第三話
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「ハルーっ!!!」
サシャは肩を上下させながら講義室の中をぐるりと見回し、視界にハルを捕らえると、器用に並んでいる机を飛び越えながらハルの方へと全力で駆け寄った。
突然天敵に遭遇した鹿のように驚いた顔をしているハルに、サシャは獲物に襲いかかる狼のごとく飛びかかる。
「うわぁぁあ!?」
ハルは突然の奇襲を逃れられず、飛んできたサシャを真っ正面から受け止めることになったが、その勢いを制しきれず後方へと蹈鞴を踏み、講義室の壁に背中を派手に打ち付けてしまう。
「グェ」
と、カエルが潰れたような声を上げたハルに構うことなく、そのまま胸ぐらをガシリと両手で掴むと、サシャはどうやら錯乱しているのか半ベソをかきながらハルの体を持ち上げ激しく揺さぶりながら問い質し始めた。
「ユミルをっ!!ユミルを知りませんかっ?!一緒に昼食を摂っていたんですがっ!!何故か私のパァンもろともユミルが突然居なくなってしまってぇぇぇえ!!」
「お、おいお前…、確かサシャだったよな?兎に角落ち着け、ハルが死にかけてる」
「落ち着いていられるわけないでしょう!!?」
サシャに首を締め上げられて顔面蒼白になっていたハルを助けようとライナーが制止に入ろうとした矢先、サシャはライナーを弾かれるようにして振り返りながら大きく声を上げ、肘鉄を彼の顔面にお見舞いしたのである。
バキ!!
それはもう酷い音が鳴って、ライナーはそのまま床にバタンと仰向けに倒れる。
ライナーともあろう大男を一撃で黙らせてしまったサシャに、ジャン達はヒッと息を呑みながら後ずさる。サシャの背中からは猛獣のオーラのようなものが立ち昇っていた。
「ラ、ライナー…大丈夫かい?」
「あ…ああ…大丈夫だ」
ベルトルトは冷や汗を流しながら倒れているライナーの背中を支えて、起こすのを手伝う。ライナーは肘鉄が入った左頬を手で押さえながら、よろよろと立ち上がった。
「あ、あのさっ、サシャ。ユミルのことを捜してるのは分かったから、とりあえずハルのこと解放してあげてよ?そうしないと、僕たちも力になってあげられないだろう?」
マルコが荒ぶる獣に無害であることを伝えるように、何故か中腰になって両手を上げながら問いかけると、サシャは少し落ち着いたのか、ふうと息を深く吐き出した後、ハルの胸ぐらを掴んでいた手から力を抜いた。
ハルはようやくまともに息を吸い込むことが出来るようになり、名一杯肺に息を吸い込んで、そして咳き込んだ。
「ゲホッ!しっ、死ぬところだった……、ありがとうマルコ。は、花畑が見えたよ…」
ハルは地面に手をついて必死に息を整えながらも、視線を持ち上げてマルコに礼を言ったのだが–––––
「花畑なんて行ってる場合じゃないですよ!!」
「わわわ分かった私が悪かったよサシャ!!兎に角、落ち着いてっ…頼むからっ」
再び胸倉を掴まれ無理やりその場に立ち上がらせられたハルは慌ててサシャを落ち着ける。地雷を踏んでしまわないよう必死になっているハルを見て、ジャン達は同情の視線を向ける。
「サ、サシャの捜してるユミルって、確か昨日の夜に気を失ったサシャを宿舎に運んでくれた子だよね?」
ハルはユミルと直接会話をしたことはまだなかったが、昨日の走り込みを終え疲れ果てて訓練場で倒れていたサシャとハルを宿泊舎まで運んでくれたのが、ユミルだったそうなのだ。と言っても、ハルのことを運んでくれたのはアニであったらしく、その話も朝アニから聞いたことだったので、ユミルの顔や姿を思い浮かべることはできなかった。
それに、サシャはそうなんですと頷き、やっと落ち着いてきたのか、ハルの胸倉から手を離して事の次第を話し始めた。
「私、昨日ユミルと、金髪で小柄な可愛いクリスタに助けてもらって…その恩を返したいと今日ユミルに話しかけたんです。そうしたら、今日の昼食のスープを譲ってくれたらそれでチャラにしてくれると言ってくれて…それで、スープを渡して一緒に昼食を摂ろうとして。そこで私、対人訓練の後で訓練場に水筒を置いてきてしまったことに気がついて取りに戻ったんですよ。…でもなかなか見つからなくて、やっと見つけたと思って食堂に戻ったら…そうしたらユミルも私のパンとサラダも…跡形もなく食堂から消えていたんです!!」
「なるほどな…」
ライナーは神妙な様子を装って腕を組み頷いて見せた。が、正直なところ肘鉄を喰らわされた根源がそれなのかと少々憤りを感じていた。しかしそれを表に出せばまたあの容赦のない暴力をお見舞いされる可能性があるのでそれは避けたかった。
「まんまとお前は、ユミルにスープどころか昼食全部奪われたってわけか」
しかし、そんなライナーとは真逆に、馬鹿だなお前とおかしそうに笑っているコニーと、
「大方お前の水筒も、元々昼食を奪うためにユミルが訓練場に隠したんだろうよ」
