桃服っぽいのが色々

「服部君、先生たち渋滞で遅れるって」
僕の本棚から勝手に本を取りだして読んでいた服部君は、曖昧な返事を返した。
こいつ、話聞いてないな。
「三十分は遅れるらしいよー」
服部君は本に夢中だ。彼が今読んでいるのは「天の川の舟乗り」。最新刊でまだ読んでいなかったらしく、さっきからすごい集中力である。
結構笑えるところの多い本だが一ミリも表情が緩まない。
「お腹空かない?もう十四時だけど」
服部君はぴくりと反応した。どうやら空いているらしい。
「栗羊羹あるけど食べる?」
「食べます」
やっと応えた服部君は、栞を素早くページにはさみ立ち上がる。さっきとは打って変わった働きぶりで、すでに羊羹を見つけ出してお皿に出していた。
僕の今までのベスト羊羹は大学のサークルに置いてあった栗羊羹だ。服部君も食べたので、僕と服部君の間には栗羊羹イコール美味いという方程式が成立している。
たしか十個入りだったし、一個もかなり大きい。先生たちが来たらあげようといって、ひとつずつが乗った皿を机に置いた。
「「いただきます」」
食べ始めると、これがとても美味しい。
叔父が送ってくれたこの羊羹はよく見たら大学で食べたあれと同じもので、お皿に乗った羊羹は一瞬で消えた。……たりない。
僕と服部君は目を合わせた。思いは同じだ。
「ふたりで食べちゃおう」

残り八個の羊羹がなくなるのはあっという間であった。
なんせ五個も食べたのだ。僕はすごく満足していた。
食べる前まできちんとあった鴇先生たちへの罪悪感は、今にも幸福感に塗り替えられそうだ。
「なんか、懐かしいね」
僕は今の状況にデジャヴを感じた。大学で栗羊羹をたべたときとほぼ状況が同じだった。
「そうですね。あれが美味しかったの、少しは補正がかかっていると思ったんですが。やっぱり美味しいです」
「部長のお土産だったよね」
「部長のお土産、いつも美味しかったですもんね」
「そうそう。だから、部長が旅行から帰ってきた翌朝から一番で部室に入ったんだよ」
「そこで僕と鉢合わせて、」
「うん。他のみんなにも残そうと思ってたけど、美味しすぎて、ふたりで全部食べちゃったね。何も学んでないなあ、大学生のときから」
「慎重に一個を食べたはずが、すぐ四個なくなりましたよ」
「それで、残った一個をかけてすごい喧嘩した……ね? 」
そこで僕は違和感に気づいた。服部君も顔を曇らせた。
「一個足りない……」

そこからは心理戦だった。
大学の時食べた羊羹はさっき食べた羊羹と同じである。
内容量は変わっていないから、大学での羊羹も十個入りだっただろう。
しかも、僕たちは平等さを大切にしてきちんと数えながら食べたはずだ。食べた個数も覚えている。四個。
そうだ、その時ジャンケンに負けて結局僕は五個目を食べられなかった。だから、今日五個食べられてあんなに満足したのだ。
つまり、大学の時の羊羹は僕の食べた四個と服部君の食べた五個で九個入りだったことになる。
そうすると、羊羹が一個足りないのである。
消えた羊羹───音だけ聞くと謎の洋館が舞台の本格ミステリだが、これは日常の謎系だな。
僕はそんなのんきなことを考えながら、頭の隅ではある結論に至っていた。
服部君がこっそり食べたんだ……
六個も食べるなんて、見損なったぞ服部君。君には相応のお仕置が必要だろう。
服部君をちらりと見ると、その視線に気づいたように服部君もこちらを見た。
「桃先輩……失望しましたよ」
「え? 」
「先輩がこっそりひとつ取って食べていたのでしょう」
「ええ? そ、それはこっちのセリフだよ! 」
「は? どういうことですか」
「いや、服部君がこっそり食べたんでしょ? 」
「違いますよ。先輩が食べたんです。そうじゃなきゃ羊羹の数が足りませんから」
「食べてないってば! 」

戦争になった。
もちろん僕たちは大人なので、冷静さをかいたときは(たぶん)一瞬もなかったとことわっておく。
そういえば、大学生で羊羹を食べたときも、こうやって喧嘩したっけ。ジャンケンをすることを思いつくまでこんな感じで争って、そしたら……
嫌な予感が頭をよぎった。
いやいや、考えすぎだな。今あの子が来るわけないじゃないか。それより目の前の服部君に集中しないと。
しかし、玄関のチャイムが鳴った。もう先生たちも来る頃だったな……服部君と僕は一旦落ち着き、乱れた髪とかを直しながら玄関へ向かった。
ドアを開けると、そこにいたのは懐かしい顔。彼女はあら?といった様子で目をしばたかせた。
「桃さん、服部さん、久しぶりです……ごめんなさい、事後、でしたか?それとも息が上がっているのを見ると、ちょうどやっていたところ?」
嫌な予感は的中した。なぜいるのか知らないが、彼女は梅ちゃん……僕と服部君にあらぬ誤解を抱く、大学の後輩である。
大学で僕らが残ったひとつの羊羹を巡って喧嘩していたとき。丁度入ってきた梅ちゃんは、僕たちが組み合っていたせいでその誤解を深めた。
「梅ちゃん、私の高校の同級生なんです。桃さんたちと大学が同じって知って、サプライズで連れてきました!」
後ろに立つ七森さんは眩しい笑顔。
悪気がないゆえに、さらに切ない気持ちになる。なんて悲しい奇跡だろうか……。
「ごめん、帰省シーズンだから混んでて。電車で行けば良かったわ」
鴇先生はいつもの鋭利な美人だった。
ふたりとも梅ちゃんのおかしさには気づいていないのか。この子、言ってること以外はふつうの可愛い女の子だからな。
手を洗ったりしてそれぞれ落ち着くと、梅ちゃんはあらためて口を開いた。
「まさかこんな最中にお邪魔してしまうなんて……あたし、桃さんたちの愛を舐めていました。人を待っている時間におっぱじめるなんて」
「待って梅ちゃん、誤解だから。なんでそうなんの? 」
「じゃあなんなんですか、その乱れ具合は! 」
「とある事情で取っ組み合いをしてたの! 」
「取っ組み合い? 隠語ですか? 」
らちが明かない。かといって先生の前で、羊羹(しかも、何年も前の)をめぐって争っていたと言うのも……
「ほら、服部さんもなんか気だるげな顔じゃないですか! これは……やっていますね」
梅ちゃんが来たからである。服部君がどれだけ変態でも梅ちゃんの思い込みのすごさの前には何にもならない。
服部君は後ずさりながら反論した。
「羊羹に関して争っていたんです。先輩がこっそりひとつ食べたのに正直に言わないから」
それは聞き捨てならない。
「違います、服部君が食べたんだって」
また言い争いが始まりそうになったが、鴇先生が止めた。
「ちょっと、何の話? 詳しく話しなさい」

