保カフ その他
保カフ前提のレノカフ 『赤い糸の結び方は誰も知らない』 はつ恋のスピンオフ小説
「俺、先輩と本当に別れたつもりないですよ?」
32年の人生の中で、きっと1番の衝撃だっただろう。
どんなに惚れっぽい性格だったとしても、人様に言えないようなことは絶対にしないと決めていたはずだ。それなのに、これでは完全に俺が浮気していることになってしまうのではーー
目の前の市川もとい元カレの発言により、カフカは言葉を失くし呆然と立ち尽くしていた。
市川レノとの出会いは、モンスイ時代へと遡る。
前職の清掃業モンスタースイーパー 通称モンスイに新人として彼はやってきた。何となく聞き流していた溝口の言葉を思い出す。今度の新人はかなりのイケメンだぞ。その言葉通り、整った顔立ちの若い青年だった。
そんな彼を見てカフカが思ったことは『すげぇ好み』である。年下で尚且顔がどストライクなイケメンということで、カフカは俄かに浮かれていた。だが、市川のこちらに対する態度が少々冷たかったので、これはないなと思った。
カフカは年下イケメンに好かれる体質であった。自身の好みとも合致するのでそのままお付き合いすることが多い。当たり前だが、それは相手がこちらに好意をもっていることが前提条件だ。だから、これはないとなるのである。彼のことは諦めようと思った。
カフカは自分から告白しようとは思わない、なぜなら経験がないからだ。それに年下へ一方的に言い寄るのはセクハラ紛いのような気もして、踏み出せないのもまた事実。
だから、普通に良き先輩として接していこうと決めたのである。
だが、市川の態度にはすぐに変化があった。次第に好意的になり完全に懐かれていると分かる頃には、あれ、これあるんじゃね?と思わなくもなかったけれど。お付き合いするまでには至らなかった。
その後、そんなカフカが防衛隊入隊試験にて試験管に一目惚れをしてしまう。合格したらまたあの人に会えるんだと浮かれていて。
そんな折、市川からまさかの告白が待っていた。
「好きです、先輩······俺と付き合ってください」
なんてタイミングが悪いんだろう。
もうすでに新しい恋へと踏み出したところだったのに。
断るつもりだった、嘘偽りなどなく本当に。でも、結果から言うと、断われなかった。真剣に愛を囁いてくれるこの後輩が愛おしいのだ。それは彼と同じ恋心かと問われれば正直分からないが、傷つけたくない大事にしたい存在であることは間違いなかった。
だけれど、やはり付き合うべきではなかったんだと思う。結局傷つけてしまうことになったのだから。
それから暫くたった頃、せっかく恋人になったのだからまずは飯でもと仕事終わりに居酒屋へ寄った。
「市川、まずはビールでいいか?」
定番の台詞を吐きながら、つまみは何にしようかとメニューを流し見していた。
「俺、ビールはまだ······」
ビールはまだ? とカフカはオウム返しした。そこで漸くはたとある事実に思い当たる。
(その先に続くのはまさか、「飲めません」じゃないよな!?)
「あのー、市川1つ聞きたいことがあるんだけど······お前って年いくつ?」
「18、ですけど」
(······18才? 未成年!? いやいやいや、ありえん。そんなまさか······え、ちょっと待て。10代と付き合ってるってこれ犯罪? 俺捕まるのか!?)
明らかに動揺し、思い悩むカフカの姿を見て、市川ははあと溜息をつく。
「俺、わりと最初の方で年いくつか言いましたよ?」
「え? そうだっけ? すまん、覚えてない」
「四捨五入すれば20才 みたいなもんだな、大したことじゃない。そう言ってましたよ、先輩」
(何言ってんだ、俺。バカなのか!? 大したことじゃないって何だよ、大問題じゃねえか!!)
