第九話
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「これから明日行う長距離行軍訓練の班分けをする」
午後の訓練が終わり、夕食を取り終えた104期の訓練兵たちは、その後講義室に召集され明日行われる過酷且つ命がけの訓練、長距離行軍訓練の班員をキース教官から公表されるところであった。
長距離行軍訓練の内容は、20Kgの背嚢とライフル銃を背負って、80キロの山地踏破を二夜三日で達成することが目標の訓練となっている。
歴代の訓練兵達は、この過酷を極める訓練で、兵士になる道を諦め心を折ってしまったり、山道で誤って滑落し、命を落としてしまった者もいるという。
そのため、今回の訓練を共にする自身の班員は、皆特別気に掛けていて、今日は朝からどういった班分けが行われるかという話題で持ちきりだった。
次々とキース教官から明日の班分けが発表されていく中、第5班までの発表が終わり、ついにハルの名前が呼ばれる。
「第6班、ミーナ、ダズ、サムエル、班長はハルだ」
第九話 隠された本音
「班長」として指名を受けたハルは、座っていた椅子から立ち上がると、ハキハキと声を張って返事をする。
これまで班分けがされたメンバーからすると、班員は男女比が偏ることのないよう考慮して行われているようで、ただ乱雑に決められているわけではなさそうである。
キース教官は全ての班員の公表を終えると、明日の訓練にしっかりと備えるよう一言だけ残して、解散の号令を掛け講義室から出ていく。
その後は皆寮へ戻っていいとのことだったが、すぐには戻らず同じ班員同士で一度顔を合わせをするのに、講義室の彼方此方でちらほらと集まる同期たちも多くいる。
そんな中、明日の行軍訓練に向けこれからでも何か出来ることはないかと、椅子に座ったまま腕を組んで考えを巡らせていたハルの元へ、ミーナとダズ、そしてサムエルがやって来た。
「ハル!明日はよろしくね!一緒の班になれて嬉しいよ!」
「お前が一緒なら、本当に心強いよ」
ミーナとサムエルが笑顔でそう声を掛けてくれたので、ハルは椅子から立ち上がると、二人と軽く握手を交わす。
「明日は皆で、力を合わせて頑張ろうね」
そう言ったハルに、サムエルとミーナの側に控えていたダズが、ちらりと「バッタが出ないことを願うか…」と呟いたので、「それは…私も願ってる」と眉をハの字にして肩を落としたハルに、サムエルとミーナは可笑しそうにケラケラと笑った。
先日に行われた射撃訓練でハルのバッタ嫌いは104期生皆に知れ渡っており、ハルはその話で皆から未だに揶揄われ続けている。恐らくこの先も、しばらくはこの話で弄られることになるだろう。
「まぁでも、明日は天気が悪くなるってサシャが言っていたし…行軍は大変かもしれないけど、虫は少ないんじゃないかな?」
「サシャの天気予想はほぼ100%で当たるからなあ」
「それなら安心だな」
ミーナとサムエルがサシャの天気予報の話をして、ダズがそれにほっとしたように言うのに、ハルも一緒になって安堵する。
サシャは次の日の天気を、空や風、空気の匂いなどで予想することが出来るらしく、明日の天気は雨風共に強く大荒れになると予想していた。しかし、どんなに悪天候でも訓練は決行されることになっていて、皆その荒れる天気が少しでも穏やかであることを願っていた。
今の夕焼け空は曇りも無く綺麗なもので、明日大荒れになるとはこの天気からは想像もできないが、天気というものはあっという間に姿を変えるものなので、あまり大きな期待はせずにしておこうと、ハルは明日の訓練に向けて気を引き締める。
「皆、今日は寮に戻ったら、明日の背嚢の中身を一度確認しておいてね?…忘れ物がないように。明日も早めに四人で集まって、お互いに確認し合うことにしよう」
「うんそうだね!その方が安心だし」
「了解。そしたら、また明日な!今日はゆっくり休めよ」
「明日が楽しみで眠れねぇって、夜更かしなんかするなよなー」
「うん!皆もね!」
ハルはミーナとサムエルとダズにヒラヒラと手を振って、3人が寮へ戻っていくのを見送ると、「…さて」と再び先程座っていた椅子に腰を落とし、入団時に支給された野営時の手引書を開いた。
