少女たちのお茶会
プロトコル・ターンオーバー📁file7(https://plus.fm-p.jp/u/aya0150my8979/book/chapter?id=7&bid=12 )タルト視点です。
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「紅茶、冷めちゃうよ。」
目の前の紫紺の瞳をしたその子は、私が促すまで膝に手を置いたまま、微動だにしなかった。彼女の前にはおいしいミルクティーに可愛いケーキ。カラフルなマカロンだってある。用意したあたしが言うのもなんだけど、こういうのってすぐに飛びつきたくなるようなもんじゃないの?しかもここは夢の中。もっと自制心がゆるくなってもおかしくないのに。
「もしかして、出されたものにすぐ手をつけるなって躾られたとか?別にいーよ。卑しいとか思わないし。礼儀云々より喜んでもらえた方が嬉しいのよあたしは。」
「……そう。じゃあ、いただきます。」
声を聞くにおそらく彼女と呼ぶ方が適切であろうその子は、まるっこい指先で慎重にカップを持ち上げる。
彼女の片割れは、彼女のことを「ダフネ」と呼んでいた。ピンと立ったツノミミ、すっと引き締まった口許。かみさまが粘土から切り出して創ったんじゃないかと思う程精緻なたたずまい。夢の世界の管理人として長く生きてきた私ですらその雰囲気に押されて肌がぴりつくのを感じる。
ひとくち、彼女はミルクティーを慎重に舌で転がし、静かに嚥下する。カップを置く音にすら神経質さと慎重さが滲み出ている。
「緊張しなくていーの。楽しくやろうよ。せっかくの女子会なんだし。」
「タルトがそういってくれるなら。」
言葉では私に同意しつつも相変わらず彼女は膝に手を置いたまま、緊張を解かない。重苦しい空気をなんとかしたくて、あたしは早速話を切り出した。
「そーだ!女子会らしくお話しよーよ。あんたに聞きたいことが山ほどあるんだ。」
「わたしに?」
「そう。例えば〜…ここに来る前の話とか。」
そもそも今日こうしてダフネだけを呼びつけたのには理由があった。前触れなく夢の底に出現した洋館のような建造物と、その中で生活するふたりの思念体。本来意思ある者がどれだけ深い眠りに落ちようが有り得ないはずの事象。その解決の糸口を探るべく…というか1日でも早く彼女らに夢の底から退出してもらうべく、あたしは今こうしてダフネに接触している。
ゆめのはざまよりも深く、現世を拒絶した者か現世に拒絶された者の意識が転がり落ちてしまう坩堝。それが夢の底と呼ばれる空間だ。夢の底自体非常に不安定な空間で、本来ならひとりの意識が迷い込んだだけでも揺らぎが発生する場所だ。だからあたしとサントノーレは夢空間全体を管理しつつ、夢の底に迷い込んでしまった意識を現世へ戻す仕事をしている。
夢の底に迷い込んだ意識を現世に戻すのに効果的な方法は、今この場所が夢であることを自覚させること。そうすれば大抵の意思ある生き物は覚醒へと促されるはずなのだが……
「あれ〜おかしいな。揺らいでない。」
彼女は相変わらず両膝に手を置いたまま、夜空の色をした瞳でまっすぐあたしを見据えている。
「これであんたは目を覚ますはずだったのに…なんで?」
「……やっぱり。」
「やっぱりって何がよ?あんたもしかしてなんか知ってんの?」
「答えられない。」
手をつけられていないケーキ達に目もくれず、彼女は席を立とうとする。答えられないってどういうことよ、そう言おうとしたあたしの口の前にふわりとしっぽが翳される。
『このゆめはすべてみられている。きかれている。』
あたしの脳裏に言葉が降ってきた。片言とはいえテレパシーを使える子がまだ存在するなんて…いや、そんなことはどうだっていい。彼女の言葉をそのまま捉えるなら夢が第三者によって観測されているという事だろうか。
……ありえない話ではない。まだ噂の域を出ないが、人の手によってゆめのはざまがあらかた解析されたという話を小耳に挟んだ事がある。研究熱心な人間ならその知的好奇心を夢の底へ向けてもおかしくはない。だが
『こんな何も無いところ、観測してどうするのよ』
前述した通りここはとても不安定な意識の坩堝だ。昨日地面だったところが今日も歩けるとは限らないような場所。ここに迷い込んだ意識はあたしたちでも救いきれないことがある。こんな場所を熱心に研究したところで、人間たちの利になるようなことはなんにもない。だったらどうして?そんなあたしのはてなマークを感じ取ったのか彼女はさらにテレパシーを続けた。
