桃服っぽいのが色々

夜。仕事が長引いた僕はとても疲れていて、帰ってきたらすぐにベッドに倒れ込んだ。
このまま寝よう……そう思って眠りにつく直前、急に御手洗潔が見たくなった。
そういえば、最近忙しくて読書も出来てなかったな。「斜め屋敷の犯罪」でも読んでから寝ようか。
しかし、本棚を探そうとして思い出した。
先週から服部君に貸したままだ……
くそ、服部君め!もう二冊くらい読んでるだろ、一冊ずつ返せよ!一気に返されても、持って帰るの大変なんだよ!
残業で疲れた僕のイライラは、全部服部君に向かっていた。
お金持ちなんだから自分で買えばいいのに!いくら変人とはいえ服部君の本棚はおかしい。現代のものとは思えない。三国志とか宮沢賢治全集、百科事典くらいしかないんだから……。電撃文庫、買えよ!
僕はぶつくさ言いながらも眠気に抗えず、もう何も読まずに寝た。

起きた。
爽やかな朝だ。心軽やかに窓を開けた。うっ、暑い。
今日は休園日だ。お客さんと接しなくていいと思えば、普段より楽だといえる。もちろん、お客さんがいない時だけできることはたくさんあるので忙しいのだが。
でも、仕事中も同僚と話したりできるし。
そう考えたときに、服部君のことを思い出した。
そういえば、昨夜は服部君にえらくイライラしてたな。
今思ったらそんなに怒ることでもない。ごめん、服部君。心の中で謝る。
僕は疲労もイライラも無くなってなんでも出来る気分で家を出た。

観察して餌をやって寝舎を掃除して、いつのまにか昼休みの時間になっていた。今日はずっと自分の担当のところで手一杯で、まだ事務の人としか話していない。
お昼を食べにミーティングルームへ向かうと服部君がいた。いつもの無表情である。
隣に腰かけると服部君はちょっと緊張した顔をした。
「服部君。今日はなに弁当にしたの」
「コロッケ弁当です」
コロッケを食べていた箸を止めて、服部君は答えた。前、コロッケは苦手だって言ってたけど。
「コロッケ食べれる?僕が食べようか」
「いえ……あ、ありがとうございます」
服部君は僕の弁当にコロッケを移したら黙って下を向いてしまった。なんだかいつもより静かだ。
普段ならコロッケの起源でも話し始めるか、漬物も僕の弁当に移し地味に塩分の嫌がらせをするか、僕がシャンプーを変えたとか言い当ててくるところだ。
僕が話を振っても服部君のいつもの調子は出ず、結局二人とも食べ終わってしまった。
誰かの携帯が鳴る。聞き覚えのあるメロディ。
「『きよしこの夜』?季節感ないなあ」
びく!服部君の体が揺れた。なんだ?これに限らず、どうもさっきから服部君の様子がおかしい。どうしたの、と聞いてもなんとなく誤魔化された。
これは謎だ、ミステリだ。僕は、後輩の元気を取り戻すためにこの謎を解くことを決意した。灰色の脳細胞をフル回転させる。
仮説。季節感がないものが嫌?
「服部君、降りしきる蝉の声に夏の盛りを感じる頃になったね」
「はあ。そうですね」
元気出ず。うーん。
やはり僕に名探偵は無理か。あらためて鴇先生はすごいと感じた。でも、まだ出来ることはあるはずだ。ワトソン役のいいところは諦めないところなんだ。
服部君の活気を戻すには?頭の中で検索する。興味がある話題を振ればいいと思うよ、と僕β。そういえば服部君は文系人間で、妖怪などが好きだった。
「遠藤さんに聞いたんだけど、向こうのお手洗いに妖怪が出るらしいよ」
びく!またも服部君の体が揺れた。失敗である。妖怪の話にも乗らないとは、重症だなあ……
仮説二。怖いのが嫌?
「でもポマードって三回唱えたら大丈夫だからね!」
「それは口裂け……いえ。そうですね」
ツッコミも放棄するほどの生気のなさ。これも失敗か……。
というか。服部君って憂鬱なときにたくさん話しかけられても嬉しくないタイプか。うん、普段の感じからそんな気がする。とすると今までのは全部逆効果である。冷静になれ、僕。
僕は話しかけるフェーズから微笑むフェーズに移行した。でも、服部君の目は死んだままであった。
そうだ、と思い出した。
今日は昼休み用に読む本があるんだった。京極夏彦のサイコロ本。
「服部君、僕ロッカーに本取ってくるね」
一人にさせた方がいいかもと思い言ったが、服部君はまたびくっとした。一体なんの規則が?

廊下を歩きながら考えていたが、全然分からないままロッカーについた。服部君の謎は深まるばかり。明日には元気になってるといいけど……
ロッカーの扉を開けると、なぜか高そうな信玄餅が入っていた。その下には御手洗潔シリーズの一巻と二巻。服部君に貸してて、昨日僕が読みたがっていた本だ。
服部君が返したんだろう。ロッカーの番号は把握されているし。そしたらこの信玄餅は服部君の?いつもは本貸してもお礼なんて貰わないけど……
そのとき、僕はやっと謎が解けた。
服部君が反応した言葉は季節感や妖怪などではなく「きよし」、「お手洗い」、「本」だったのだ。つまり御手洗潔シリーズ。昨日僕が服部君にイラついていた原因の本。
忘れていたが僕の部屋には服部君によって盗聴器がつけられているのだ。
きっと彼はいつもの調子で僕を監視しており、僕が服部君にイラついている場面を見てしまったのだろう。
悪い事をしたなあ。
服部君はきっと僕のことを待っている。
僕は急いでミーティングルームに戻った。

「服部君っ」
さっきのままパイプ椅子に座っていた服部君はちらりと僕の方を見た。いつもより弱気そうに見えた。
「服部君、僕、怒ってないよ」
「は?」
服部君は驚いた様子で、やっとこちらをまともに見る。僕の名探偵ぶりに驚いたらしい。期待値が低かったのかもしれない。
「僕、そんな、本がないくらいで怒らないよ。昨日残業でイラついてただけ」
「……」
まだ表情が冴えない服部君。
「ほんとだって!大丈夫だよ」
「……しかし、先輩が寝言で『服部君め。いつまでも貸していると思うなよ』と」
「そ、それは……」
知らなかったが。
「とにかく!本を一気に返すからって、それだけで服部君のこと嫌いにならないよ」
「本当ですか」
服部君は少し不安げに聞いた。
「ほんとう。さ、信玄餅食べよう」
僕は安心させるように言い、隣の席に座ろうとしてこける。服部君は僕の焦った顔をすかさず撮った。
よかった、いつもの服部君だ。
そんなに僕に嫌われたくないならこの機会に盗聴をやめて欲しいのだが、まあ服部君が楽しいならいいかと思う。僕は信玄餅の袋を開けた。(おわり)
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