7話
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月明かりがさす山の中腹に陣取り、最後になるかもしれない酒を注いでまわる後ろ姿を見つめていた。
最近まで思い悩み、思いつめていたなど誰が思うだろうか。
「私」は穏やかな横顔を眺めながら、さきほど注がれたお酒を一口飲んだ。
辛い。でも美味しい。
明日で全てにカタがつく。もう後がないことも、敗北しか残されていないことも皆気がついている。
気がついているけど、誰も逃げようなどとは思っていなかった。
だって彼がいるから。
【誠の武士】を体現した彼――兄がいるから逃げようなんて誰も思わない。
死にたいわけではない。でも屈したくもない。そんな馬鹿な人間の集まりに苦笑をもらす。
「私」もそんな馬鹿者の仲間だから。
初めはただ兄の後ろを追いかけただけだった。
追いかけた先は修羅の道で、泣いて傷ついて、でも笑いあって。血に濡れた日々の中に温かさがあった。
顔馴染みだった人は仲間となり、背中を預け合うかけがえのない存在となった。
「私」は最年少で女だったから可愛がってもらっていた。
でも仲間だった人たちは時代の荒波にのみ込まれ、次々とチリジリとなり行方不明や死んでしまったでしまった人までいる。
今いる古参は僅かばかり。隊のほとんどは、薩長に組することを拒んだ者か、武士であることに憧れを抱いた者や、一旗揚げようと野心に溢れた者ばかりだ。
感傷に浸りながら「私」は夜空を見上げる。
いつも月は私達の上に輝いているのに、今はやけに遠く感じる。
不意に隣に座っている人物が動き、「私」は彼を窺うように首を傾げた。
彼は二十歳そこそこの男で喉に障害を抱えている。
声が出せないために、言いたいことが言えないから少し心配で時間があれば彼の側にいた。
彼もまた、昔馴染みのようなものだ。彼と一緒にいたのが、たった数カ月だったとしても。
「どうしたの?龍」
「………」
龍がアレと指差す方向から、一人の少女が歩いてきた。
もう少女とは言えない歳だけど、彼女が『新選組』にきた時から面倒を見ていたためどうしても女性として見れないのだからしかたない。
「私」は可愛い妹分に軽く手をあげ招く。
「千鶴どうかしたの?」
「土方さんから、椿さんとそこの男の人を連れてこい言われました」
「兄さ……局長から?私はともかく龍も?」
「はい」
「……そっか。ばれちゃったなら行かなきゃね」
「…………ッ」
「私」の言葉に彼は言葉を詰まらせ、ブンブンと首を左右に振った。
「龍、そんなに嫌?ひっそりとっていうアナタの願いは無理だったけど、"あの日"以来会ってないのならいい機会じゃない?」
「…――ッ!」
そう言うと彼はバツの悪そうな顔をし、フイッと顔を背けた。
「ね?一緒に兄さんの所にいきましょ。大丈夫よ、怒られたりはしないはずだから」
龍は「私」と千鶴の顔を交互に見て、渋々小さく頷くと立ち上がった。
「じゃあ行きましょうか」
※
「久しぶりだな、井吹」
「――……」
案内されたのは人気の少ない本陣裏だった。
そこにはさっきまで兵士たちに酌をして回っていた兄――土方歳三が佇んでいた。
兄さんは千鶴を下がらせると、小さく笑いかける。紫紺の瞳が懐かしさで細められる。
「ひとりだけ声が出ないヤツがいるって聞いてもしやと思ったが、やっぱりお前だったんだな」
「…………」
「なんだ?お前なに意外そうな顔をしてんだ」
「………―――!?」
龍は内心で驚いていたみたいだけど、顔にでる性格のためバレバレだ。
「まあ、仕方ねえけどな。元気でなによりだ」
「…………――!」
兄の言葉に龍は照れ臭そうに笑い、慌て顔を反らす。それが可笑しくて、「私」は忍び笑いをした。
「……っ!」
「なに笑ってやがるんだ椿。
大体だなぁ、井吹がいることを知っていて俺に知らせないてえのは、規則違反じゃねえのか?」
「え、えーと、スミマセンデシタ。……だって兄さん忙しかったじゃない」
顔を赤らめキッと睨む龍と、呆れ顔の兄にアハハ…と乾いた笑いを洩らしながら愚痴る。
兄はワザとらしくため息を吐き出し、私の髪をくしゃりと撫でた。
「兄さん!子供扱いしないでよ!」
「お前はいつまでたってもコドモだよ」
「私」はくしゃくしゃと撫でている手を少し乱暴に振りほどいた。
もう行き遅れといっていい年の女に、コドモなんていうのはこの兄くらいだろう。