『かんそくのためじゃない。』
『じゃあどうしてあんた達の夢を監視してるわけ?』
『わたしたちのいしきをとじこめるため。』
ダフネがそっと部屋の壁に触れた。
……正直信じがたい、いや信じたくない話だった。そもそもあたしとサントノーレがこんな不安定な場所で消えていく意識たちをわざわざ危険を冒してまで救いに行くのはたったひとつの信条からだ。“意思あるものは生きている限り現世で幸せになってほしい”。そのためにあたしは迷い込んだ者がたとえ現世を強く拒絶した者たちであっても有無を言わさず目覚めさせてきた。
もし、ダフネの言うことが本当ならば……夢の底に意識を閉じ込めるなんてことをする奴がいるのなら、そんな奴は許せない。あたしの信条に対する叛逆だ。
『あんたの言ってることが本当なら、普通に目を覚ますのとは違うアプローチがいるでしょうね。』
『そう。しゅんかんてきにいしきレベルをかくせいじょうたいまでひきあげないとだめ。』
『成程ねぇ。方法がないわけじゃない。ただ……』
あたしは扉の方に目をやった。あたしのことを三日月頭だとか呼んだあの小憎たらしい顔が頭に浮かんでかぶりを振る。
『あんた、あいつといっしょに出たいんでしょ。』
『……それができるなら。』
『うーん……もしかしたらそれ、難しいかも。』
『そうか。』
あっさりとした返事に拍子抜けする。
いや、でも、あくまで最悪のケースの話だからとあたしがフォローするより彼女が私の脳にテレパシーを送るのが先だった。
『もしここがくずれて、ひとりしかでられないのならあいつをだしてやってほしい。』
『ダフネ……』
『ここからでてしあわせになれるほしょうはないけれど、そとのせかいじゃないとしあわせはつかめないとおもうから。』
なにも映していないと思っていた真っ暗な夜色の瞳がずっとたったひとつの場所を見ていたことを知る。そうだ。意思がないやつが夢なんて見ない。あたりまえのことをひとつ思い出して、どうじに彼女に対して申し訳ない気持ちになった。
『分かったよ。その時は、絶対あいつを叩き起こす。約束する。』
『ありがとう。タルト。』
『良いってことよ。』
『それからもうひとつだけ。ここがゆめのなかだってこと、そのときがくるまでゼルクにはナイショにしてくれないか?』
『いーよ。女子会らしく2人の秘密が出来たってことで。』
あたしは自分のミルクティーに角砂糖を4つ放り込んで軽くカップを回し、飲み干した。これから仕事が増えそうだ。正直まだまだ話したいことはあったが……あたしの片割れがあいつを引き止めておけるのもそろそろ限界だろう。とりあえず、今日のところはお開きにすることにした。
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「タルト…おつかれさま。」
「それはこっちのセリフ。大変だったでしょ、ゼルクの相手すんの。」
「最初は、うん……。でも、大丈夫だったよ。」
「そう。よかった。」
真っ暗な空間に鈍い光を放ちながら佇む洋館を見下ろす。最初にこれが現れた時はどうしたものかとあちこち奔走し、しばらくしたらそのいささか尊大な佇まいに少し腹が立ったものだ。だがダフネの話を聞いた今、豪奢なその建物は冷たい監獄のようにも見える。
「それでさ、やっぱゼルクは外から来たっぽかった?」
「うん。外のことは聞き出せなかったけど……気持ちが昂った時特有の揺らぎが出てた。」
「そっか。」
「ダフネちゃんの方はどうだったの…?」
洋館の窓、おそらくダフネの部屋が存在するであろう場所に目を向ける。磨りガラスのせいで中を覗くことはできない。あたしは喉の奥から手を伸ばす迷いを押し殺し、口を開いた。
「たぶんあれは……ゼルクが作ったものだと思う。」
「そう……」
「目を覚まそうとしても揺らぎが一切起こらない。ゼルクが明確に意思のある兆候を見せているのに対してあまりにも情動が少なすぎること。なにより2人分の意識を内包したこの空間が崩壊しないこと。これが証拠ね。」
「じゃあ、やっぱり……目を覚ましてもゼルクくんはダフネちゃんのいない世界を生きなきゃいけないの…?そんなの……つらいよ。」
「……そうね。」
夢の中は普通じゃあり得ないことが起きる。
都会じゃ見えない星が見えたり、空が飛べたり、魔法が使えたりする。
あたしが見るに夢の底を縦横無尽に歩き回り、現世と遜色ない様子で過ごしているゼルクはそのような夢空間内部の事象の改変が上手いように思える。それこそ、その気になれば自分に都合のいい偶像を作り出すことだって難しくない。実際、夢の底に迷い込んだ者の多くはそのような偶像を作り出すことがたびたびあるのだ。
