保カフ (怪獣8号) ふたりは新婚さんシリーズ
保カフ 『雪に白鷺 〜その男、真面目さが仇となりて〜』
「こら、お前ら走り回るな」
朝焼けが東の空にゆっくりとひろがり始める。
1人またひとりと動き出す日常。台所から漂う香りに誘われて引き寄せられ戯れて、待ちきれずまた羽ばたいていく。
保科家は朝からとても賑やかだ。
「埃がたってまうやろ。せっかくのママの料理、台無しにする気か?」
広くて綺麗なリビングを駆け回る、幼い怪獣たちを宗四郎は引っ捕らえる。猫の子のように首根っこを掴まれた彼らは少し宙に浮いた足をばたつかせている。
「やめろや、はなせ! そうしろうのあほ」
「そうや、はなせ! これはぎゃくたいや!」
そう文句を言う2人の少年。その顔は合わせ鏡のようにそっくりである。そして、もう1つ付け加えるのならば、彼らは宗四郎と瓜二つ、生き写しのように同じ見た目をしていた。
「どっから、そんな言葉覚えてくんねん。あと、名前で呼ぶな、パパって呼べって何遍も言うてるやろ」
彼らがあまりに暴れるので、掴んでいた手を離し解放してやると一目散にママのもとへと駆け寄っていく。
「ママ〜そうしろうのあほがいじめるぅ」
「ぎゃくたいされたぁ! ママ、なぐさめて〜」
そう文句を垂れながら、少年たちはカフカの足元にぴったりとまとわりつきご機嫌だ。
「なに変なこと言ってんだ? あと、あほとか言っちゃだめだろ」
子どもたちを軽く叱っていると、もうひとり大きい子も負けじとカフカに癒やしを求めてやってくる。
「がきんちょどもが全然僕の言うこと聞いてくれんねん。カフカ慰めてや~」
カフカを抱きしめようと手を広げ、あわよくばおはようのキスを狙いにいった宗四郎であったが。ぎりぎりのところでカフカに躱されその顔を手で押しのけられてしまう。
「アンタまで何してんすか。俺今忙しいんで、ちょっと後にしてもらえます?」
なんやカフカが僕にだけ冷たいと打ちひしがれるように、宗四郎は床とお友だちになっていじけている。それを見た少年たちは、おとなのくせにみっともな、ざまぁみろとくすくすと笑っている。
「ぱぱ、まま······」
そこへさらに少し幼い1人の少女がやって来た。
その声に弾かれるように反応する宗四郎と2人の少年。彼女のもとへと競うように駆け寄る面々だが、そこは大人と子ども。勝敗など火を見るよりも明らかで。
「どないした、さくら? パパが起こしに行くまで、寝とって良かったんやで。早起きさんやなあ」
軽々と抱えあげ抱っこすると、高さに慣れないのか少し怯えるように宗四郎にぎゅっとくっついてくる。
その足元ではパンチやらキックやら、少年たちがやりたい放題暴れている、さくらをかえせと叫びながら。
「宗四郎さん、あんまり抱っこばっかしちゃだめですよ」
おお、わかっとると言いながら、彼は食卓につく。
人数分の朝食が気づけばそこに並べられていて、少年ふたりもお行儀よく着席した。保科家勢揃いである。
保科家父 宗四郎、母 カフカ。そして、双子の兄で長男の宗七郎、双子の弟で次男 宗八郎、末っ子で長女のさくら。これがこの家に住んでいる家族である。
いただきますといって、ご飯をかきこむものはいない。皆先程の賑わいが嘘のように、上品な佇まいである。最もその可能性がありそうなカフカも、さくらにご飯を食べさせるので手一杯でかきこむような素振りはない。
食事の所作が美しい。
それは宗四郎に出会ったばかりの頃に、カフカが彼に対して抱いたものである。こういう何気ないところに育ちの良さみたいなものが出るのだとその時は思ったのだ。
そうして、今。彼の子どもを育てる立場となり、カフカは躾に厳しいママとなっている。曲がりなりにも、保科家の血を引くのだ。パパに似ているのは顔だけと言われたりしないように、という思いもある。
その甲斐あってか、子どもたちは皆お行儀が良い。家の中は走り回っても他所様の家では決してそんなことはない。特に双子の兄は利発な子で、パパによく似ているようだった。
「先にちびふたりを連れて行っとくな」
食事をすませ、出かける準備をする。子どもたちは制服に帽子と身につけ、最後に鞄を肩がけする。いってきますと元気な声が玄関に響く。
「ここ片づけたら、俺もさくらと一緒に出ます」
宗四郎は双子の手を引き、お迎えのバスがやって来る場所へと向かう。家からそれほど遠くないためすぐに到着するのだが、すでに他の園児やママたちがバスを待っていた。
おはようございます、そう声をかけると俄にママたちが色めき立つ。保科くんパパは出来すぎるパパとして有名で、絶大な人気を誇っているからである。
宗四郎はすぐにママたちに取り囲まれた。それをいいことに双子は彼の手から逃れ、近くを散策し始める。
「あ、ねこさんや! かわいい! ぼくなでたいーー」
双子の弟、宗八郎は猫好きである。
そんな彼の口を塞ぎ、しぃーっと声を潜めるのは双子の兄、宗七郎だ。
「わかっとるから、しずかにせい。にげてまうやろ? ちゃんと、にいちゃんがねこさん、なでさせてやるから」
兄は弟の手を握り、猫の後をこっそり追う。そして、その猫が立ち止まるのを待ち、兄がそっと近づき猫を抱き上げた。
「ほら、宗八郎。さわってええで」
「ええの? うわあ~かわいい! にいちゃん、ねこさんかわいい!」
「よかったなあ。おまえもだっこしてみるか?」
