第四話
名前変換設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
昼食の終了を告げる鐘が鳴り、訓練場に同期達が整列をしている中、少し遅れてこちらへと必死に駆けてくる訓練兵の姿が目に留まる。ライナーは嫌な予感がして視線をそちらへと向けると、予感は見事に的中してしまっていて、やれやれと額を抑えて深く溜息を吐いた。
こちらへ駆けてきたハルはスラディングでもするかのような勢いでライナーの隣に並ぶと、ゼエゼエと喉を鳴らし背中で息をしながら両膝に手をついた。そんな彼女の上下する背中を、ライナーは呆れ顔を隠すことなく、腕を組んで見下ろした。
「随分と遅いご登場だな?」
「ゼェ…ッ、よ、良かった…!まだ教官は来てないみたいだねっ…」
決められている集合時間を過ぎているという点ではアウトだが、奇跡的に未だ訓練場に対人訓練を担当する教官が入ってきてないのでペナルティは免れそうである。が、規律やルールに対して忠実な彼女がそれを破るというのは珍しいことであり、おそらくサシャのユミル捜しが難航して気づけば時間になっていた、というのが事の顛末だということは、ハル・グランバルドという人間を良く知るライナーには容易に想像できた。
が、だからと言ってそれを看過することも出来ない。
「お前…ずっとサシャとユミルのことを捜してたのか?」
「ま、まあね。中々見つけられなくて…」
「ってことは、飯また食ってないのか!?ちゃんと食うもん食わねぇと、訓練どうこうの問題以前に体力も筋力も付かんだろう!」
口煩くしては面倒がられるということは承知しているが、あまりにも自分自身を顧みないハルのことを放っておくこともできず、説教じみた口調になるライナーに、ハルは首の後ろを触りながら相も変わらずヘラりとした顔で笑うのに、ライナーの心配は更に積もる。笑い事ではない。
「何を笑ってるんだこっちは真面目な話をしてるんだぞ」
「ご、ごめん。何だかライナー、お母さんみたいだなって思って…」
「…何?」
ずいと身を乗り出し、両肩を掴んできて先ほどよりも早口になって言うライナーに、ハルは表情を引きつらせて両掌を胸の前に出す。そうすれば、彼の果敢な眉の間に深い皺が浮かび上がった。
それを目の当たりにして、ハルは失言をしてしまったと口を継ぐんだが、いいタイミングで教官がこちらへと歩いてくるのが視界に入った。
「あ!ライナー!教官が来たよ!」
「…運のいい奴だな全く」
ライナーは覚えていろよ言うかのように目を細めると、ハルの両肩から手を離し姿勢を正した。
対人訓練を担当する教官は、やや気怠げに整列をしている訓練兵達の前に立つと訓練内容を説明し始める。内容は相手に強襲をかけられた時の対処術だった。
教官が適当に訓練兵のペアを決め、その対処法の練習に入らせたのだが。教官は早々に各々での練習に移らせた後、入ってきたときと同じように気怠げに欠伸をして、そそくさと駐屯所の中へと入って行ってしまった。時間までには戻ってくると言っていたが、あまりにも力が入っていない。しかし、それは訓練兵達も同様だった。
なぜなら対人訓練は、簡単に言えば点数にならないのだ。
最終的には皆順位がつけられ、その中の成績優秀者の10名だけが憲兵になれる権利を与えられる。その目安となる点数が、対人訓練ではあまり得られないのである。そのため、教官が訓練場から姿を消した瞬間から、皆手を抜き始め、忠実に対処術を練習している訓練兵は指折り数えられる人数しかいなかった。
そんな中で、ハルはペアになった初対面の彼に自己紹介をする。
「はじめまして、私はハル・グランバルドっていうんだ」
珍しい髪色をした彼は、ハルの自己紹介に人懐っこい笑みを浮かべて手を伸ばしてくる。
「ああ、俺はフロック。よろしくな」
その手を取って軽く握手を交した。
「それにしても、綺麗な髪だね。不思議だ……似合ってるね」