「(…うーん。明日は悪天候で風が強かったとして…、テントを張るのにロープ結びの確認をしておいたほうがいいかな?…それと足場も悪いだろうから、万が一怪我をした時のためにテーピングも練習しておこう)」
恐らくだが、明日が嵐の場合、何かあった時に手引書を見ながら対処をするのは難しいだろう。最低限の応急処置の方法や山道の歩き方、悪天候時の留意点などは頭に入れておいた方がいいと考えたハルは、早速椅子から立ち上がると、講義室の後ろにあるロープと応急処置セットを取りに向かった。これらは講義で扱い方を学ぶために常設されている。
「…よし」
「何が『よし』、だ」
ハルはロープと応急処置セットを腕に抱えて、いざ立ち上がり外に出ようとしていた時、背後から不意に声をかけられて後ろを振り返った。
「!」
そこには両腕を組み怪訝そうな顔を浮かべているジャンが立っていて、ハルは黒い双眼を丸くする。
「うわぁ…ジャンか。びっくりしたぁ…」
「いや、びっくりしたぁ…じゃなくて、お前は何やってんだ。…まさかこれから何か始めようってわけじゃねぇよな?…明日は早朝から行軍なんだぜ?早く寮に戻って寝ろっつーの」
ジャンはハルがロープと応急処置セットを抱えているのを見て、これから何やら始めようとしているということを察したらしく、怒った様子で組んでいた腕を解き、ガシリとハルの形のいい頭を両手で鷲掴んだ。
それにハルはいててと肩を竦め、涙目になりながらジャンを見上げて言う。
「あっ、明日は天候が悪くなるみたいだから、最低限のロープの扱いと応急処置の仕方は確認しておこうと思って…っ、一応、班長になったから、こう言うことは頭に入れておかないと駄目かなって…」
「……」
ジャンはハルにやめておけと言うつもりであったのだが、班長になったからという言葉に、「なるほどな…」と呟いて、ハルの頭を掴んでいた手を離すと、その手を自身の腰に当てがった。
「確かに…、俺も明日は第10班の班長だからな。寝る前に少し確認しておくか…」
そう言ったジャンに、ハルは「それなら!」と明るい声を上げて、期待の眼差しを向ける。
「ジャン、一緒に確認しようよ…!…正直、私は応急処理があまり得意じゃなくて…。ジャンが私に包帯を巻いてくれた時、とても手際も良くて上手だったから、君が良ければ、是非教えて欲しいんだ…!」
「…俺がお前に?」
ジャンはそう言って自分を見上げてくるハルに首を傾げた。
正直、自分がハルから何かを教えてほしいと言われることがあるとは、思ってもいなかったからだ。
ハルはミカサやライナーに並び、成績優秀且つ努力家で、馬鹿真面目。かと言って自分の能力をひけらかすような真似も絶対にしない。そういうところが、他の同期達から信頼されているのだろう。良くいろんなことを教えてもらいに同期達に尋ねられているところを、ジャンも頻繁に目撃していた。
そんなハルに、自分が教えられることが何かあるとは思えなかったが、確かに言われてみればハルはよく怪我をして自分で包帯やガーゼを使っていると、よく周りからこれじゃあ駄目だと包帯を巻き直されたり、ガーゼを貼り直されたりしていた。それはただ自分に対して大雑把になっているだけのことかと思ったが、どうやらそういうことに関しては不器用なのかもしれない。
「俺で…いいのか?」
しかし、例えそうだったとしても、何となく自分では彼女の期待に添えないような気遅れがあって、思わずそんな問い返しをしてしまう。それでも、ハルはにこりといつものように柔らかな笑みを浮かべて深く頷きを返してくれた。
「いいに決まってる。ジャン程良い先生は居ないよ」
そう真っ直ぐな言葉で頼ってくれるハルに、ジャンも悪い気はしなかった。
「仕方ねぇな。…なら、さっさと行こうぜ」
「うん!行こう!」
ニコニコとこちらを見上げているハルが、腕に抱えて居る応急キットとロープを奪い取り、ジャンは講義室の外へと足を進める。
その後ろを、ハルが楽しげに軽い足取りになってついてくる足音がして、ジャンはふと口元に小さく笑みを浮かべたのだった。
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