5話
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頭がクラクラする。これはもう疑いようもない風邪だ。
そんな事を思いつつ、視線を窓に向けた浅葱はぎょっと目を見開いた。
「あさ…っ」
帰ってきた後の事は漠然としか覚えていないが、随分長く寝ていたようだ。
早く学校に行かねば!と勢いよく身体を起こすが、突然襲ってきた眩暈に再び沈んでしまった。
(……身体が重い……頭もフラフラだし、暑い……)
ありえるかもしれない。
毎晩遅くまで起きていたし、昨日は美朱を探して寒空を走り回っていた。
それに加え、最近気が重くなることばかりで、心身ともに疲れていた可能性があった。
「…大事なときなのに…」
そっと額に手を添えてみると、額にタオルが乗せてあった。母が熱さましのためおいてくれたのか。ぼんやりとした意識の中では判断できない。
眩暈とだるさに浅葱はふう…と深いため息を吐きだした。風邪と様々な事の積み重ねで、考える事すら放棄したい。
その時、トントンと軽いノック音が響きゆっくりとドアが開き、日中いる筈のない兄が入ってきた。
「お!目が覚めたのか。具合はどうだ?昨日か帰ってから熱出したみたいで母さん心配してたぞ」
「……兄さん、なんでいるの?」
「今日は休講。おかげでお前の看病をまかされちまった。ほら、体温計。一回はかっとかねえとな。
そうそう母さんは仕事に行ってるからな。……母さん、お前のこと心配してたぞ」
つい、と差しだされた体温計を受け取り、もぞもぞと脇に挟む。
そうか…やっぱり母がみてくれていたのか。あんな風にケンカしたあとだったのに。迷惑をかけてしまった。
その間に圭介は落ちていたタオルを拾い水で冷やし、再び浅葱の額に乗せた。
「…ねえ、兄さん」
「なんだ?」
「……美朱…見つかったの?」
「あ、ああ。うん…まあ無事に帰ってきたぞ。受験ノイローゼ気味で変な事口走ってたけどな」
「……兄さん?」
曖昧に笑う圭介を浅葱は不思議そうにじっと見つめる。圭介は誤魔化すように笑っているだけだ。
まあ、見つかったのならよかったが、あんな「夢」を見た後だけに、少々不安もある。
それに夢と連動して襲ってきた「痛み」はホンモノだったことを思うと、一概に無事だったとは言えなかった筈だ。
しかし、それにしては兄の様子は変わらないように見えた。ならば本当に美朱は無事帰ってきたのだろう。ケガのことすらなかったかのように。
「…そう、よかった…。あの子、どこも怪我してなかった?」
「怪我?ああ、あの足のことか!全然まったく無傷だったな。むしろ元気良すぎるくらいだったぜ」
何かを思い出すようにげんなりと肩を落とした圭介はなぜか遠い目をしていた。
その様子に、なんだか想像できる気がする…と浅葱はひっそりと苦笑いをもらす。
そんなやりとりをしていると、pipipi…と電子音がなり、計測終了を知らせてくれた。
取り出してみると「37.4」の数字。微熱程度だが、確かに熱があった。
「……熱は下がってんな、よかったぜ…」
「私が寝てる時にも計ったの?」
「母さんがな。お前、八度五分あったのに外を走り回るなよ。あのまま探しまわってたらぶっ倒れてたんだぞ!」
「……ご、ごめんなさい」
そう返事を返すものの、あの時は熱などなかったし、体力が有り余るくらい元気があったはずだ。
でなければ、大人しく家に残って気まずいながらも母と二人で帰りを待っている。
『過去』の経験は今も存分に活かされているからだ。
とは言っても、途切れ途切れの『記憶の中』に残っているのは強烈な印象があった出来事や、些細な日常の一コマで全てを覚えている訳ではないが。
「とりあえず、今日は休むって学校に連絡しておいたし、俺もいるからゆっくり休め」
「……うん、ごめんな――」
「浅葱、こういう時に言うのは」
「―――ありがとう」
「よろしい」
くしゃりと彼女の髪を撫で、圭介はおかゆでも作ってくると言って部屋を出て行った。
シンと静かになった部屋に残された浅葱はダルイながらもゆっくりと腕を持ち上げ、窓から入ってくる光を遮断させる。
額から伝わるヒンヤリとした冷たさが気持ちいい。
外の喧騒を聞きながら考えるのは昨日見た夢のことだった。
アレが「夢」で「現実」だったことは漠然とながら覚えていた。その中で美朱が必死になっていた事も、見知らぬ男たちがいた事も覚えている。
アレは一体何だったのだろうか?
