第五話
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「はぁ…やってらんねぇ」
対人訓練が開始されて教官が訓練場から姿を消したことに気がついたジャンは、朝から抱えていた惰気を隠すことをやめ大きな欠伸をしながら早々に訓練を切り上げると、各々ペアを組んで体術に励む同期達を横目に、訓練場の片隅の木陰にゴロリと両腕を枕にして寝転がった。
どうにも訓練へやる気が湧いてこないのは、対人訓練でいい成績を収めたところで順位に影響するほどの加点にはならないから…というのは建前であって、唯単純に気乗りがしないからだ。
第五話 対人訓練
ジャンは晴天の空に浮かんでいる白い雲がゆっくりと流れ行く様を、特に何かを考えるわけでもなくボーッと眺めていると、しばらくして突然、訓練に励んでいた…かどうかは分からないが、同期達がざわつき始めた。
何事かと気になったジャンはその場から立ち上がると、再び同期達の元へと戻り、相変わらず見事な坊主頭のコニーを見つけて声を掛ける。
「おいおい、一体何の騒ぎだ?」
「ああ、ジャン。なんか面白いことになってんだよ!」
コニーは何やら楽しげな顔をして、皆の注目の的になっている人物達を指差した。
その先を目で追っていくと、視界に入ってきたのは何やら眉を八の字にして困り顔を浮かべているハルと、そんな彼女に詰め寄り闘志を静かに沸き立たせているミカサが居た。
「あれは…ミカサとハルか?」
「うん。なんだか二人とも、これから決闘…?するみたいなんだ。…大丈夫かな」
「決闘って…、あの二人の決闘がなんでこんなに盛り上がってんだよ」
マルコが心配そうな顔をして言うのに、ジャンはどういう経緯でこうなったのかサボっていたため全く予想もできずに首を傾げると、コニーがずいと興奮した様子でジャンの方へと身を乗り出すようにして話し出す。
「だってスゲェんだぜ?!ミカサ、あの大柄のライナーを一蹴りで吹っ飛ばしやがったんだ!」
そう言ってコニーが次に指差した先には、地面に仰向けに寝転がって気を失っているライナーが居た。
ピクリとも動く様子がないライナーに、ジャンは同情の視線を送りながら、ライナーの傍にしゃがみ込んで様子を窺っているベルトルトに問いかける。
「おいベルトルト、そいつ大丈夫なのか?」
「うん。…多分ね」
「多分かよ…」
ベルトルトは完全に白目を剥いて意識を失っているライナーの耳を引っ張りながら、自信なさげに答えたのに、ジャンは顔を痙攣らせた。
「でも、ライナーがあんなに簡単に倒されてしまったなら、ハル…敵いっこないんじゃないかな?」
マルコは心配顔のままそう言うが、そんなマルコの意見を否定するのに現れたのは、珍しい髪色した同期の訓練兵だった。
「それが違うんだな」
「お前は…?」
コニーが初めて会った訓練兵に、首を傾げて問い掛ける。
「フロックだ。俺、さっきハルと組み手やってたんだけどさ、あっという間に地面にひっくり返されちまったんだよ」
フロックが何故か自信ありげにそう話し出したのに、ジャンは眉間にシワを寄せる。…ハルと組み手は、正直少し羨ましい。
「それはお前が貧弱なだけじゃねぇの?」
「違うって!!マジで凄かったんだよ!」
貧弱だと言われ慌ててそれを否定するフロックに、一同は疑いの視線を向けたが、ベルトルトがその間に入って話しを始める。
「フロックの言うとおり、ハルは結構強いんだよ」
「?そうなのか?あんなに細っせぇのに?」
コニーが納得いかなさそうに首を傾げて言うと、ベルトルトはハルの方へと視線を向けながら話を続けた。
「ハルは小さい時から、お父さんに体術とかいろいろ教えて貰っていたみたいでさ。それで…凄く強いんだよ。華奢には見えるけどね?」
「ああ。きっと良い戦いになるだろうな」
「うわっ、びっくりさせんなよ!」
と、ベルトルトの言葉に同意を示したのは、いつの間にやら意識を取り戻したライナーだった。
突然ぐいと上半身を起こして話出したのに、周りに居た一同はぎょっとして思わず驚きの声を上げる。
「ラ、ライナー、大丈夫かい?」
「ああ、問題ない。それよりも、お前らはどっちに賭ける?」
「賭けるって…何を賭けるんだよ」
「まあ…夕飯のおかずだな」
声をかけたマルコに軽く平気だと答えたライナーは、ジャンの面倒臭そうな問いに少し考えた素振りを見せた後そう答えた。まあ賭けるものと言ったらそれぐらいしかないだろう。あまり面白味のある内容ではなかったが、コニーは乗り気になってハイと手を挙げた。
「お!良いじゃん乗った!俺は…断然ミカサだなっ!実際にお前が吹き飛ばされたとこ見てたし?」
ライナーは少々プライドが傷ついたようにピクリと眉を動かしたが、ミカサだと言うコニーの後に、次はマルコもコニーと同様にミカサへと一票入れる。
「僕もミカサかなぁ…ベルトルトがハルは強いって言っていたけど、ミカサと比べて少し背も低いし、細いから」
「今のところはミカサに2票だな。…おい!エレン!アルミン!お前らはどうなんだ?」
