第十話
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ハルは壁面の手前で地面を強く蹴り上げると、軽快に崖の出っ張りに足の爪先を掛け、上へ上へと登り、四歩程勢いで駆け登った所で、壁面から突き出し首をもたげていた木の枝に捕まった。
「「おおお!」」
その様子を、下に居た同期たちは歓声を上げて見守る中、ハルはその木の枝に両腕でぶら下がり、呼吸を整えると、上手く下半身で反動を作り勢いで体を回転させ、枝にぶら下がっていた状態から、その枝の上に両足を乗せて立ち上がった。
見ている方は冷や冷やとして、思わずひいっと悲鳴染みた声を溢してしまう同期も居たが、当の本人は木登りでもしているかのように楽しそうである。
「…っよーし。次は…あそこから、一気に登ってしまえばいいね」
ハルは履いていた手袋の裾を片方ずつグイと引っ張ると、木の枝の上で冷静に崖の上へ行く次のルートを見極め、そうして再び崖の上へと登り始めてしまえば後はあっという間だった。
身軽に腕と足を使って、壁面の出っ張りを利用しながら崖を這い上がって行くと、いとも簡単に崖の上に到達してしまう。
「ほっ…、本当に…登っちまいやがったっぞ」
崖の下でダズ達が呆気に取られているのを他所に、ハルは崖下から目星を付けていた頑丈そうな木に登ると、ロープを慣れた手つきで結びつけ、持ってきたカラビナで滑車を作る。そうしてロープの先を自身のベルトの金具に取り付けると、もう一方のロープの先端を崖下へと落とし、同期達に向かって声を張り上げた。
「準備出来た!!悪いんだけど、最初は一番体重の軽いミーナから登ってきて貰ってもいいかなっ?」
最初に引き上げるのは、なるべく体重の軽い者で無いと、上で引き上げるのがハルしかいないため困難だ。そう言ったハルに、崖を登る手立てが出来た同期達は、明るい雰囲気を取り戻して、「分かった!」と返事をすると、ミーナのベルトの金具にロープの先端を巻きつける。
「準備出来たぞー!」
下から合図を受けて、ハルは「了解!」と返事をすると、ロープに自身の体重を名一杯に掛けながら、ミーナをゆっくりと崖上へ吊り上げる。
即席の滑車だったが、ギリギリと音を立てながらも上手く稼働してくれ、ミーナを無事に崖上へ引っ張り上げることに成功する。
それにホッとしているハルの傍に、ミーナは自身のベルトに取り付けたロープを手早く解いて崖下に落とすと、サムエルから預かったであろうハルの雨具を腕に抱えて駆け寄ってくる。雨具をハルの肩に掛け、ミーナが「ありがとう」と微笑むのに、ハルは「どういたしまして」と同じく微笑みを返した。
そうして次々と上に登ってきた同期達と協力しながら、全員を崖上に引き上げ終えると、皆明るい表情でハルの側に集まってくる。
「ハル!本当にありがとうっ…お礼を言うだけじゃ足りないがっ、助かったよ!」
「ああ!お前が居てくれて良かった…一時はどうなることかと思ったぜ…!」
同期達がハルに感謝を述べる中、ハルはなんだか照れ臭そうに「いやぁ」と首の後ろを手で触っていると、ダズがやれやれと呆れた様子で肩を竦める。
「お前って、本当にお人好しだよなぁ。別に他の奴らの手伝いまでしなくても良かったのによー」
「でも、そこがハルらしいよね」
ミーナがそう言ってくすくすと笑うと、サムエルがハルから預かっていた背嚢とライフルを腕に抱え、雨に濡れないよう体を丸めて持ってきてくれると、心配そうにハルの顔を覗き込んで問いかける。
「ハル。疲れてるよな?他の皆はすぐに出発するみたいだけど、俺たちは少しここで休憩してから進むことにしよう」
ゆっくりと日が傾き始めてきているのもあり、第5班と第18班のメンバーはいそいそと第一チェックポイントに向けて進み出したが、サムエルはハルの疲労を心配して少し休んでから出発することを提案する。しかし、暗くなった状態でこの道の悪い山道を歩くのは危険だと、ハルはサムエルから受け取った背嚢とライフルを背負いながら首を振る。