「もう!そんなことより、龍と私を呼んだ理由を教えて。懐かしい顔があったからなんて理由じゃないんでしょ? 」
「ああ、そうだな」
「私」の問いかけに、兄は懐から懐紙を出し「私」にソレを握らせた。
白い懐紙から僅かにはみ出した髪にドキリと心臓がなる。
「兄さん、これは…」
喉が乾く。
これはまるで遺髪のようではないか。
「椿、お前はこれを姉さんに届けろ。井吹はこいつの護衛だ」
「なに、言って」
「お前も分かっているだろ。明日の戦は先がない」
「何言ってるの、兄さん!兄さんらしくないじゃない!負ける気なんてないんでしょ、何弱気に……」
「椿」
深く静かな声音。諭すようなそれに、手の中にある懐紙がくしゃりと音をたてた。
「椿、お前はもう新選組に縛られるな。女として生きろ。――女の幸せを手に入れろ」
嫌だ嫌だ!と駄々っ子のように心の中で「私」が叫ぶ。
でも口が渇いて言葉にならなかった。薄々気づいていた。何も言い返せない。
本当は仙台に置いてきたかったって知っていた。それを知らないふりをし、ついてきたのは私の意志だ。
結局は兄も「私」の意志を尊重してくれた。それがどんなに嬉しかったか、兄には分からないだろう。
「私も皆と一緒に行く!足手まといになんてならないわ!知ってるでしょ!?」
「そうだな。お前は新選組の中でも指折りの剣の使い手だ」
「なら!」
「だからこそ生きて俺たちの誠を語りついで欲しい。これは局長命令だ」
真摯な目を向けられ息を飲む。
何てこと頼むの。断れないじゃない。
「私」はギュッと懐紙を握り締め、兄の胸を力一杯に叩いた。
「兄さんのバカ!」
「ったく、仮にも局長に向かってバカとはねえだろうが」
「バカはバカよ!私の気も知らないで勝手に突っ走って、勝手に決めて押し付けて!
私は最後まで一緒にいて、一緒に見届けようとしてるのに、命令で離そうとして!」
「………」
「いっつもそう千鶴の時も…っ」
「椿」
怒りに任せて言う「私」の頭を再度なで、兄は分かったからと呆れながら「私」の名前を呼んだ。
「小言は勘弁してくれ。姉貴に叱られている気分になる」
「姉妹だもの当たり前じゃない!姉さんもここに居たら同じことを言うわ!絶対!
それに兄さんは自分の事蔑ろにするから見張ってないと!」
だからいさせて。守らせて見届けさせて。
そんな「私」の願いも虚しく、兄はフッと小さく笑った。
「見張るのは一人で足りてる。これからお前の目に映るのは『俺たちの後ろ姿』じゃなく、先の日本の姿だ。お前を通して俺たちは生き続けていくんだ」
「………」
ずるい!ずるい!そんな言い方なんてしたら意地を通せないじゃない!
どんなに願っても「私」をここに残してはくれない。
それが兄なりの優しさ。それなら「私」は「私」のやり方で側にいよう。
ぐっと唇を噛み締め、「私」は懐紙を懐にしまい、別の懐紙を取り出す。
いぶかしむ兄さんに笑い返し、懐剣の鞘を抜くと髪を切り落とした。
「お前…!?」
「………ッ!?」
「新選組の椿はずっと新選組と共に」
ハラハラと夜風によって飛ばされる髪に言葉なく佇む兄さんを真っ直ぐ見つめる。
残された僅かな髪を握り締め、ありったけの想いを乗せてソレを差し出した。
「だからご武運を…っ」
「ああ、お前も無事でいろよ」
兄は髪を受けとると、ふわりと笑い返してくれた。
月明りに浮かぶその顔が泣きそうに見えたのは見なかったことにして、「私」も笑い返す。
ずっと追いかけてきた姿を目に焼き付けるように。
笑っている兄の顔は穏やかで、在りし日の近藤さんの面影と重なり溢れる涙をぐっと堪えた。
懐が深く豪快で仲間想いだった大好きな近藤さん。今はもういないあの人と、兄が重なる。
きっとこれが最後の会話になる。覚えておこう。兄が、みんなが、何を想い目指したのか。
そして私が彼らの意志を繋ぐ。きっとそれが何かを動かすことになる。
その後、兄と龍との話し合いで揉めたが、声が出ない龍の不利で彼の方が折れ、「私」の護衛におさまった。
※
さらさらと流れる沢の音を聴きながら、僅かに開け放たれた障子から空を見上げる。
澄みきった青空に桜吹雪が舞散り、「私」の頬を滴が流れ落ちた。
未だに癒えぬ心のキズの蓋を開けそっと囁く。
私の想いはいつまでも皆の側に。
笑い声も、笑顔も、鳴き声も、泣き顔も全て皆の傍に置いておこう。
「私」を育んでくれた皆の傍に。
だから……これで最後。
この桜吹雪と共に流してしまうから、今は泣かせてください。
明治二年 五月十八日 戊辰戦争終結