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01_雪道に始まる

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夏目友人帳夢小説・あやかしこよしの夢主名前変換です。
デフォルト:駿河(苗字は八月一日で固定です)
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△ ▽ △ ▽ △



曇り空からは絶え間なく粉雪が降り続き、薄く積もった白色は踏みしめる度にさくさくと小さな音を立てる。
吐く息は雪と張り合うように白く、より一層寒さを際立たせた。

寒さは苦手だ。
指は悴むし、服は嵩む、足取りだって重くなる。


「……は」


一息、空気を白く染めてみる。
ふわりと色をなくしていく様を眺めては、少しだけ羨ましく思ってしまう。
己のもやもやしたものも、空気に解けてしまえばいいのに。
叶いもしない羨望を己らしくもないと諦め、マフラーに深く顔を埋めて目の前に建つ家を見上げた。

どこか古風でありふれた木造二階建て。
降り積もる雪を払うことができる筈もなく、青い瓦屋根は白く染められてしまっている。
積雪を免れた表札にある二文字だけが、ここが己の目指していた場所だと示していた。


「……ん?」


戸の前に立ちインターホンを探したが、それらしきものは何処にも見当たらない。


「……マジか」


インターホンのない家なんて初めて見た。
ここも古風なのだろうか、否これが普通なのか。
郷に入らば郷に従うべしとはいうけど、郷を知らないからさて困る。
戸を叩くべきなのか、声を張り上げるべきなのか。


「…………」


声を上げようかと思ったけど、やめておく。
雪の無音しかしない此処では近所迷惑になるだろうし、なにより雪が冷たい。

さてアナログに戸を叩こうと腕を伸ばすけど、その腕が戸を叩くことはなかった。

――ノックの前に手が動かせなくなったんだから、これは“叩けなかった”が正しい。


「すぅ……」


大きく息を吸う。
二秒ほど外気を胸の中に溜めて、勢い良く吐き出した。
冷たい空気が身体を通り抜けて、凝り固まった気分が澄んでいく気がする。

緊張とか、ガラじゃない。
考えずに動けとは死んだじいちゃんの格言だし、己の心情だ。

やるしかないだろうと、再度腕を上げた――その時に。


「はいらぬのですかー?」


横から声がかかった。

また戸は叩けなかったけど、これは不可抗力だと認める。

二歩ほど離れた場所に視線を向ければ、鴇色の着物を纏った少女がそこに居る。
今では絶滅危惧種に認定されかねない、純日本製の黒髪おかっぱ頭。
それが完璧に似合っている日本人形さながらの愛嬌ある容姿と、少し舌足らずで間延びした口調。
可愛さの定義なんぞよく分からんと唸りたくなるが、ふと撫でてみたくなるからこれが愛くるしいというものなんだろう。
この幼女ともとれるほど幼げな可愛らしい少女は、己の恩人である。

初めて訪う場所に地の利は皆無。
何処も彼処も雪で白く染め上げられ、目印として教えられていた建物は行方不明。
そんな状況下で己が道に迷うことは、迷ったことにすら気づけなかったほどには簡単だった。

当然道案内をしてくれそうな人を捜したものの真白の寒空の下に人影はなく、間違えて声をかけてしまった輩には追っかけ回される始末。

そんなこんなで二時間ほど彷徨って、途方に暮れていた己に声をかけてくれたのがこの少女。
渡りに船、大海の木片、地獄に仏。
正にそれだった。
裏もなくただ親切をしてくれるだけらしかったこの少女を今でも拝み倒したいほどには感謝の念でいっぱいだ。
感謝してもしきれないが生憎礼に足る持ち合わせはなく、今はありがとうの一言でしか返せていない。


「……こ、これからそうしようとしてたんだ」
「そーですかー」


折角のなけなしな気合を白紙に戻され誤魔化す己を眼中に入れず、少女は其処彼処に積もる雪で遊び始めていた。
砂場のように山でも作りたいのか、両手で雪をすくってはそれを積み重ね、ペタペタと小さな手で表面を叩き均しながら形を作っていく。


「…………」


ずっと眺めていても飽きないような、ころころとした少女のちまちまとした動き。
少女の可愛さを再確認しながら戸に視線を戻し、再度空気を吸い込む。
今度は溜め込むことをせず一気に吐き出した。
勢いでいこう、勢いで。

もう一度腕を上げた腕は――果たしてまたも与えられた役割を全う出来ず終わった。


「うー……んーうぅー……」


くぐもった鳴き声……否呻き声が聞こえる。
発生源を目で辿れば薄く積もった雪にうつ伏せる少女の姿。
ぼすっと、そんな感じの音がしただろうなと思えるような、見事な伏せっぷり。
……まさか新しい遊びじゃなかろうな。