美朱と関係があるのなら、彼女が帰って来た時に聞いてみようか?
いや、夢の中の話。爆笑されるかもしれない。
それでも「痛み」や彼女の悲鳴はよく覚えているし、聞くだけ聞いてみてもいいか。
そんなことをつらつら考えていると、リビングのほうが騒がしい事に気がついた。
もしや、日頃料理などしていない兄が台所で何か仕出かしたのかもしれない。
自分の為に頑張ってくれるのは有り難いが、病人がいることを少し考えて物音をたてないようにして欲しいものだ。
物音の正体が気になって寝ていられない。うんと一頷きし、浅葱はゆっくりと起き上る。遠くでガシャン!という何かを落とす音が響いた。
これはもう本格的に心配だ。
「……自分で作った方が安心、安全かも…」
しかし、兄はそんなに不器用じゃなったと思ったのだが。おかゆを作るくらいで、台所を破壊するような音を出すものなのか?
近くにかけてあった肩かけを引きよせ立ち上がると、ドアノブを回す。
―――――――バコン!!
「……は?」
「あだっ!」
浅葱が開けたドアは鈍い音を出し「何か」にぶつかった。
目を白黒させている浅葱の前には、学校にいる筈の美朱が伸びている。
近くには色々な食材――主にお菓子類――が散らばっていた。出所は大きいバッグのようで、他にも下着や服、雑貨などが詰め込まれているのは見える。
「み、美朱?なんで?」
「いたた……。うぅ、おでこにたんこぶ出来てるかも」
唖然としている浅葱をよそに、美朱はすりすりと自分の額を撫でながら呻いている。よっぽど痛かったのだろう。少し涙目になっていた。
言葉もなく立つ浅葱は何がどうなっているのか分からず見ていると、美朱はガバリと勢いよく立ちあがった。
「浅葱!起きてて大丈夫なの!?昨日、すっごく熱あったんだからまだ寝てなきゃだめじゃん!」
「は?え?」
「ほら早く、部屋に戻って!」
「ちょ、ちょっと待って…っ」
ぐいぐいと腕を引っ張る美朱に戸惑っていると、リビングから圭介が慌てて出てきた。
「美朱!コソ泥か、お前は!それに学校はどうした!」
「お兄ちゃんこそ大学はどうしたのよ!」
「俺は休講だ!…っておい、この荷物…!お前、家出でもする気か!?」
浅葱の腕を掴みながら、美朱は切羽詰まった顔を圭介に向けた。
「唯ちゃんを助けに都立図書館に行くの!!」
美朱の口から出てきた言葉に浅葱は目を見開く。
「唯ちゃん『四神天地書』の中に吸い込まれたの!助けにいかなきゃ!きっとそう…だって最初の時、吸い込まれたのあたしだけじゃなかったもん!!」
「まだそんなこと…あの本には近づくなっていっただろう!」
「唯ちゃん家に帰ってないって!きっとあの本と何か関係ある!」
そう叫ぶと美朱はぎゅっと掴んでいた手に力を入れた。
少しだけ震えている事に浅葱は気付いたが、美朱の尋常でない様子や唯に何か大変な事が起きたことを聞かされ混乱するばかりだ。
「それにお兄ちゃん、唯ちゃんの事だけじゃないの。あたし……きっと最後のページがくるまで『あの本』からもう、逃げられないと思う」
「だからって…っ」
「――『四神天地書』を開いた時から…鬼宿と出会った瞬間から…」
「美朱!」
兄の怒鳴り声に一瞬身体を強張らせるが、美朱は真っ直ぐに圭介を見つめた。
「――だから…ごめん!あたし、行かなくちゃ!あ!浅葱はちゃんと寝ててよ!唯ちゃんはあたしが絶対助けるから!」
「おい!美朱!!」
圭介を制止する声を無視し、美朱は握り締めていた浅葱の腕から身体を放すと散らばっていたお菓子を手早くバッグに仕舞い慌てて走り出した。
その後を圭介が追いかけて行く。
浅葱は呆然となりながら二人の後ろ姿を見送っていたが、ハッと我に還り慌てて二人の後を追うために走り出した。
※
しばらく走っていると、熱が上がってしまったのか視界が揺れ全力疾走している二人を見失ってしまった。
一度立ち止まり美朱たちが向かったであろう、都立図書館に目を向ける。
唯の身になにか起こったと聞き、とっさに二人の後を追いかけてしまったが、やはり病人に全力疾走はきつかった。
