桃鴇

最近鴇先生の顔色が悪い。
先生は自分が疲れていても無理して働きそうで心配だったから、閉園後鴇先生をつかまえて聞いてみた。
「先生、最近……なんかあるんですか?なんだか顔色が悪いような」
先生は一瞬びっくりしたがすぐいつもの無表情に戻った。
「……そんなに疲れてるように見える?」
「いえ、でもいつもより元気ないなって」
「桃くんってよく気づくのね」
「いつも見てますから」
「なっ」
鴇先生はなぜか顔を赤くした。
「先生?」
「……ええ、疲れてるわ。最近実家から頼まれてる仕事で休めなくて」
「ご飯ちゃんと食べてますか?」
「まあ……いや、食べてないけど」
「ええっ!駄目ですよ!分かりました。僕がつくります」
「え」
「僕が作りますっ」
こういうときは強行突破。
先生はあんまり自分のことを大切にしないが、僕の事も考えて欲しい。好きな人の体調が悪そうだったら悲しいのである。

車の中では仕事のことをたくさん話した。先生はプライベートのことをあまり話さない人だが、今日は少し話してくれた。それに今から家に行くのである!これはすごいんじゃないだろうか。
先生が男性陣で一番話すのは僕だって七森さんが言っていたが、少しは自信を持っていいのかもしれない。
「それにしても服部君がいなくて良かったですね」
「そうね。前は酷いことになってたものね」
前に七森さんと噂になったときの元凶である服部君は今日は休みである。遠藤さんも定時で帰っていた。
先生のマンションについて、駐車場に車が停められる。何回か運転を変わろうとしたが、桃くんだと遅い、と断られた。先生が速すぎるだけだと思う。
廊下で、鴇先生が何かにつまづいてよろける。僕が急いで支えると、先生は急いで立ち上がった。
「大丈夫でしたか?やっぱり疲れてるんですね」
「そうね……ありがとう」
顔が赤い気がする。もしかして熱でもあるんだろうか。
先生は家の鍵を出してドアを開けた。なんだかこの人とドアの組み合わせだとピッキングしてるところしか見たことがないので、新鮮だ。
「お邪魔しまーす……」
先生の部屋は綺麗だった。なんだか洋風の料理しか合わなそうな部屋だ。大丈夫だろうか……僕は煮物とかお母さんみたいなやつしかつくれない。
「タオル使っていいわよ」
先生はさっさと洗面所で手を洗っていた。
思わずきょろきょろしてしまったけど、そんなことしたら通報されるかもしれない。呼吸も出来るだけしない方がいいだろうし……
なんだかものすごく緊張して、なるべく下を向き呼吸を止めながら移動する。こんな気持ちは中学生ぶりくらいかもしれない。
「あっ!食材は……」
忘れてた!今からスーパーに走ろうとクラウチングスタートの体勢に移りかけたが、先生は冷蔵庫にあるもので、と言った。

なんだか実家みたいな香りが漂っている。サバの味噌煮、きんぴら、レンジで作ったかぼちゃの煮付けに、味噌汁ときのこご飯(昨日まで不思議の校舎159ページ引用)。まことに母親みたいなほっこりしたメニューである。
先生んちのキッチンにはオシャレな香辛料とかがたくさんあったが使いこなせなかった。醤油さえ綺麗な瓶に入っていた……。住む世界が違うとはこういうことだろうか。
改めて完成した料理を見る。多いかもな。いつも自分に作るより盛りだくさんになってしまった。
どうしても料理を手伝おうとしていたのを無理やり説得したからか、少し不満げな先生に完成を伝える。だって、先生が手伝っちゃったら僕が来た意味が無いじゃないか!鴇先生はお盆に乗せて僕の分まで運んでくれた。器用だ。
「いただきまーす」
席について、両手を合わせる。
味見したときは美味しかったけど、どうだろう……僕が勝手に緊張する中、鴇先生がきれいな所作でサバの味噌煮を口に運ぶ。
もぐもぐ。
「すごく美味しいわ」
「やった、良かったです!」
そう言ってくれるなら大丈夫と信じてしまおう。
僕もサバの味噌煮を食べてみる。
あ、ちょっと味濃かったかな。いや、でも美味い範囲内だ。アルミホイルでおにぎりを包んだ時からは、僕も練習したのである。
それにしても、すごい成長じゃないか?心の中で自画自賛してしまう。
ほら、この煮付けすごい美味くないですか!?
わぁ、このきのこご飯も美味しいな、そうですよね?
この味噌汁ちょっとこだわってるんですよ。野菜がたっぷりで美味しいでしょう
……言えない。まだだ。
「桃くん、今日はほんとありがとう」
味噌汁を飲んでる途中、先生が急に言った。
「ごほっ、」
気管に!
「い、いえそんな……それより急に押しかけちゃって」
「ううん、嬉しかった。最近ウィダーインゼリーしか食べてなかったから、あったかいご飯は久しぶり。手間かけさせちゃってごめん」
「いえいえ、全然……僕、先生になら毎日味噌汁作りますよ」
先生は静止した。
「……桃くん、人たらしなんじゃないの……」
目線を逸らしながら言われる。
「こんなの先生にしか言いませんよ」
「ぇぇ」
小声で悲鳴をあげて、先生はゆでダコみたいになってしまった。可愛いが、やっぱり熱があるんじゃないか。それとも味噌汁が熱すぎたかな。