仮にダフネがゼルクの作り出した偶像であると仮定した時、あらゆる証拠に矛盾はなくなる。夢の底がふたり分の思念体の重みに耐えきれず崩壊することがないのは最初からひとりしかいないから。これが答えだろう。
……だが、少し引っかかる。
「こっからは憶測の話になるわ。」
「……え?」
「サントノーレはさ、現実世界の人間が夢の中に堅牢で安定した建造物を作ることって可能だと思う?」
ダフネの話を聞いた時からずっと考えていた。
現世の生き物の精神を閉じ込めるための安定した檻。そんなものを夢の中に創り上げることが可能なのかと。正直私は彼女の話を疑っていた。だが、私は重要な前提をひとつ忘れていた。
「やろうと思えばできるんじゃないかな……夢の中なら、なんでもできるから。」
星が見える。空だって飛べる。すきなことを選べる。それが、夢。私がありえないと笑い飛ばした事でさえ、ここでは意味を持つ。
だがそれを叶えるには夢を改変する素質のある者でなければならないのも事実だ。今夢の底に居る者の中でそのようなことが得意なのはゼルクだけだ。それこそ、別の意思ある存在が介入していなければ。
あんな建物を造れるのならますますダフネがゼルクの手によって生まれた説が補強される。それでも空間の安定性さえ確保できれば、思念体が何人いようが関係ない。
「あの子たちがあの洋館の中に居る間は思念体が何人集まろうが平気だとしたら……ふたりいっしょでも空間が安定している理由は説明できる。ダフネの話が本当であの建物が牢獄なのだとしたら、あのふたりは外部から送り込まれた完全な被害者だよ。それに……」
「それに?」
「もしここからひとりしか出られないならゼルクを出してやってくれって。あの覚悟が作りものだと思いたくないんだ。……あーだめだめ。忘れて。これじゃあ仮定を前提にしてる上に私情まみれ。」
「……でも、ぼくはそっちの説の方を、信じてみたいなって思ったよ」
「あたしもよ。」
朝焼けも夕焼けもないこの場所でも、時計の針だけは進んでいく。だからあたしたちは夢の底で眠ろうとする者を起こす。彼の、いや、彼らの行先に朝日が昇ることを願いながら、あたしたちはほのかに光る洋館を後にした。
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「紅茶、冷めちゃうよ。」
目の前の紫紺の瞳をしたその子は、私が促すまで膝に手を置いたまま、微動だにしなかった。彼女の前にはおいしいミルクティーに可愛いケーキ。カラフルなマカロンだってある。用意したあたしが言うのもなんだけど、こういうのってすぐに飛びつきたくなるようなもんじゃないの?しかもここは夢の中。もっと自制心がゆるくなってもおかしくないのに。
「もしかして、出されたものにすぐ手をつけるなって躾られたとか?別にいーよ。卑しいとか思わないし。礼儀云々より喜んでもらえた方が嬉しいのよあたしは。」
「……そう。じゃあ、いただきます。」
声を聞くにおそらく彼女と呼ぶ方が適切であろうその子は、まるっこい指先で慎重にカップを持ち上げる。
彼女の片割れは、彼女のことを「ダフネ」と呼んでいた。ピンと立ったツノミミ、すっと引き締まった口許。かみさまが粘土から切り出して創ったんじゃないかと思う程精緻なたたずまい。夢の世界の管理人として長く生きてきた私ですらその雰囲気に押されて肌がぴりつくのを感じる。
ひとくち、彼女はミルクティーを慎重に舌で転がし、静かに嚥下する。カップを置く音にすら神経質さと慎重さが滲み出ている。
「緊張しなくていーの。楽しくやろうよ。せっかくの女子会なんだし。」
「タルトがそういってくれるなら。」
言葉では私に同意しつつも相変わらず彼女は膝に手を置いたまま、緊張を解かない。重苦しい空気をなんとかしたくて、あたしは早速話を切り出した。
「そーだ!女子会らしくお話しよーよ。あんたに聞きたいことが山ほどあるんだ。」
「わたしに?」
「そう。例えば〜…ここに来る前の話とか。」
そもそも今日こうしてダフネだけを呼びつけたのには理由があった。前触れなく夢の底に出現した洋館のような建造物と、その中で生活するふたりの思念体。本来意思ある者がどれだけ深い眠りに落ちようが有り得ないはずの事象。その解決の糸口を探るべく…というか1日でも早く彼女らに夢の底から退出してもらうべく、あたしは今こうしてダフネに接触している。
