Away from the Rain


 

 目の前で、影が落ちた。陽の光はムカつくほどに明るくって、でもそれを覆うようにうっすらと何かが落ちていた。
「えっ」
 目の前にいたはずの炎が、なくなっている。その代わりに、彼が着ていたはずのコートとが、泥にまみれて落ちていた。
「う、嘘だろ、おい、グリル、ビー」
 体からすっと温度が消える。火照っていた目が乾く。
「……変わったんじゃない。そうしたいと思っただけなんだ」
 その声は、直ぐに彼のものだとわかった。
 服の合間に、炎がちらちらと見えた。けれどそれは、彼の形をしていない。ただ、服に小さな火が燃え移っただけのように見えてしまう。
「じょ、冗談だろ、おい……!」
 その服を抱き寄せた。ほのかに、日のぽかぽかとした香りがする。そこに、古びた木のような懐かしく、香ばしい匂いがして、俺の目から涙が伝った。あぁ、だめだ、泣いてしまっては。
 おちた雫は彼の体の一部を濡らして、音を立てて消える。その涙も、火も。
「行動しただけだ。自分がしたいように。今の私も」 
 何か、雨を凌げるものを。傘、傘は?そうだった。俺が投げ飛ばしてしまったのだった。後悔と自責の念に駆られる。焦りと悲しみでごちゃごちゃとした感情が涙となって伝う。
「……サンズ、行動しろ。お前のために。お前が生きるんだ」
 はっと、俺は体の動きを止めた。そして、ちろちろと燃える炎を見つめる。
「お前の人生だ」
 ずっと、何かのために生きていた。ニンゲンを裁くため。世界を観測するため。その全てが、彼から背負わされたものだった。
 自分のために生きる。自分で考えて、行動をする。
 みんなが地上に出て、変化していった。自分のやりたいことを見つけて、生き生きと進んでいった。それに比べて俺は、立ち止まったままだった。いつもと同じように、研究者になった。そのまま流れに沿っていただけだった。
 変わったんじゃない。元々みんな、自分の人生を選んでいただけだったんだ。
「……っ」
 その小さな悲鳴に、俺はハッとする。
 今、俺がしたい事。ACTするんだ。
 俺は急いで何か持っていないかポケットを探った。マッチでもいい、何か、何か燃えるものを。
 けれど、何日もさまよった俺の懐には何も残っていなかった。
 このままでは死んでしまう。俺を救ってくれた彼が死んでしまう。
 すると、ポケットに入っていた手が何かを掴んだ。かさ、と音を立てるそれを手繰り寄せる。
 それは、一見見覚えのないただの紙切れだった。
 長い、長い紙。呆然とそれを見つめた。そこにはなにか書いてある。
 〇月▷日、ケチャップ三本 千六百五十円
 そんな日付と値段が、つらつらと書き連なっている。地底にいた時の日付から、つい最近のものまで。
 それは、ツケの記録だった。あの日、彼が俺に手渡した物は、これだったのか。なんでこんなものを渡したのか、考えると頬が緩んだ。そしてその先を一つの火に付けた。
 その長い長い紙切れに、導火線のように火がついた。紙を浮かせれば、円を描いて火花が何十、いや何百も爆ぜる。それは次第に大きな爆発となって、燃えて、光り輝く彼の体となっていく。
 その光景を、唖然としながら見ていた。その、がたいのよい光る体が作られていく。つま先から、頭の先まで。火の粉が舞って、爆ぜて、膨らんで、形成される。雨粒は触れる前に蒸発し、音を立てる。
 あぁ、なんて美しい。
 頭の炎が揺れる。足のつま先が緩く丸まる。目は朧気で、意識はないように見えた。その体を、抱きしめた。今度はしっかりと。熱さには疎いはずなのに、その体は灼熱の太陽なんかよりも暖かい気がした。
 
 
「あー……よう、フリスク。久しぶりだな。後で謝るから、今はいいにして欲しいんだけど……うん、よく通る道の脇に、広場あるだろ?あそこに服と荷物取ってきて欲しくて……うん、頼んだわ」
 電話の向こうから、『な、なんで服?もしかしてすっぽんぽん……』と聞こえたのを無視して、振り返った。そこには緩い格好に着替えたグリルビーが、ソファーに座っている。
 ゆっくりと、どこか意識をふわふわさせながら、薪を黙々と口に運んでいた。
 先程グリルビーが死にかけて、必死に命をつなぎ止めた俺たちは、近道で店に向かった。店の奥にはグリルビーの住処があると知っていたからだ。その後、意識を失っていたグリルビーに苦労して服を着せ、暖炉にくべてあった薪を与えると、直ぐに彼は意識を取り戻した。最初は慌てたように俺を揺さぶって、泣けないくせに泣きそうな顔で俺を抱きしめた。
 そして今、黙々と回復に務める彼の横に座った。顔を覗くと、グリルビーはその手を止める。
 なんだ、と言いたげな顔は、やっぱり少し元気がなさそうに思えた。
「いや、な」
 少し照れくさくなってしまって、俺は顔視線を下げた。けれど伝えないのはおかしいと思ったから、そのまま口を動かした。
「正直言って、ちょっと救われたぜ、あんたに。……いやー情熱的なモンスターだとは知ってたが、あれほどとはな」
 ……ちらりと見れば、グリルビーは冷めた目で俺を見る。
「あー……誤魔化すのはだめだな」
 頭をがしがしとかき、ぽつりと呟く。そして、俺はグリルビーの目を見つめた。揺れて、朧気だけど凛とした強い瞳。明るくって、俺には眩しいくらいだった。
「ありがとうな。自分のために、生きてみるよ」
 顔が温い。明るい光が柔く目にあたる。
「……」
 すっと、彼は燃える両手で顔を覆った。
「へへ。……照れんなよ」
 その姿は面白くて、なんだか安心して、涙が出るまで笑ってしまった。
 
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