「引き上げは皆が手伝ってくれたから、その分休めたし、疲れてないから大丈夫だよ。気にかけてくれてありがとうサムエル。…でも、暗くなる前にチェックポイントまで登ってしまおう。この天気で、この先傾斜も緩くはなるけれど、足元が見えなくなるのは危険だからね」
そう言うハルに三人は無理をしていないかと心配気であったが、第一チェックポイントまで伸びている山道の先を、行こうと指差すハルに急かされるようにして、仕方ないなとサムエル達は再び元の隊列を組んで進み始めた。
それからしばらくしても、雨風は弱まる様子もなく、流石に気も滅入ってきたとミーナは溜息混じりに言った。
「…雨、全然止まないね」
「そうだなあ…この調子だと、1日いっぱい振り続きそうだもんなぁ」
ミーナの言葉に、ダズが鼠色の空を仰いでそう返した時、一番前を歩いていたサムエルが小さく声を上げた。
「…うわっ」
「あっ!サムエル?大丈夫?」
「あ、ああっ。…すまん、気を抜いてて…」
一番前を歩いていたサムエルが岩場についた泥で足を滑らせ、地面に両手をついたのを、ミーナが心配して駆け寄ると、サムエルは何のことはないと笑って見せるが、その声には隠し切れない疲労が滲んでいる。
そんなサムエルの背中を見て、ハルはそろそろ隊列を変えた方がいいと判断し、後ろから声を掛ける。
「…サムエル!交代しよう!」
そう言ったハルに、サムエルは大丈夫と言おうとして口を開いたが、ふと冷静になって、一度開いた口を閉じ、深く息を吐き出してから、頼むと頷いた。
「ハル…すまない助かるよ。チェックポイントまでは頑張りたかったけど、このままじゃ皆に迷惑かけてしまうからな」
「謝る必要なんてない。サムエルのおかげでここまで怪我もなく登って来れたんだから」
「そうだよ!ありがとうね!」
ハルとミーナが微笑んでサムエルに礼を言うと、サムエルは安心した様子で表情を和らげた。
そんな三人の様子を見ていたダズは、意を決したように力強く挙手をする。
「なら、一番後ろは俺がなるよっ」
「…ダズ?だ、大丈夫なの?」
「本当に大丈夫なのか…?無理してないか?」
「なんだよ俺じゃ不満かよ!」
それにミーナとサムエルが心配気な顔をするのに、不本意だとダズがむくれるのに、ハルはいいやと首を左右に振った。
「そんなことない。ダズ顔色が良さそうだし、これまでペースにムラもない。しんがりはダズに任せるよ」
「おう!任せとけー!」
ダズがそう溌剌とした様子で胸をとんと拳で叩くのに、ミーナは少し不安気にしていたが、反論することはしない。
「まあ、ハルが良いって言うなら…」
「じゃあ、私が先頭を行くから、サムエルは私の後ろについて。ミーナはサムエルの後ろで、支えてあげてほしい」
「分かった!サムエルのことは私に任せて!」
そうして隊列を変え、チェックポイントまであと一時間程というところまで来ると、ハルは前方に別班の姿を捉える。
「おいっ!!お前らもっと早く登ってこれねぇのかよっ!」
前方からは苛立ちを隠せていない、荒々しい声が聞こえてきて、ハルの後ろに居たサムエルが首を傾げた。
「?…さっきの声は、フロックの声だよな…?ってことは、5班や18班よりも先に行ってた8班のメンバーか?」
「っトーマス!お前のせいで5班と18班に抜かれちまったじゃねぇかよ!もっと早く歩けって!」
「…そ、そんなこと言ったって…」
何やら殺伐とした様子の第8班の様子を、ハルは後ろから険しい表情で見つめていた。
班長のフロックがああまで苛立っていると、他の班員には不満も疲労も溜まるだろう。それに、班員を気に留めず先へと登っていってしまうフロックと、彼について行こうと進んで行ってしまう仲間にどんどんと遅れていく最後尾のトーマスの歩き方が、明らかにおかしいのが気になる。
