第七話
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翌日、立体起動適性検査を再び受けることになったエレンは、上手く空中で状態を保つことに成功したが、少しして再びバランスを崩し逆さ吊りになってしまった。
その際、昨日耳にしたおかしな金属音がベルトの金具部分から聞こえ、ハルはそのことをキース教官に進言しようとした時だった。
ハルが指摘をする前に、教官はエレンのベルトの確認を始めた。そして、エレンが身につけていたベルトを回収し、違うベルトをエレンに装着させると、再度姿勢制御装置で吊り上げを行った。そうすると、エレンは何の問題もなく、宙でバランスの維持を保つことができたのだった。
「…お前のベルトの金具部分が破損していた。…問題ない、これからも訓練に励め、エレン・イェーガー」
キース教官がエレンに破損していたベルトの金具を見せながらそう言うと、エレンは安堵と喜びの表情を浮かべて両腕を空に向けて上げる。側にいたアルミンやミカサもほっとした様子でエレンのことを見つめているのに、「やっぱり金具が原因か…」と、ハルもほっと胸を撫で下ろした。
「なんとか、乗り越えたみたいだな」
「すごいなエレン。壊れたベルトで少しでも姿勢を維持できたなんて」
そんなハルに後ろから声を掛けたのは、ライナーとベルトルトだった。
「…ライナー達も、エレンに姿勢制御の方法を聞かれたりした?」
ハルは隣に並んで立ったライナーとベルトルトを見上げて問いかけると、二人はこくりと頷いて見せた。
「…まあな。大したアドバイスはしてやれなかったが…、あいつ、お前からもアドバイスを貰ったって感謝してたぞ?」
「それに、…エレンは調査兵団志望だとも言ってた」
「うん。そうみたいだね…」
「…珍しいな。お前が、過去の話を人にするなんて」
ベルトルトの言葉にハルが頷く中、ライナーは姿勢制御装置からベルトを外しているエレンの方を見ながら、静かに声音を落として呟いた。ハルは、そんなライナーをじっと見上げる。
「…ライナー?」
「…俺は、」
ライナーはエレンの方から視線を逸らすと、精悍な眼差しを切なげに細めて、ハルを真っ直ぐに見つめて言った。
「俺はお前に、調査兵団へ入団して欲しくない。…俺たちと一緒に、憲兵を目指すべきだ。お前にはその力があるし、無理な話じゃないだろうっ…!」
ライナーの真剣な物言いには、どこか懇願のような響きも滲んでいる。
しかし、ハルはライナーの望む答えを、返すことはできなかった。
それが申し訳なくて、ハルはライナーの視線から目を逸らし、小さく言葉を落とす。
「…それは…できないよ。…ごめん、ライナー」
「…っ、俺は、お前の気が変わるのを待ってるからな」
ライナーはハルを説得しようとして口を開いたが、何を言ってもハルの気持ちが変わることはないということを、言葉を発する前に理解出来てしまって、眉間に皺を寄せた。
ハルは柔和な人柄とは相反して、一度決めたらそれを変える事は決してない頑固さも持っている。
そのことを昔から知っているライナーは、飲み込んだ言葉の代わりに、もどかしさを残して、ハルの元から離れていく。
そんなライナーのことをハルは呼び止めようと手を伸ばしたが、その手はライナーの肩を掴むことはなく、ただ空を掴んだだけだった。…呼び止めたところで、何かライナーの気持ちに応えられることを言えるわけでもないからだ。
ベルトルトは、俯くハルを見下ろして、静かな口調で話し始める。
「ハル…、僕も…気持ちはライナーと同じだよ」
それに、ハルは足元に落としていた視線を上げてベルトルトを見上げた。
二人が何故、調査兵団に行くことを止めようとしているのか、その理由は良く分かっている。調査兵団になるということは、一番巨人の脅威に近い場所へ行くことになり、命を落とす可能性が高くなるということだ。
だから、自分の向かおうとしている道を遮ろうとしている彼らに、ハルは感謝をしているし、それと同じくらい申し訳ないとも思っている。
しかし、だからと言って二人の思いに答えることも、できないのだ。
「ライナーも、ベルトルトもアニも…心配してくれてるのは理解してるし、感謝もしてる。…でも、私がここに来ることを決めたのは…調査兵団に入って、どうしてもやりたいことがあるからなんだ」
エレンと同じく調査兵団に入りたいと言うハルに、ベルトルトは静かに声のトーンを落として問いかける。
「うん。知ってるよ……、家族を…同じお墓に入れるため。…だよね?」
「…うん」
「でもそれは、本当の理由じゃ、ないよね?」
「…え?」
ベルトルトは珍しく、厳しい表情を露わにして、ハルの両肩に手を置いた。
