Voyager 中編

………?

覚悟していた苦痛はいつまで経っても訪れなかった。

不思議に思って、アリーナを見た俺は、アリーナの眦が裂けんばかりに見開かれているのに気づいて、戸惑った。

「……はは、はははははっ……」

皇帝が、可笑しくてたまらないというように手を叩いた。

「何ということだ。すべて跳ね返すとは。なんと強力なシールドなのだ。」

「……シールド?」

聞き慣れない言葉だった。

「ブライアン、お前は知っていてダイを仲間にしたのか?」

「…新生前から、ユヅが思考を読み取れなかったので、もしやとは思っていましたが、これほどとは……」

ブライアンは、冷静だった。

「なんと、人間のときからだと? …素晴らしい!見事なものだ!」

皇帝は、一人興奮しているようだった。

「もう一度、もう一度だけ、試させてくれ。お願いだ。」

子どものようにねだる皇帝に、ブライアンが苦虫を噛み潰したような顔でため息をつく。

こういうことは、よくあることのようだった。

「どうする?ダイ。断ってもいいんだよ。」

「……大丈夫です。」

俺はお腹に力を込めた。

ユヅのためにも、二度と俺に手出しする気がおきないようにしておきたい。


次に前に進み出たのは、白皙の美青年だった。

まったく表情を変えずに、俺を一瞥する。

その足元から、漆黒の霧状のものが俺に向かってゆっくりと忍び寄ってくる。

暗黒霧。

俺は、事前に受けたレクチャーを一生懸命思い出した。

それに包まれた者は、五感の全てを閉ざされる。

霧を操る能力者は、確か、ミハイルという名前だった。

暗黒霧は、俺の足元にたどり着くと、ゆっくりと脚を這い上り始めた。

「…ん……」

身じろいで起き上がったユヅが、黒い霧に覆われ始めた俺の姿を見て、小さく悲鳴を上げ、慌てて駆け寄ろうとする。

「ユヅっ、ダメだ、動かないで!!」

「ダイっ、いやだ、ダイっっ!」

まるで泣いているみたいに歪んだユヅの顔が、俺の心を刺し貫いた。

…もう二度と、ユヅにこんな顔をさせたくなかったのに…!

俺は、あるかどうかも定かでない俺のシールドに呼びかけた。

守るべきは俺じゃない、ユヅだっ!

ユヅを守れ!!

必死に念じていると、俺の体と俺を包もうとしている黒い霧の間に、薄い膜のようなものがあることに気づいた。

俺の体は、その膜に覆われて、霧に触れていなかった。

ミハイルの方を見ると、眉間に皺を寄せ、歯を食いしばって霧を操っている。

どうやら、俺のシールドは、暗黒霧に対しても効力があるようだった。

俺は、注意深くその薄い膜を広げようと意識を集中させた。

俺の思念に呼応するかのように、ゆらりと膜がたわんで、シャボン玉みたいに分裂すると、すぐそばのユヅにぺたりとくっついた。

俺は、細心の注意を払ってユヅをその膜で包み込んでから、手招きした。

ユヅが目をぎゅっと閉じて、飛びついてくる。

「…なに、どういうこと?」

俺の全身は既に暗黒霧で覆われていて、ユヅは五感を奪われる覚悟をしていたようだった。

不思議そうに俺を見つめてくる。

口を開くと集中が途切れそうで、俺は黙ってユヅを抱きしめた。

触れ合っている方が膜を維持しやすい。



「やめよ、やめよ。」

突然、皇帝の声がして、俺を包む霧が晴れ始めた。

「…なんと、恐ろしいシールドの力よ。己のみならず、護るべき者にも与えられるとは。」

皇帝の瞳はぎらぎらとしていた。

俺は、嫌な予感がして、背後のブライアン達を振り返った。

「……皇帝陛下。」

ブライアンが大丈夫だと言うように頷いて、一歩前に進み出た。

ブライアン達の方にシールドのシャボン玉を飛ばしてみるが、距離がありすぎるのか、俺の力不足なのか、途中でぱちんと弾けてしまった。

「もう少し引き止めたいが、お前は帰ってしまうのだろうな。」

「……申し訳ありません。」

深々と一礼したブライアンは、物腰は丁寧だったが、断固とした姿勢を崩さなかった。

「お前の機嫌を損ねたことはよく分かっている。今日はこれ以上無理を通すのはよそう。」

皇帝は渋々だが、俺たちを解放する気になったらしかった。

「きっと、また、きっと会おう。ダイ。」

「…………」

正直なところ、もう二度と会いたくなかったが、俺は黙って差し出された手をもう一度握ると、ブライアンに倣って一礼し、ユヅを伴って踵を返した。

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