だが、猫もじっとしているわけがなく、兄から弟へと渡るその隙を突いて猫は双子の手から逃れ走り去っていく。
「あっ! ねこさん、にげてまう!」
宗八郎は思わず猫の後を追い、駆け出していく。
そうなると、猫も必死だ。追いつかれまいと前進あるのみで、どこだろうとお構いなしに逃げていく。
「そっちいったらあかん! 宗八郎!!」
猫が逃走経路として選んだのは車道だった。
その頃、宗四郎はいまだママたちに取り囲まれていたが、漸く双子がいなくなっていることに気づく。そして、叫ぶ宗七郎の声で居場所は特定することはできたが、悠長に歩いてなどいられなかった。道路に飛び出した宗八郎へと車が迫っていたからだ。
ママたちの誰かがきゃあ、危ない! と悲鳴を上げるのと同時であっただろう、宗四郎が宙を舞ったのは。
彼女たちの間を掻い潜って進むより、この輪から抜け出したほうが早いと判断したのだ。宗四郎は細めの電柱に掴まり、宙を舞うように集団から離脱、人様の車のボンネットへと着地する。今は緊急事態であるから、致し方ない。そこから車道へと跳び、宗八郎を回収し歩道へと降り立ったのだ。
向かってきていた車は急停車し、慌てて運転手が降りてくる。バス待ちしていた親たちも集まってきた。
「お前、何しとるん! 危ないから道路に飛び出したらあかんって言うとったやろ!?」
「やって、ねこさんが······」
自分は悪くないと主張するも、いつもと違う父親の剣幕に気圧され、徐々に涙腺が緩みその瞳がゆらゆらと揺れていく。
そんな弟を庇うように宗七郎が間に割って入る。
「宗八郎はわるない。わるいのはぼくや。しかるんやったら、ぼくにしてや」
にいちゃと呟きながら服の裾を引っ張るので、宗七郎は弟をぎゅっと抱きしめてやる。そんな息子たちを見て、宗四郎は頭を搔きむしりながらため息をつく。
「そんなん言うたらなあ、お前らから目離した僕が1番悪いことになるやんか······ほんまに、ほんまに······無事で良かった」
引っついている双子をそのまま引き寄せ、力強く抱きしめた。その腕もその声も震えていて、自分と同じ紅い瞳から頬をつたって落ちた滴をその目で捉えた瞬間、双子もつられるように一斉に泣き始める。
「「ごめんなさい、パパ〜」」
わんわん泣きじゃくる子どもを抱えながら、大事なものをもう離すまいとする父親の姿。心配で取り囲んでいた他の親たちも、彼らを見て涙ぐんでいた。
一方、カフカは出かけるのをむずかるさくらに手を焼いていて、漸く宥めて家の外へと出るとちょうど宗四郎が息子を救出するところであった。
どうしてそうなったのか状況は分からないが、その緊迫性に一瞬息を詰める。だが、無事で良かったと泣いている宗四郎の姿に、胸が早鐘を打っていたがほっと息を吐き出した。
そんなカフカに抱っこされている末っ子のさくらは、身じろぎ下におろすよう合図している。その要求通りおろしてやると、とたとた歩いて宗四郎のほうへと向かっていった。
パパと呼び服を引っ張るので、宗四郎は顔を上げた。
「さくらぁ、すまんなあ。お前も怖かったやろ」
そう言ってさくらの髪を撫でつけるようにしながら引き寄せると、さくらは近づいた父親の耳元に紅葉のような手を添えて囁く。
「パパ、かっこよかったよ。だいしゅき」
宗四郎の頬に柔らかいものが触れる。所謂、ほっぺにちゅうというやつなのだが、宗四郎はその頬に手をやったままそこから凍りついたように動かなくなった。
さくらの後を追い、宗四郎の元へとやって来ていたカフカはあちゃ~と声をあげる。
「すいません、皆さん。これ、小一時間この状態で使い物にならないんで回収します。ご迷惑おかけしました」
そう言ってカフカはその場に固まっている宗四郎の体を半ば引きずるようにして端に移動する。ちょうどその時、お迎えのバスがやって来た。
「宗七郎、弟と妹連れてバスまで行ってくれるか?」
「もちろんや、だれにいうとるん。ぼくは保科家のちょうなんやで。ほな行ってきます、ママ」
左手に弟を右手に妹、3人仲良く手を繋ぎバスへと向かっていく。きょうもよろしゅうたのみます、と先生への挨拶も欠かさない。
我が子ながらしっかりしてるなあと感心しつつ、依然としてマネキンのように動かない宗四郎をどうしたものかと頭を抱えるカフカであった。
「ーーさん、宗四郎さん!? あ、良かった起きたぁ。もう全然起きてこないから、具合でも悪いのかと思いましたよ」
自身を呼ぶ声に宗四郎が反応してその瞳を開けると、目の前には心配そうな伴侶の顔があった。朝からいいもん見れたと気分の良い宗四郎はカフカを抱き寄せる。
「ちょっと、なにしてんすか。こんなことしてる暇ないですって、遅刻しますよ?」
そう言われ漸く自身が寝坊したのだという事実に思い当たる。今何時だろうかと時計に目をやったところで、はたと気づく。
「すまん、子どもたちはどないした? すぐに用意せな、バスに乗り遅れる」
「······は?」
「いや、そやから。子どもたち、早う用意させんと間に合わんやろ······ん? まさかもう子どもたち送り出したとか言わんよなあ。すまん、ほんまにすまん」
「あの······宗四郎さん。何の話してます? まだ寝ぼけてる??」
「寝ぼけてへんけど······今日、保育園休みとちゃうよな?」
噛み合わない会話にふたりは暫し見つめ合う。
