📂file12
「月が綺麗だ。」
聴覚器官から伝わった、気怠げな声。そして、俺を真上から照らす光に、俺は意識を休眠状態から回復させた。
身体を起こそうとするが上手く動かない。もうずっと長いこと眠っていたんだろう。
「ん、起きたか。」
「…え、あ」
「まぁ、身体が動かしづらいのも無理はない。動けるようになってから起きればいいさ。」
「…」
俺が今半身だけ浸かっている培養ポットは天井部分が引きはがされていた。それだけじゃない。部屋の壁と天井が大きく抉れ、外の景色が見えるようになっている。
ゆっくりと身体を横に向ける。そこには、アメジスト色のあめだまのような瞳を持った生き物の姿があった。尻尾には細長く白いリボンを巻き、儀式の際に着るような服を身に纏っている。
「なぜかこれが用意してあったんだ。しかもリボンに至っては培養槽を破壊したときからついて…」
「これ、貴様がやったのか」
俺の言葉に反応したのか、そいつは口を閉じた。その目に彩度の低い闇が滲んだような気がして、なんだかこちらが申し訳なくなった。気まずい。謝った方が良いだろうか。
「あ、いや、今のは言い過ぎた。」
「ん。構わない。それより私から自己紹介でもした方がいいか?」
「ああ、そうして貰えると助かる。俺の知り合いかも知れないが、忘れてるかもしれん。」
声からして彼女、と呼ぶのが正しいだろうか。彼女は物憂げに目を伏せると少し考えて…
「私の名はダフネ。」
それだけ彼女は俺に告げた。
それ以上ないのかと聞いても彼女はそれだけだとしか言わなかった。そしてダフネと名乗った彼女はおもむろに立ち上がった。
「花火、ここから見られるだろうか。」
「花火か。聞いたことはあるが、もう季節は過ぎているだろう。見えるだろう、あの木、葉が枯れ始めている。」
「…そう。」
ここまで少しづつ話をしてきたがどうも彼女の話の根幹が見えない。ずっと俺が何かを知っているといった風に話してくる。大体俺はさっき培養ポッドから目覚めたばかりの戦闘用兵器で…いや、待て。だとしたら俺はいつ何処で花火とやらを知った?
「まぁいい。私はとりあえずおまえの元から去ることにするよ。そうしたらじきに研究員の仲間がおまえを回収しに来る。それまで大人しくしていればいい。それじゃあ、」
彼女が踵を返す。尻尾に結ばれたリボンが、秋風にあおられて月光の下で舞う。それに俺は不思議と強烈な懐かしさを覚える。それだけではない。引力のような、せつなさのような。とにかく今彼女を呼び止めなければ、ずっと後悔し続けることになる気がした。
「待…、ダフネ…!」
はじめて呼んだはずの名前なのにやけに心になじむ。声に出すだけでは足りなくて俺は身体を起こし、培養槽から飛び出した。眠っていた身体は心について行けず、地面に転げ落ちる。全身の痛みに構わず、俺は彼女に手を伸ばした。そして気がついた。
俺の腕にもひらめく一筋の白いリボンがあることに。
「あ…」
俺は心臓を握られるような感覚に襲われ、そこから動けなかった。
ダフネが振り向いた。月を背にして漂う彼女を俺は見ていた。ずっと。見ていた。
「言うことがないのならもう行かせてもらうが」
「俺も…連れて行ってほしい!!」
喉の奥から勝手に言葉が出てくる。意に反した言葉ではない。はき出したいのに飲み込もうとした言葉。
どうして俺は今彼女について行きたいと思う?
どうして俺の心は今こんなに激情に駆られている?
どうして俺は彼女と離れる事をおそれている?
