを振り絞って片腕を上げて、出っ張りを掴んだ。そうすると、ハルがもう片方の腕をぐっと上へと引き上げてくれて、フロックは崖の縁に手をつくことが出来た。
が、その刹那の出来事だった。
バキリッ…!
「!?」
「ハル…っ!!!!」
フロックを思い切り引き上げたことで低木が折れてしまい、ハルはバランスを崩して、前のめりに谷底へと吸い込まれて行く。
「ハルー!!!!」
フロックは叫び声を上げ咄嗟にハルへと腕を伸ばしたが、その手はハルに触れることは出来ず、彼女が深い谷の闇の中へ落ちて行くのを、フロックは見ていることしか出来なかったのだった。
完