やはり、自分は寝ぼけているのだろうかと宗四郎は思いなおし、まずは今日の日付けや予定を確認しようと携帯を手にする。そんな宗四郎の肩をカフカはがっちり掴んでこう言った。
「宗四郎さん、病院行きましょう。きっと、どこかで頭打ったんすよ······あれ? たんこぶらしきものはないなあ」
カフカはさらさらと指通りの良い髪を弄ぶように、彼の後頭部に指を這わせて確認している。
「何失礼なこと言うてんねん。どこも頭打ってへんし、正常や。おかしいのはお前のほうやろ」
「いや、だって······子どもがどうとか言うから」
異常を探っていたカフカの手を掴まえ、両手で包み込むようにぎゅっと握りしめる。
「最近、子どもたちに構ってばっかりやったから、なんや怒ってんのか? まだ小さいからしゃあないやん。双子の宗七郎と宗八郎は僕に似て少々小憎たらしいこともあるけど、目離すとすぐどっか行きよるし。末っ子のさくらはお前に似てそれはもうかわいいーー」
「いやいやいや、怖いこわい! 子どもに名前までついてる······! もうほんとに病院行きましょう、今すぐ!!」
握りしめられた手が解放されないことを利用して、カフカは宗四郎をそのまま引っ張って病院へと連れて行こうと決意する。
「病院、病院って······なんやねん! お前がお腹痛めて産んだ子やろ? それにな、さくらなんて『将来パパと結婚する』って言うてくれるんやで」
宗四郎のその言葉を聞くまで、カフカは本当に心の底から宗四郎のことを心配していた。常軌を逸してしまったのではないかと。そう、たった今まではーー
「良かったすね······結婚、したら良いじゃないですか。あと、俺の腹は痛んでねえし、そもそもの話。俺はーー子どもなんて産めねえんだよ! もう、いい加減にしろ!!」
それから何事もなかったかのように、宗四郎は普通に仕事場へとやって来ている。
通りすがる部下たちが副隊長である宗四郎へと朝の挨拶をする、いつも通りの見慣れた日常風景。違うことがあるとするならば、それは皆がちらちらと上司の頬へと視線をやっていることだろう。気にはなっているもののその真相を確かめようとする者はいない。けれど、漸く皆が喉まで出かかっていたことを代弁するつわものが現れたのだ。
「あらら、副隊長。大丈夫ですか、それ。何か冷やすものでも持ってきましょうか?」
大きな眼鏡をくいっとあげつつ、彼女は頬のとある一点を見つめている。
「大丈夫や、小此木ちゃん。このくらい、何ともないわ。ただな、愛って時には痛みを伴うっちゅうことを教えといたる」
「そんな講釈を垂れてないで、ちゃんと謝ったほうが良いですよ」
そんな会話をしている間、ばしゃばしゃとシャッター音が途切れることなく続いている。小此木とともに現れた、この基地の隊長様こと亜白ミナが携帯片手にその様子を余すところなく収めようとしているのだ。
「亜白隊長、何してるんですか。連写するのやめてもらってええですか?」
「すまない、つい······面白·····物珍し? ······いや、うん。記念に」
謝罪しながらもやめる様子などなく、宗四郎は深いため息をついた。
寝起きに交わされた宗四郎とカフカの会話。
最初は本気で心配していたカフカであったが、ついに堪忍袋の緒が切れて宗四郎へと強烈な平手打ちをお見舞いしたのだ。そうして、彼の頬に紅葉が色づいたのである。
その後喧嘩別れのような状態のまま、それぞれの仕事場へと向かっていて今に至る。大した謝罪も出来ずじまいであるが、宗四郎はいまだ自身の違和感と向き合えず釈然としない何かを抱えていたのだった。
その日の業務を終え、宗四郎は家路についた。
その頃には彼の頭も程よく冷えて、自身があまりにも生々しい夢を見ていたのだと漸く理解できたのだ。
そう、5人家族の保科家――それは宗四郎が創り出した、全てが夢まぼろしであった。
そのことに対して十二分に反省したうえで、帰宅したのだが。如何せん、運が悪かった。
ただいまカフカと言っている宗四郎の隣には彼を何分の1かに縮小したような、男の子がひとりーー
「お邪魔します。今日から1週間ほど、お世話になります。ご迷惑おかけしてほんまにすみません」
その見た目と大人顔負けの振る舞いに呆気に取られるカフカであったが、すぐさま正気に戻りその子どもを家の中へと招き入れる。
「えっとー······宗十郎くん、だっけ? 何か飲む? 今、ジュースとかなくて、紅茶くらいしかないんだけど」
「お構いなく。ジュースなんて子どもじみたもの好みませんので、寧ろ紅茶を頂けるの有り難いです」
「そ、そっか。じゃあすぐに淹れてくるから、ちょっと待っててな」
そう言って台所に消えていったカフカであったが、すぐに戻ってきて上機嫌の笑みを湛えて宗四郎の名を呼ぶ。
「宗四郎さーん、ちょっと。手伝ってもらっていいっすか?」
その機嫌の良さそうなカフカの声を聞き、彼がもう怒ってないのだとほっと胸を撫でおろした宗四郎。足取り軽やかにカフカの後を追っていったのだが。
「······あれ、誰の子っすか」
「うわあ、嘘やん。初手から胸ぐら掴まれるような感じと違かったやん」
にこにことしていた顔から一変、あまり見ることがないような冷めた表情のカフカに胸ぐらを掴まれショックを隠せない。
「あの子が朝からずっと言ってた、どっかの誰かがお腹を痛めて産んだあんた似のかわいい子どもってやつですか?」
