第十話
名前変換設定
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「トーマス!」
足を引きずり傍の木の幹や岩に捕まりながら、後ろも振り返らずに先へと進んで行ってしまうフロック達を追いかけるトーマスの背中を、ハルは急いで追いかけ呼び止める。
不意に名前を呼ばれ驚いたように肩を跳ね上げたトーマスは、青白い顔で後ろを振り返ると、ハルの姿を見て慌てて道の端に寄ろうとする。
「!…っハルか…すまないっ。道の邪魔をしてしまって…!」
謝るトーマスにハルは思わず足を止め、何を言っているんだと声を上げそうになったが、吸い込んだ息を胸に押し留め、開けた口を閉じ首を左右に振った。
「っそんなの…謝ることじゃないよ。トーマス、取り敢えずそこの岩場に座って右足を見せてくれないかな?」
ハルは再びトーマスの傍に歩み寄ると、彼の腕を掴んで、すぐ側にある岩場を指差した。
「いや…、でもお前、違う班だろ?下からミーナ達も登ってきているのに、迷惑かけられないよ」
トーマスはハルの背後から山道を登ってくるミーナ達の姿を見て、慌てた様子で首を振るので、眉間に皺を寄せたハルは強引にトーマスの腕を引っ張って、有無も言わせず岩場に座らせる。
「関係ない。っほら、座って…!」
「っ…あ、ああ」
珍しく強い口調になっているハルに、トーマスは戸惑いながらも言われるがまま岩場へ腰を落とす。
ハルはそんなトーマスの傍にしゃがみ込むと、彼の泥だらけになった靴を手早く脱がせた。
トーマスの足首は薄暗い中でも青く腫れ上がっているのが一目で分かる程痛々しかったが、骨が折れていないか確認するために、彼方此方優しくだが触れて確認をしながら、ハルはトーマスに問いかける。
「結構腫れてるね…、骨は…折れていないみたいだけど。…どの辺りで痛めたか、覚えてる?」
「ああ…、実は途中…正規ルート上の崖を登るのを断念して別道へ行ったんだけど、そこが思っていたよりもかなり道が悪くてさ、足を滑らせて転んだ時に捻ってしまったんだ…」
トーマスが言う崖というのは、ハルが滑車を作って皆で崖上へと登った場所のことを言っているのだろう。だとしたら、トーマスはかなり長い間、右足を捻挫した状態で山道を登り続けていたということになる。
ハルはトーマスのことをこれまで放置していたフロックに対し憤りを感じたが、それは表には出さず、背嚢とライフルを背中から下ろすと、手袋を脱いで雨具の下の上着のポケットに押し込みながら言った。
「そっか…、我慢して歩き続けていたんだね?…ちょっと待ってて、気休めにしかならないかもしれないけど、テーピングしてみるから」
背嚢の中を探り包帯を取り出しながらそう言ったハルに、トーマスは慌てて胸の前で手を振り、右足の膝を持ち上げる。
「いっいや、いいって!診てくれただけでも十分だ!そこまで迷惑かけられないよ!」
それに、ハルはいよいよ眉間に深い皺を刻むと、トーマスの引き上げた右足をがしりと掴んだ。
「っだから、迷惑じゃないってば!…トーマス、確かに今回は班が分けられている訓練だけれど、別に敵同士になったわけじゃないんだ。同じ同期として当然のことをしているだけなんだから…、そんなに気を遣わないでよっ」
「…す、すまん…。あ、ありがとうな…」
自分のことを同期として心配して、こちらを真っ直ぐに見上げてそう言ってくれたハルに、トーマスは深く感謝しながら礼を言い、頭を下げ、応急処置をしてもらうことにする。
今回の行軍訓練は、上位でキース教官が居る最終チェックポイントに入ればその分加点を貰えることになっている。それもあってフロックは躍起になって居たようだったが、ハルはどうやら加点を貰うということに対して執着がないようだった。
現にハルは至極丁寧にトーマスの足首にテーピングを施していて、慌てている様子は一切ない。
やがて後ろから登ってきたサムエル達が追いついて、ミーナがハルの背後からトーマスの怪我の具合を覗き込むと、腫れ上がった足を見て痛々しいと表情を曇らせた。
「トーマスっ!うわっ…すごい腫れてるじゃない!?」
「そんな状態で…よくここまで登ってこれたな…」
ダズはトーマスの忍耐力に驚きながら腕を組んで、ミーナと一緒にトーマスの腫れている足を覗き込む。サムエルはそんな中トーマスの後ろに回り込むと、背負っている背嚢とライフルを掴んで、半ば強引にトーマスの背中から引き摺り下ろした。
「トーマスっ、一旦背嚢とライフル、下ろせよ」
「お前ら…っ心配してくれてありがとうなっ…!」
きっとトーマスは今まで孤独だったのだろう。
四人の優しさに思わず目頭に涙を浮かべたのを、ハル達はそんなに気にすることないのにと笑い飛ばした。
と、ミーナはふとハルの施しているテーピングに視線を落として、「あれ?」と意外そうに目を丸くして、首を傾げた。
「…ハルってこんなに上手に包帯巻けたんだ?いつも大雑把だって皆に言われてたのに…」
「昨日、ジャンにテーピングの仕方を教えて貰ったんだ。ジャン、すごく器用だから、教え方も上手で……」