年下とばかりお付き合いしてきたカフカだが、当然その中に未成年者はいなかった。自身も若い頃ならありえないこともなかっただろうが、齢32にして10代を相手にするなど犯罪云々抜きにしても考えられない。そう思っていたのに普通にお付き合い出来てしまっているという事実が更にありえないのだ。
心中が穏やかでないカフカを尻目に、市川は注文を聞きに来た店員へビールと烏龍茶を1つずつ頼んでいた。
程なくしてやって来た目の前のビールを呷り、カフカは決意を新たにここに宣言するーー恋人と清いお付き合いを心がける、と。
実のところ、今日もほんのり期待していたのだ。酔った勢いでそういう雰囲気になることを。前の彼氏と別れてからまあまあご無沙汰であったし、何より彼に抱かれてみたかったのだ。いつも優しくてかわいい彼が自身を組み敷いた時、どんな表情を見せてくれるのか。
だが、カフカは自分から行動を起こすことは苦手で、年上らしく自ら誘うということができない。セックスとしての経験値は高いが、手慣れているかと問われれば否だ。恥ずかしさが先にたち、酒の勢いで相手の方から手を出してくれるのを待つのが精一杯である。
だから、清いお付き合いをと意気込む必要は全くないのだが、これは気の持ちようなのだ。あわよくばと期待しないようにーー
それから、市川とのお付き合いの中でカフカは1人欲求不満を募らせることもあったが、それでも別れたいという気持ちにはならなかった。寧ろ心は満たされていたように思う。彼との時間は穏やかで、優しくて。体の関係などなくても、一緒にいられればそれで良いんだと思わせてくれるほど楽しいものだった。
「先輩、お弁当作ってきたんですけど······良かったら食べませんか?」
久しぶりに朝寝坊して、昼飯を用意できないまま職場に来ていたあの日。コンビニへ買いに行こうかと思っていたら、市川がそう声をかけてきた。
「え? これ、お前が作ったの? すげえな、市川」
でも、俺が食べたらお前の分なくなるだろ? と聞き返すと、多めに作ってきたので大丈夫ですと言う。当然のように箸を2膳持ってきているあたり、本当にできた恋人だなと思う。
「今日の朝も先輩にメールしたんですけど、返信なかったので寝坊したのかと。そしたら、お昼買う余裕もないだろうなと思ったので」
そう言われて慌てて携帯を確認する。寝坊し時間に追われていたので気づくことができなかった、そのメール。
『おはようございます。今日も一緒に頑張りましょう』
いつも届く、なんてことないメールだけれど。今日も1日頑張るぞと思わせてくれる、俺の細やかな楽しみの1つだ。
「携帯見る余裕なくて······返信できなくて、すまん」
「そんなの気にしなくていいですから、ほら食べましょう」
どうぞと勧められて、まず目についた唐揚げを頬張る。外側はからっと揚がっているのに、中はやわらかくてとてもジューシー。思わず大きな声で旨いと叫んでいた。
「市川、お前ってほんと料理上手だな」
以前、家に遊びに来たときも夕食として手料理を振る舞ってくれたが、お店で食べるような出来栄えに感動したのだ。
それに、朝早起きし弁当をこしらえて仕事に向かう。わりと自堕落な生活を送っているカフカにとって、見習いたくてもできないことの1つである。しかも年下の後輩がそれをやってのけるのだから、尊敬の念とともに自戒の念を抱いてしまう。
「こんな旨い飯がいつも食えたらなあ」
ついそんな言葉が口を衝いて出てしまう。特に深い意味はなかったのだけれど、それをどう捉えるかは相手次第だ。
「俺で良ければ、いつでも毎日でも作りますよ······ていうか、これ。プロポーズみたいじゃないですか?」
食べようとしていた卵焼きが箸からぽとりと滑り落ちた。
急に各々無言になって、市川と見つめ合う。目の前の彼は赤い顔をしていたが、きっと自分も同じなのだろう。
「別にそういう意味で言ったわけではなくてだな」
「分かってますよ。変なこと言ってすみません」
「いや、俺の方こそなんか、すまん」
終始照れ合いで、その後の弁当の味は残念ながらよく分からなかった。