「もう色々違う、ちゅうか全部間違ってる! そない怖い顔せんといてくれ。あと、朝の話は一旦脇に置いとってくれへんかなあ」
じゃあ、どういうことですかとカフカがさらに詰め寄ろうとしたその時、件の少年がひょっこりと顔を出す。
「ひょっとして僕のことで揉めてます? 僕たち似てますけど、正真正銘ただの親戚ですよ。都合悪いなら、僕しばらく外に出てましょうか?」
その言葉を受けて、カフカと宗四郎のふたりは顔を見合わせる。そして、カフカは掴んでいた手を離し、宗四郎共々おませな少年の背を押し居間へと連れて行った。大丈夫、揉めてない揉めてないと念押ししながら。
そんな彼と暫く談笑した後宗四郎がお風呂を共にして、全く寝る素振りのないその子どもをなんとか寝かしつけたのだった。
そうして、深夜。今日という日をふたりして振り返っている。
「それで? 結局何だったんすか、朝のアレは」
ふたりとも何故か妙に疲れていた。
いくら聞き分けの良い子どもとはいえ、全く眠る気配すらない元気いっぱいの子を寝かしつけるのは体力気力共々削られるものなのだ。
テーブルへぐったりと体を預けるようにしながら、ぽつぽつと話始めている。
「新人教育はな、もうある程度慣れたんやけど······さすがに、あんな幼い子はまた勝手が違うやん。それやのに、1週間も親戚とはいえ他所様の大事なお子さんを預かるわけやから、なんかあってからでは遅いやろ」
まあ、そうですねと話の意図がつかめず、カフカは何となくの相槌を打ちながら話の先を促していく。
「そやから子育て、勉強しよう思うて······お前も勤勉さんやから分かるやろ? 無知が一番怖い。まだ時間はあったし、分からんなら知識を得ようってな」
真面目な夫らしい考え方だなとカフカは思う。それならそうと言ってくれればいいものを、ふたりで預かるのだから一緒に学びたかったなあと。
「それで、片っ端から育児本や教材を読み漁って、子育て体験談とかまで手を出してって――仕事で手一杯のくせに、よくもまあそんな時間ありましたね」
元々読書が好きであり、知識欲も深い。未知の世界へと足を踏み入れる楽しさに貪欲な人なのだ。細かいことが気になる性格で真面目で勤勉。要はのめり込みやすいということ。
「そんで、育児の世界にどっぷり嵌ってしまって、結果ものすごくリアルな夢を見るに至ったと······そういうことで良いんですか?」
全くもってその通りであり、何の申し開きもありませんと頭をテーブルに打ちつけるようにして宗四郎は謝罪する。いつ何時必要に駆られるかも分からんやんと言い訳じみたことを付け加えながら。
必要になることなんてなさそうだけれどと思ったが、反省しているようなのでカフカはあえてそのことには触れず核心を突いた。
「······宗四郎さん、子どもほしいですか?」
「いや、ほんまにそういうことやなくて――」
「もう······これきり、2度と聞きませんから。ちゃんと本音で答えてください」
凪いだような、そんな声だ。だがしかし、その瞳は不安に揺れていただろう。
そんなカフカの心を汲み、観念したように笑いため息ともつかぬような息を漏らし口を開く。
「ほしいかほしくないかと問われれば、まあほしいって言うやろうなあ。でもそれはあくまでも、お前の子であって何の関係もないような子とは違うねん。それにな、子どもなんかできたらお前のこと子どもに取られてしもうて独り占めできんってよう分かったから。結論としてはいらんわ。僕はお前さえいてくれれば、それでええ」
「ほんとに、それでいいんですか」
「僕がお前に嘘、ついたことあるか?」
「さあ、どうだろ······それは俺には分かんないっす」
「なんで、分からんねん······ないわ、阿呆」
そんな会話をしながら、ふたりは席を立ち仲良く洗面所へと向かっていく。明日も仕事なのだから、あまり夜更しするわけにはいかない。歯でも磨きながら明日の話でもしよう、生活をともにするに至ってそう言わずともどちらともなく連れ立って行動することが多くなっていた。
「宗十郎帰ったら、いっぱい子づくりしよな」
洗面台の鏡の前に立ち薄紫色の歯ブラシを手にした、宗四郎が鏡越しに見つめながらそう言った。そんな彼と並んで歯を磨いていたカフカは数度瞬きをした後ぷはっと吹き出した。
「なんか矛盾してません、それ?」
「何がや、間違ってはないやろ。夫夫の営みはそういうもんやで」
カフカは緑色の歯ブラシを水で洗い流し、口をゆすぐ。そして、隣に立っている宗四郎のほうへと顔を傾けこつんと頭同士がぶつかった。
「俺、女じゃなくてよかったっす。だって、宗四郎さんとしたらすぐに孕んじまいそうだし?」
にっと綺麗な白い歯を見せつけるように無邪気に笑う。
あどけない子どものような笑みを見せながら淫靡な雰囲気を纏った言葉を発する、その不釣り合いな様に思わず宗四郎はむせて咳き込んだ。
そのまま口をゆすぎ、使い終わった歯ブラシを雑にコップへと投げ入れた。
「孕······って、お前なぁ。ああ、もう降参や。それ以上言うなや。したなるやんけ、くそが」
「そっちが言い始めたんじゃないっすか。ほら、もういい子は寝る時間すよ」
「誰がええ子や。夫を焚きつける悪い子の間違いやろ」
笑いながら寝室へと向かっていくカフカを足早に追い、その首に腕をかけ体を寄せるようにして囁き笑い合う。縺れるようにして部屋入っていき、扉が閉じられる。
