📂file7
「えと…ゼルクくん…、だよね?だいじょうぶ?」
サントノーレ、この前そう名乗った者はもののけにでも出会ったかのようなまなざしでこちらを見つめていた。
常に穏やかでいなければならないのは承知の上だった。だが消えた彼女の代わりかのようにここにいる奴に対して疑念を抱くなと言う方が無理な話だった。
「…ダフネの行方を知らないか?知っているなら教えてほしい。」
それでもまずは穏やかに、静かに問う。先日の経験でこいつに対して抑圧的な手段を取ると逆効果であることは理解していた。俺は持ちうる限り一番棘のない言葉を慎重に引っ張り出す。だがそうまでしてもなお奴はひどく恐ろしいものでも見たかのように目元を引きつらせ、一歩、また一歩と俺から離れてゆく。それに追従するように俺もまた奴との距離を詰めてゆく。
「あ、あの…っ」
背と後頭部が壁に当たり、この場から逃れることが叶わなくなるまで奴は後退を止めなかった。ついに観念したのか奴はしどろもどろになりながらも言葉を吐き出し始めた。
「だ、ダフネちゃんは、その…、たっ、タルトちゃんといっしょにいるよっ」
「そうか。何処にいる?」
「そ、それは、…わかんない。けど、このお屋敷の中に居るのはたしかだよ…。」
「事が終わればダフネは帰ってくるんだな?」
「うん、そ、それは保証するよ…!た、タルトちゃんは、ダフネちゃんと、じょ、女子会…?っってのをするだけだって言ってたから…ッぼ、ぼくはそれを伝えに来て…。」
溜飲が下がった訳ではないが、今こいつの発言を過度に追及して溝を深めるのは愚策だろう。先日来訪者への態度を改める旨をダフネと約束したばかりだ。いちおう信用したように振る舞っておく。
「理解した。」
たった5音。その言葉を発しただけだった。それだけのことで奴の表情に分かりやすく安堵の色が浮かぶ。ほんの数十秒前まで空中の埃よりもせわしなく彷徨っていた奴の視線が徐々に落ち着きを取り戻していく。ひどく惰弱で分かりやすい奴だ。俺の顔に表情筋が存在したのなら奴の単純さに思わずほくそ笑んでいただろう。
「うん、そ、それで、タルトがね、ぼくはゼルクくんとお話しするようにって…」
先ほどまでより幾分か滑らかに紡がれた言葉。その内容にほんの少し違和感を覚える。長い白髪を鋭利な指に絡ませながら俺の返答を待っている目の前の少女に、俺は小さな疑問をぶつけてみることにした。
「そうか…だがお前に合うような話ができるか俺には分からんぞ。性別も違う。お前もタルトと共に女子会に参加すればよかったのでは…」
「何言ってるの?ぼく…男の子だよ…?」
わずかに遅れた演算の後、俺は聴覚器官から得た情報を1音ずつ再検証する。聴き間違いはありえない。あの瞬間に限って奴の言葉は明瞭だった。ただ奴の言葉と俺が今見ているものに、そうそう看過できそうにない差異がある。俺が言葉を返せるまで、かなり時間がかかったと思う。
「…その服装はアレか、趣味か?」
三つ編みにされた長髪、長い前髪に編み込まれた赤いリボン、豪奢なスカート。だれがどう見ようと可憐な少女の姿をした少年は居たたまれなさそうに目を伏せた。
「ちがう…ぼくがその…男の子のすがただと…変な子にからまれるでしょって…タルトちゃんが…」
「あー…何だ、その…苦労しているのだな。」
「うん…でもぼく、この格好すきだし、その…タルトちゃんさえいいなら…これもいいかなって。」
「満更でもなさそうだな。」
「えへへ…」
仕草ひとつとってもまさに少女のそれだった。最初に会ったとき声が少し低いように感じたものの違和感らしい違和感はそのくらいだった。
いつだったか何でも教えてくれる光る板が、少年のような姿をする少女がいることを教えてくれたのを思い出す。まぁその逆だって星の数ほど存在するんだろう。無理に好きでもない格好をさせられているのであれば、あの三日月頭に苦言を呈することも考えた。だが奴が…サントノーレ自身がこうありたいと思うなら別段何かを言う必要はない。俺の関心もあらゆる言葉も思考も常にたったひとりのためにある。俺が服のことで何か言うことがあるとすればそれはダフネが着る物に関してだけだ。
それにしても、あくまで同意が前提にあるとはいえ衣装すらあの三日月頭に任せているということは、だ。
「お前はタルトのことが本当に好きなのだな。」
「うん!大好きだし大切で…すぐにぴったりの言葉を持ってくることはできないけど…とにかくずっといっしょがいいって思うんだ。」
