01_終わりの産声、始まりの血臭
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デフォルト名:フィンネル
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雨は苦手だ。
雨を見れば昔のことばかり思い出す。
水に飢えた土地では神の恵みだと、青空の下に遊ぶ子らには意地悪だと、肥え太った土地には迷惑だと、様々な評価を受ける雨空に自分はひどく懐かしさを覚えてしまう。
緋龍城に来てもう十年ほどが経つだろうか。
ヨナの七歳の誕生日前だったから大体それくらいになるだろう。
自分は緋龍城へ来るまで、所謂家無き子だった。
親の顔を知らない子供はどこにでもいる。
屋根の下で日を過ごしたことはなく屋根の概念すらも薄い、そんな環境もよくあることだ。
けれど自分は、雨の日には冷えきった鉄の棒で形作られた箱に詰められるか、鉄の輪に繋がれ凍てつく滴の下へ放り出されていることが多かった。
だから人一倍、寒い季節には体を突き刺し暑い季節には体にまとわりつく雨が嫌いだった。
それは今も変わることはない。
それでも一応、親とは呼べないが養ってくれている者はいた。
必要なときに必要なもののみを最低限に、躾だけは誰よりも多く自分に与えてきた者は――自分を縛る鎖の鍵を持つ男は、いつも言っていた。
『買われたならばお前も変われるだろうよ』
その頃は言葉も言葉の意味さえも知らなかったから、『かわれたらかわれる』という言葉の羅列をただ漠然と認識していただけだった。
そんな漠然とした認識を自分に植え付けてきたその男は所謂売人と呼ばれる人種で、そんな男から見れば自分は人間ではなく商品で、男はその商品に対してこの国を嘆くような台詞ばかり吐く表面的な愛国者だったことを憶えている。
『ユホンではなくイルが国王になってから、お前みたいなモノが増えやすくなった』
『俺のような人間をのさばらしちまって、イル国王も悪いお人だなあ』
そう自分自身の置かれた環境とそれが作るという“自分”を嘆き哀れみながらも、いつもどうでもいいような顔をしていた。
閑話休題。
男のことは嫌いな雨と同時に必ず思い起こしてしまうものなれど、今は全くもって関係ない。
然し実際男の言う通り、買われたことで自分は変わったのだ。
商品から所有物へ、そして人間に。
道具から最下層へ、そして貴族に。
普通なら有り得る筈のない変わり様。
それも全てイルという名の人間が、この国の国王があってこそなしえた偉業か。
貴族の紋もきらびやかな着物も豊かな教養もない、ただの商品だった自分を見つけ出してくれた。
ただの王族の気紛れでも勘違いでも、ただの偶然でも運命でも神の悪戯でも救いでも、なんでもいい。
鎖に繋がれることなく雨を凌げる屋根の下にいられる。
毎日衣を纏い、言葉や文字も覚えられた。
なにより、自分が商品という名の最下の身分だったと知っても扱いを変えなかったヨナやハク、スウォンのような大切な存在が出来た。
未だに自分を王家の血筋ではないと、卑しい出自だと蔑む者は少なくない。
けれどそれも自分のことを知っている王家にゆかりある一部の者のみ。
数は限りなく少ない。
イル陛下が何を手回ししたのかは知らないが、自分はイル陛下の血を辿った先にある者の子、遠い親戚の従兄弟のようなものだとこの城内で位置付けてくれている。
つまり自分には、イル陛下へ感謝の一言では表せられない恩があるのだ。
イル陛下が望むならこの重苦しい怠さなど意に介さぬ自信があるし、この身に可能なことならば限界を超えてでも尽くす気でいる。
自分はイル陛下を何より優先したい、イル陛下の大切を守りたい、その思想がどれだけ愚かであっても否定しようなどとは絶対に思わない。
――けれどこれは……此度だけは
「何故です」
これだけはどうしても、イル陛下に対して疑問に思わずにはいられない。
「……何故、ヨナに幸せを与えてやらねえですか」
ヨナは自分に温もりを与えてくれた。
商品価値を失い人にもなりきれなかったモノに物を教え、心を与えて、笑顔をくれた。