そんなふたりを見つめるように、洗面台に仲良く並んだ2つの歯ブラシがカランと鳴った。
「こら、お前ら走り回るな」
朝焼けが東の空にゆっくりとひろがり始める。
1人またひとりと動き出す日常。台所から漂う香りに誘われて引き寄せられ戯れて、待ちきれずまた羽ばたいていく。
保科家は朝からとても賑やかだ。
「埃がたってまうやろ。せっかくのママの料理、台無しにする気か?」
広くて綺麗なリビングを駆け回る、幼い怪獣たちを宗四郎は引っ捕らえる。猫の子のように首根っこを掴まれた彼らは少し宙に浮いた足をばたつかせている。
「やめろや、はなせ! そうしろうのあほ」
「そうや、はなせ! これはぎゃくたいや!」
そう文句を言う2人の少年。その顔は合わせ鏡のようにそっくりである。そして、もう1つ付け加えるのならば、彼らは宗四郎と瓜二つ、生き写しのように同じ見た目をしていた。
「どっから、そんな言葉覚えてくんねん。あと、名前で呼ぶな、パパって呼べって何遍も言うてるやろ」
彼らがあまりに暴れるので、掴んでいた手を離し解放してやると一目散にママのもとへと駆け寄っていく。
「ママ〜そうしろうのあほがいじめるぅ」
「ぎゃくたいされたぁ! ママ、なぐさめて〜」
そう文句を垂れながら、少年たちはカフカの足元にぴったりとまとわりつきご機嫌だ。
「なに変なこと言ってんだ? あと、あほとか言っちゃだめだろ」
子どもたちを軽く叱っていると、もうひとり大きい子も負けじとカフカに癒やしを求めてやってくる。
「がきんちょどもが全然僕の言うこと聞いてくれんねん。カフカ慰めてや~」
カフカを抱きしめようと手を広げ、あわよくばおはようのキスを狙いにいった宗四郎であったが。ぎりぎりのところでカフカに躱されその顔を手で押しのけられてしまう。
「アンタまで何してんすか。俺今忙しいんで、ちょっと後にしてもらえます?」
なんやカフカが僕にだけ冷たいと打ちひしがれるように、宗四郎は床とお友だちになっていじけている。それを見た少年たちは、おとなのくせにみっともな、ざまぁみろとくすくすと笑っている。
「ぱぱ、まま······」
そこへさらに少し幼い1人の少女がやって来た。
その声に弾かれるように反応する宗四郎と2人の少年。彼女のもとへと競うように駆け寄る面々だが、そこは大人と子ども。勝敗など火を見るよりも明らかで。
「どないした、さくら? パパが起こしに行くまで、寝とって良かったんやで。早起きさんやなあ」
軽々と抱えあげ抱っこすると、高さに慣れないのか少し怯えるように宗四郎にぎゅっとくっついてくる。
その足元ではパンチやらキックやら、少年たちがやりたい放題暴れている、さくらをかえせと叫びながら。
「宗四郎さん、あんまり抱っこばっかしちゃだめですよ」
おお、わかっとると言いながら、彼は食卓につく。
人数分の朝食が気づけばそこに並べられていて、少年ふたりもお行儀よく着席した。保科家勢揃いである。
保科家父 宗四郎、母 カフカ。そして、双子の兄で長男の宗七郎、双子の弟で次男 宗八郎、末っ子で長女のさくら。これがこの家に住んでいる家族である。
いただきますといって、ご飯をかきこむものはいない。皆先程の賑わいが嘘のように、上品な佇まいである。最もその可能性がありそうなカフカも、さくらにご飯を食べさせるので手一杯でかきこむような素振りはない。
食事の所作が美しい。
それは宗四郎に出会ったばかりの頃に、カフカが彼に対して抱いたものである。こういう何気ないところに育ちの良さみたいなものが出るのだとその時は思ったのだ。
そうして、今。彼の子どもを育てる立場となり、カフカは躾に厳しいママとなっている。曲がりなりにも、保科家の血を引くのだ。パパに似ているのは顔だけと言われたりしないように、という思いもある。
その甲斐あってか、子どもたちは皆お行儀が良い。家の中は走り回っても他所様の家では決してそんなことはない。特に双子の兄は利発な子で、パパによく似ているようだった。
「先にちびふたりを連れて行っとくな」
食事をすませ、出かける準備をする。子どもたちは制服に帽子と身につけ、最後に鞄を肩がけする。いってきますと元気な声が玄関に響く。
「ここ片づけたら、俺もさくらと一緒に出ます」
宗四郎は双子の手を引き、お迎えのバスがやって来る場所へと向かう。家からそれほど遠くないためすぐに到着するのだが、すでに他の園児やママたちがバスを待っていた。
おはようございます、そう声をかけると俄にママたちが色めき立つ。保科くんパパは出来すぎるパパとして有名で、絶大な人気を誇っているからである。
宗四郎はすぐにママたちに取り囲まれた。それをいいことに双子は彼の手から逃れ、近くを散策し始める。
「あ、ねこさんや! かわいい! ぼくなでたいーー」
双子の弟、宗八郎は猫好きである。
そんな彼の口を塞ぎ、しぃーっと声を潜めるのは双子の兄、宗七郎だ。
「わかっとるから、しずかにせい。にげてまうやろ? ちゃんと、にいちゃんがねこさん、なでさせてやるから」
兄は弟の手を握り、猫の後をこっそり追う。そして、その猫が立ち止まるのを待ち、兄がそっと近づき猫を抱き上げた。
「ほら、宗八郎。さわってええで」
「ええの? うわあ~かわいい! にいちゃん、ねこさんかわいい!」
「よかったなあ。おまえもだっこしてみるか?」
だが、猫もじっとしているわけがなく、兄から弟へと渡るその隙を突いて猫は双子の手から逃れ走り去っていく。