「…なんだかピリついてるね」
「そりゃあみんな疲れているだろうし、ピリピリもするよな…」
ミーナが心配気にそう溢すと、一番後ろのダズが仕方がないと肩を竦める。
しかし、先頭を歩いていたハルが不意に歩みを止めたので、後ろを歩いていたサムエルも続いて足を止めた。
「うわっ、…ハル?どうしたんだ…?」
サムエルがハルの背中に怪訝な顔をして問いかけると、ハルは後ろを振り返り、申し訳なさそうにして三人に視線を巡らせて言った。
「…サムエル、ミーナ、ダズ。私、ちょっと先に行ってトーマスのこと見て来てもいいかな?」
それに、最後尾に居たダズが呆気に取られた様子で、雨具のフードを掴みハルを見上げる。
「おっ、おいハル!でもあいつは違う班だろ?!」
「…トーマスのあの歩き方。足を怪我してるんだと思う。…どうしても気になるんだ」
恐らくトーマスが怪我をしているのは右足だ。片足を怪我してしまうと、自然とその足を庇うように歩いてしまう為もう片方の足も痛めてしまう可能性が高い。早めに何らかの処置をして置かなければ、トーマスはこの訓練を中断せざる終えなくなってしまうかもしれない。
心配気に再びトーマスを振り返ったハルに、彼女の背中越しからトーマスの様子を見上げたサムエルとミーナは頷いた。
「…ダズ、あいつは別班だけど、その前に同じ同期の仲間なんだ。ここはハルにお願いしよう」
「私も、トーマスのこと、気になる。かなり痛そうだもの」
そんな二人に、ダズも目を凝らして先を歩いているトーマスの後ろ姿を見た。
トーマスは怪我をしているのにも関わらず、同じ班員に置いて行かれてしまっている。自分がもしもあの状況になってしまったら、きっととても心細いだろう。ダズは、自分がここまで体力を残し、第一チェックポイントまで辿り着くことが出来そうであることが、自分自身でも奇跡のようなことだと思っていた。
自分は何より体力もないし、忍耐力もない。それは自覚していたし、今回の行軍訓練も早々に脱落してしまうと心の何処かで思っていた。
しかし、一緒にこの訓練を乗り越えようと声を掛けてくれるミーナとサムエル、自分達を引っ張り常に正しい道を指し示してくれるハルの姿を見ていると、自分も頑張らなければいけないと前向きで強い気持ちに自然とさせられる。きっと、仲間の助けがなければ、自分はここまで来ることは出来なかっただろう。
だからきっと、今のトーマスには、自分がそうだったように仲間の支えが必要なのだ。
「…ああ、そうだな」
ダズがそう頷くと、ハルは再びこちらを振り返って、ホッとしたように笑みを見せる。
「ありがとう皆っ!ちょっと行ってくる!」
「…すげえなぁ、あいつ。元気だよなぁ」
ダズはそう、ハルが軽快に山道を登って行く背中を見つめながら、敬慕を滲ませた表情で溢すと、ミーナも同じようにハルを見守りながらも、心配気に目を細めて呟くようにして言った。
「…でも、すごく疲れてると思う。それを私達に見せていないだけだよ。ハルはここまで、私たちの倍動いてるんだから」
ハルは行軍訓練が開始してから、誰よりも班員の皆に声を掛け、率先して難しい道は前を行き、進む先が分からなくなればすぐにコンパスで確認をして正しい道へと誘導してくれた。一番後ろでは、常に皆を見守りながら、怪我をしないように支えてくれていた。
「…そうだな。…俺たち、今日はハルに頼りっぱなしだったなぁ」
サムエルはハルが班のメンバーから遅れていたトーマスの元へと辿りついて、声を掛けているその姿を見つめながら、今日の彼女の班長としての立ち振る舞いを思い返し、憧憬の思いを抱きながら、立ち止まっていた足を再び前へと進めたのだった。
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