僕と服部君がかわるがわる説明すること数分。先生は当初の訝しげな顔からどんどん呆れた顔になっていった。
「そんなので喧嘩してたの? …………ふたりとも、本当にこっそり一個食べてないのね」
先生は確かめるように語尾を上げた。
「はい。天地神明に誓ってしていません」
「僕だって、そんな卑怯じゃありません! 」
僕たちははっきり言い切った。でも、それならなんで一個足りないんだろう?
「最初から九個入りだったんじゃないですか? よく見てなかっただけで」
七森さんも推理に参加してくれるみたいだ。
「でも、この羊羹は十個入りで」
「桃さんたちより先に、誰かが一個取った…とか?」
でも、僕は本当に一番に行ったんだ。部室の鍵を受け取ったのも僕だし……まさか、密室トリック
「ミステリ脳すぎよ」
声に出てたらしい。
「ふつうに、買ってきた人が食べたとか友達に一個あげたとかでしょ」
「いえ、未開封だったと思います。開けるのに苦労したので」
たしかに服部君の言う通りだ。はさみを駆使した記憶がある。
突然、そこまでぼーっと話を聞いていた梅ちゃんが叫んだ。
「あっ! あの日! 」
そして、気まずそうに独白した。
「あの……その羊羹。あたしが食べました……」

結局、犯人はクロだった。大学で飼われていたネコである。
梅ちゃんは僕たちが取っ組み合いを始める前から部室のドアをこっそり開けて録画していたらしく、(男ふたりでこんな朝っぱらからナニしてるんですかっ! と思ったとのこと)その動画を確認すると犯人は明確であった。
僕らが羊羹に夢中になっている間に、梅ちゃんが開けたドアの隙間から入ってきたクロが羊羹を一個奪っていたのだ。もともと手癖の悪いネコであるから、前からいくつか被害はあった。
羊羹をくわえ部室を出ようとするクロを見た梅ちゃんは、ネコにあまり甘いものを食べさせてはいけないと貰った(奪った? )らしい。

「なんだ……クロだったんだ」
少し考えれば分かったことかもしれない。美味しすぎる羊羹に我を忘れていた。
「ごめんね、服部君」
「いえ、僕こそ申し訳ありません。取り乱しすぎました」
こうして事件は平和に仲直りして終わった。
しかし、僕たちの友情を不純な目で見る女子は一名残っている。
「雨降って地固まる、理想の恋人像ですっ! 照れ隠ししても無駄ですよ、あたしには分かるんです。仕事場まで同じなんて、すごい愛じゃないですかっ! 大学のときからいつもいっしょで、ふたりの間にはただならぬ雰囲気がありました……付き合ってもう、五年? とかじゃないですか? 」
「付き合って? 」
先生が眉をひそめた。
「いや、付き合ってません。この子、思い込みが激しいんです」
僕は必死に否定する。事実無根だ。
「梅沢さん。僕は確かに先輩のことが好きですが……」
「やっぱりっ! 」
「待ってください。僕は桃先輩に限らず、人の困っている顔を見るのが好きなだけです。僕にも先輩にも男性を恋愛的に好く趣味はありません」
梅ちゃんは耳をふさぎ、首を振った。
「そんな…そんなわけないっ!ほんとに見たんです、桃さんが、服部さんに、欲情してたんですっ」
彼女だけに見えるなにかがあるのかもしれない。走れメロスすらメロスとセリヌンティウスのBLだと言い張っていたのだから。
「で、そろそろノノたちの様子を見たいんだけど」
「あっ。すみません! ケージ持ってきます! 」
なんで僕の家に集まったのかすっかり忘れていたが、前の事件から預かってるハムスターたちの様子を見るためなんだった。
ハムスターは健康そのものでわざわざ暑い中来る意味はあったのかと思わされたが、広義では先生と夏休みの思い出を作れたということである。……ほんとうに広義で。
七森さんと鴇先生は、ハムスターのトトとノノを腕にくぐらせたり手に乗せたりして遊んでいる。
梅ちゃんは服部君に怪しい取引をしている。
大学時代にタイムスリップしたような気がして、僕は懐かしい気持ちになった。おわり
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