その言葉にどこか影をまっすぐ突き刺す木漏れ日のような眩しさを覚えて俺はわずかに目線を逸らす。会話を重ねるほど奴が単なる臆病者ではないことを思い知らされる。同時に自分の被っていた大きな殻をひっくり返され、矮小な自我があらわになる。先ほど奴が述べたように咄嗟に言葉を引き出せないだけで、「ずっといっしょがいい」という祈りを本物にする術を奴は持ち合わせているのだろう。そうでなければあんなにまっすぐに永遠を願えるわけがない。
これ以上俺の価値観から奴に何かを尋ねると己の余裕のなさがいよいよ浮き彫りになる気がして二の句が継げないでいると、今度はサントノーレの方から問いが投げかけられた。
「あっ、そうだ、ゼルクくん…あの、聞きたいことがあって」
「何だ?」
「ゼルクくんは、ダフネちゃんのこと、どのくらい好き?」
おずおずと差し出されたその問いに手を付けるか暫し逡巡した。ダフネへの感情を誰かに打ち明けるなんて選択肢が存在したことは一度もなかった。来訪者の数と出会ってからの日の浅さいう単純な要因も存在するだろうが、なにより俺は自分の内面を言語化することに強い抵抗感があった。頭の中でべらべら喋っている間は誰に何を思われることもない。しかしそれを一度表に出してしまえば基本的に取り消すことはできない。相手の裁量で租借され、嚥下され、解釈による意味の希釈が行われる。そうなればもう俺が伝えたかったことはどこにも存在しないのではないだろうか。
それに…、
「貴様ほど真摯でもなければ、美しくもない。」
口にするにはあまりに爛れすぎた願いの話だ。俺がダフネに抱く気持ちをどう切り取ったとしてもきっと救えない。それほどまでに浅ましく、醜いのだ。でも、だからといって適当な話で煙に巻くことはしたくないのだ。一度でも彼女への気持ちに嘘をついてしまったら、永遠に彼女を裏切り続けるような気がして。面倒なほど潔癖だなと自嘲気味に笑う事すら、この身体では叶わない。
ただ諦念だけを滲ませ続ける俺を前にサントノーレは…笑っていた。梢を渡る風のように、なんだそんなことかとでも言いたげな目で。
「好きって気持ちに、きれいもきたないもないよ、きっと。」
俺はあまりの眩さにそむけていた視線を再び奴の方へ戻す。なぜ聞きたがる?俺から見たダフネのことを?聞いて何になる?否、そもそも単なる話の流れだ。答える必要はない。無難な答えを並べることが裏切りだと感じるのなら、すべて秘密にしてしまえばいいのだ。だというのに、
「俺は…」
愚かなことに、次の言葉を探し始めていた。
サントノーレ、この前そう名乗った者はもののけにでも出会ったかのようなまなざしでこちらを見つめていた。
常に穏やかでいなければならないのは承知の上だった。だが消えた彼女の代わりかのようにここにいる奴に対して疑念を抱くなと言う方が無理な話だった。
「…ダフネの行方を知らないか?知っているなら教えてほしい。」
それでもまずは穏やかに、静かに問う。先日の経験でこいつに対して抑圧的な手段を取ると逆効果であることは理解していた。俺は持ちうる限り一番棘のない言葉を慎重に引っ張り出す。だがそうまでしてもなお奴はひどく恐ろしいものでも見たかのように目元を引きつらせ、一歩、また一歩と俺から離れてゆく。それに追従するように俺もまた奴との距離を詰めてゆく。
「あ、あの…っ」
背と後頭部が壁に当たり、この場から逃れることが叶わなくなるまで奴は後退を止めなかった。ついに観念したのか奴はしどろもどろになりながらも言葉を吐き出し始めた。
「だ、ダフネちゃんは、その…、たっ、タルトちゃんといっしょにいるよっ」
「そうか。何処にいる?」
「そ、それは、…わかんない。けど、このお屋敷の中に居るのはたしかだよ…。」
「事が終わればダフネは帰ってくるんだな?」
「うん、そ、それは保証するよ…!た、タルトちゃんは、ダフネちゃんと、じょ、女子会…?っってのをするだけだって言ってたから…ッぼ、ぼくはそれを伝えに来て…。」
溜飲が下がった訳ではないが、今こいつの発言を過度に追及して溝を深めるのは愚策だろう。先日来訪者への態度を改める旨をダフネと約束したばかりだ。いちおう信用したように振る舞っておく。
「理解した。」
たった5音。その言葉を発しただけだった。それだけのことで奴の表情に分かりやすく安堵の色が浮かぶ。ほんの数十秒前まで空中の埃よりもせわしなく彷徨っていた奴の視線が徐々に落ち着きを取り戻していく。ひどく惰弱で分かりやすい奴だ。俺の顔に表情筋が存在したのなら奴の単純さに思わずほくそ笑んでいただろう。
「うん、そ、それで、タルトがね、ぼくはゼルクくんとお話しするようにって…」
先ほどまでより幾分か滑らかに紡がれた言葉。その内容にほんの少し違和感を覚える。長い白髪を鋭利な指に絡ませながら俺の返答を待っている目の前の少女に、俺は小さな疑問をぶつけてみることにした。