ぜいぜい、と肩で息継ぎをしつつグッと唇を引き結ぶ。
日中の往来で年頃の少女が走っているなど、人の目に着きやすいものだ。幸いにも補導する監視員や警察などに見つからなかっただけ有り難い。
それに寝巻に使っていたのは安い衣料品で有名なブランドの服。薄手のパジャマではないので、目立つ事もない。
ただし、一目で具合が悪いと分かるくらい体力が消耗していることが問題なだけだった。
今から家に戻るべきなのだろう。それは分かっている。
でも…それでも、親友に何かあったなどと聞いてしまったし、その親友を助けるために妹が『何処か』にいこうとしているのなら、じっとしていられなかった。
ここで引き返したら、後で必ず後悔する。そう直感が囁く。
浅葱は深く深呼吸をすると、ぎっと前方を睨み付け再び走り出した。
もしもあの時強制的に兄に帰させられてなければ、唯はここにいたのかもしれない。
一緒に探していれば、こんな事にはならなかったかもしれない。
そんな僅かな後悔と自己嫌悪を抱きながら浅葱は縺れる足を動かし、必死に走った。
目指す目的の場所は直ぐそこに迫っていた。
※
バンッ!!――――と激しい音が響き、同時に背にしていた扉が開いた事に圭介は驚き飛びのいた。
現れたのは家で寝ている筈の浅葱で、驚きすぎて顔が崩れてしまっている。
「美朱!!兄さん!!」
開けた時と同じく乱暴に閉められた扉が「ギィィ…」と痛みを訴えている。
そんなことなどお構いなしに、浅葱は汗だくになりながら美朱の手を握った。
ちなみに…ではあるが、扉の前にいた図書館の職員達は浅葱の鬼気迫った顔と、病人とは思えない力によって排除されていたりする。
「美朱!唯の所に行くなら私も連れてって!!」
「なっ…浅葱、お前!?」
「何言ってるの、浅葱!!」
驚きと怒りをない交ぜにし焦った二人に、浅葱は真剣な瞳で言い募る。
「あの時私が家に帰ってなければ、唯はいたかもしれないの!!一人にしなければよかったの!!お願い、私も唯の所に連れてって」
必死に言い募る浅葱は全身汗まみれで息が上がった。それに加え、顔が赤らみ身体は小刻みに震えている。
ここに立っている事さえ不思議なほどに彼女の体力は限界のはずだ。
それなのに浅葱は気丈に顔を上げ、まっすぐ美朱を見つめていた。
「浅葱、何言ってんだよ!お前、自分が病人だって分かってんのか!?それに美朱、お前も唯ちゃんを助けに行くって何処に行く気してんだ!」
「お兄ちゃんの言う通りだよ、浅葱!大人しく家で寝てて!それに、そんな身体で走ってきたなんてメチャクチャじゃん」
浅葱に掴まれた手を握り返す。汗ばんでいる手も小刻みに震えていた。こんな状態でよくここまで来れたものだ。
「もう後悔なんてたくさんなの!また
私も連れてって!!」
切羽詰まった顔と気迫に美朱は驚き、浅葱を凝視する。
赤くなった顔に潤んだ瞳。けれど、その輝きは揺るがない決意のようなものが秘められていた。
「だからって浅葱。本の中に入れるとは限らない――」
――――ドンッ!
美朱の声を遮るようにドアが激しく叩かれ、ドア越しに「開けなさい!!」と叫び声が響いた。
ドアの外で職員が集まりだしたようだ。
「やべっ!壊れるぞ!……直してたはずなのに壊すとか本末転倒だろう!?」
圭介の叫びに美朱は浅葱の手を解き、小さく「ごめん」と呟いた。
「そんな身体の浅葱を連れていけないし、あの世界に行けるなんて保証もないからごめん!浅葱は待っていて!」
「美朱!」
「あ、お兄ちゃん。コレ…私と繋がる
「行くって、お前…何処に…!?」
浅葱と圭介に微笑みを返し、美朱は手にしていた古めかしい紐綴じの本を開く。
それは一瞬のことだった。
赤く眩しい光が本から放たれ、美朱は一瞬にして荷物ごと姿をけしたのだ。
残されたのは展開についていけない圭介ただ一人。彼は叫び声を上げ落ちた本を拾い、ハッと後ろを振り返る。
そこにはただドアがあるのみ。奥から激しく扉を叩く音がするのみだ。
そう…病人である浅葱もまた、姿を消していたのだった。