それから時は流れ、2人は見事合格し防衛隊員になったのだが。それはカフカにとって、入隊試験の時に一目惚れした上官への思いを蘇らせてしまう結果となる。
とある日、カフカはその上司の夢を見た。断じていかがわしいものではない。寧ろ清々しいほどに健全であった。その上司が誰かと話しているのを遠くから見つめている、ただそれだけの夢である。だけれど、市川に別れを告げるには十分な理由だった。完全に気持ちが移り彼を裏切るようなことになる前に、サヨナラしようとカフカは決める。
「市川、本当にすまん。俺と別れてくれ」
カフカは今まで1度も自ら告白したことはないが、別れを切り出すのはいつも自分からだ。相手に対して心苦しくはあるが、決り文句言いもっともらしい理由を並べ立てる。
今回の理由は、漸く念願の防衛隊員となり、少しでも皆に追いつけるように頑張りたいから。恋にうつつを抜かしてる暇はない、というもの。どの口が言ってるんだという発言であるが、これが1番市川を傷つけずすんなり別れられる理由だと思ったのだ。
「そうですね、分かりました。俺も早く一人前の防衛隊員になれるように頑張ります」
ほっと胸をなでおろすカフカに、市川はお願いがあると言い出した。
「貴方を抱かせてください······そしたら、俺、これから頑張れると思うんです」
思い出を活力に変えてと言わんばかりに、彼の真剣な眼差しがこちらを捉える。
自分本位の考え方で若い彼を振り回し、挙げ句別れを告げ傷つけた。身勝手な自身の行動を悔いているが、もはやどうすることも出来ない。だがらせめて彼の願いは叶えてあげたいと思っている。けれど、自身に固く禁じていた行為をだからといって、許してしまって本当に良いのだろうか。悩みに悩んで、それでも決められない。そんなカフカに決定打となる言葉が投げかけられた。
「俺、何があっても先輩なこと、ずっと好きです」
俺も好きだと言ってやることは叶わない。だから、そのかわりに願いを聞き入れることにしたのだ。
「市川······その、1回だけ、な?」
こうして、市川との短い恋は終わりを告げたはず、だったーー
そして、今現在、カフカには新たな恋人がいる。直属の上司であるのだが、とても優しくてかっこいい人だ。付き合い始めに少し行き違いがあったものの、その後は順風満帆な恋人ライフを送っている。
そんなある日の出来事であった。カフカは市川に呼び止められ、人目につかない場所へと連れて行かれた。この後恋人との逢瀬が控えているので、市川の用事とやらを早くすませてしまいたいとそわそわしていたのだが。
「それで? 大事な用事ってなんだ?」
声をかけると同時に、市川に抱きしめられた。カフカは驚き、慌てて彼の体を突き放す。
「何してんだ!? 市川」
彼とはもうお別れしたので、こういうことをする間柄ではないからだ。カフカは声を荒げてそう言った。
「ハグもだめなんですか?」
明らかにしゅんとなり落ち込んだ顔をされ、カフカは可哀想になり少し怯んでしまう。だが、心を鬼にして言い放つ。
「ハグがだめっつうか、そういうの全般だめだろ。もう俺たち別れてるんだから」
「別れたと言っても、一時的じゃないですか。だから、これくらいOKしてくれても」
少し拗ねたような物言いで、いつもの彼よりも幾分か幼く見える。
「一時的って······俺らちゃんと別れたよな!?」
「ええ、別れました。でもそれは、お互い頑張って一人前の防衛隊員になるため、ですよね? だから、それまでは恋愛とかそういうのは邪魔になるから、一時的に別れるっていうーー」
こういうことを身から出た錆、と言うのだろうか。
確かに別れる理由として、半人前の自分が恋だ何だとうつつを抜かしてて言いわけがない。脇目も振らずただひたすらに頑張るしかない。不器用だから、1つのことにしか集中できないなどと熱弁を振るったことは記憶に新しい。
別に嘘をついたわけではない。これも本当のことである。ただ、1番の理由ではなかったというだけだ。だが、それがまさかこんな誤解を生んでしまおうとは誰が予測できただろうか。それに、一筋で頑張るなどと宣ったくせに、もう新しい恋人をつくっているとは口が裂けても言えない。
「それとも、俺と本当に別れなきゃいけない理由があるんですか?」