驚いた顔で自分を見上げているハルの肩の華奢さが余計に、ベルトルトの胸に浮かんでいる不安を煽る。
ベルトルトは、ハルが調査兵団に入ろうとしている『理由』に、ずっと納得がいかなかったのだ。
「僕はずっと…おかしいと思っていたんだ。だって…ハルの大事なものを全部奪ったのは…っ巨人だ。…だったら、家族をお墓に入れることよりも先に、巨人に復讐してやりたいって思うのが普通じゃないの?だからハルは、調査兵になりたいって、思ってるんじゃないの…?」
ハルは、出会った時から今まで、巨人が憎いと口に出したことがない。
理不尽に、そして残酷に、大切な家族と故郷を、幸せな生活を根こそぎ壊した巨人のことをだ。
ベルトルトにはそれが理解できなかった。もしも自分自身が、ハルの立場に置かれ、調査兵団を目指すようになるのだとしたなら、考えられる理由は一つだけ。…巨人に対する憎悪を根源にした、復讐しかない。
しかし、ベルトルトの問いかけに、ハルは昨晩のアルミンの言葉を思い出して、静かに言った。
「…それは、ベルトルトにとっての普通、だよね」
「!」
ベルトルトは息を小さく呑んで、ハルの肩を掴んでいた手を僅かに震わせた。
「…昨日アルミンに言われたんだ。『あの日』、シガンシナで巨人に襲われたなら、普通は怖いって…もう二度と巨人は見たくないって思うのが普通だって」
「…それは、」
そうだ。
昨日、自分もアルミンやエレンにも同じことを言ったじゃないか。
ハルは、自分とは違う、人間なのだ。
エレンや、アルミンと同じ…。
今までハルと共に過ごしてきた時間で、ハルはいつだって自分達のことを助けてくれる強い存在だったから、そんな当たり前のことも忘れてしまっていたのだ。
「…でも、ベルトルトの言ってることも、そうだよなって、思うよ。最初は…私もずっと、巨人のことを恨んでた。なんでこんな目に合わなきゃいけないんだって、理不尽だって…でもさ…私は、気づいたんだ」
ハルの黒い双眼に、深い影が落ちたのを、ベルトルトは見逃さない。
じっと見つめていれば深い闇に吸い込まれそうになるような瞳に、ベルトルトは胸の奥が氷の刃で突き刺されたように、ぞわりとして息を呑む。
「…私は家族の傍にいたのに、何もできなかった。…それは、私が弱かったせいなんだって…」
「…っそんなの、ハルはまだ子供だったじゃないか!」
「…関係ないよ。…子供でも、私には長女としてみんなを守る役目があった。…私が強ければみんな生きて居たかもしれない…。せめて、弟達だけでも助けられたはず……いや、助けられたんだ。…だから、皆が死んだのは…私のせいなんだ」
「…そんなのおかしいよっ。…それじゃあまるで、ハルは巨人をよりも…自分を憎んでるみたいじゃないかっ」
ベルトルトはハルの肩を強く握りしめて、自分の感情を制御できず、抑えられなくなって声を上げる。
そんなベルトルトを、ハルはどうしようもなく、悲しい目を称えて言った。
「…間違ってないよ、ベルトルト。私はもうずっと…、自分がこの世界で一番、憎くて仕方がないんだ」
その言葉に、心臓がドクンと大きく脈打って、息が詰まる。
そうして喉が焼けるように熱くなって、激しい頭痛に見舞われながら、ベルトルトは唇を噛みしめ、ハルの肩に額を押し付けた。
こんなに深く傷ついたハルの姿を見ていられない。そう思うのに、…巨人を恨んでいないと言うハルに対して、どこか安堵している自分自身が居ることに、ベルトルトは愕然として、どうしようもなくそれが許せなかった。
「…っ僕は……俺は…!」
最低だ。
そう口から吐き出してしまいたかった。
でも、この言葉を音にしてしまえば、もうきっと枷が外れてハルに隠している全てを吐き出してしまう。そんな気がして、必死になって奥歯を音が鳴るほど強く噛み締める。
「… っハルが、気変わりするのを、待ってるからっ」
やっとの思いで繕った言葉は、先ほどのライナーと同じ言葉だった。
「…うん。…ありがとう…ごめん」
返ってきた言葉は、やはり望んでいた言葉ではなくて、嗚咽を噛み締める僕の頭に、そっと優しく触れるハルを、一番に苦しめるのは僕たちで、今…苦しめているのも、僕たちだっていうのに。
いつだってハルは、僕たちの望む温もりをくれて、欲しい言葉をくれる。
でもただ一つ、この言葉だけが聞けない。
『私も、憲兵団に入る』
そうして彼女と、この先も傍に居られたなら。もう降りる駅が決まっている僕たちの短い時間を、一緒に歩いて行けたなら。そんな幸せを望むことなんて、もう許されないことをしてきたのに。
…それでも、欲しい。そう…望んでしまうんだ。
兵服の下にしまっているお守りが、肌に触れている部分が、焼けつくように熱い。
その熱を、僕たちはきっと最後まで、…最後の、最期まで。
捨てられずに、胸に掻き抱いて行くんだろう。
完