📂file6

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「ん、起きたか。」

誰かの声がする。その声は冷たくて、やわらかくて、それでいてきらきらしている。言葉ひとつひとつが降り積もってゆく。こちらが下手なことをすればこの愛しい声は、言葉は、あっさりと解けてしまう気がした。初めて聞くはずの声。だが同時に、自分の記憶の奥にある箱を引っ掻くような、薄ら懐かしい声。願うなら、こうしてずっと眠ったふりをして、声を聞いていたい。だが俺のそんな願いを知ってか知らずか、次の声はなかなか降ってきてはくれない。
仕方がないので俺はその声の主と、はじめましてのあいさつでもしようと決めた。
神経が脳機能と接続される。ゆっくりと体を起こす。そして俺は目の前の存在を、硬いだけしか取り柄のない曇った瞳越しに認識する。その瞬間……俺は今いる場所が天国なのだと確信した。

そう、あの日、ここで目覚めた日、俺はたしかに天使を見た。

その天使には翼はなかった。そのかわりに不思議な力でふわふわ浮かんでいた。
その天使は弓矢を持っていなかった。だが彼女の瞳は、俺を射止めて離さなかった。
その天使は俺に甘くささやくことは一度もなかった。しかし彼女の声はきらきらして、少しばかりひんやりしていて、あまくて、きれいで…。
いつだったか、ケーキという名の菓子があることを知った。俺はそれを口にしたことこそないが、彼女の声はまさにケーキの上にまぶされた上質な砂糖のようだと言う他なかった。

「やっぱり起きてたじゃないか。」

天使が砂糖を振りまきながら舞い降りる。
きっと誰にも理解できないだろう。
この時の俺は、もし俺に掌というものが存在したのなら、それを受け皿のように頭の上に掲げながら、彼女の前に跪くことさえ厭わないと思っていた。
畏敬よりも甘く、親愛よりも深いその感情に名前は付けられなかった。ただそれが熱く俺の脳髄を溶かし、幸福の定義を塗り替えてゆく。
どうしてこれを欲していたのだろう?

「おまえもここに放り込まれたのか」
「…」
「まあ、そうじゃないとこんなところにいるわけないよな。」

俺はあの日、あの時、ただ彼女の声と仕草のすべてを自身の記憶領域から零すまいと必死だった。なぜこんなにも焦がれるのだろう?すべて何気ない言葉なのに。
運命。
そんな本にしか書かれていないような言葉を肌で感じている。

「立てるか?」

彼女が俺の手を握る。この時俺はとっくに彼女に魂までもを握られていた。
だからだろうか。彼女が玄関ではなく館の中央を目指して、俺の手を引きながら歩き始めたことに疑問を抱かなかったのは。

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