紙風船を空へ高く

「!?」

りんの突然の悲鳴に、殺生丸は訝しむ。

辺りに怪しい気配などは無い。


りんの身に何が起こったというのか…。




「りん…」


ゆっくりと近付き、りんの前で跪く。

そっとりんの頬に殺生丸の大きな手が振れた。


りんの目からは涙が溢れて…。


痛い程に悲しい香りを発していた。




「りん…?」


殺生丸は優しくりんの涙を掬い、髪を撫でた。




「どうした?」




穏やかに問い掛ける。


りんの目は殺生丸を見ていない。
“今”を掘り下げ、過去を彷徨っていた。


「あ…ぅ…」


声が出ない。
喉に手を当て、必死に声を出そうともがいた。
涙が止まらない。




「りん、落ち着け」


殺生丸の言葉に、りんはゆっくりと息を吸う。

はぁぁー、と肺の奥から、悪い物を全て出すように息を吐いた。




「―――っ、血が…おっかぁの…」




がたがたと震え始めたりんを、殺生丸は優しく包み込んだ。


「お前の母が、どうした?」




穏やかに問う。
大体の予想はついた。


昔の惨劇をりんは思い出してしまったのだ。



だが殺生丸は、あえてりんに問う。


胸に押し込めるより、吐き出してしまった方が楽な事もある。
毒ならば尚更だ。


殺生丸の温もりに少し正気を取り戻したりんが、まとまりなく、言葉を口にし出した。




「おっとぉも、にいちゃんも、みんな…っ。
おっかぁは、りんを藁の中に隠して…」






『いいかい、りん。決してここから出てはだめよ。声を出してもだめ。
動いちゃだめだからね!』


それが母の最期の言葉。


戸外で聞こえた叫喚の直後、家の中まで押し入った野党に切られた。


鮮血が目の前を走る。
紅の雫が宙を舞う。
ぼとぼとと、りんが潜む藁の上にも降り注いだのが分かった。


りんの身体に、生暖かい母の血が染みてゆく。


りんはただただ震えていた。
目を見開き、藁の隙間からその惨劇を全て焼き付ける。


家の中にムッと立ち込める、金臭い血、臓物の生臭さ。広がる真紅。飛び散った肉片。


その全てが、りんの感覚を麻痺させた。

『なんだ、金目の物なんぞ何もねぇや』


そんな言葉を残して、野党はすぐに去って行った。





どのくらい時間が経ったのだろうか。


夜の闇に包まれ、朝日が昇り、その日が傾き始めた頃。


一筋の生暖かい、湿った風が、家の中に吹き込んだ。




『うわっ、ひでぇ。この家も全滅だ…』


聞き覚えのある声だった。
村の男達が、野党に襲われた家の様子を見て回っていた。


野党に襲われたのは、りんの家族だけでは無かったようだ。


襲われたその殆どが殺されていた。


血が乾き始め、茶黒く変色している。

男達は家の中に立ち込める屍臭に顔をしかめた。


『おとっつぁんと、あんちゃん…あぁ、嫁さんも駄目だな…なんと惨い…』


『そういえばこの家に、小さな嬢ちゃんもいたな。仏さんが見当たらねぇ』




がさり、と藁が動く。


『ん…?藁の中に…あっ!!嬢ちゃん!無事だったか!!』


被っていた藁を捲られ、男達に覗き込まれたりんは、酷い顔をしていた。



一睡もしていないのだろう。目は赤く充血し、体中、乾いた血で着物が肌に張り付いている。
手足は冷えきり、男達は、この娘が一晩ここで恐怖の夜を過ごした事を知った。




それからというもの、りんは全く食事が出来なくなった。


体中に、親兄弟の血の臭いがこびり付いている。

鼻の奥いっぱいに広がる屍臭に吐き気がする反面、何時までもこの臭いを忘れたく無かった。




―だって、これはおっかぁ達の…―




毎晩眠れない。
ウトウトと睡魔が襲った瞬間に、高い所から落下するような衝撃を感じ、ガクッと身体を震わせ覚醒する。

目を閉じれば、舞い散る血が鮮やかに瞼に蘇って来る。
辺りが静まれば、父親達の阿鼻叫喚が、耳にこだまする。


しかし、りんに言葉はもう無かった。
泣き叫ぶ声も、嗚咽も、りんの喉からは漏れる事は無い。




始めは皆親切だった。
分け前少ない食糧を、りんのために与えた。
皆、家族を亡くしたりんを、憐れみ、同情する。




だが月日が経つにつれ、村からあの事件の事も薄らいでゆく。



りんは物を言わない。
何も出来ない。
ただの小娘に成り下がる。

誰もが皆りんを気味悪がり、単調な日々の不満をぶつける的としてしか捉えなくなった。


りんを痛め付けても、誰も文句は言わない。


日の差し込まない、粗末なあばら屋。
雨が降れば雨漏りは絶えず、溢れた横の小川の水に浸る。


そんな暮らしをする、小汚ない童など、誰も気にしない、ちっぽけで陰気な村だった。




あの日の惨劇は、無かったも同然となる。

唯一人、りんを除いて。




食事も摂れるようになった。
睡眠も出来るようになった。


しかし声だけは、どれだけ月日が流れても取り戻せなかった。


誰もりんの言葉を必要としなかったから…。
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