「そうか…だがお前に合うような話ができるか俺には分からんぞ。性別も違う。お前もタルトと共に女子会に参加すればよかったのでは…」
「何言ってるの?ぼく…男の子だよ…?」
わずかに遅れた演算の後、俺は聴覚器官から得た情報を1音ずつ再検証する。聴き間違いはありえない。あの瞬間に限って奴の言葉は明瞭だった。ただ奴の言葉と俺が今見ているものに、そうそう看過できそうにない差異がある。俺が言葉を返せるまで、かなり時間がかかったと思う。
「…その服装はアレか、趣味か?」
三つ編みにされた長髪、長い前髪に編み込まれた赤いリボン、豪奢なスカート。だれがどう見ようと可憐な少女の姿をした少年は居たたまれなさそうに目を伏せた。
「ちがう…ぼくがその…男の子のすがただと…変な子にからまれるでしょって…タルトちゃんが…」
「あー…何だ、その…苦労しているのだな。」
「うん…でもぼく、この格好すきだし、その…タルトちゃんさえいいなら…これもいいかなって。」
「満更でもなさそうだな。」
「えへへ…」
仕草ひとつとってもまさに少女のそれだった。最初に会ったとき声が少し低いように感じたものの違和感らしい違和感はそのくらいだった。
いつだったか何でも教えてくれる光る板が、少年のような姿をする少女がいることを教えてくれたのを思い出す。まぁその逆だって星の数ほど存在するんだろう。無理に好きでもない格好をさせられているのであれば、あの三日月頭に苦言を呈することも考えた。だが奴が…サントノーレ自身がこうありたいと思うなら別段何かを言う必要はない。俺の関心もあらゆる言葉も思考も常にたったひとりのためにある。俺が服のことで何か言うことがあるとすればそれはダフネが着る物に関してだけだ。
それにしても、あくまで同意が前提にあるとはいえ衣装すらあの三日月頭に任せているということは、だ。
「お前はタルトのことが本当に好きなのだな。」
「うん!大好きだし大切で…すぐにぴったりの言葉を持ってくることはできないけど…とにかくずっといっしょがいいって思うんだ。」
その言葉にどこか影をまっすぐ突き刺す木漏れ日のような眩しさを覚えて俺はわずかに目線を逸らす。会話を重ねるほど奴が単なる臆病者ではないことを思い知らされる。同時に自分の被っていた大きな殻をひっくり返され、矮小な自我があらわになる。先ほど奴が述べたように咄嗟に言葉を引き出せないだけで、「ずっといっしょがいい」という祈りを本物にする術を奴は持ち合わせているのだろう。そうでなければあんなにまっすぐに永遠を願えるわけがない。
これ以上俺の価値観から奴に何かを尋ねると己の余裕のなさがいよいよ浮き彫りになる気がして二の句が継げないでいると、今度はサントノーレの方から問いが投げかけられた。
「あっ、そうだ、ゼルクくん…あの、聞きたいことがあって」
「何だ?」
「ゼルクくんは、ダフネちゃんのこと、どのくらい好き?」
おずおずと差し出されたその問いに手を付けるか暫し逡巡した。ダフネへの感情を誰かに打ち明けるなんて選択肢が存在したことは一度もなかった。来訪者の数と出会ってからの日の浅さいう単純な要因も存在するだろうが、なにより俺は自分の内面を言語化することに強い抵抗感があった。頭の中でべらべら喋っている間は誰に何を思われることもない。しかしそれを一度表に出してしまえば基本的に取り消すことはできない。相手の裁量で租借され、嚥下され、解釈による意味の希釈が行われる。そうなればもう俺が伝えたかったことはどこにも存在しないのではないだろうか。
それに…、
「貴様ほど真摯でもなければ、美しくもない。」
口にするにはあまりに爛れすぎた願いの話だ。俺がダフネに抱く気持ちをどう切り取ったとしてもきっと救えない。それほどまでに浅ましく、醜いのだ。でも、だからといって適当な話で煙に巻くことはしたくないのだ。一度でも彼女への気持ちに嘘をついてしまったら、永遠に彼女を裏切り続けるような気がして。面倒なほど潔癖だなと自嘲気味に笑う事すら、この身体では叶わない。
ただ諦念だけを滲ませ続ける俺を前にサントノーレは…笑っていた。梢を渡る風のように、なんだそんなことかとでも言いたげな目で。
「好きって気持ちに、きれいもきたないもないよ、きっと。」
俺はあまりの眩さにそむけていた視線を再び奴の方へ戻す。なぜ聞きたがる?俺から見たダフネのことを?聞いて何になる?否、そもそも単なる話の流れだ。答える必要はない。無難な答えを並べることが裏切りだと感じるのなら、すべて秘密にしてしまえばいいのだ。だというのに、
「俺は…」
愚かなことに、次の言葉を探し始めていた。