「あっ! ねこさん、にげてまう!」
宗八郎は思わず猫の後を追い、駆け出していく。
そうなると、猫も必死だ。追いつかれまいと前進あるのみで、どこだろうとお構いなしに逃げていく。
「そっちいったらあかん! 宗八郎!!」
猫が逃走経路として選んだのは車道だった。
その頃、宗四郎はいまだママたちに取り囲まれていたが、漸く双子がいなくなっていることに気づく。そして、叫ぶ宗七郎の声で居場所は特定することはできたが、悠長に歩いてなどいられなかった。道路に飛び出した宗八郎へと車が迫っていたからだ。
ママたちの誰かがきゃあ、危ない! と悲鳴を上げるのと同時であっただろう、宗四郎が宙を舞ったのは。
彼女たちの間を掻い潜って進むより、この輪から抜け出したほうが早いと判断したのだ。宗四郎は細めの電柱に掴まり、宙を舞うように集団から離脱、人様の車のボンネットへと着地する。今は緊急事態であるから、致し方ない。そこから車道へと跳び、宗八郎を回収し歩道へと降り立ったのだ。
向かってきていた車は急停車し、慌てて運転手が降りてくる。バス待ちしていた親たちも集まってきた。
「お前、何しとるん! 危ないから道路に飛び出したらあかんって言うとったやろ!?」
「やって、ねこさんが······」
自分は悪くないと主張するも、いつもと違う父親の剣幕に気圧され、徐々に涙腺が緩みその瞳がゆらゆらと揺れていく。
そんな弟を庇うように宗七郎が間に割って入る。
「宗八郎はわるない。わるいのはぼくや。しかるんやったら、ぼくにしてや」
にいちゃと呟きながら服の裾を引っ張るので、宗七郎は弟をぎゅっと抱きしめてやる。そんな息子たちを見て、宗四郎は頭を搔きむしりながらため息をつく。
「そんなん言うたらなあ、お前らから目離した僕が1番悪いことになるやんか······ほんまに、ほんまに······無事で良かった」
引っついている双子をそのまま引き寄せ、力強く抱きしめた。その腕もその声も震えていて、自分と同じ紅い瞳から頬をつたって落ちた滴をその目で捉えた瞬間、双子もつられるように一斉に泣き始める。
「「ごめんなさい、パパ〜」」
わんわん泣きじゃくる子どもを抱えながら、大事なものをもう離すまいとする父親の姿。心配で取り囲んでいた他の親たちも、彼らを見て涙ぐんでいた。
一方、カフカは出かけるのをむずかるさくらに手を焼いていて、漸く宥めて家の外へと出るとちょうど宗四郎が息子を救出するところであった。
どうしてそうなったのか状況は分からないが、その緊迫性に一瞬息を詰める。だが、無事で良かったと泣いている宗四郎の姿に、胸が早鐘を打っていたがほっと息を吐き出した。
そんなカフカに抱っこされている末っ子のさくらは、身じろぎ下におろすよう合図している。その要求通りおろしてやると、とたとた歩いて宗四郎のほうへと向かっていった。
パパと呼び服を引っ張るので、宗四郎は顔を上げた。
「さくらぁ、すまんなあ。お前も怖かったやろ」
そう言ってさくらの髪を撫でつけるようにしながら引き寄せると、さくらは近づいた父親の耳元に紅葉のような手を添えて囁く。
「パパ、かっこよかったよ。だいしゅき」
宗四郎の頬に柔らかいものが触れる。所謂、ほっぺにちゅうというやつなのだが、宗四郎はその頬に手をやったままそこから凍りついたように動かなくなった。
さくらの後を追い、宗四郎の元へとやって来ていたカフカはあちゃ~と声をあげる。
「すいません、皆さん。これ、小一時間この状態で使い物にならないんで回収します。ご迷惑おかけしました」
そう言ってカフカはその場に固まっている宗四郎の体を半ば引きずるようにして端に移動する。ちょうどその時、お迎えのバスがやって来た。
「宗七郎、弟と妹連れてバスまで行ってくれるか?」
「もちろんや、だれにいうとるん。ぼくは保科家のちょうなんやで。ほな行ってきます、ママ」
左手に弟を右手に妹、3人仲良く手を繋ぎバスへと向かっていく。きょうもよろしゅうたのみます、と先生への挨拶も欠かさない。
我が子ながらしっかりしてるなあと感心しつつ、依然としてマネキンのように動かない宗四郎をどうしたものかと頭を抱えるカフカであった。
「ーーさん、宗四郎さん!? あ、良かった起きたぁ。もう全然起きてこないから、具合でも悪いのかと思いましたよ」
自身を呼ぶ声に宗四郎が反応してその瞳を開けると、目の前には心配そうな伴侶の顔があった。朝からいいもん見れたと気分の良い宗四郎はカフカを抱き寄せる。
「ちょっと、なにしてんすか。こんなことしてる暇ないですって、遅刻しますよ?」
そう言われ漸く自身が寝坊したのだという事実に思い当たる。今何時だろうかと時計に目をやったところで、はたと気づく。
「すまん、子どもたちはどないした? すぐに用意せな、バスに乗り遅れる」
「······は?」
「いや、そやから。子どもたち、早う用意させんと間に合わんやろ······ん? まさかもう子どもたち送り出したとか言わんよなあ。すまん、ほんまにすまん」
「あの······宗四郎さん。何の話してます? まだ寝ぼけてる??」
「寝ぼけてへんけど······今日、保育園休みとちゃうよな?」
噛み合わない会話にふたりは暫し見つめ合う。
やはり、自分は寝ぼけているのだろうかと宗四郎は思いなおし、まずは今日の日付けや予定を確認しようと携帯を手にする。そんな宗四郎の肩をカフカはがっちり掴んでこう言った。