ゆめのはざまよりも深く、現世を拒絶した者か現世に拒絶された者の意識が転がり落ちてしまう坩堝。それが夢の底と呼ばれる空間だ。夢の底自体非常に不安定な空間で、本来ならひとりの意識が迷い込んだだけでも揺らぎが発生する場所だ。だからあたしとサントノーレは夢空間全体を管理しつつ、夢の底に迷い込んでしまった意識を現世へ戻す仕事をしている。
夢の底に迷い込んだ意識を現世に戻すのに効果的な方法は、今この場所が夢であることを自覚させること。そうすれば大抵の意思ある生き物は覚醒へと促されるはずなのだが……
「あれ〜おかしいな。揺らいでない。」
彼女は相変わらず両膝に手を置いたまま、夜空の色をした瞳でまっすぐあたしを見据えている。
「これであんたは目を覚ますはずだったのに…なんで?」
「……やっぱり。」
「やっぱりって何がよ?あんたもしかしてなんか知ってんの?」
「答えられない。」
手をつけられていないケーキ達に目もくれず、彼女は席を立とうとする。答えられないってどういうことよ、そう言おうとしたあたしの口の前にふわりとしっぽが翳される。
『このゆめはすべてみられている。きかれている。』
あたしの脳裏に言葉が降ってきた。片言とはいえテレパシーを使える子がまだ存在するなんて…いや、そんなことはどうだっていい。彼女の言葉をそのまま捉えるなら夢が第三者によって観測されているという事だろうか。
……ありえない話ではない。まだ噂の域を出ないが、人の手によってゆめのはざまがあらかた解析されたという話を小耳に挟んだ事がある。研究熱心な人間ならその知的好奇心を夢の底へ向けてもおかしくはない。だが
『こんな何も無いところ、観測してどうするのよ』
前述した通りここはとても不安定な意識の坩堝だ。昨日地面だったところが今日も歩けるとは限らないような場所。ここに迷い込んだ意識はあたしたちでも救いきれないことがある。こんな場所を熱心に研究したところで、人間たちの利になるようなことはなんにもない。だったらどうして?そんなあたしのはてなマークを感じ取ったのか彼女はさらにテレパシーを続けた。
『かんそくのためじゃない。』
『じゃあどうしてあんた達の夢を監視してるわけ?』
『わたしたちのいしきをとじこめるため。』
ダフネがそっと部屋の壁に触れた。
……正直信じがたい、いや信じたくない話だった。そもそもあたしとサントノーレがこんな不安定な場所で消えていく意識たちをわざわざ危険を冒してまで救いに行くのはたったひとつの信条からだ。“意思あるものは生きている限り現世で幸せになってほしい”。そのためにあたしは迷い込んだ者がたとえ現世を強く拒絶した者たちであっても有無を言わさず目覚めさせてきた。
もし、ダフネの言うことが本当ならば……夢の底に意識を閉じ込めるなんてことをする奴がいるのなら、そんな奴は許せない。あたしの信条に対する叛逆だ。
『あんたの言ってることが本当なら、普通に目を覚ますのとは違うアプローチがいるでしょうね。』
『そう。しゅんかんてきにいしきレベルをかくせいじょうたいまでひきあげないとだめ。』
『成程ねぇ。方法がないわけじゃない。ただ……』
あたしは扉の方に目をやった。あたしのことを三日月頭だとか呼んだあの小憎たらしい顔が頭に浮かんでかぶりを振る。
『あんた、あいつといっしょに出たいんでしょ。』
『……それができるなら。』
『うーん……もしかしたらそれ、難しいかも。』
『そうか。』
あっさりとした返事に拍子抜けする。
いや、でも、あくまで最悪のケースの話だからとあたしがフォローするより彼女が私の脳にテレパシーを送るのが先だった。
『もしここがくずれて、ひとりしかでられないのならあいつをだしてやってほしい。』
『ダフネ……』
『ここからでてしあわせになれるほしょうはないけれど、そとのせかいじゃないとしあわせはつかめないとおもうから。』
なにも映していないと思っていた真っ暗な夜色の瞳がずっとたったひとつの場所を見ていたことを知る。そうだ。意思がないやつが夢なんて見ない。あたりまえのことをひとつ思い出して、どうじに彼女に対して申し訳ない気持ちになった。
『分かったよ。その時は、絶対あいつを叩き起こす。約束する。』
『ありがとう。タルト。』
『良いってことよ。』
『それからもうひとつだけ。ここがゆめのなかだってこと、そのときがくるまでゼルクにはナイショにしてくれないか?』
『いーよ。女子会らしく2人の秘密が出来たってことで。』