分からない。ただ、今は彼女と離れてはならない。頭の中にいる小さな俺がそう信号を出している。
「俺もその…花火とやらが気になる。せめて次の夏まで、行動を共にすることは…できないか?」
「…多分おまえが先に音をあげると思うぞ。」
「構わん。」
「そうか。じゃあ…」
秋風がぼろぼろになった研究室を駆け抜けてゆく。俺たちに結ばれたリボンがいっそう激しくたなびきだす。俺の鼓動が高鳴る。差し出された手からは薬品と…何かの花の香りがした。
「共に行こうか。ゼルク。」
その瞬間、俺の脳に閃光が走る。脳細胞が歓喜している。こうして名前を呼ばれるのを待っていたかのように。そして漠然と、何か大切な物を落としてきてしまったような感覚が追いかけてくる。対極的な激情に引き裂かれそうになる。ふいに顔を滴が伝った。これが培養ポッドに入っていた液なのか、それとも穴の開いた天井からこぼれた夜露なのか、あるいは誰かの血なのか、それさえも分からない。
ただ俺の腕を握ろうとする手が、あまりにもなつかしくて、こんなことなかったはずだって分かってるのに、無いはずの出来事を頭の中全てから探し出したくて。
「よろしく頼む。ダフネ。」
その手の引かれる方へ俺は疑うこともなく導かれていった。
聴覚器官から伝わった、気怠げな声。そして、俺を真上から照らす光に、俺は意識を休眠状態から回復させた。
身体を起こそうとするが上手く動かない。もうずっと長いこと眠っていたんだろう。
「ん、起きたか。」
「…え、あ」
「まぁ、身体が動かしづらいのも無理はない。動けるようになってから起きればいいさ。」
「…」
俺が今半身だけ浸かっている培養ポットは天井部分が引きはがされていた。それだけじゃない。部屋の壁と天井が大きく抉れ、外の景色が見えるようになっている。
ゆっくりと身体を横に向ける。そこには、アメジスト色のあめだまのような瞳を持った生き物の姿があった。尻尾には細長く白いリボンを巻き、儀式の際に着るような服を身に纏っている。
「なぜかこれが用意してあったんだ。しかもリボンに至っては培養槽を破壊したときからついて…」
「これ、貴様がやったのか」
俺の言葉に反応したのか、そいつは口を閉じた。その目に彩度の低い闇が滲んだような気がして、なんだかこちらが申し訳なくなった。気まずい。謝った方が良いだろうか。
「あ、いや、今のは言い過ぎた。」
「ん。構わない。それより私から自己紹介でもした方がいいか?」
「ああ、そうして貰えると助かる。俺の知り合いかも知れないが、忘れてるかもしれん。」
声からして彼女、と呼ぶのが正しいだろうか。彼女は物憂げに目を伏せると少し考えて…
「私の名はダフネ。」
それだけ彼女は俺に告げた。
それ以上ないのかと聞いても彼女はそれだけだとしか言わなかった。そしてダフネと名乗った彼女はおもむろに立ち上がった。
「花火、ここから見られるだろうか。」
「花火か。聞いたことはあるが、もう季節は過ぎているだろう。見えるだろう、あの木、葉が枯れ始めている。」
「…そう。」
ここまで少しづつ話をしてきたがどうも彼女の話の根幹が見えない。ずっと俺が何かを知っているといった風に話してくる。大体俺はさっき培養ポッドから目覚めたばかりの戦闘用兵器で…いや、待て。だとしたら俺はいつ何処で花火とやらを知った?
「まぁいい。私はとりあえずおまえの元から去ることにするよ。そうしたらじきに研究員の仲間がおまえを回収しに来る。それまで大人しくしていればいい。それじゃあ、」
彼女が踵を返す。尻尾に結ばれたリボンが、秋風にあおられて月光の下で舞う。それに俺は不思議と強烈な懐かしさを覚える。それだけではない。引力のような、せつなさのような。とにかく今彼女を呼び止めなければ、ずっと後悔し続けることになる気がした。
「待…、ダフネ…!」
はじめて呼んだはずの名前なのにやけに心になじむ。声に出すだけでは足りなくて俺は身体を起こし、培養槽から飛び出した。眠っていた身体は心について行けず、地面に転げ落ちる。全身の痛みに構わず、俺は彼女に手を伸ばした。そして気がついた。
俺の腕にもひらめく一筋の白いリボンがあることに。
「あ…」
俺は心臓を握られるような感覚に襲われ、そこから動けなかった。
ダフネが振り向いた。月を背にして漂う彼女を俺は見ていた。ずっと。見ていた。
「言うことがないのならもう行かせてもらうが」
「俺も…連れて行ってほしい!!」
喉の奥から勝手に言葉が出てくる。意に反した言葉ではない。はき出したいのに飲み込もうとした言葉。
どうして俺は今彼女について行きたいと思う?
どうして俺の心は今こんなに激情に駆られている?
どうして俺は彼女と離れる事をおそれている?
分からない。ただ、今は彼女と離れてはならない。頭の中にいる小さな俺がそう信号を出している。
「俺もその…花火とやらが気になる。せめて次の夏まで、行動を共にすることは…できないか?」
「…多分おまえが先に音をあげると思うぞ。」
「構わん。」
「そうか。じゃあ…」
秋風がぼろぼろになった研究室を駆け抜けてゆく。俺たちに結ばれたリボンがいっそう激しくたなびきだす。俺の鼓動が高鳴る。差し出された手からは薬品と…何かの花の香りがした。
「共に行こうか。ゼルク。」
その瞬間、俺の脳に閃光が走る。脳細胞が歓喜している。こうして名前を呼ばれるのを待っていたかのように。そして漠然と、何か大切な物を落としてきてしまったような感覚が追いかけてくる。対極的な激情に引き裂かれそうになる。ふいに顔を滴が伝った。これが培養ポッドに入っていた液なのか、それとも穴の開いた天井からこぼれた夜露なのか、あるいは誰かの血なのか、それさえも分からない。
ただ俺の腕を握ろうとする手が、あまりにもなつかしくて、こんなことなかったはずだって分かってるのに、無いはずの出来事を頭の中全てから探し出したくて。
「よろしく頼む。ダフネ。」
その手の引かれる方へ俺は疑うこともなく導かれていった。
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