第九話
名前変換設定
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ハルの掌にあった綿毛は、留まるのも程々に微風に乗って夕空へと舞い上がると、あっという間に空のオレンジに溶け込んで見えなくなってしまう。
「…でもさ、口煩くしてくれるってことは、それだけ愛されてるってことだとも、私は思うかな?」
ハルはその様子を眺めながら、どこか寂しげな表情を浮かべて言うのに、ジャンは「…分かってる」と短く答え、背中と頭の後ろを木の幹に張り付けてしまいながら、顎を上げた。
頭の上で生い茂っている木葉の間から溢れてくる夕陽が、風でキラキラと瞬くのを、ぼーっと眺めながらジャンは言葉を溢す。
「自分のこと気に掛けて、いろいろ言ってくれてるんだってのは分かってる。…分かってるけど、それが重ぇって思っちまうんだ。…俺が一人息子だからってのも、あるんだろうなってさ」
頭では愛されているんだと分かっては居ても、その気持ちが自分には重くのし掛かり、時折酷く窮屈だと感じてしまうことが、子供から大人になるにつれて多くなってしまった。
大事にされている。しかし、それだけ自分の自由な意思が、抑制されていくような感覚。それが嫌になって、あの家を出たくなった。
そう考えれば、今の自分は、エレンと同じように自由を求めて此処に来た。ということになるのだろうか。
向かう先は、内側か外側かで全く正反対だが、求めているものは同じなのかもしれない。
絶対にそんなことは奴には話さねぇが。
なんてことを思いながら、頭の後ろで両腕を組んだジャンを、ハルはくすりとなんだかおかしそうな顔をして笑った。
「…んだよ」
「いやぁ…だって、絶対そんなこと、ないのになって思って」
「…っ何がだよ」
「ご両親が君のことを大切にしているのは、一人息子だからって理由じゃ絶対にないってこと」
「そんなこと…お前には分からねぇだろ。会ったこともねぇクセに」
思わずそう毒づいてしまうが、ハルは特に気にも留めていない様子で、ジャンのことを柔らかい眼差しで見つめて言った。
「分かるよ。
…だって、ジャンはとても優しいから」
「…は?」
あまりにも言われ慣れていない言葉に、ジャンは思わず間抜けな声を上げて、ハルを見た。
驚いた顔を浮かべ、目を丸くしているジャンに、ハルは直向きな口調と視線で、ゆっくりと語りかける。
「…ジャンはいつも、人のことを良く見ているでしょう?それも上部だけじゃなくて、人のもっと根っこの部分、本質を見てる。そうやって他人を見ることができるのは、人の気持ちをよく理解出来る人だからなんだって、…私は思うよ。
…だからジャンはいつも、私が本当に思っていること、感じていることを理解して接してくれてる。…ミカサと手合わせをしなきゃいけなくなってしまった時も、射撃テストの時も…そうだったから。
そんなジャンのことを、ご両親が一人息子だからって理由だけで大切にしているわけじゃ、絶対にない。きっと、その理由の他にも、たくさんあるんだよ。…ジャンは、人の気持ちを理解して、寄り添って、…困っている人のことを支えてあげられる。そんな優しいジャンだから、愛おしくて大切で堪らなくて、ご両親は君に過保護になり過ぎちゃってるんだって、…そう、思うよ…?」
ハルがジャンを見つめる瞳は、春の木漏れ日のような優しい温かさを孕んでいて、言葉を紡ぐその声は、まるで子を眠りに誘う子守唄のような穏やかな響きを持っていた。
「…っ」
ジャンはこんなにも誰かに自分の心の内を理解してもらえたことが始めてのことのような気がして、今まで感じたことがないような嬉しさと、切なさが入り混じった感情で、思わず目頭が熱くなってしまう。
慌てて目元を片手で覆い隠したジャンを、ハルが「ジャン…?」と気遣うような声音で名前を呼ぶ。僅かに見える指の隙間から、心配げな顔をしたハルがこちらを覗き込んでいるのが見える。
すると、少し強い夕風が音を立てて駆け抜けていく。
その風は、ハルが服の下にいつも隠している、首に掛けているあるものを外へと拐い出した。
風を受け、パタパタとハルの肩口で揺れる見覚えあるそれを、ジャンは目元を覆い隠していた手で徐に掴んで問いかけた。
「これ…、ライナーとベルトルトも、いつも持ってるよな?」
「うん。アニも同じものを持っているけど、これは『お守り』っていうものなんだ」
「…お守り?」
始めて聞いた単語にジャンが首を傾げると、ハルはこくりと頷いて、その「お守り」についての話を聞かせてくれる。
「これは東洋人に古くから伝わるもので、神様に自分自身を見守っていてもらうために、持つものなんだ。その袋の中には内符っていうものが入っていて、それには神様の御加護が宿っているんだって。…って言っても、これはお母さんが作ってくれたものだから、神さまの加護がちゃんとあるものではないし、中に入ってるのも唯の綿だから、そういう効果はあんまり期待できないかもしれないけど…」
「じゃあ、これは母親の形見ってことに…なるのか?」
「…そうだね。家族に因んだものは全部置いてきてしまったから、私にとってこれは唯一の家族の形見なんだ。でも、ライナーとベルトルト、それにアニが持っているのは私が作ったもので…それには、神様に見守ってもらうっていうよりは、…三人への、私の願い事を込めてあるんだ」
「願い事…?」
ジャンがそう問いかけると、ハルは少し照れ臭そうにして微笑みながら、ジャンが手にしている自身のお守りを見つめて言った。
「うん。三人に渡したお守りには、『皆が故郷に帰れますように』っていう、願い事を込めてるんだ…」
「…へえ…」
ジャンは改めてハルとライナー達の絆の深さを感じ、それを少し羨ましく思いながら、ハルのお守りをマジマジと見つめた。
ハルのお守りは、当たり前だがライナー達が持っているものとは違いかなり年季が入っている。布の柄も色褪せていて、彼方此方穴を繕った痕も見られる。
長い間大切にしてきた母親の肩身。一体このお守りに、ハルの母親はどんな願いを込めていたのだろうか。…そしてハルは、このお守りに今、自身の思いを込めていたりするのだろうか。
「…お前も、あいつらと同じ、なのか?」
ジャンは浮かんできた疑問を、自身の手の中にあるお守りを見つめながら口にする。
「お前も、故郷に帰ることを自分の願い事にして、これを肌身離さず持ち歩いてるのか?」
「…え…?」
ハルの声が突然頼りなくなったのを感じて、ジャンは顔を上げた。
「… ハル?」
そしてハルが浮かべている表情を目の当たりにして、思わず息を呑んでしまう。
何故なら、ジャンがずっと頭に引っかかっていた、コニーと射撃訓練をしていた時に見せていたあの悲しげな表情と、今の彼女の表情が、全く同じものであったからだった。
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