「宗四郎さん、病院行きましょう。きっと、どこかで頭打ったんすよ······あれ? たんこぶらしきものはないなあ」
カフカはさらさらと指通りの良い髪を弄ぶように、彼の後頭部に指を這わせて確認している。
「何失礼なこと言うてんねん。どこも頭打ってへんし、正常や。おかしいのはお前のほうやろ」
「いや、だって······子どもがどうとか言うから」
異常を探っていたカフカの手を掴まえ、両手で包み込むようにぎゅっと握りしめる。
「最近、子どもたちに構ってばっかりやったから、なんや怒ってんのか? まだ小さいからしゃあないやん。双子の宗七郎と宗八郎は僕に似て少々小憎たらしいこともあるけど、目離すとすぐどっか行きよるし。末っ子のさくらはお前に似てそれはもうかわいいーー」
「いやいやいや、怖いこわい! 子どもに名前までついてる······! もうほんとに病院行きましょう、今すぐ!!」
握りしめられた手が解放されないことを利用して、カフカは宗四郎をそのまま引っ張って病院へと連れて行こうと決意する。
「病院、病院って······なんやねん! お前がお腹痛めて産んだ子やろ? それにな、さくらなんて『将来パパと結婚する』って言うてくれるんやで」
宗四郎のその言葉を聞くまで、カフカは本当に心の底から宗四郎のことを心配していた。常軌を逸してしまったのではないかと。そう、たった今まではーー
「良かったすね······結婚、したら良いじゃないですか。あと、俺の腹は痛んでねえし、そもそもの話。俺はーー子どもなんて産めねえんだよ! もう、いい加減にしろ!!」
それから何事もなかったかのように、宗四郎は普通に仕事場へとやって来ている。
通りすがる部下たちが副隊長である宗四郎へと朝の挨拶をする、いつも通りの見慣れた日常風景。違うことがあるとするならば、それは皆がちらちらと上司の頬へと視線をやっていることだろう。気にはなっているもののその真相を確かめようとする者はいない。けれど、漸く皆が喉まで出かかっていたことを代弁するつわものが現れたのだ。
「あらら、副隊長。大丈夫ですか、それ。何か冷やすものでも持ってきましょうか?」
大きな眼鏡をくいっとあげつつ、彼女は頬のとある一点を見つめている。
「大丈夫や、小此木ちゃん。このくらい、何ともないわ。ただな、愛って時には痛みを伴うっちゅうことを教えといたる」
「そんな講釈を垂れてないで、ちゃんと謝ったほうが良いですよ」
そんな会話をしている間、ばしゃばしゃとシャッター音が途切れることなく続いている。小此木とともに現れた、この基地の隊長様こと亜白ミナが携帯片手にその様子を余すところなく収めようとしているのだ。
「亜白隊長、何してるんですか。連写するのやめてもらってええですか?」
「すまない、つい······面白·····物珍し? ······いや、うん。記念に」
謝罪しながらもやめる様子などなく、宗四郎は深いため息をついた。
寝起きに交わされた宗四郎とカフカの会話。
最初は本気で心配していたカフカであったが、ついに堪忍袋の緒が切れて宗四郎へと強烈な平手打ちをお見舞いしたのだ。そうして、彼の頬に紅葉が色づいたのである。
その後喧嘩別れのような状態のまま、それぞれの仕事場へと向かっていて今に至る。大した謝罪も出来ずじまいであるが、宗四郎はいまだ自身の違和感と向き合えず釈然としない何かを抱えていたのだった。
その日の業務を終え、宗四郎は家路についた。
その頃には彼の頭も程よく冷えて、自身があまりにも生々しい夢を見ていたのだと漸く理解できたのだ。
そう、5人家族の保科家――それは宗四郎が創り出した、全てが夢まぼろしであった。
そのことに対して十二分に反省したうえで、帰宅したのだが。如何せん、運が悪かった。
ただいまカフカと言っている宗四郎の隣には彼を何分の1かに縮小したような、男の子がひとりーー
「お邪魔します。今日から1週間ほど、お世話になります。ご迷惑おかけしてほんまにすみません」
その見た目と大人顔負けの振る舞いに呆気に取られるカフカであったが、すぐさま正気に戻りその子どもを家の中へと招き入れる。
「えっとー······宗十郎くん、だっけ? 何か飲む? 今、ジュースとかなくて、紅茶くらいしかないんだけど」
「お構いなく。ジュースなんて子どもじみたもの好みませんので、寧ろ紅茶を頂けるの有り難いです」
「そ、そっか。じゃあすぐに淹れてくるから、ちょっと待っててな」
そう言って台所に消えていったカフカであったが、すぐに戻ってきて上機嫌の笑みを湛えて宗四郎の名を呼ぶ。
「宗四郎さーん、ちょっと。手伝ってもらっていいっすか?」
その機嫌の良さそうなカフカの声を聞き、彼がもう怒ってないのだとほっと胸を撫でおろした宗四郎。足取り軽やかにカフカの後を追っていったのだが。
「······あれ、誰の子っすか」
「うわあ、嘘やん。初手から胸ぐら掴まれるような感じと違かったやん」
にこにことしていた顔から一変、あまり見ることがないような冷めた表情のカフカに胸ぐらを掴まれショックを隠せない。
「あの子が朝からずっと言ってた、どっかの誰かがお腹を痛めて産んだあんた似のかわいい子どもってやつですか?」
「もう色々違う、ちゅうか全部間違ってる! そない怖い顔せんといてくれ。あと、朝の話は一旦脇に置いとってくれへんかなあ」