綺麗な明るい茶髪のようだが、日に当たると臙脂のようにも見える。それが不思議で、ハルはマジマジとフロックの髪を見つめながら言う。それにフロックは少し驚いたような意外そうな顔を浮かべた。
「へえ…珍しいな。この髪色、変だって言うやつは居るが、綺麗だって言ってくれる奴は少ないんだぜ?」
「そうなの?…だって私がもしも、フロックみたいな髪色だったら、きっと似合わないよ」
今度はハルが意外な顔をして首を傾げるのに、フロックは愉快そうに笑って、ニッと白い歯を見せる。
「そうでもないと思うぜ?あんた綺麗な顔してるから、きっとなんでも似合うだろ」
フロックの言葉に、ハルの黒い目が丸くなる。
それを怪訝に思ってどうしたと問い返したフロックに、ハルは少し嬉しそうにして微笑みを返した。
「いや、珍しいなって思って。私を少年ぽいっとか、言う人は多いけれど、綺麗だって言ってくれる人は少ないから」
そう口にして、ハルははっと既視感を覚えフロックをはたりと見つめた。
「なんだか私達、さっきと同じやりとりしているね」
「ああ、それ、俺も思ったよ!」
フロックはハルの言葉に同調すると、二人は声を揃えて笑った。
「まあゆっくり話でもしたいとこだけど、一応訓練中だからなぁ…。適当に始めるか。教官はいないみたいだが…」
「そうだね。フロック、お手柔らかに」
ハルはそう言いながらフロックと向き合ったまま少々距離を取って頭を下げる。それにフロックは「もちろん、女相手に本気は出さねえさ!」と笑い。軽く腕に掴み掛かろうと足を踏み出した。…が、
「!?」
ハルの腕に両手の指先が触れようとした瞬間だった。
地についていた足が急に宙に浮いた。
まるで地面に網でも張ってあったかの様に体が浮いて、そのまま地面に頭を打ちつけそうにそうになり思わず目をぎゅっと瞑ったが、その間際に背中に細い腕が回ってきて、地面すれすれで倒れていく体がピタリと止まった。
フロックは恐る恐る目蓋を開ける。
と、視界には涼しげな顔をしているハルの顔と、晴天の空が広がっていた。
「……おい、今俺に何したんだ」
あまりにも一瞬の出来事に何が起こったのか分からず少々困惑してしながらそう問いかけると、ハルは小首を傾げて、少し困ったように答える。
「何って…、足を掛けただけだけど…、もしかして痛かった?」
「いや、そんなに痛くはねぇけど。…一瞬過ぎて何がなんだか」
フロックはあまりも大したことがなさそうに言うハルになんだか情けない気持ちになりながら、乾いた地面に片手をついて再び立ち上がり、気を取り直してハルからもう一度距離を取る。
「お、俺もちょっと油断してたからな!今のは本気じゃなかったんだ。…今度は、本気でいくぜ!!」
フロックはそう言って大きく深呼吸をした後、グッと両拳を体の前で握る。そして今度は大真面目に地面を蹴ってハルに飛びかかった。
が、
「……おい、今俺に何したんだ」
「…さっきも言ったけど、足を掛けただけだよ。痛かった?」
結果は先ほど同じく、フロックは気づけば先ほどと同じようにハルに体を支えられていた。フロックはこの状況を受け入れ難かったが、さっきは二度目の正直で、真剣にならずものをやったのだ。しかし、一方のハルの方は先程となんら変わらない様子で同じことを言うので、はあとため息を吐きながら少々落ち込み気味に答える。
「…ああ、痛かった。違う意味で」
「それは、…ごめん?」
元気がなくなってしまったフロックに、ハルは戸惑ったように肩を落として謝罪を述べた。その時だった。
「うわあああああ!!!」
「「!?」」
突然野太い叫び声が聞こえ、二人は驚いてそちらへと顔を向ける。
そこには盛大に地面から土埃を上げて、地面にうつ伏せになって転がっているライナーの姿と、そんなライナーの前で無表情に立ち足首を回してクールダウンをしているミカサが居た。
「すげえっ…ミカサ、あの大男のライナーを吹っ飛ばしやがった!」
「信じられねえ…なんつー馬鹿力だよっ…!」