「……うー……んー……」
「…………」
「……うぅぅー……」
「……って、おいおい!」


眺めてる場合じゃないとはたと気づいて雪に埋もれたまま動かない少女の襟首を摘まむ。
雪から起こされぷはーと白い息を吐いた少女の顔は真っ赤になっていた。


「はぁ……お前これ、霜焼けしかけてんじゃねえかよ」
「……しゃもけー?」
「シモヤケだ、シモヤケ」
「……ほおー……しもやけとはなんぞひりひりとするようなー?」


赤く染まった両手を同じく赤く染まった頬に当て首を傾げる少女に呆れ顔を隠しきれないのは仕方ないだろ。

幼い肌は外界の刺激に弱いのか、既に霜焼けの初期症状が見られた。
これ以上悪化しないでくれよと念を込めつつ着物に張り付く雪を指先で丁寧に落としていく。
きゃっきゃと擽ったそうに身を捩って跳ねるのだから心配ないのかもしれない。
子供は風の子大人は火の子、霜焼けくらい大丈夫か。


「それにしたって、こんな寒い日に顔面から雪に埋もれる奴があるかよ……」


また埋もれられても困るからと雪があまり深く積もっていない場所、つまり己の隣へ安置。
そうすればとことこと己の足に歩み寄って靴を食い入るように見つめ始めた。
和装少女にはスニーカーが珍しいらしい……あ、靴紐解けてる。

靴紐を結うという行為さえも珍妙なのか指の動きを目で追う少女に合わせていつもよりゆっくりと丁寧に結び、左右で靴紐の完成度に大幅な差がついたスニーカーを見てさて左もついでに直そうかと手を伸ばすとまたも呻き声。


「ぁー……、ぅー……」
「!?」


まさか靴紐を結う一瞬の隙にまた埋もれたんじゃねえだろうなと慌てて顔を上げれば、少女は両手でぺたぺたと自身の頬を擦っていた。
その頬はさっきよりも赤みが目立ち心なしかご本人様は涙目である。
風の子でもこの少女は例外だったか霜焼けもとうとう本格的になってしまったらしい。

確信を得て、唯一の持ち物兼荷物のボストンバッグを開く。
重過ぎる荷物は肩を苛め続けていたため、此処に着いてすぐ降ろしていたから存在を忘れかけていた。
でかいのに忘れかけてた、唯一の荷物。

緑を基調とした迷彩柄は雪を被っているものの汚れ一つなく、傷や解れも全く無い。
三年前に買って以来未使用を貫いていたから当然だ。
中は数着の衣類と細々としたものがごった返し、どこに何があるか分からない状況になっている。


「いくら急いでたっつってもなぁ……」


今更後悔しつつ腕を突っ込み、何を入れたかは憶えているから特に問題ないかと前向きに捜索する。


お別れが辛いわと言われた。
まだ此処にいていいのよと言われた。
もっとゆっくりしていきなさいなと言われた。


早く出ていけとは言われなかった。
顔を見なくて済むのねとは言われなかった。
やっといなくなってくれるのねとは言われなかった。


だからこそ準備も碌にせず飛び出してきた。


「……目は口ほどにものを言うんだよ、オバサン」
「おばさーん?」
「ん、いや……なんでもねえよ」


苦戦しながら混ぜ返していれば、底の方で目的の物に指先が触れた。
そのまま中指と人差し指で摘まみ引きずり出し封を開け、十数回振る。


「よしっ、これでオーケー!」
「なんぞやー?」


差し出したミニサイズのカイロを暫く見つめ、意図を察したのか少女はそっとそれを受け取り頬に当てた。
使い方を知っているとは、和風少女に意外性を見たり。


「うーん……お前にはちょっとでかかったか?」
「…………」
「どうだ? 温かくなってきたか?」
「かもなくー……ふかもなく?」
「ま、そうだろな。すぐに温かくなるだろうから、それまでそれ当ててろよな」
「なにゆえに?」
「己も理屈はわかんねえんだけどよ、まあ文明の利器ってやつだ! 勝手に温かくなる不思議な砂袋ってな!」
「…………」
「……なあ、ほんとに大丈夫か?」


俯いた少女から返答はない。
やっぱ頬が痛むのか?
それとも雪に触れた指先だろうか。
おかっぱ頭から覗く耳も赤くなっているようだから、カイロどころでは意味がなかったのかもしれない。
それでも怪我病気知らずだからといって医療品の一切を持ってこなかったのだから、少女が顔を起こすまで待つしかない。