不思議とヨナの傍らにいると落ち着くし、ヨナがいないと落ち着かない。
自分でも失笑してしまうような懐つき具合だとは思うが、ヨナの近くが心地いいのだから仕方がない。
妻を賊に殺されたこともあるが、元からの親バカでふくよかで穏やかな男はヨナに求められたものは全て与え、ヨナの為と政務を切り上げ不味い粥を作ったことすらあるほどの溺愛ぶり。
ヨナは幸せな姫だ。
そしてその幸せを与えてきたのがヨナの父、イル陛下なのだから。
穢れや危険が及ばない環境、しきたりに厳しいこともなく悪意に触れることもない暖かな城で穏やかな人々に囲まれ、愛され、欲するものは惜しむことなく与えられてきたお姫様。
そしてそれが幸せなことであると認識していないことは、きっと不幸なのだろう。
当たり前のように与えられてきたこと、そして外を知らないからこその幸福への麻痺。
外界から見ればそれは無知だの傲慢だの世間知らずだの哀れだの言われるのかもしれないが、この城でこの先も暮らしていくヨナならば麻痺したままでもいいのかもしれない。
その幸福への麻痺を上回り、ヨナが幸せだと感じることは一体なにか。
父であるが故に自分よりも長くその心を見てきたのだから分かりきっているだろうに、麻痺したヨナの心をイル陛下は無視するのか。
何故、ヨナの夫にスウォンだけは選ばぬと断言するのか。
スウォンだけは、与えられないと言い切るのか。
ヨナも十六、そろそろ婿がいるかなと呟いていたイル陛下の自室を夜訪れスウォンはどうかと訊けばこれだ。
どうしても、自分には理解出来ない。
「仕方がないんだよ……」
「何が、仕方ねえです」
ヨナの幸せの為になんでもしてきた男が、何故幼馴染みとの結婚如きを許せない。
スウォンは気立てもよく器用で頭も切れる。
イル陛下の兄の息子ならば王族の血は申し分無く引いている。
そしてヨナの幼馴染みであり長年の想い人でもある。
時に見せるドジな間抜け具合だけ除けば、これほどこの国にもヨナにも良い話はない。
「……王族には危険が付き纏うものなんだよ」
「そんなもの、いくらだって回避するです。それにハクがいるじゃねえですか。ハクが側で護れば……」
「フィンネル。ヨナの母親はね、賊に殺されてしまったんだよ」
「……知ってる、ですよ」
狡い。
卑怯だ。
自分の妻ではなくヨナの母親と言われては、自分には反論出来ないではないか。
ヨナの母親つまりはこの国の王妃が遇った悲劇を知らない者は、この城にはいない。
幼い娘を残し賊に殺されてしまった王妃。
十分な護りがあったにも関わらず、その命は無惨にも散らされた。
死の詳細までは知らないまでも、それだけで王族に付き纏う危険が如何程かは容易に想像できる。
斯く言うヨナ自身も、幼少時に攫われかけた。
生来の気質から穏やかだったから尚のこと。
妻を失い次はヨナを失ってしまうかもしれないという恐怖に固められた武力・武器への嫌悪や警戒は、イル陛下から離れる兆しが未だない。
「分かっておくれ、フィンネル。私は誰にも、不幸になってほしくはないんだよ」
「…………」
そんな悲しそうな目で微笑まれても、嬉しくはない。
そんな虚しい手つきで撫でられても、暖かくはない。
ヨナを悲しませたことを悲しむならば初めからしなければよかったのに。
しかしその決意は何故か頑なで、何か思惑があるのかもしれない。
きっと自分一人では到底動かせないのだろう。
……しかし、ヨナはまだ十六。
結婚などまだ早いだろうし、期が熟すまで気長にイル陛下を説得していけばいい筈だ。
時は人を変えるというし、その言葉の証は自分自身が持っている。
思い出した時にでもハクに持ちかけてみようか。
スウォンにもそれらしく訊いてみよう。
それでもしスウォンに気があるようであれば、尚更事が進みやすいはず。
……そう心の内のみで前向きに事を決めることで、今のやり場のない感情を押し込めやり過ごすことにする。
ゆっくりと頭を撫でる武器を知らないふくよかな手が酷く悲しく感じる中で、未だ暗い夜空から降りしきる雨の音がひどく耳障りだった。