Lilac Wine 3
「…こんなところに……」
寺の冠木門にかかる、鬱蒼と茂った杉の枝々を見上げて、ユヅが思わずといったふうに声を漏らす。
俺も同感だった。
よく見ればきちんと手入れがされているのだが、一見すると廃墟のようにも見える寺だった。
俺たちは、田村家の足跡を訪ねて、アオモリの港町に来ていた。
祖父は俺たちに同行できないことを残念がっていたが、ちょうど良いタイミングだった。
いくら祖父が大らかといっても、ずっと一緒に生活するのは無理がある。
室内にいてもいつ日光が差して俺たちの瞳が朱金になるか分からないし、あまり食事をしないのも不自然だ。
念のためコンタクトをしていたが、長時間つけたままでいるのはなかなかに厳しかったし、無理やり食べ物を詰め込むのも限界だった。
血への渇望は最初の頃に比べるとだいぶんコントロールできるようになったものの、つくづく人間ではなくなってしまったんだと思う。
「ダイ、行こう。」
つい物思いにふけっていた俺を、ユヅの声が現実に引き戻す。
俺はうなずいて、寺の敷地に足を踏み入れた。
寺の住職は随分と高齢で、自分はもう小さな字は読めないからと、俺たちが蔵に立ち入ることを許してくれた。
「もう、今は檀家さんが増えるごどもねはんで、好ぎに見だっきゃよろすい。」
住職によれば、明治維新で寺請制度が廃止されたのを機に、これまでの記録を整理し、傷んでいた書物は新たに書き写したとのことだった。
それでも150年くらい経っている。
古い巻物がうず高く積まれた蔵の中で、俺たちはひとつひとつ中身を確かめていった。
時間だけはたっぷりあるのだ。
それを見つけたのは、寺に通い始めて何日か経ったときだった。
「…寛永十五年立冬、尾張……寺より田村一族郎党入信……、これじゃないか?」
「寛永十五年って、大輔さまが亡くなった翌年だ。」
別のところで巻物を広げていたユヅが飛んできて、俺が手にしている巻物を覗き込んだ。
「他になんて書いてある?」
長い年月の中で、ぼろぼろになった巻物は、所々しか判読できない。
「んーと……」
古い日本語を読むのは妙な感覚だ。
俺の知識では読めないのに、なぜか頭の中に意味が浮かぶ。
俺の中のダイスケサマの記憶がそうさせるのだろうか。
「……当主、田村岳…、これなんだろう、斗かな?…ガクト?」
「御台さまのご実家の家臣に、そんな名前の人いた?」
「……うーん……」
巻物に書かれた一族の者らしき他の名前も、読めるものは全部読んだが、まったく思い出せない。
「僕もちょっと……」
ユヅは困ったように眉を下げた。
ユヅが覚えていないのは当然だ。
それほど真緒と関わりがあったわけではないのだから。
覚えているとしたら俺なのに。
記憶の欠片すら、頭に浮かばない。
俺はじれったい気持ちで唇を噛んだ。
「でも、これから寒くなるってときに、どうしてわざわざ名古屋からこんな僻地に来たんだろう?」
ユヅは、俺をなだめるように俺の肩を抱き、頬にキスを落とした。
「変だよなぁ。けど、もしかしたら、真緒とは関係ないのかも。真緒はこのとき、大阪にいたんだろ?」
「…………」
ユヅは少し顔をしかめ、思い出すような仕草をした。
「…ごめん、ユヅ。思い出さなくてもいいから。」
ユヅにとっては辛い記憶だ。
俺は慌てて質問を取り消した。
「…平気だよ。」
ユヅはかすかに微笑んで、俺の首に腕を回した。
「今はダイが、僕のそばにいるもの。」
そっと近づいてくる唇に、俺は心を込めてキスをした。
寺の冠木門にかかる、鬱蒼と茂った杉の枝々を見上げて、ユヅが思わずといったふうに声を漏らす。
俺も同感だった。
よく見ればきちんと手入れがされているのだが、一見すると廃墟のようにも見える寺だった。
俺たちは、田村家の足跡を訪ねて、アオモリの港町に来ていた。
祖父は俺たちに同行できないことを残念がっていたが、ちょうど良いタイミングだった。
いくら祖父が大らかといっても、ずっと一緒に生活するのは無理がある。
室内にいてもいつ日光が差して俺たちの瞳が朱金になるか分からないし、あまり食事をしないのも不自然だ。
念のためコンタクトをしていたが、長時間つけたままでいるのはなかなかに厳しかったし、無理やり食べ物を詰め込むのも限界だった。
血への渇望は最初の頃に比べるとだいぶんコントロールできるようになったものの、つくづく人間ではなくなってしまったんだと思う。
「ダイ、行こう。」
つい物思いにふけっていた俺を、ユヅの声が現実に引き戻す。
俺はうなずいて、寺の敷地に足を踏み入れた。
寺の住職は随分と高齢で、自分はもう小さな字は読めないからと、俺たちが蔵に立ち入ることを許してくれた。
「もう、今は檀家さんが増えるごどもねはんで、好ぎに見だっきゃよろすい。」
住職によれば、明治維新で寺請制度が廃止されたのを機に、これまでの記録を整理し、傷んでいた書物は新たに書き写したとのことだった。
それでも150年くらい経っている。
古い巻物がうず高く積まれた蔵の中で、俺たちはひとつひとつ中身を確かめていった。
時間だけはたっぷりあるのだ。
それを見つけたのは、寺に通い始めて何日か経ったときだった。
「…寛永十五年立冬、尾張……寺より田村一族郎党入信……、これじゃないか?」
「寛永十五年って、大輔さまが亡くなった翌年だ。」
別のところで巻物を広げていたユヅが飛んできて、俺が手にしている巻物を覗き込んだ。
「他になんて書いてある?」
長い年月の中で、ぼろぼろになった巻物は、所々しか判読できない。
「んーと……」
古い日本語を読むのは妙な感覚だ。
俺の知識では読めないのに、なぜか頭の中に意味が浮かぶ。
俺の中のダイスケサマの記憶がそうさせるのだろうか。
「……当主、田村岳…、これなんだろう、斗かな?…ガクト?」
「御台さまのご実家の家臣に、そんな名前の人いた?」
「……うーん……」
巻物に書かれた一族の者らしき他の名前も、読めるものは全部読んだが、まったく思い出せない。
「僕もちょっと……」
ユヅは困ったように眉を下げた。
ユヅが覚えていないのは当然だ。
それほど真緒と関わりがあったわけではないのだから。
覚えているとしたら俺なのに。
記憶の欠片すら、頭に浮かばない。
俺はじれったい気持ちで唇を噛んだ。
「でも、これから寒くなるってときに、どうしてわざわざ名古屋からこんな僻地に来たんだろう?」
ユヅは、俺をなだめるように俺の肩を抱き、頬にキスを落とした。
「変だよなぁ。けど、もしかしたら、真緒とは関係ないのかも。真緒はこのとき、大阪にいたんだろ?」
「…………」
ユヅは少し顔をしかめ、思い出すような仕草をした。
「…ごめん、ユヅ。思い出さなくてもいいから。」
ユヅにとっては辛い記憶だ。
俺は慌てて質問を取り消した。
「…平気だよ。」
ユヅはかすかに微笑んで、俺の首に腕を回した。
「今はダイが、僕のそばにいるもの。」
そっと近づいてくる唇に、俺は心を込めてキスをした。