Lilac Wine 5
オーサカ行きの新幹線を待つ駅のホームで、ユヅは誰かに電話をかけていた。
「どうかしたのか?」
「うん…、ちょっと。」
ユヅは口ごもった。
「…ブライアンに、確認していたんだ。」
「?」
「寛永十五年の秋のこと。……僕は、当時の時間の感覚が曖昧で……」
俺はユヅの手を握った。
無理もない。
「ごめんね、辛いこと思い出させて。」
「ううん。」
ユヅは、ふるふると首を横に振った。
「御台さまが出産されたとしたら、極秘だったと思うんだ。誰にも知られないように。ブライアンが何か思い出してくれればいいけど。」
「そうだな…」
俺は、ブライアンがタカヒコに連絡するかもしれないと思った。
あんまり面白くないけど、まぁ、仕方ない。
俺は深く考えないようにした。
西方院は、真緒が建てた尼寺だ。
境内には、そこかしこに真緒の痕跡があった。
例えば、真緒が植樹したという桜。
「…御台さまも桜を見ていたんだね。」
その日は秋晴れで、ユヅはサングラス越しに大振りの枝を広げた桜の大木を見上げて呟いた。
「大輔さまを想っておられたのかな。」
「……かもね。」
サングラスのせいで表情はよく見えなかったが、ユヅの声は穏やかで、俺は何も言う必要はないように感じた。
「こちらが天真院さまの遺品を展示している部屋です。」
天真院というのは、真緒の戒名だ。
寺の庵主は、天真院について知りたいと伝えると、嬉しそうに真緒の所縁の品々を説明してくれた。
奥まったその部屋には、日が差しそうになかったので、俺は思い切ってサングラスを外した。
ユヅは何も言わなかった。
「晩年の天真院さまの肖像画です。可愛がっておられた柴犬がお足元に。不思議なことに、通常の倍以上の寿命を生きたと伝えられております。」
目元に皺を刻んだ真緒の顔は、俺の記憶とは違っていたが、澄んだ瞳が優しげに微笑んでいた。
「…穏やかなお顔だね。お優しそう。」
ユヅが口元を綻ばせる。
「真緒って犬飼ってたっけ?」
「…さぁ…? ダイ、覚えてないの?」
「うーん……」
真緒自身のことは大体思い出していたが、それ以外のことはまだぼんやりしている。
俺は、庵主が怪訝そうに俺たちを見ているのに気づいて咳払いをした。
「すみません、知り合いが飼っている犬に似ているような気がして…」
適当にごまかすと、庵主はほほほ…と笑い声を上げた。
肖像画の隣には、真緒が詠んだという和歌が額に入れられていた。
うつせみの 世は常なしと 知るものを
秋風寒み 偲ひつるかも
「天真院さまは、ことのほか秋に思い入れがあったようです。秋の夜空を眺め、月を愛でておられたとか。はいからなお方で、南蛮のものも愛用されておられました。」
額の下の台の上には、ガラス製のゴブレットとデキャンタが置かれていた。
俺が、真緒の誕生日に贈ったものだ。
時折、2人で一緒に月を見ながら葡萄酒を飲んだのが思い出される。
「……ずっと、持っていたのか……」
立場上、鎖国が完了したばかりの時代に持っているのは勇気がいったはずだ。
けれど、真緒ならそんなことに屈しないだろう。
そう思えた。
「どうかしたのか?」
「うん…、ちょっと。」
ユヅは口ごもった。
「…ブライアンに、確認していたんだ。」
「?」
「寛永十五年の秋のこと。……僕は、当時の時間の感覚が曖昧で……」
俺はユヅの手を握った。
無理もない。
「ごめんね、辛いこと思い出させて。」
「ううん。」
ユヅは、ふるふると首を横に振った。
「御台さまが出産されたとしたら、極秘だったと思うんだ。誰にも知られないように。ブライアンが何か思い出してくれればいいけど。」
「そうだな…」
俺は、ブライアンがタカヒコに連絡するかもしれないと思った。
あんまり面白くないけど、まぁ、仕方ない。
俺は深く考えないようにした。
西方院は、真緒が建てた尼寺だ。
境内には、そこかしこに真緒の痕跡があった。
例えば、真緒が植樹したという桜。
「…御台さまも桜を見ていたんだね。」
その日は秋晴れで、ユヅはサングラス越しに大振りの枝を広げた桜の大木を見上げて呟いた。
「大輔さまを想っておられたのかな。」
「……かもね。」
サングラスのせいで表情はよく見えなかったが、ユヅの声は穏やかで、俺は何も言う必要はないように感じた。
「こちらが天真院さまの遺品を展示している部屋です。」
天真院というのは、真緒の戒名だ。
寺の庵主は、天真院について知りたいと伝えると、嬉しそうに真緒の所縁の品々を説明してくれた。
奥まったその部屋には、日が差しそうになかったので、俺は思い切ってサングラスを外した。
ユヅは何も言わなかった。
「晩年の天真院さまの肖像画です。可愛がっておられた柴犬がお足元に。不思議なことに、通常の倍以上の寿命を生きたと伝えられております。」
目元に皺を刻んだ真緒の顔は、俺の記憶とは違っていたが、澄んだ瞳が優しげに微笑んでいた。
「…穏やかなお顔だね。お優しそう。」
ユヅが口元を綻ばせる。
「真緒って犬飼ってたっけ?」
「…さぁ…? ダイ、覚えてないの?」
「うーん……」
真緒自身のことは大体思い出していたが、それ以外のことはまだぼんやりしている。
俺は、庵主が怪訝そうに俺たちを見ているのに気づいて咳払いをした。
「すみません、知り合いが飼っている犬に似ているような気がして…」
適当にごまかすと、庵主はほほほ…と笑い声を上げた。
肖像画の隣には、真緒が詠んだという和歌が額に入れられていた。
うつせみの 世は常なしと 知るものを
秋風寒み 偲ひつるかも
「天真院さまは、ことのほか秋に思い入れがあったようです。秋の夜空を眺め、月を愛でておられたとか。はいからなお方で、南蛮のものも愛用されておられました。」
額の下の台の上には、ガラス製のゴブレットとデキャンタが置かれていた。
俺が、真緒の誕生日に贈ったものだ。
時折、2人で一緒に月を見ながら葡萄酒を飲んだのが思い出される。
「……ずっと、持っていたのか……」
立場上、鎖国が完了したばかりの時代に持っているのは勇気がいったはずだ。
けれど、真緒ならそんなことに屈しないだろう。
そう思えた。