第十話
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「嘘だろ!?こっ、こんな天気の中でマジで行軍訓練するって言うのかよぉおっ!」
サシャが言った通り、長距離行軍訓練当日は、雨風を伴った大嵐となってしまった。
辺りの木々はギリギリと音を上げながら大きくしなり、纏っている葉はけたたましく唸り声を上げる突風に全て吹き飛ばされてしまいそうだ。
その上、雨は桶をひっくり返したかのように激しく降り注ぎ、傍でダズが悲鳴を上げた声も、着ている雨具に雨が叩きつけられる音でよく聞き取ることができない。
そんな中、ハルはミーナとサムエルの腕を掴み、ダズには顔を寄せて、嵐の音に掻き消されてしまわないよう懸命に声を掛ける。
「みんなっ!生憎こんな天気だっ!なるべく四人で離れないように、声が届く範囲で行動するように心掛けよう!何か身体に異変を感じたりしたら、我慢しないで早めに報告すること!それと、山道に入ったら、昨晩から降り続いている雨で地面がかなり泥濘んでいると思うっ…!足元には十分に注意して、よそ見は絶対にしないこと!あとは、崖がある場所はなるべく道の端を歩かないように気をつけて!!二夜三日の長い行軍になるけれど、焦らずゆっくりでいいから、今日は安全第一で進んで行こう!!」
「ああっ!分かった!」
「お互い声を掛けながら、進んで行こうね!」
「たっ、頼むぜハル!お前が頼りなんだからよぉ…!」
ハルの声かけに、しっかりと頷きを返したミーナとサムエルとは変わって、すっかり嵐に気圧されてしまっているダズに、ハルはにっと笑顔を浮かべると、ダズの丸まった背中を励ますように叩く。
「もちろん!たくさん頼ってくれていい!…でも、ダズ!私は君のことも頼りにしているからっ、一緒に頑張ろうね」
「あ…っああ!分かった!」
ハルの言葉に、ダズは青白い顔をしながらも懸命に頷いたのに、ハルは三人の顔をそれぞれに確認すると、「よしっ!行こう!」と雨具の下でいつもと変わらない笑顔を作り、スタート地点から歩き始めた。
第十話 長距離行軍訓練
行軍訓練の最初の10キロは、山道に入る前の平地の行軍だが、それだけでもこの嵐の所為もあって体力を削られてしまう。雨具を着ては居るものの、背負っている背嚢も兵服も水気を吸っていつもより重みを増し、体を支えている足を出す一歩一歩が重たく感じるが、ハル達はお互いに声を掛け励まし合いながらなんとか前へと進んでいた。
そうして、やっと山道の入り口地点に着くと、何名か居る104期を担当する副教官の一人が立っており、点呼を取るついでに今の順位を伝えられる。
「第六班だな。…全員居るか?」
「はい!全員揃っています」
「よしっ、お前達は全体30班の中で八番目だ!この先は地盤が緩くなっているから、十分に用心して第一チェックポイントまで進むように!」
雨に濡れてしまわないようボードに挟んだ資料に雨具の中でチェックを入れた副教官が、班員一人一人の顔を見ながらそう言うと、ダズは思いの外、自分達が上位に位置づいてい居るということを知って士気が高まったのか、少々興奮した様子で言った。
「すっげぇな!俺たち八番目だってよ?…俺、こんな高い順位取ったの始めたぜ!」
「そうだな!この調子で頑張れば、もっと上位に行けるかもしれないな!」
「よーし!気合入ってきた!次のチェックポイントまで頑張ろうね!」
それにサムエルとミーナも声を弾ませ「おーっ!」と腕を挙げるのに、ハルも一緒になって腕を掲げた。
が、喜ぶのも程々に、この先のことを考え気持ちを切り替ると、ハルは三人にある提案をする。
「皆、ここからは隊列を一列に変えようと思うんだ。山道は道も細くて、足元も良くない。皆がストレス無くお互いに支え合いながら進んで行けるように、順番を決めたいんだけど…いいかな?」
そう言ったハルに、三人はお互いの顔を見合わせると、異論のない様子で頷きを返してくれたので、ハルは先程までの三人の動向を分析して考えた隊列を提案した。
「ありがとう。…じゃあ、一番前にサムエル。君が先導をしてくれるかな?」
「…え?俺?…お前じゃなくて?」
サムエルは予想外だとギョッとした顔で自分の顔を指差し、ハルに問い返す。ダズとミーナもサムエルと同じく、先導はハルが担うだろうと思っていた為、少々驚いている様子だったが、ハルは迷いない面持ちでこくりと頷くと、サムエルの肩に手を乗せる。
「うん。サムエルは体力もあって、周りの状況を把握する力もある。…皆の疲労度も考慮しながら、ペースメイカーとしてこの山道を先頭で引っ張って行ってほしい。その役目は、サムエルがこの中で一番向いてると思うんだ」
「…でも、お、俺でいいのか?」
「私は構わないよ!」
「俺もだ。ハルも言った通り、お前は気が利くからな!」
「…分かった!任せてくれ!」
ミーナとダズも快く賛成してくれたのに、サムエルが意を決したように硬く頷くと、ハルはありがとうと微笑みを返し話を続ける。
「サムエルの後ろはミーナ、それから、ダズ。しんがりは私の順番で進んで行こう。途中何かあれば、状況に応じて変えて行こうとも思ってる」
