美しい人 前編


決起を前に、死を覚悟したあの日。

離縁を申し出た俺に、彼女は凛とした声で否と答えた。

彼女との間に子はできなかったが、彼女は俺の一番の理解者だった。

俺のせいで、これ以上不幸にしたくはなかった。

「わたくしなら、お屋形様に万が一のことがあったとき、お子たちをお守りすることができます。」

彼女はまっすぐに俺を見て言った。

「どうか最後まで、正室としてお役目を果たさせてください。高橋の血を、お屋形様のご意志を、この真緒まおが命に代えても、継いでみせまする。」

彼女がこういう目をするときは、俺が何を言っても無駄だった。

そして、俺が亡き後のことを託せるのは、彼女しかいなかった。

「真緒……」

思わず伸ばした手を、真緒はしっかりと握りしめた。

華奢なその手はわずかに震えていたが。

真緒は取り乱したりしなかった。

真緒。

俺の正室。

親同士が決めた許嫁で、藩主としての義務を果たすべく、結んだ婚姻の相手。

ゆづに対する気持ちとは比べようもなかったが。

天然でほっこりした彼女の人柄は、ゆづを失い、政務に明け暮れた俺の唯一の癒しだった。

俺の大切な女性ひと

真緒。




出征を前に、家族との別れを覚悟したあの日。

年老いた両親は、何としても俺を結婚させようとした。

すぐに1人にしてしまう妻など、娶れるわけがない。

けれど、両親の気持ちも痛いほど分かって。

身動き取れなくなっていた俺に、彼女は豪快に笑った。

「じゃさ、とりあえず真桜まおと婚約しちゃおうよ。それでお父さんたち安心するんでしょ?戦争終わって、互いに好きな人が出来たらやめればいいし。えっ?互いに誰もいなかったら…?うーん、その時考えよ!なんとなるよ、きっと。」

ケラケラと笑う彼女といると、あれこれ思い悩むのがバカらしくなり、俺もつられて笑った。

真桜。

俺の幼馴染。

色々と考えすぎてしまう俺がへこんだときに、いつも励ましてくれる親友。

彼女が女性で本当によかったと思った。

戦場へなど行かせたくなかったから。

真桜。

俺の大切な友。
1/4ページ
スキ