Lilac Wine 5

真緒の遺品の中に、俺が託した笄に由来するものはなかった。

俺が贈ったものをずっと大切に持っていた真緒。

あの笄が田村家に伝わっているのは偶然ではない。

きっと、真緒の意志なんだ。


御本尊の観世音菩薩の面差しは、真緒を思い出させた。

俺は静かに手を合わせ、いつまでもそのしんと澄み切った顔を見つめていた。

早くに伴侶を亡くし、自分の子と共に暮らすことも叶わなかった。

真緒は、幸せだったんだろうか。

俺に気を利かせたのか、ユヅはいつの間にかいなくなっていた。

———お屋形さま。

ふと、柔らかな風と共に真緒の声が聞こえたような気がして、俺は振り返った。

一陣の風が渡り廊下に掛けられていた簾を巻き上げ、秋の穏やかな日差しが本殿に差し込む。

「…あぁっ!」

俺の様子を見に来ていたのか、渡り廊下に立っていた庵主が驚きの声を上げ、俺は慌てて片手で両目を覆った。

……しまった!

朱金に光る眼を見られてしまった。

急いでサングラスをかけ、渡り廊下に出ると、足早に立ち去る庵主とこちらに戻ってきたユヅがすれ違うところだった。

「……ダイ?!」

庵主の思考を読み取ったのか、ユヅが緊迫した声で俺を呼ぶ。

「ごめん、まずった。行こう。」

俺はユヅの手を引いて、不自然にならない程度に急ぎ足で門に向かった。



「もし、お待ちを。」

そう声をかけられたのは、苦い気持ちで寺の門をくぐろうとしたときだった。

俺たちから少し距離を置いて、庵主が佇んでいた。

「……これを。」

震える手が差し出したのは、風呂敷に包まれた細長い箱のようなものだった。

「代々の庵主にのみ伝わる、天真院さまのご遺言があるのです…」

動かない俺たちに、庵主は思い切ったように一歩踏み出した。

「まさか、わたくしの代に叶えることになるとは……」

「…真緒の、遺言?」

「はい。」

庵主の瞳には隠し切れない畏れがあったが、彼女はかすかに微笑んで見せた。

「真紅の双眼を持つ若者が現れたら、これを渡すようにと。中に何が入っているのか、知る者は天真院さま以外にはおりません。」

受け取ったそれは、ずしりと重く、硬かった。

「……ありがとう。」

350年の時を超えて、真緒から手渡されたもの。

俺は、その箱の形を確かめるように何度も撫でた。

「お元気で。どうか…」

深々と頭を下げた庵主に、もう一度礼を言って、俺たちは西方院を後にした。

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