不安そうな瞳に心惑わされる。お前の言った通り一時的に別れているだけだ、と伝えて安心させてやりたい。でもそんな偽りを述べることは、真摯に自分を思ってくれる彼に対して失礼なことだろう。
市川のことを嫌いになったわけではない。以前と変わらず好きだと思う。ただ、彼以上に好きな人ができてしまっただけなのだ。
誤魔化したり、嘘をついたりしたくない。彼の気持ちに応えられない以上、本当のことを述べるしかないのだ。
カフカは意を決して口を開く。
「すまん、市川。お前に伝えなきゃいけないことがあるんだ。俺、実はーー」
終

「俺、先輩と本当に別れたつもりないですよ?」
32年の人生の中で、きっと1番の衝撃だっただろう。
どんなに惚れっぽい性格だったとしても、人様に言えないようなことは絶対にしないと決めていたはずだ。それなのに、これでは完全に俺が浮気していることになってしまうのではーー
目の前の市川もとい元カレの発言により、カフカは言葉を失くし呆然と立ち尽くしていた。
市川レノとの出会いは、モンスイ時代へと遡る。
前職の清掃業モンスタースイーパー 通称モンスイに新人として彼はやってきた。何となく聞き流していた溝口の言葉を思い出す。今度の新人はかなりのイケメンだぞ。その言葉通り、整った顔立ちの若い青年だった。
そんな彼を見てカフカが思ったことは『すげぇ好み』である。年下で尚且顔がどストライクなイケメンということで、カフカは俄かに浮かれていた。だが、市川のこちらに対する態度が少々冷たかったので、これはないなと思った。
カフカは年下イケメンに好かれる体質であった。自身の好みとも合致するのでそのままお付き合いすることが多い。当たり前だが、それは相手がこちらに好意をもっていることが前提条件だ。だから、これはないとなるのである。彼のことは諦めようと思った。
カフカは自分から告白しようとは思わない、なぜなら経験がないからだ。それに年下へ一方的に言い寄るのはセクハラ紛いのような気もして、踏み出せないのもまた事実。
だから、普通に良き先輩として接していこうと決めたのである。
だが、市川の態度にはすぐに変化があった。次第に好意的になり完全に懐かれていると分かる頃には、あれ、これあるんじゃね?と思わなくもなかったけれど。お付き合いするまでには至らなかった。
その後、そんなカフカが防衛隊入隊試験にて試験管に一目惚れをしてしまう。合格したらまたあの人に会えるんだと浮かれていて。
そんな折、市川からまさかの告白が待っていた。
「好きです、先輩······俺と付き合ってください」
なんてタイミングが悪いんだろう。
もうすでに新しい恋へと踏み出したところだったのに。
断るつもりだった、嘘偽りなどなく本当に。でも、結果から言うと、断われなかった。真剣に愛を囁いてくれるこの後輩が愛おしいのだ。それは彼と同じ恋心かと問われれば正直分からないが、傷つけたくない大事にしたい存在であることは間違いなかった。
だけれど、やはり付き合うべきではなかったんだと思う。結局傷つけてしまうことになったのだから。
それから暫くたった頃、せっかく恋人になったのだからまずは飯でもと仕事終わりに居酒屋へ寄った。
「市川、まずはビールでいいか?」
定番の台詞を吐きながら、つまみは何にしようかとメニューを流し見していた。
「俺、ビールはまだ······」
ビールはまだ? とカフカはオウム返しした。そこで漸くはたとある事実に思い当たる。
(その先に続くのはまさか、「飲めません」じゃないよな!?)
「あのー、市川1つ聞きたいことがあるんだけど······お前って年いくつ?」
「18、ですけど」
(······18才? 未成年!? いやいやいや、ありえん。そんなまさか······え、ちょっと待て。10代と付き合ってるってこれ犯罪? 俺捕まるのか!?)
明らかに動揺し、思い悩むカフカの姿を見て、市川ははあと溜息をつく。
「俺、わりと最初の方で年いくつか言いましたよ?」
「え? そうだっけ? すまん、覚えてない」
「四捨五入すれば
(何言ってんだ、俺。バカなのか!? 大したことじゃないって何だよ、大問題じゃねえか!!)
