Sharpens Sight

「ハイ、メリル。」

名前を呼ばれたあたしは、顔を上げると微笑んだ。

「ハロー、ダイ。」

彼の甘ったるい声があたしを呼ぶのが好き。

この秋、大学に編入してきた彼は、数学科を卒業したというのに、ここでは日本史を専攻している。

一体どこに共通点があるのか、全く分からないけれど。

そんな異色の経歴もさることながら、彼はとってもハンサムで、はにかんだ笑顔と優しい性格で女子生徒の人気の的だ。

生まれ育ちはロスだと言っていたけれど、日本人特有のシャイさが可愛い。

「レポート終わった?」

そう聞くと、彼は情けなく眉を下げた。

「……まだ。今日はこらからライブラリーに缶詰めさ。」

元は理数系らしい彼は、慣れない歴史に苦戦しているらしかった。

自分のルーツを知りたいと編入の理由を説明していた彼だけど、専ら1600年代の史実ばかり読み込んでいる。

現代の日本人のルーツは、開国後に形作られたものだと思うんだけど。

「…よかったら、相談に乗ってあげようか?」

できるだけさりげなく聞こえるように注意して提案すると、大きな目を一瞬見張った後、破顔した。

「…助かる。サンキュ。」

彼とデートしたい女の子は、たくさんいる。

彼は来るもの拒まずって感じだけれど、2回めのデートにこぎつけた子は多くない。

ステディなガールフレンドは、まだいないらしかった。

ただの食事や映画の誘いじゃ、他の子と差がつかないもの。

あたしは昔から積極性と計画性には自信がある。




2回めのデートまでは、計画通り順調だった。

察するに、彼はそんなに経験豊富そうではなかったけれど、キャンパスの外でも誠実な彼の態度は、あたしの彼への好感度をさらにアップさせた。

歴史博物館に行ったデートの帰り道、食事をして外に出ると、もう辺りは暗かった。

あたしは、無邪気を装って近くの公園に彼を誘った。

さりげなく手を繋ぐと、きゅっと握りしめてくれる。

あたしは、うきうきとスキップしたい気分だった。

スタンドで温かいコーヒーを買い、ベンチに腰を下ろす。

「……ね、ダイ……」

他愛ない会話の隙間に、身体を寄せて顔を近づけた。

「…………」

彼は、拒まなかった。

けれど、それ以上あたしを抱き寄せることもなかった。

「……温かいね。」

思いがけず淡々とした声に、閉じていた目を開いた。

完璧なアーモンドの形をした彼の瞳が、すぐ近くであたしを見つめている。

……ううん、彼が見つめているのは、あたしじゃない。

「……誰と比べてるの?」

全身に冷や水を浴びせられたような心地がして、声が震えた。

もしかして、彼にはもう……

ダイは、かすかに微笑むだけで、何も言わなかった。

だけど、あたしには分かってしまった。

彼はもう選んでいるのだ。

それは、あたしがこれから彼と始めたいと思っているうきうきと心が浮き立つような恋じゃない。

もっと、静かで唯一無二の確かなもの。

どうしてそんな相手がいるのに、今一人なの? と聞きたかったけど。

あたしが聞いていいようなことには思えなかった。



「…行こうか。」

優しい声に促されて、あたしは立ち上がった。

気分はどっぷり落ち込んでいたけれど。

紳士的な彼の振る舞いに救われていた。

彼は、あたしをアパートの前まで送って、また明日、と言った。

「ねえ。」

立ち去ろうとした彼に、声をかけた。

「…あたしたち、明日も友達よね?」

「うん。もちろん。」

彼は、完璧に微笑んだ。

あたしの大好きな、はにかんだ優しい笑み。

「……もし、今度生まれ変わったら恋人にしてくれる?」

だから、思わず口にしてしまった。

ハイスクールティーンエイジャーみたいに、バカげたロマンチックなセリフ。

けれど、彼は笑ったりしなかった。

「……俺はもう生まれ変わらない予定なんだ。
…お休み、メリル。」

去って行く彼の背中を見ながら、あたしは完全に振られたことを悟ったけれど、不思議と彼を恨む気持ちにはなれなかった。

だって、彼は一言も嘘をつかなかったし、言い訳もしなかったんだもの。



それからキャンパスで、何度か彼が別の女の子と連れ立って歩いているのを見かけたけれど。

あたしは彼女らに嫉妬なんかしなかった。

あたしが嫉妬すべき相手は他にいる。

その相手がダイの心を独占しているのは、間違いなかった。



——Nothing sharpens sight like envy.

嫉妬ほど、視覚を鋭くするものはない。

1/2ページ
スキ