「そろそろ帰りますね」
「あ、送るわ」
鴇先生は立ち上がろうとする。
「いいですよ!ゆっくり休んでください」
「ええ勿論……」
パソコン片手に言われても説得力がない。結局夕飯でほっこりしても先生の仕事は減らないのであった。
「あ、これ持って行って。お土産」
先生はデパートで見たことがある感じの洋菓子をくれた。紙袋に入れてくれる。この時点で貴族だ。
「こんなものまでありがとうございます。僕、今日楽しかったです」
「こちらこそありがとう。私も楽しかったわ」
先生は照れながらも言ってくれた。
先生に手を振りながら部屋を出て、マンションを出て、しばし歩いて、改札を通り、電車に乗り、……そのあいだ僕はずっとふわふわしていた。
楽しかったなあ。先生とたくさん話せたし、プライベートのことも結構話してくれたし。でも家にあげてくれるって、もしかして男として見られてないのか。大丈夫なのか。
いや、最初、つまづいたのを支えたし。……でも、後はお母さんだったな……。
まあなんでもいいや。距離、ちょっとは縮まってたらいいなあ。
おわり(鴇先生かわいいエンド♡♡♡)

翌日。
更衣室に入ると服部君がいた。
「おはよー」
「おはようございます」
服部君はいつもの無表情でずいっと寄ってきた。
「な、何?」
無視。
そのまま僕のコートを凝視する。
そして、《現場仕事をしているとは思えない綺麗な長い》指でコートに着いていた何かをつまんだ。
「髪の毛……しかも長い。茶がかっている。女ですね」
服部君はなにか分析しながら僕を睨む。
「先輩、僕というものがありながら……女ができたんですか?僕がいない間に」
「ち、違うよ!……鴇先生だよ」
服部君の目がぎらりと光った。
あ、言っちゃまずかった?でも隠した方が怪しまれる。それにしてもこの髪の毛、先生がつまづいた時に着いたのだろうか……。よく見つけたな。
「違いません。鴇先生は女です。髪が着くくらい近くで何してたんですか、まさか」
「先生んちに料理作りに行ってたんだよ!やましいことは無いから」
いや、これ逆に怪しいな。だからか、服部君は追撃をゆるめない。
「はあ?通い妻じゃないですか。僕にもやってくださいいえもう僕がやります」
「いやほんとにそういうのじゃないって!」
でも、そういうのになれたら、いいな……
「なに顔赤らめてるんですか。料理といっしょに僕も頂いてくださいとか言わなかったでしょうね」
言わんわい!とつっこもうとしたが、カーテンの向こう・女子更衣室から不安げな七森さんの声が聞こえた。
「ええっ!桃さん、鴇先生に食べられちゃったんですか?」
「え?いや、違」
その時、僕の耳に恐ろしい声が聞こえた。
「は、なんて?桃くんが園長先生に襲われた?」
広報係の遠藤さん。プライベートでも広報係であり、彼女に噂をつかまれると終わりである。

夕方、案の定職場中に広がった噂が僕にも回ってきた。
「桃くん、園長先生を襲おうとして服部君にお仕置きされたんだって?」
丁寧に否定した。「服部君にお仕置された」の完全蛇足の部分は確実に服部君がつけた尾鰭だろう。
やはり服部君が関わるとろくな事にならない。
おわり(服部エンド)
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