年下とばかりお付き合いしてきたカフカだが、当然その中に未成年者はいなかった。自身も若い頃ならありえないこともなかっただろうが、齢32にして10代を相手にするなど犯罪云々抜きにしても考えられない。そう思っていたのに普通にお付き合い出来てしまっているという事実が更にありえないのだ。
心中が穏やかでないカフカを尻目に、市川は注文を聞きに来た店員へビールと烏龍茶を1つずつ頼んでいた。
程なくしてやって来た目の前のビールを呷り、カフカは決意を新たにここに宣言するーー恋人と清いお付き合いを心がける、と。
実のところ、今日もほんのり期待していたのだ。酔った勢いでそういう雰囲気になることを。前の彼氏と別れてからまあまあご無沙汰であったし、何より彼に抱かれてみたかったのだ。いつも優しくてかわいい彼が自身を組み敷いた時、どんな表情を見せてくれるのか。
だが、カフカは自分から行動を起こすことは苦手で、年上らしく自ら誘うということができない。セックスとしての経験値は高いが、手慣れているかと問われれば否だ。恥ずかしさが先にたち、酒の勢いで相手の方から手を出してくれるのを待つのが精一杯である。
だから、清いお付き合いをと意気込む必要は全くないのだが、これは気の持ちようなのだ。あわよくばと期待しないようにーー
それから、市川とのお付き合いの中でカフカは1人欲求不満を募らせることもあったが、それでも別れたいという気持ちにはならなかった。寧ろ心は満たされていたように思う。彼との時間は穏やかで、優しくて。体の関係などなくても、一緒にいられればそれで良いんだと思わせてくれるほど楽しいものだった。
「先輩、お弁当作ってきたんですけど······良かったら食べませんか?」
久しぶりに朝寝坊して、昼飯を用意できないまま職場に来ていたあの日。コンビニへ買いに行こうかと思っていたら、市川がそう声をかけてきた。
「え? これ、お前が作ったの? すげえな、市川」
でも、俺が食べたらお前の分なくなるだろ? と聞き返すと、多めに作ってきたので大丈夫ですと言う。当然のように箸を2膳持ってきているあたり、本当にできた恋人だなと思う。
「今日の朝も先輩にメールしたんですけど、返信なかったので寝坊したのかと。そしたら、お昼買う余裕もないだろうなと思ったので」
そう言われて慌てて携帯を確認する。寝坊し時間に追われていたので気づくことができなかった、そのメール。
『おはようございます。今日も一緒に頑張りましょう』
いつも届く、なんてことないメールだけれど。今日も1日頑張るぞと思わせてくれる、俺の細やかな楽しみの1つだ。
「携帯見る余裕なくて······返信できなくて、すまん」
「そんなの気にしなくていいですから、ほら食べましょう」
どうぞと勧められて、まず目についた唐揚げを頬張る。外側はからっと揚がっているのに、中はやわらかくてとてもジューシー。思わず大きな声で旨いと叫んでいた。
「市川、お前ってほんと料理上手だな」
以前、家に遊びに来たときも夕食として手料理を振る舞ってくれたが、お店で食べるような出来栄えに感動したのだ。
それに、朝早起きし弁当をこしらえて仕事に向かう。わりと自堕落な生活を送っているカフカにとって、見習いたくてもできないことの1つである。しかも年下の後輩がそれをやってのけるのだから、尊敬の念とともに自戒の念を抱いてしまう。
「こんな旨い飯がいつも食えたらなあ」
ついそんな言葉が口を衝いて出てしまう。特に深い意味はなかったのだけれど、それをどう捉えるかは相手次第だ。
「俺で良ければ、いつでも毎日でも作りますよ······ていうか、これ。プロポーズみたいじゃないですか?」
食べようとしていた卵焼きが箸からぽとりと滑り落ちた。
急に各々無言になって、市川と見つめ合う。目の前の彼は赤い顔をしていたが、きっと自分も同じなのだろう。
「別にそういう意味で言ったわけではなくてだな」
「分かってますよ。変なこと言ってすみません」
「いや、俺の方こそなんか、すまん」
終始照れ合いで、その後の弁当の味は残念ながらよく分からなかった。
それから時は流れ、2人は見事合格し防衛隊員になったのだが。それはカフカにとって、入隊試験の時に一目惚れした上官への思いを蘇らせてしまう結果となる。
とある日、カフカはその上司の夢を見た。断じていかがわしいものではない。寧ろ清々しいほどに健全であった。その上司が誰かと話しているのを遠くから見つめている、ただそれだけの夢である。だけれど、市川に別れを告げるには十分な理由だった。完全に気持ちが移り彼を裏切るようなことになる前に、サヨナラしようとカフカは決める。
