蒼の吸血鬼
「これは……」
アマネは、その事故現場上空で呻く。
空の風は強いが、天空に咲く真紅の花のような、アマネの上位天狗の翼は、それをものともしない。
鳳凰の尾羽のような、あでやかな飾り羽が、翼の付け根から伸びて、ゆうゆうと風にたなびくのは、この世界の生み出した奇蹟の一つではないかと思える。
天狗の正体を現したアマネの柔らかな髪は、翼と同じ真紅。
可憐で心そそる美貌は、その真紅の中であざあざと白い。
だが、彼女の顔色を青ざめさせているのは、眼下の光景だ。
まだ澄んだ、晴天の朝の光の中見えるのは、線路上に横たわる、巨大な怪魚のような電車の車体。
窓は砕け、恐らく乗客だったものであろうと思われる何かが周囲に投げ出されているのも見える地獄絵図だ。
それにしても妙ではあった。
事故現場なら、救助活動に励む救急隊、事故の現場処理にいそしむ警察の姿が見えるはずである。
いや、一応、それらしい影はある。
白黒のパトカーも、白くてずんぐりした救急車も、何台も見分けることができる。
しかし、何故か、その周囲に動くものはいない。
現場周辺の規制をしているべき警官も、救助活動をしているべき救急隊員もいない。
いや――
「警官だったもの」
「救急隊員だったもの」
であろうもの、なら、周囲にいる。
転がっている。
明らかに、人間ではない、奇妙な形の骨となって。
天狗の、ハヤブサ並みの視力で見分けられるのが、その奇怪な「骨」がまとう、ぼろぼろになった制服だ。
そうでなければ、さしものアマネとて、それが警察官や救急隊員どころか、人間だとも見分けられなかっただろう。
それほど、その骨は、異様な形をしていた。
人外の方が当たり前の世界に生きている、生粋の人外であるアマネも思わず目を剥く奇怪な形だ。
太古に生きていた草食恐竜の頭骨の一部を切り取り、数倍に拡大したような、奇怪な形の頭部に変形した誰かの骨は、その下に人間の頸椎と背骨、あばら骨その他が転がっていなければ、とても人間の死骸とは判別できなかっただろう。
まるで竹馬のように、膝から下の骨が長く、一本の杭状に伸びている死骸がある。
器用な子供が、子供らしい無分別さで作った不気味な人形のようだ。
少し離れた場所に転がっている、警察官の制服の残骸を纏った白骨死体は、頭蓋骨はじめ、背骨からあばら骨、肩甲骨に至るまで、四方八方に向けて巨大な骨の棘が生えている。
さながら、巨大なハリセンボンの標本だ。
ここで事故が起こってから、一時間も経っていない。
だが、周囲に転がる死骸は全て白骨化、並びに異様な変形を遂げている。
周囲に生きている人間の気配は、全く窺えない。
電車内部の死骸、そして周囲に転がる死骸だけが、何かを明らかに告げながらも、永遠に沈黙している。
電車内部は混乱の極みで、もう無数に絡み合った白骨死体を、一人一人個体識別するのは無理であろうと思われる。
ほんの少し前まで、普通の通勤客であった彼らは、今や怪異がこの世に存在することの、まぎれもない証拠でしかない。
電車の周囲には、それこそコーヒーでもぶちまけたように、茶色い染みが広がっているのが見て取れる。
全部、死骸が白骨化する際に流れ落ちた腐汁だと思うと、流石のアマネも背に悪寒が走るのを禁じ得ない。
とてつもなく気が進まないが。
「……降りて調べる他、あるまいな……」
今や政府の手によって、周囲数kmから人気が失せたその場所に向け、アマネは降下を始めた。
◇ ◆ ◇
地上に近付くにつれ、とてつもない悪臭が、アマネの鼻をつんざいた。
昔、数えきれないほど戦場で嗅いだ、いわゆる腐臭と共に、なにやら生臭い匂いが混じっている。
――死病に冒された人間の、死ぬ間際の匂いだ。
アマネは気付く。
地上に降り立つと、悪臭は耐えがたいほど。
にも関わらず、ハエの一匹すら飛んでいない。
どうやら、この事態の引き金になった何かには、ハエすら近付けぬ毒があるらしい。
アマネが臭いで済んでいるのは、神に近いほどの、高位の天狗だからであろう。
アマネは周囲を見渡す。
沈黙。
その下に横たわる、有り得ないほどの短時間で白骨化した大量の死骸。
しかも、白骨化するのと同時にかどうなのか、人間とは思えないような形に変形している。
これが示すのは、ただ一つ。
「人外の仕業には間違いないが。しかし、このご時世にこんなことをしでかす奴というのは、はて……」
まるでその場に誰かいるようにひとりごちるアマネは、その地獄より凄惨な光景の意味を、既に汲み取っていた。