ミカサの周りに居た同期達はざわつき、女であるにも関わらず、男の中でも屈強なライナーを軽々と吹っ飛ばしてしまったミカサに呆気に取られている。
それを見たフロックはふと良いことを思いついて、ハルが背中を支えてくれている状態から自身で立ち上がる。
「なあハル、…お前ミカサに挑んでみたらどうだ?」
「え?なんでまた、突然だね…」
「だってよ?すごかったじゃねぇか!お前も手応えある奴とやってみたいだろ?」
と、口にした内容は建前であり、フロックの本心は全く違うものだった。
フロックは先ほど細身なハルに歯が立たなかったことを、男として情けなく感じていたが、もしもハルがライナーを吹っ飛ばしたミカサに挑み勝利したのだとすれば、それは恥じるべきことでは無くなるからだ。
しかし、そんなフロックの考えを見透かしたように、ハルは地面に蹲み込んだまま、フロックをジトッとした眼差しで見上げる。
「…なんだか面白がってるよね、フロック?」
「いいや!まさかそんなことないって!……まあ、多少はあるけどな!」
「あるんかーい」
調子の良いフロックに、ハルは棒読みのツッコミを入れて、ゆっくりとその場で立ち上がりミカサの方へと視線を向けた。
そして少し興味深そうな顔をすると、顎に手を当てて考える素振りを見せる。
「…でもまあ…、手合わせは少しだけしてみたい気持ちはあるかな…。あのライナーを突き飛ばすなんて、なかなかできる事ではないし……」
そんなハルに対して、フロックはよしキタ!と満面の笑みで指をパチンと鳴らす。
「じゃあ決まりだな!!」
「あっ!?ちょっと待ってよフロック!!?」
フロックは制止するハルの右手首を掴んで引っ張り、ミカサの方へと走り出した。
ハルはフロックにされるがままミカサの前へと導かれてしまう。
「なぁミカサ!!ハルがお前と手合わせをしたいって言ってるぜ!!」
「なっ…」
そうしてフロックはミカサに向かってとんでもない事を口走ったので、ハルは思わずあんぐりと口を開ける。ミカサは相変わらず無表情のままフロックをじっと見ていたが、視線をゆっくりと隣に立ち困惑しているハルへと向ける。
その静かな視線を受けて、ハルは首と手を左右に大きく振った。
「いやっ!ち、違うよミカサ!フロックには手合わせがしたいと言ったわけじゃなくて、してみたいって言っただけなんだ!」
そう言うハルに、ミカサは淡々とした口調で答える。
「どちらも同じようなもの」
「え…」
「私は構わない。でも、やるからには本気」
「え?」
「だってよハル!!良かったな頑張れよ!!じゃあ俺は向こうで応援してるからな!!」
「そっ、そんな!?待ってフロック!」
フロックは上機嫌に笑いながらバシバシとハルの背中を叩くと、そそくさと踵を返して傍から離れて行ってしまう。そんなフロックを呼び止めようとハルは遠のく彼の背中に手を伸ばしたが、
ザッザ…!
背後から聞こえてくる足音が段々と大きくなり、背中に悪寒が走ってハルはびくりと肩を跳ね上げると、恐る恐る後ろを振り返った。
「!」
「ハル、やるの?やらないの?どっち?」
振り返った先には、いつの間にやら間近に迫ったミカサの顔があった。その顔は無表情だが、黒い双眼にはタダならぬ威圧的な力を宿している。そんなミカサにハルはすっかり物怖じした様子で、「あ、いやぁ……」と歯切れ悪く狼狽えた。
ハルには心の準備というものができていなかったし、手合わせは断ろうと思っていた。しかし、目の前のミカサは意外にも手合わせをする気が満々であり、極め付けには…
「お!始まるみたいだぞ!!」
「ミカサとハルがやり合うらしいぜ!!凄えな!!」
「ちょっと見てみようよ!」
気づけばミカサとハルを取り囲むようにして、同期達が集まり、好奇の目を向けてくるので、ハルはすっかり断るにも断れない状況下に置かれてしまっていた。
「……や、やります」
ハルは心の中でフロックのことを恨みながら、仕方がないと肩を落として、蚊の鳴くような声で答えたのだった。
完