じゃあ、どういうことですかとカフカがさらに詰め寄ろうとしたその時、件の少年がひょっこりと顔を出す。
「ひょっとして僕のことで揉めてます? 僕たち似てますけど、正真正銘ただの親戚ですよ。都合悪いなら、僕しばらく外に出てましょうか?」
その言葉を受けて、カフカと宗四郎のふたりは顔を見合わせる。そして、カフカは掴んでいた手を離し、宗四郎共々おませな少年の背を押し居間へと連れて行った。大丈夫、揉めてない揉めてないと念押ししながら。
そんな彼と暫く談笑した後宗四郎がお風呂を共にして、全く寝る素振りのないその子どもをなんとか寝かしつけたのだった。
そうして、深夜。今日という日をふたりして振り返っている。
「それで? 結局何だったんすか、朝のアレは」
ふたりとも何故か妙に疲れていた。
いくら聞き分けの良い子どもとはいえ、全く眠る気配すらない元気いっぱいの子を寝かしつけるのは体力気力共々削られるものなのだ。
テーブルへぐったりと体を預けるようにしながら、ぽつぽつと話始めている。
「新人教育はな、もうある程度慣れたんやけど······さすがに、あんな幼い子はまた勝手が違うやん。それやのに、1週間も親戚とはいえ他所様の大事なお子さんを預かるわけやから、なんかあってからでは遅いやろ」
まあ、そうですねと話の意図がつかめず、カフカは何となくの相槌を打ちながら話の先を促していく。
「そやから子育て、勉強しよう思うて······お前も勤勉さんやから分かるやろ? 無知が一番怖い。まだ時間はあったし、分からんなら知識を得ようってな」
真面目な夫らしい考え方だなとカフカは思う。それならそうと言ってくれればいいものを、ふたりで預かるのだから一緒に学びたかったなあと。
「それで、片っ端から育児本や教材を読み漁って、子育て体験談とかまで手を出してって――仕事で手一杯のくせに、よくもまあそんな時間ありましたね」
元々読書が好きであり、知識欲も深い。未知の世界へと足を踏み入れる楽しさに貪欲な人なのだ。細かいことが気になる性格で真面目で勤勉。要はのめり込みやすいということ。
「そんで、育児の世界にどっぷり嵌ってしまって、結果ものすごくリアルな夢を見るに至ったと······そういうことで良いんですか?」
全くもってその通りであり、何の申し開きもありませんと頭をテーブルに打ちつけるようにして宗四郎は謝罪する。いつ何時必要に駆られるかも分からんやんと言い訳じみたことを付け加えながら。
必要になることなんてなさそうだけれどと思ったが、反省しているようなのでカフカはあえてそのことには触れず核心を突いた。
「······宗四郎さん、子どもほしいですか?」
「いや、ほんまにそういうことやなくて――」
「もう······これきり、2度と聞きませんから。ちゃんと本音で答えてください」
凪いだような、そんな声だ。だがしかし、その瞳は不安に揺れていただろう。
そんなカフカの心を汲み、観念したように笑いため息ともつかぬような息を漏らし口を開く。
「ほしいかほしくないかと問われれば、まあほしいって言うやろうなあ。でもそれはあくまでも、お前の子であって何の関係もないような子とは違うねん。それにな、子どもなんかできたらお前のこと子どもに取られてしもうて独り占めできんってよう分かったから。結論としてはいらんわ。僕はお前さえいてくれれば、それでええ」
「ほんとに、それでいいんですか」
「僕がお前に嘘、ついたことあるか?」
「さあ、どうだろ······それは俺には分かんないっす」
「なんで、分からんねん······ないわ、阿呆」
そんな会話をしながら、ふたりは席を立ち仲良く洗面所へと向かっていく。明日も仕事なのだから、あまり夜更しするわけにはいかない。歯でも磨きながら明日の話でもしよう、生活をともにするに至ってそう言わずともどちらともなく連れ立って行動することが多くなっていた。
「宗十郎帰ったら、いっぱい子づくりしよな」
洗面台の鏡の前に立ち薄紫色の歯ブラシを手にした、宗四郎が鏡越しに見つめながらそう言った。そんな彼と並んで歯を磨いていたカフカは数度瞬きをした後ぷはっと吹き出した。
「なんか矛盾してません、それ?」
「何がや、間違ってはないやろ。夫夫の営みはそういうもんやで」
カフカは緑色の歯ブラシを水で洗い流し、口をゆすぐ。そして、隣に立っている宗四郎のほうへと顔を傾けこつんと頭同士がぶつかった。
「俺、女じゃなくてよかったっす。だって、宗四郎さんとしたらすぐに孕んじまいそうだし?」
にっと綺麗な白い歯を見せつけるように無邪気に笑う。
あどけない子どものような笑みを見せながら淫靡な雰囲気を纏った言葉を発する、その不釣り合いな様に思わず宗四郎はむせて咳き込んだ。
そのまま口をゆすぎ、使い終わった歯ブラシを雑にコップへと投げ入れた。
「孕······って、お前なぁ。ああ、もう降参や。それ以上言うなや。したなるやんけ、くそが」
「そっちが言い始めたんじゃないっすか。ほら、もういい子は寝る時間すよ」
「誰がええ子や。夫を焚きつける悪い子の間違いやろ」
笑いながら寝室へと向かっていくカフカを足早に追い、その首に腕をかけ体を寄せるようにして囁き笑い合う。縺れるようにして部屋入っていき、扉が閉じられる。
そんなふたりを見つめるように、洗面台に仲良く並んだ2つの歯ブラシがカランと鳴った。