「そうだね!その方が皆の疲労も分散するだろうし…最初はハルが後ろに居てくれたほうが、私たちも安心して進めるしね!」
「よーし!じゃあ、早速山道に入るかぁ!」
ダズは自分に喝を入れるように、両頬をパチンと掌で叩き、山道の入り口へと視線を向ける。山道からは雨水が川のように流れて来ていて、土砂崩れが起きる可能性もないとは言い切れない。こんな状況の中で訓練を決行するのには、流石に無茶があるとも思えてしまう状況だが、兵士になるにはそれだけ過酷な状況を乗り越える精神力と体力が必要で、そう易々と成れるものではないのだということを、今肌身を持って思い知らされているような気もする。
四人は一度お互いの顔色を確認し気を引き締めると、サムエルを先頭に、山道へと足を踏み入れて行く。
山道は言うまでもなく激しく泥濘み、気を抜けば後ろに滑り落ちて行ってしまいそうで、何よりも岩に付着している泥が、かなり滑る。
一歩一歩進むのにも神経をかなり使いながら、傾斜のある坂道を進んで行くのはなかなかに辛い。それに、山道と言っても、はっきりとした道があるわけではなく、前の班が通ったであろう形跡が何となく残っているだけだ。恐らく普段は人通りがないため、作られていた山道も草木に隠されてしまったのだろう。
しかし、前の班が通った道も、確実なものである確証がないため、ハルが後ろでコンパスを確認し、サムエルに声を掛けて道を修正しながら進んで行く。
そうやって進んで行くと、山道に入ってから初めて別班の同期達と合流した。自分達の前を進んでいた、第5班と第18班のメンバー達だった。
彼らは、草木が生い茂っていた山道を抜け、少し開けた場所に出たところに聳える、崖の前で立ち往生していた。
一見してかなり傾斜があり、単純に腕の力だけで登り切るにはかなり危険がある崖だ。ただでさえ傾斜がキツいというのに加えて雨水も小さな滝のようになって流れ落ちてきているので、掴んだ岩が剥がれてしまったり、滑ってそのまま落下してしまう可能性も大いに有る。
「…すごい崖だな…」
サムエルが愕然としながら、先に居た彼らに声を掛けると、「ああ」と第5班と第18班の班長であるナックとミリウスの二人が、困り果てた顔で答える。
「コンパス上ではこの崖を登ってチェックポイントまで進むのが早いんだが。…この状況の崖を安全に登り切るにはどうしたらいいのか…困ってるんだ」
「前の班はこの崖を避けて、向こうから周り道をして行ったんだが、その道も結構な獣道で…切り立った道を歩いて行くことになるから、この雨の中だとリスクが大き過ぎるし…。まあそれを選んで行ったメンバーは、進める自信があるからなんだろうけど……俺たちには厳しくてな…」
ミリウスがそう言って、崖の横に続いている切り立った細い道を指差したのに、ダズがうえっと表情を歪めて首を振る。
「あんな道、足滑らせたら谷底に真っ逆さまだぜっ…?!…でも、だからと言ってこの崖を登るってのも無理な話だぜ…っ」
皆が失念している中、ハルだけは眼前に聳える崖の側面に、顎に手を当て視線を巡らせながら打開策を見つけ出そうと前向きに分析をしていた。
確かに雨水に濡れた崖を普通に登って行くのは難しいが、よく見ると壁面あちこちに頑丈に食い込んでいる岩の出っ張りがある。幸い、下から見てもその姿が捉えられるれるほど立派な広葉樹も、崖を登りきった場所に佇んでいるのが見えた。
あれは使える。と、ハルは背負っていた背嚢とライフルを肩から下ろしながら言った。
「…皆、私が一度上に登って、あの大木にロープを掛けてくる。そこに金具で滑車を作るから、皆で交互にそれを使って登って行けば、きっと安全に上へ辿り着けるはずだ」
「う、上に行くって?お前、こんな崖をどうやって登って行くんだよ?…いくらお前でも、命綱無しでこんな所登るなんて危険すぎるっ」
ナックはやめておけとハルを引き止めるが、ハルは大丈夫だと肩から下ろした背嚢から、長めのロープとカラビナを取り出し、隊服のベルトに落ちないよう縛りつける。
「おい… ハル!考え直せよっ、危ないって!」
「そうだよ!落ちたりなんてしたら、骨折だけじゃ済まないかもしれないんだよ?」
「落ち着いて、違う方法を探そうっ…!お前だけにこんな負担は掛けられないよ」
ダズとミーナ、サムエルもハルを何とかして引き留めようとするが、「心配しなくても、ちゃんと上まで行けるから大丈夫だよ」と軽い調子で返されてしまい、三人は顔を見合わせ表情を曇らせる。そんな三人に、ハルは纏っている雨具の下の上着のポケットから手袋を取り出し、それを両手にしっかりと嵌めながら、心配性だなと苦笑した。
ハルの身体能力は他の訓練兵と比べて格段に高いということは、他の同期達もよく知っては居るが、それを加味しても危険だと心配気に皆が見つめる中、ハルは自身の背嚢とライフルを纏っていた雨具を巻きつけてサムエルに預けると、早速その場で軽く屈伸をして準備運動を済ませる。
「っ…よし、行こう…!」
ハルは自分にそう気合を入れるように一声上げると、崖から3メートル程離れ、態勢を低くし、泥濘んだ地面を蹴り上げるように助走をつけて、壁に向かって走り出した。
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