「へぇ、あのジャンが?意外だな…」
皆が意外だと目を丸くしている中、ハルは包帯の端を綺麗に処理すると、ふうと一息吐いてトーマスを見上げる。
「よし…できた。…トーマス、靴を履いてみてくれる?」
そう促され靴を履いたトーマスは、ゆっくりとその場に立ち上がり、数歩歩いてみて感激したように表情を明るくさせた。
「ああ、すごいな!大分楽になったよ…!っ助かった…本当にありがとうな!お前らも!」
「俺たちは何もしてないだろ」
「いいや、声を掛けてくれただけでも心強かったさ」
ダズがそう苦笑を浮かべて言うが、いいやとトーマスは首を振って微笑む。
しかし、そんなトーマスをすっかりと置いて行ってしまったフロック達は、ここからではもう姿を捉えられなくなってしまっている。それに薄情だとミーナはムッとして頬を膨らませ、腰に手を当てた。
「班員を置いて行っちゃうなんてっ、酷い班長だよね!」
「フロックも一杯一杯なんだよ。こんな状況だし、仕方ないって」
「もう、トーマスは優しすぎるよ!」
温厚なトーマスは怒って居ない様子だったが、ハル達はフロックが取っている行動は班長として責任ある行動とはどうしても思えなかった。
しかし、当本人がフロックを責めようとしないので、ハルはその気持ちを口には出さずに押し留めながら、上着に押し込んだ手袋を再び手に嵌めながら努めて平静に話をした。
「…トーマス。チェックポイントも近いから、フロック達とはそこで合流出来ると思う。点呼は全員揃わないと取れないことになっているし、今日はもう日も沈むから、チェックポイントでテントを張ってフロック達も休むだろうしね」
「…ああ、そうだな…焦らずに登っていくよ!」
トーマスが笑顔で頷き、降ろした背嚢とライフルをサムエルから受け取ろうとしたが、サムエルは荷物をトーマスには渡さず、じっとハルの方へ視線を向けて言った。
「なあ、ハル。…トーマスの怪我も心配だし、ここからチェックポイントまでは、一緒に登った方がいいんじゃないか?」
「は?」
サムエルの提案に、トーマスは間の抜けた声を出してしまうが、その提案はミーナやダズも考えていたことであり、ハルもそれを快く受け入れる。元より彼を一人で登らせるつもりはなかったハルだったが、そうだねとサムエルの意見に賛同する形を取った。
「そうだね。一緒に行こう、トーマス。大分薄暗くなってきたから、誰かと一緒に登った方が安全だ」
「…お前らっ…ありがとう」
トーマスは正直ホッとしたという様子で礼を言うと、ミーナが「はーい」と片手を挙げて名乗り出る。
「じゃあトーマスの分の背嚢は私が持つわ!」
しかし、それを止めたのは意外にもダズだった。
「駄目だ!俺が持つ!」
ミーナの挙げた腕を掴んで、そう強く言ったダズに、トーマスは彼のことをまるで別人でも見るかのような視線を向けて言った。
「お前…本当にダズか?」
「あ?なんだよ藪から棒に…」
ダズが表情を曇らせてトーマスを見る。
「いや…いつものお前だったら、大変なことから逃げるだろ?なんだか逞しくなったって思ってさ…」
トーマスが驚いた表情のままそう言うと、ダズはそれを否定しようとして、言葉を飲み込んだ。
「…っそうだとしたら、ハルやこいつらのおかげだよ」
「え?」
ダズは同じ班員の皆の顔をそれぞれに見てそう言ったのに、トーマスが首を傾げる。
「仲間が頑張ってんなら、俺も頑張らねえと。同じチームなんだから、支え合わなきゃだからな!」
そう言ったダズの顔は今まで歩き続けていたのにも関わらず、疲労を感じさせないほど晴々としていて、トーマスは思わず面を食らってしまう。ダズだけではなく、同じく傍に居たミーナやサムエルも、今の状況をまるで楽しんでいるかのように明るい表情で笑っていた。
「…おお!ダズ!いいこと言うじゃないか!」
「見直したわ!」
そんな三人を見つめながら、ハルは背嚢とライフルを背負い直すと、溌剌とした口調で皆を鼓舞するよう声を掛ける。
「よーし!じゃあみんなで協力して、あともう一息!頑張って行こーっ!」
「「「おー!」」」
ハルの声かけに、皆片腕を掲げて声を合わせる様子を見て、トーマスは思わず感嘆を溢してしまう。
「…すごいな…」
自分はこの行軍訓練を、地獄に落とされたような思いで受けていたが、ハル達はまるで別の訓練でも受けているかのように楽し気に見えた。もちろん疲労もあるのだろうが、その疲れを乗り越えられる士気がこのチームから感じられる。
それはきっと、班長がハルであるというのが、要因として一番大きいのだろう。
トーマスは班員を先導するハルの逞しい背中を見つめながら、今度自分が班長になる時が来たら、ハルのように人の気持ちに寄り添えるような班長になろうと心に決め、息を詰める痛みが薄れた右足を、孤独感が消え軽くなった気持ちで再び動かし、第一チェックポイントを目指して山道を登り始めたのだった。
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