アマネは、その事故現場上空で呻く。
空の風は強いが、天空に咲く真紅の花のような、アマネの上位天狗の翼は、それをものともしない。
鳳凰の尾羽のような、あでやかな飾り羽が、翼の付け根から伸びて、ゆうゆうと風にたなびくのは、この世界の生み出した奇蹟の一つではないかと思える。
天狗の正体を現したアマネの柔らかな髪は、翼と同じ真紅。
可憐で心そそる美貌は、その真紅の中であざあざと白い。
だが、彼女の顔色を青ざめさせているのは、眼下の光景だ。
まだ澄んだ、晴天の朝の光の中見えるのは、線路上に横たわる、巨大な怪魚のような電車の車体。
窓は砕け、恐らく乗客だったものであろうと思われる何かが周囲に投げ出されているのも見える地獄絵図だ。
それにしても妙ではあった。
事故現場なら、救助活動に励む救急隊、事故の現場処理にいそしむ警察の姿が見えるはずである。
いや、一応、それらしい影はある。
白黒のパトカーも、白くてずんぐりした救急車も、何台も見分けることができる。
しかし、何故か、その周囲に動くものはいない。
現場周辺の規制をしているべき警官も、救助活動をしているべき救急隊員もいない。
いや――
「警官だったもの」
「救急隊員だったもの」
であろうもの、なら、周囲にいる。
転がっている。
明らかに、人間ではない、奇妙な形の骨となって。
天狗の、ハヤブサ並みの視力で見分けられるのが、その奇怪な「骨」がまとう、ぼろぼろになった制服だ。
そうでなければ、さしものアマネとて、それが警察官や救急隊員どころか、人間だとも見分けられなかっただろう。
それほど、その骨は、異様な形をしていた。
人外の方が当たり前の世界に生きている、生粋の人外であるアマネも思わず目を剥く奇怪な形だ。
太古に生きていた草食恐竜の頭骨の一部を切り取り、数倍に拡大したような、奇怪な形の頭部に変形した誰かの骨は、その下に人間の頸椎と背骨、あばら骨その他が転がっていなければ、とても人間の死骸とは判別できなかっただろう。
まるで竹馬のように、膝から下の骨が長く、一本の杭状に伸びている死骸がある。
器用な子供が、子供らしい無分別さで作った不気味な人形のようだ。
少し離れた場所に転がっている、警察官の制服の残骸を纏った白骨死体は、頭蓋骨はじめ、背骨からあばら骨、肩甲骨に至るまで、四方八方に向けて巨大な骨の棘が生えている。
さながら、巨大なハリセンボンの標本だ。
ここで事故が起こってから、一時間も経っていない。
だが、周囲に転がる死骸は全て白骨化、並びに異様な変形を遂げている。
周囲に生きている人間の気配は、全く窺えない。
電車内部の死骸、そして周囲に転がる死骸だけが、何かを明らかに告げながらも、永遠に沈黙している。
電車内部は混乱の極みで、もう無数に絡み合った白骨死体を、一人一人個体識別するのは無理であろうと思われる。
ほんの少し前まで、普通の通勤客であった彼らは、今や怪異がこの世に存在することの、まぎれもない証拠でしかない。
電車の周囲には、それこそコーヒーでもぶちまけたように、茶色い染みが広がっているのが見て取れる。
全部、死骸が白骨化する際に流れ落ちた腐汁だと思うと、流石のアマネも背に悪寒が走るのを禁じ得ない。
とてつもなく気が進まないが。
「……降りて調べる他、あるまいな……」
今や政府の手によって、周囲数kmから人気が失せたその場所に向け、アマネは降下を始めた。
◇ ◆ ◇
地上に近付くにつれ、とてつもない悪臭が、アマネの鼻をつんざいた。
昔、数えきれないほど戦場で嗅いだ、いわゆる腐臭と共に、なにやら生臭い匂いが混じっている。
――死病に冒された人間の、死ぬ間際の匂いだ。
アマネは気付く。
地上に降り立つと、悪臭は耐えがたいほど。
にも関わらず、ハエの一匹すら飛んでいない。
どうやら、この事態の引き金になった何かには、ハエすら近付けぬ毒があるらしい。
アマネが臭いで済んでいるのは、神に近いほどの、高位の天狗だからであろう。
アマネは周囲を見渡す。
沈黙。
その下に横たわる、有り得ないほどの短時間で白骨化した大量の死骸。
しかも、白骨化するのと同時にかどうなのか、人間とは思えないような形に変形している。
これが示すのは、ただ一つ。
「人外の仕業には間違いないが。しかし、このご時世にこんなことをしでかす奴というのは、はて……」
まるでその場に誰かいるようにひとりごちるアマネは、その地獄より凄惨な光景の意味を、既に汲み取っていた。