ライナーは何だから楽しげな様子で、ふと視界に入ってきたエレンとアルミンにも声を掛けた。
「おいなんでエレンを呼ぶんだよ!」
おそらくミカサを心配して少し離れたところで様子を伺っていた二人が、ライナーに呼ばれて歩み寄ってくるのに、ジャンはあからさまに嫌な顔をする。
「なんだ別に良いだろう?賭ける奴は多い方が盛り上がるってもんだ。…で、アルミン。お前はミカサとハル、どっちが勝つと思うんだ?」
そんなジャンを軽くいなしたライナーは、ガシッとアルミンに肩組をして問いかける。体格のいいライナーに肩を組まれてアルミンは少々重そうに表情を曇らせながら、困ったように口を開く。
「うーん…決めるにはハルの情報が少なすぎるよ。それに、女の子に賭け事をするっていうのは僕はちょっと気が引けるよ…」
アルミンは根っからの優しい性格と真面目さが相まってなかなか答えを出せない様子でいると、ライナーは急かすようにアルミンの華奢な背中を屈強な腕でバシバシと叩いた。
「良いから決めろよアルミン!男だろ!」
「っそ、…それとこれとは話が別じゃあ…。まあでも、僕はミカサ…かな?」
アルミンは背中に与えられる衝撃にむせ返りそうになりながらも、その場を潜り抜けるため無理やり絞り出すようにして答えを出した。
「エレン、お前もか?」
「まあ、そうだな。ミカサが負けるとこ、今まで見たことないしな…」
エレンも顎に手を添えて、少し考えた後に予想通りの答えを出す。やはり幼なじみだけあってミカサの強さはお墨付きなようだったが、そうなると、ハルと長い付き合いのベルトルトとライナーはどうなのかと、ジャンは気に掛かって問いかけた。
「…ってことは、ミカサに4票だって事だよな。圧倒的だが、ベルトルトとライナーはどうなんだ?」
「僕はハルかな。エレンがミカサは負けたとこ見たことないって言ってたけど、それは僕も同じだからね」
「そうだな。俺も、…まぁ負けてミカサを僻んでるわけじゃないが、ハルに賭ける。…で、ジャン。お前はどうするんだ?」
「俺?…俺は、」
ベルトルトもライナーもジャンの問いかけに迷う事なくハルに賭けると答えたのに、ジャンは悩みながらミカサとハルの方へと視線を向けた。どちらかと判断をつけるには、二人のことを自分はあまりにも知らなすぎる。ミカサの強さを目の当たりにしたわけでもないし、ハルのことを昔から知っているわけでもない。ミカサに至っては昨晩こちらから一方的に声を掛けただけで、ハルは午前の授業で一度隣になっただけだ。
「(…ああ、そういえば)」
ジャンはふと上着の内ポケットの中にある一本のペンの存在を思い出した。本当は昼食の時間に返そうと思っていたのだが、結局ハルはサシャのユミル捜しに駆り出されてしまい返しそびれてしまった…。
思い返してみれば、ミカサと初対面の時は、緊張してしまって上手く会話をする事ができなかった。
ハルと似た綺麗な黒い双眼には自分が映ってはいたが、彼女には見えていないような程に、自分に対して興味も示されず、名前を聞かれることすら無かった……いや、そもそも、顔も合わせた事がないのに、急に髪が綺麗だなどと言われて、不審に思われただけなのかもしれないが…。
しかし、ハルは声をかけてきたその瞬間から、自分のことを真っ直ぐに見てくれていた。
思っている事が口を突いて出てくる性分で、今思えば嫌な思いをさせてしまったと反省してしまうような言葉も、ハルは受け止め向き合ってくれた。
そして、ハルがサシャに対して世話を焼くのは見返りを求めているからではなく、根っからのお人好しだからということも、少し会話を交わしただけで理解出来た。…と、すると。そんな彼女がそもそもミカサと決闘などしたがるだろうか?
初対面でトゲのある言葉をぶつけてくる相手にさえ、困っていればなんの躊躇もなく自分のペンを差し出して笑えるハルは、明らかに争い事を好むようなタイプの人間ではないだろう。……あぁ、だから今も、あんなに困った顔をしているのか。
ジャンはハルの表情から、彼女にとっては不本意なことでこのような状況に置かれているのだと察する。––––と、途端にどちらかに賭けをするという気分がさっと失せて行くのを感じた。
そして、逆に込み上げて来た感情があった。
「あいつ…怪我、しねぇかな」
無意識で息を吐き出すようにそう溢した自分のことを、ライナーとベルトルトが意外そうな顔をして見つめているのに気付くこともなく、講義室で真近に見ていたハルの横顔を見つめる。
華奢な背中と肩、南の空に高々と昇っている春の陽光に照らされた白い首筋が、先ほどよりも余計に頼りなさげに見えてしまって、妙な庇護欲みたいなものに襲われる。
だが、そんなジャンの心配を他所にして、ミカサとハルの戦いの口火は切られてしまうのであった。
「うわ!始まったぞ!!」
どこかの同期の訓練兵が声を上げたのとほぼ同時に、先手を打ったミカサの拳が空を切る音が響いた。
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