「市川、本当にすまん。俺と別れてくれ」
カフカは今まで1度も自ら告白したことはないが、別れを切り出すのはいつも自分からだ。相手に対して心苦しくはあるが、決り文句言いもっともらしい理由を並べ立てる。
今回の理由は、漸く念願の防衛隊員となり、少しでも皆に追いつけるように頑張りたいから。恋にうつつを抜かしてる暇はない、というもの。どの口が言ってるんだという発言であるが、これが1番市川を傷つけずすんなり別れられる理由だと思ったのだ。
「そうですね、分かりました。俺も早く一人前の防衛隊員になれるように頑張ります」
ほっと胸をなでおろすカフカに、市川はお願いがあると言い出した。
「貴方を抱かせてください······そしたら、俺、これから頑張れると思うんです」
思い出を活力に変えてと言わんばかりに、彼の真剣な眼差しがこちらを捉える。
自分本位の考え方で若い彼を振り回し、挙げ句別れを告げ傷つけた。身勝手な自身の行動を悔いているが、もはやどうすることも出来ない。だがらせめて彼の願いは叶えてあげたいと思っている。けれど、自身に固く禁じていた行為をだからといって、許してしまって本当に良いのだろうか。悩みに悩んで、それでも決められない。そんなカフカに決定打となる言葉が投げかけられた。
「俺、何があっても先輩なこと、ずっと好きです」
俺も好きだと言ってやることは叶わない。だから、そのかわりに願いを聞き入れることにしたのだ。
「市川······その、1回だけ、な?」
こうして、市川との短い恋は終わりを告げたはず、だったーー
そして、今現在、カフカには新たな恋人がいる。直属の上司であるのだが、とても優しくてかっこいい人だ。付き合い始めに少し行き違いがあったものの、その後は順風満帆な恋人ライフを送っている。
そんなある日の出来事であった。カフカは市川に呼び止められ、人目につかない場所へと連れて行かれた。この後恋人との逢瀬が控えているので、市川の用事とやらを早くすませてしまいたいとそわそわしていたのだが。
「それで? 大事な用事ってなんだ?」
声をかけると同時に、市川に抱きしめられた。カフカは驚き、慌てて彼の体を突き放す。
「何してんだ!? 市川」
彼とはもうお別れしたので、こういうことをする間柄ではないからだ。カフカは声を荒げてそう言った。
「ハグもだめなんですか?」
明らかにしゅんとなり落ち込んだ顔をされ、カフカは可哀想になり少し怯んでしまう。だが、心を鬼にして言い放つ。
「ハグがだめっつうか、そういうの全般だめだろ。もう俺たち別れてるんだから」
「別れたと言っても、一時的じゃないですか。だから、これくらいOKしてくれても」
少し拗ねたような物言いで、いつもの彼よりも幾分か幼く見える。
「一時的って······俺らちゃんと別れたよな!?」
「ええ、別れました。でもそれは、お互い頑張って一人前の防衛隊員になるため、ですよね? だから、それまでは恋愛とかそういうのは邪魔になるから、一時的に別れるっていうーー」
こういうことを身から出た錆、と言うのだろうか。
確かに別れる理由として、半人前の自分が恋だ何だとうつつを抜かしてて言いわけがない。脇目も振らずただひたすらに頑張るしかない。不器用だから、1つのことにしか集中できないなどと熱弁を振るったことは記憶に新しい。
別に嘘をついたわけではない。これも本当のことである。ただ、1番の理由ではなかったというだけだ。だが、それがまさかこんな誤解を生んでしまおうとは誰が予測できただろうか。それに、一筋で頑張るなどと宣ったくせに、もう新しい恋人をつくっているとは口が裂けても言えない。
「それとも、俺と本当に別れなきゃいけない理由があるんですか?」
不安そうな瞳に心惑わされる。お前の言った通り一時的に別れているだけだ、と伝えて安心させてやりたい。でもそんな偽りを述べることは、真摯に自分を思ってくれる彼に対して失礼なことだろう。
市川のことを嫌いになったわけではない。以前と変わらず好きだと思う。ただ、彼以上に好きな人ができてしまっただけなのだ。
誤魔化したり、嘘をついたりしたくない。彼の気持ちに応えられない以上、本当のことを述べるしかないのだ。
カフカは意を決して口を開く。
「すまん、市川。お前に伝えなきゃいけないことがあるんだ。俺、実はーー」
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