あたしは自分のミルクティーに角砂糖を4つ放り込んで軽くカップを回し、飲み干した。これから仕事が増えそうだ。正直まだまだ話したいことはあったが……あたしの片割れがあいつを引き止めておけるのもそろそろ限界だろう。とりあえず、今日のところはお開きにすることにした。
---------------------
「タルト…おつかれさま。」
「それはこっちのセリフ。大変だったでしょ、ゼルクの相手すんの。」
「最初は、うん……。でも、大丈夫だったよ。」
「そう。よかった。」
真っ暗な空間に鈍い光を放ちながら佇む洋館を見下ろす。最初にこれが現れた時はどうしたものかとあちこち奔走し、しばらくしたらそのいささか尊大な佇まいに少し腹が立ったものだ。だがダフネの話を聞いた今、豪奢なその建物は冷たい監獄のようにも見える。
「それでさ、やっぱゼルクは外から来たっぽかった?」
「うん。外のことは聞き出せなかったけど……気持ちが昂った時特有の揺らぎが出てた。」
「そっか。」
「ダフネちゃんの方はどうだったの…?」
洋館の窓、おそらくダフネの部屋が存在するであろう場所に目を向ける。磨りガラスのせいで中を覗くことはできない。あたしは喉の奥から手を伸ばす迷いを押し殺し、口を開いた。
「たぶんあれは……ゼルクが作ったものだと思う。」
「そう……」
「目を覚まそうとしても揺らぎが一切起こらない。ゼルクが明確に意思のある兆候を見せているのに対してあまりにも情動が少なすぎること。なにより2人分の意識を内包したこの空間が崩壊しないこと。これが証拠ね。」
「じゃあ、やっぱり……目を覚ましてもゼルクくんはダフネちゃんのいない世界を生きなきゃいけないの…?そんなの……つらいよ。」
「……そうね。」
夢の中は普通じゃあり得ないことが起きる。
都会じゃ見えない星が見えたり、空が飛べたり、魔法が使えたりする。
あたしが見るに夢の底を縦横無尽に歩き回り、現世と遜色ない様子で過ごしているゼルクはそのような夢空間内部の事象の改変が上手いように思える。それこそ、その気になれば自分に都合のいい偶像を作り出すことだって難しくない。実際、夢の底に迷い込んだ者の多くはそのような偶像を作り出すことがたびたびあるのだ。
仮にダフネがゼルクの作り出した偶像であると仮定した時、あらゆる証拠に矛盾はなくなる。夢の底がふたり分の思念体の重みに耐えきれず崩壊することがないのは最初からひとりしかいないから。これが答えだろう。
……だが、少し引っかかる。
「こっからは憶測の話になるわ。」
「……え?」
「サントノーレはさ、現実世界の人間が夢の中に堅牢で安定した建造物を作ることって可能だと思う?」
ダフネの話を聞いた時からずっと考えていた。
現世の生き物の精神を閉じ込めるための安定した檻。そんなものを夢の中に創り上げることが可能なのかと。正直私は彼女の話を疑っていた。だが、私は重要な前提をひとつ忘れていた。
「やろうと思えばできるんじゃないかな……夢の中なら、なんでもできるから。」
星が見える。空だって飛べる。すきなことを選べる。それが、夢。私がありえないと笑い飛ばした事でさえ、ここでは意味を持つ。
だがそれを叶えるには夢を改変する素質のある者でなければならないのも事実だ。今夢の底に居る者の中でそのようなことが得意なのはゼルクだけだ。それこそ、別の意思ある存在が介入していなければ。
あんな建物を造れるのならますますダフネがゼルクの手によって生まれた説が補強される。それでも空間の安定性さえ確保できれば、思念体が何人いようが関係ない。
「あの子たちがあの洋館の中に居る間は思念体が何人集まろうが平気だとしたら……ふたりいっしょでも空間が安定している理由は説明できる。ダフネの話が本当であの建物が牢獄なのだとしたら、あのふたりは外部から送り込まれた完全な被害者だよ。それに……」
「それに?」
「もしここからひとりしか出られないならゼルクを出してやってくれって。あの覚悟が作りものだと思いたくないんだ。……あーだめだめ。忘れて。これじゃあ仮定を前提にしてる上に私情まみれ。」
「……でも、ぼくはそっちの説の方を、信じてみたいなって思ったよ」
「あたしもよ。」
朝焼けも夕焼けもないこの場所でも、時計の針だけは進んでいく。だからあたしたちは夢の底で眠ろうとする者を起こす。彼の、いや、彼らの行先に朝日が昇ることを願いながら、あたしたちはほのかに光る洋館を後にした。
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