内心はらはらしながら静観していればやっと少女が顔を上げた。
小花がぽふりと咲いたような、幼くて、温かい、可愛らしい笑みがある。


「これをあなたにおさしあげー」


いそいそとカイロを足元に丁寧な手つきで置いて、どこから取り出したのか長方形の紙を差し出してくる。
己の手の平くらいの大きさをした紙は薄桃色、筆で描かれているのだろか、中央にはでかでかとミミズがのたくったような模様がある。


「なんだこれ?」
「めーし?」
「名刺?」
「はいなー……ばばーんっ」
「それ効果音!?」


遅れてきたセルフ効果音に呆れつつ少女の差し出す『名刺』に目を落とす。

受け取って、いいのか。

知らない他人から物を貰ってはいけませんとは小学生に広められる教訓ではあるが、己は小学生ではない。
これでも物事の判別くらいつくお年頃だ。
それでも受け取ることを躊躇ってしまうのはこの少女に不信感があるわけではなく――重いのだ。
好意が重いのではない。
なんとなく、感覚的に。
大人の真似をしたような名刺は、然し自分の手のひらに有り余るような重いものに感じた。
敢えて言葉を与えるなら――責任。


「……貰って、いいのか?」
「どぞどぞー」


受け取る紙は見た目通り指触りが柔らかく少し厚め、古そうな和紙ではあるが脆さは感じさせない。
それでいて持っているのが不思議なくらいに重量を感じさせないそれがとても重要なものに思えてくるからまた不思議だ。

絶対に、傷つけてはいけない気がする。
少女にとってこの『名刺』がただのごっこ遊びなのか如何なのか、受け取った己には推し量れるものじゃない。
それでも、己にくれたっていうことが、嬉しい。


「ありがとな」


雪は相も変わらずちらちらと降り続き、じっと蹲っている間にも己の赤いマフラーをゆっくりと白く染めていく。
少女も例外なく、その頭に柔らかな雪胞子を被せていた。
礼に笑みを乗せつつその雪帽子を指で払い落としてやれば、ぐらつく頭を押さえる少女から変な声が上がる。


「きゃわわわわわ」
「あははっ」


雪が降るほど空気は冷たいのに、触れる指先は温かい気がする。
ほんのりと、ふわりと、背中を押されるような温度。


「……それじゃ、行ってくるわ」
「もうです?」
「もうです」
「はいなーごりょーしょー」


言って一歩下がるカムロギはいってらっしゃいませーと両手で手を振ってくれる。
それに手を振り返して、振り返す距離でもないなと気付いて笑って、藤原家の戸を拳で小突く。


「すみませーん!」


四度目の挑戦はこれまでの失敗と比べるまでもなく軽く、叩かれた戸はしっかりとした音を立てた。
語尾が少し震えた声は、しっかりと住人に届いてくれたらしい。


「はーいっ」


屋内から聞こえた応えに、スリッパだろうか、次いでぱたぱたと足音が少しずつ己へと近づいてくる。


「…………しばしさらばです、――――」
「ん? 今なんて……」


何か聞こえた気がして振り返った先には、少女の姿も人影すらもなく。


「…………」


もう行ってしまったかと、奇妙な隣人の去ったそこを見て少しおかしくなってしまう。
不思議と淋しくはない。


「……あ、名前」


訊き忘れていたと、今更ながらに思い至る。
名乗り忘れていたと、つられて思い出す。

やっぱり余裕がないのかもしれないな。
ここまで導いてくれた恩人になんという非礼だよやっちまったなぁと苦笑序に頭を掻いて、まあいいかと笑みに変わる。
きっと近いうちにまた会えるだろうと、コートのポケットに少女の名刺を仕舞いながら根拠もなく、確信をもって思う。

もうすぐ戸が開いて、そこから住人が出てきて、その人に挨拶をして。
そこから如何なるかなんて分からないし、如何していいか考えてない。
上手くやっていけるとは限らない、同じ失敗を繰り返さない保証はどこにもない。

戸が開かれたら、そこからスタートだ。

後戻りはできないし、しても戻れる場所はない。
不安に思うこともあるだろうし、実際今不安過ぎて弱音吐きそうだし。

それでも始めなきゃ始まらないのは当然のこと。
薄いコートの上から撫でた少女の名刺が温度もないのに温かく感じる。


「今日からお世話になります、八月一日駿河です。……よろしく、お願いします!」


小さくて不思議な隣人。




語尾が震えてしまっても言い切れたのは、親指サイズの小さな小さな少女が雪の中、姿無くしても己の背中を押してくれたからだ。
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