と、おそらく高確率な真相をやれやれと面倒臭そうに口にしたジャンに、ライナーはサシャが二人にも肘鉄を繰り出すのではないかと懸念したが、「そ、そんなぁ…」とサシャはただ落胆して肩を落とすだけに留まり、ライナーは何故自分だけと腑に落ちない様子でピクリと片眉を震わせた。
「まあ…可能性は少ないだろうけど、ユミルが他の訓練兵にサシャの分を取られないように持っていてくれるっていう可能性も…ないわけじゃない、…かも?」
そんなライナーを他所にマルコが平和的な案を口にしたが、皆同意しかねていた。きっとマルコ自身もないわけじゃないとは言っているものの、可能性は限りなく低いと確信していながらの発言だったのだろう。
「そうですよね!?私、そう思ってそれでユミルを捜しているんです!だけど、見つからなくて…」
しかし、それでも希望を見出そうとしているサシャに、ハルは胸倉を掴まれて乱れた訓練服の上着の襟を正しながら言った。
「…なら、ユミルを捜すのを手伝うよ。…兵舎の外は捜した?」
「いいえ、まだ外までは…」
「じゃあ、食堂の外回りとかも捜してみよう」
「ハル…本当にっ、本当にありがとうございますぅぅうう!!心のっ、心の友ぉぉぉおお」
サシャは協力してくれるというハルに再び抱きつき目に涙を浮かべながら感謝示す中、ハルはやれやれと少々疲れ気味な苦笑を浮かべるのだった。
そんなハルとサシャの様子を見たジャン達は、とんだ貧乏くじを引いたものだとまたハルに同情した。ハルは通過儀礼のあの日から、サシャに泣きつかれ続ける運命に導かれてしまったのだろう。
「…ってことで、皆ごめん。食堂へはユミルを見つけてから行くことにするよ」
「い、いや。気にするな…機会なんてこれから先沢山あるだろうしな」
「うん。また今度だね」
正直サシャとはあまり関わりたくなさそうなライナーが少し身を引いていうのに、その傍らでベルトルトも少し表情を引きつらせて頷く。ハルは次にジャンへと視線を向けて申し訳なさそうに眉を八の字にして頭を下げる。
「ジャンも、ごめん。また誘ってくれるかな?」
「あ、ああ。またな」
正直残念でならなかったが、先ほどライナーも言っていた通り一緒に昼食を取れる機会はこれから先いくらでもあるだろう。
「コニーもマルコもごめん!今度またゆっくり話そう!」
「おう!またなー!」
「うん。楽しみにしてしてるよ」
「ほらサシャ…!こんなにくっつかれてたら、ユミルを捜せないじゃないかっ!」
「うううう。ハル、天使…神様大好きデスゥ」
「い、いいから…自分で歩いてくれないかな…、お、重っ」
ハルはコニーとマルコに手を振り、自身に抱きついて頬を擦り付けてくるサシャをズルズルと引きずりながら、講義室を出て行く。
一同はその背中を戦地へと赴く兵士を見送るような気持ちで眺めながら、ライナーはやれやれと深いため息を吐いて額に手を当てた。
「相変わらず、アイツは人が良すぎるな…。俺なら御免被りたいぞ…」
「まあ、ハルらしいってことじゃないかな。困っている人が居たら、放って置けない性分だし…」
ライナーとベルトルトが顔を見合わせて話すのを、ジャンは少しばかりか胸の奥がざわつくように感じて視線を落とすと、ふと自分の右手に握りしめていた鉛筆の存在に気がつく。ずっと握りしめたままで、忘れてしまっていたようだ。
「返し忘れちまった…」
そう独り言のようにして呟いたジャンは、まあ、また今度会った時に返せばいいか。と、自身の上着の内ポケットにそれをしまい込む。と…はたりとライナーと目が合う。さっきから随分と目が合うなと思っていると、ライナーはジャンの前へやってきて、にっと歯並びの良い白い歯を見せて言った。
「なあジャン。良ければ俺たちも一緒に食堂に行ってもいいか?」
それにジャンが答える前に、後ろにいたマルコとコニーがいいよと頷いた。
「うん!いいね。大人数の方が楽しそうだ!ジャンもそうだろ?」
「お、俺は別に」
「早く行こうぜ!!」
ジャンはコニーに急かされるようにして腕を引かれ、ぐいぐいと講義室の外へと引っ張り出される。
そんなジャンの背中を、ライナーはじっと見つめていた。元々精悍な眼差しだが、その瞳には、僅かに嫉妬のような感情が滲んでいて、ベルトルトはふっと口元に小さく笑みを浮かべたのだった。
「(ライナー…少しは自分の気持ちに、気づいたかな?)」
ライナーを側で見てきたアニやベルトルトにしてみれば、ライナーがハルに対して友達や親友以上の特別な気持ちを抱いているということは、もう何年も前から気付いていた。しかし、難儀なことにライナー自身がその気持ちがなんなのかを自覚していないのだ。
それは恐らく、今までにその気持ちが何であるか気づくきっかけがなかったからだろうが…そうなれば、これからここで大勢の年の近い同期たちと集団生活をしていく中で、何かライナーにとっていい刺激になることがあるかもしれない。
ベルトルトはそんなことを一人で思いながら自然と口元を緩ませていると、ベルトルトの視線に気がついたライナーが、少々不機嫌そうに「何だよ」と問いかけてくるので、ベルトルトは「何でもないよ」と微笑みを称えたまま、コニー達の後を追って食堂へと向かうのだった。
完